神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

坂下通り

2018-10-09 05:36:39 | 弦巻川・水窪川

 豊島岡墓地沿いの路地に戻ります。地図でもそれとわかるクネッた路地が200m近く続き、一般の道路に突き当たって中断します。富士見坂下を起点とする通称坂下通りです。その後は、坂下通りの左右を蛇行しながら進みます。なお、一帯は江戸時代、小石川村のうち小名大塚に属していました。元禄10年(1697年)に護国寺領となったのち、富士見坂下に町屋ができ、小石川大塚坂下町を名乗ります。明治に入り、護国寺および近隣の武家地を併せ、小石川区大塚坂下町となりました。現在の文京区大塚5丁目、6丁目です。

 

Sakasita1

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 豊島岡墓地の塀沿いの路地から再開、突き当りを右折、次の突き当りを左折です。

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    2. 左折後、水路単独と思われる狭い路地を北上します。

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    3. 吹上稲荷の参道に突き当たって右折、鳥居の先は坂下通りです。 

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    4. 坂下通りを越えたところで左折、40mほど並行したのち右カーブで通りから離れます。

 <小石川大塚村>  「小石川大塚村は小石川庄と称す、大塚は元小石川村の小名なりしが、元禄十年巣鴨、雑司ヶ谷、小石川三村の内を裂き護国寺領に附せられし時、特に一村となし大塚の地多きを以て其名を負せしと云、すべて大塚と称する地域はいと広くして、今町分及武家屋敷等に属する処多し、其町分の地は大塚町・大塚窪町・同上町・同仲町・同下町等の唱ありて、正徳三年町方支配に属し、御府内の町並に加へらる、・・・・川 村西雑司ヶ谷の方より流れ来り、村内にて南に折れ、青柳町の間に達す、川幅九尺」(「新編武蔵風土記稿」) 地名由来については、大きな塚があったためといわれていますが、その場所については諸説あって特定されていません。