鼠坂下を過ぎ、左手は江戸時代の音羽町五~四丁目にかけてです。一方、右手から小日向台の崖面が再び迫ってきますが、台上には磐城平藩安藤家の下屋敷がありました。安政4年(1857年)の尾張屋の切絵図には、安藤長門守と記載されています。のち老中となり公武合体を推進、坂下門外の変で失脚した安藤信正です。屋敷地は明治に入り接収され、陸軍の兵器庫となりましたが、現在は大塚1丁目、2丁目の、筑波大付属やお茶大などのある文教地区です。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- 1. 鼠坂の先です。ここから先の右手台上が安藤家の屋敷地にあたります。
- 2. 崖面から水がしみ出しています。台上が文教地区ということもあり、地下水脈が保たれているのかもしれません。
- 3. 崖面下の路地が、細かく蛇行しながら続きます。
- 4. 無名坂下です。音羽谷から小日向台に唯一車で上れる戦後開通の坂で、対岸は江戸時代からの三丁目坂です。
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