桃園川は最後に左カーブで神田川に合流します。その合流地点で、両川を跨いで架かっているのが末広橋です。昭和初期の区画整理では、神田川手前で中断していた大久保通り(当時は宮園通り)ですが、その後の神田川改修に伴い、新宿区(当時は淀橋区)に直行するようになり、その際末広橋が架けられました。名前は当時の形状から付けられたのでしょうが、桃園川が暗渠となった今は、特に末広というわけではありません。
- ・ 「昭和22年米軍撮影の空中写真」 桃園川に跨る部分が広がっていて、確かに末広の扇型になっています。
- ・ 桃園川緑道 地下の桃園川はこのまま直進、大久保通りを越えますが、地上の緑道は大久保通り手前で右カーブして終了です。
- ・ 桃園川緑道 その終点にある小広場で、正面奥が末広橋、左下は「神田川」の歌碑です。ただ、同歌の神田川のイメージは、高田馬場や早稲田界隈のようですが。
- ・ 合流地点 末広橋下流から振り返ってのショットです。奥には西新宿の高層ビル群も写っています。