神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

芋洗橋

2018-10-05 06:26:49 | 弦巻川・水窪川

 富士見坂下で不忍通りを越えます。そこには芋洗橋(地震橋)が架かっていました。「石橋 長九尺程幅弐間半 右は前出之川に懸有之地震橋と唱候得共何故相唱候哉相分不申候・・・・里俗は芋洗橋と唱候由に御座候」(「御府内備考」) 「若葉の梢」(金子直徳 寛政10年 1797年)には、「青柳町芋洗橋は船板橋なりとも」との一節があります。また、青柳橋と書き込んだ昭和初期の地図もありますが、間もなく水路は暗渠となり、橋はなくなりました。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)  

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和12年第四回修正) / 早稲田」  上掲地図と同一場所、同一縮尺です。前回UPの→ 「大正10年第二回修正」と見比べてください。

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    1. 不忍通りのワンブロック手前で再開します。右写真は右手から谷筋を写しています。

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    2. 不忍通りを越えます。今度の右写真は左手(護国寺惣門前)から富士見坂方向のショットです。

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    3. 護国寺境内の東南角に沿います。このあたりで境内からの合流がありました。

 <富士見坂>  護国寺前から左岸台上(春日通り)に至る坂は富士見坂と通称されています。「坂 長四拾間程、巾四間程、右は里俗富士見坂と相唱申候」(「御府内備考」) 長さは70m、幅は7mほどと、どちらも現在の三分の一程度です。現在のように幅広かつ緩やかになったのは、大正13年(1924年)、市電の開通の際だと解説があります。同じ解説プレートによると、坂上の春日通りの標高28.9mは、都内幹線道路の最高地点だそうです。(→ 写真は春日通りとの大塚3丁目交差点から、護国寺方向のショットですが、高層ビルに阻まれて富士山を捕らえることはできませんでした。)