谷戸の支流を追っての三回目です。地図からもそれと分るクネッた道路が続き、たどるのは極めて容易ですが、ただ一か所迷うところがあります。JR中央線をガードでくぐる前後がそれで、現行の道路とワンブロックだけ一致していません。ただ、当時の地図や空中写真から流路を特定でき、現に残された痕跡からも推測は十分可能です。なお、前回UPの→ 「明治42年測図」では線路を斜めに横切っているように見えますが、これをクランクに付替えたのだと分かります。水路が線路を越える際のいつものパターンです。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- ・ 「昭和22年米軍撮影の空中写真」 上掲地図のグレー枠の部分です。同一個所に同一番号を振っています。
- 1. 水路単独の路地を抜けると、すぐにJR中央線の谷戸ガードです。
- 2. ガードの先のワンブロック、左折、右折のクランクがあったはずですが、建物に阻まれてたどることはできません。
- 3. 久しぶりに見るカクカクです。道路の途中から水路を含んで幅広になっています。
- 4. 幅広が途切れたところで右折します。ただ、「郵便地図」を見ると、直進する道路も水路と重なります。