下掲「明治42年測図」で新たに出現した、済松寺裏からほぼ直線で北に向かう水路に注目です。ここに弁天町方面からの支流、蟹川本流、中川を合流させ、現一休橋付近で神田川に余水を落としており、こうした付替えによって、下流の市街地に向かっていた水路を切り離し、洪水時の浸水対策にしたものと思われます。付替え時期は文献的には未確認ですが、明治40年発行の「郵便地図」は従来のままなので、40年代の初めになされたのでしょう。
- ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(明治42年測図) / 早稲田」 同一場所、同一縮尺の「実測図」は→ こちらで、その主要な流路をブルーで重ねています。
- ・ 新水路の起点 済松寺裏の付替え後の水路の起点です。前回最後の→ 写真と同じT字路を向きを変えて撮影したもので、右手が新宿山吹高校、正面が早大通りです。
- ・ 合流地点 新目白通りを越えた先から一休橋方向です。橋の傍らには「一休橋の由来」の石碑があり、「橋畔に一休名残蕎麦なる名物」から名付けられました。
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