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葛ヶ谷村分水

2016-06-28 06:56:32 | 妙正寺川5

 妙正寺川は哲学堂公園(下掲「段彩陰影図」では薄いグリーンの区画)のある和田山を抜け、左岸が一気に広くなります。この袋状に広がる低地とその周辺が、旧葛ヶ谷村ですが、妙正寺川の蛇行だけでは、このような台地をえぐる広がりはありえません。現目白通り沿いに合流する支谷筋との共同作業の結果と思われます。葛ヶ谷村はこの支谷筋を利用して、千川用水からの助水を得ていました。葛ヶ谷村分水、あるいは明治以降の落合村の成立に伴い、落合村分水とも呼ばれるものです。

 

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    ・ 「段彩陰影図 / 妙正寺川5」(1/18000)  オレンジは区境で、左上から時計回りに中野区、板橋区、豊島区、新宿区です。また、「明治42年測図」の描く葛ヶ谷村分水、左右の側流、小支流をブルーで重ねました。

 葛ヶ谷村分水は「千川上水給水区域」に記載はなく、寛政6年「星野家文書」は「葛ヶ谷村 同五寸巾六分」(立五寸巾六寸の誤りか?)、「千川分水口取調絵図」は「葛ヶ谷村分水口四寸四方長六尺樋」と書いています。さらに、明治10年の「星野家文書」では、「長崎村地内 幅三寸弐分高三寸五厘」、同時期の用水利用の水田は、全体で5.5町歩余のところ4.8町歩余で、ほとんどをこの用水に依存していたことになります。

 

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    ・ 妙正寺川  四村橋の次の北原橋から下流方向で、右手は上高田公園です。北原は上高田村の字で、 「新編武蔵風土記稿」にも収録されています。

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    ・ 葛ヶ谷村分水  上掲写真の左岸の奥にチラッと見える合流口の上の路地です。次回から数回に分け、ここから千川通りの分岐点まで、葛ヶ谷村分水をさかのぼります。