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中野塔

2016-12-22 07:57:57 | 桃園川3

 「三重塔 当寺(宝仙寺)より二町ほど東の方御朱印地の内にあり、三間半四面、高さ五丈三尺、五智如来の木造を安す」(「新編武蔵風土記稿」) 寛永年間(1624~43年)に民間の寄進によって建立されたもので、塔内には施主、飯塚夫妻の木像が安置されていました。建立後板葺から瓦葺、石盤葺に改められるなど、数度の改修を経て昭和20年(1945年)まで現存していましたが、空襲によって全焼してしまいました。

 

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    ・ 中野塔  左は「迅速測図」の挿絵に描かれた中野塔、右は「江戸名所図会 / 中野塔」です。宝仙寺境内にある平成4年建立の三重塔は→ こちらです。

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    ・ 桃園川緑道  塔山小学校前を過ぎたところです。左手に「江戸名所図会 / 中野塔」の挿絵の上半分を描いた絵タイルが展示されています。 

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    ・ 三重塔記念碑  山手通りから道一つ東側にある中野十中キャンパスの一角です。かっては三重塔が建ち、その周辺は公園として整備されていました。

 <中野七塔>  以下は「江戸名所図会」の引用です。「中野七塔 今其所在をしるべからず、或人云う、三所ばかりはしれてありとぞ、里諺に、中野長者昌蓮仏に供養の為、高田より大窪迄の間に、百八員の塚を築くと云伝ふ。こゝに七塔といへるも其類のものならん歟。又中野の通りの右側叢林の中に三層の塔あり、七塔の一ならんか。伝へ云。中野長者鈴木九郎正蓮が建る所にして、・・・・中に長者鈴木氏夫婦の肖像と称するものを安ぜり。」 最後は当時の伝承からの誤解で、冒頭で触れたように施主は飯塚氏、安置されていたのは飯塚夫妻の木像です。