富士見坂下で不忍通りを越えます。そこには芋洗橋(地震橋)が架かっていました。「石橋 長九尺程幅弐間半 右は前出之川に懸有之地震橋と唱候得共何故相唱候哉相分不申候・・・・里俗は芋洗橋と唱候由に御座候」(「御府内備考」) 「若葉の梢」(金子直徳 寛政10年 1797年)には、「青柳町芋洗橋は船板橋なりとも」との一節があります。また、青柳橋と書き込んだ昭和初期の地図もありますが、間もなく水路は暗渠となり、橋はなくなりました。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和12年第四回修正) / 早稲田」 上掲地図と同一場所、同一縮尺です。前回UPの→ 「大正10年第二回修正」と見比べてください。
- 1. 不忍通りのワンブロック手前で再開します。右写真は右手から谷筋を写しています。
- 2. 不忍通りを越えます。今度の右写真は左手(護国寺惣門前)から富士見坂方向のショットです。
- 3. 護国寺境内の東南角に沿います。このあたりで境内からの合流がありました。
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