神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

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哲学堂

2016-06-23 06:05:17 | 妙正寺川4

 下田橋から四村橋にかけての妙正寺川は、哲学堂公園(一部妙正寺川公園)の間を流れます。この付近の左岸段丘は江古田村に属し、和田山とも呼ばれていました。源氏の武将、和田義盛の館があったとの伝承もありますが、地形のくねっている意の「わだ(曲)」が元で、伝承はのちに付会されたものと思われます。それはともかく、和田山の南側斜面の起伏を利用した哲学堂は、哲学館(東洋大学の前身)の設立者、井上円了(1858-1919)がその独自の哲学宗教観に基づき、社会教育を目指して私財を投じて完成したものです。彼の死後東京都に寄贈され、昭和21年(1946年)公園として公開されました。現在は中野区立の哲学堂公園となっています。

 

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    ・  哲学堂公園  奥にある富士橋のあたりは、左岸段丘が最も迫っているところです。大堰で分岐し下田田圃を灌漑する左岸流は、その手前で余水を本流に戻していました。

 和田山の南側段丘斜面の起伏を利用した庭園や建物には、井上哲学を具現すべく様々なネーミングが施されています。左右に仁王ならぬ天狗と幽霊が控える→ 「哲理門(妖怪門)」をくぐると、「時空岡」(じくうこう)と呼ばれる台上に出ます。 そこには「四聖堂」及び「六賢臺」が建ち、前者は孔子と釈迦、ソクラテスとカントを東西の四哲人として祀り、後者は東洋の六賢人として、日本の聖徳太子、菅原道真、中国の荘子、朱子、印度の龍樹、迦毘羅を祀っています。うち「四聖堂」は哲学堂の中心的な建物で、明治37年(1904年)いち早く完成しました。当初はこの建物が哲学堂で、同42年に「哲理門」や「六賢臺」などが完成し、全体が哲学堂と呼ばれるようになったものです。

 

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    ・ 「時空岡」  上掲写真の富士橋の左手の台上です。手前の赤い建物が「六賢臺」、奥が「四聖堂」です。「四聖堂」の前には創設者、井上円了の解説も展示されています。

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    ・  哲学堂公園  哲学堂公園の中では、最も下流の左岸にある菖蒲池です。創立時は構想のみで実現しなかった「須弥苑」をモチーフに、平成になって築造したものです。