中新井川緑道に戻り、すぐに豊玉南小学校前に差し掛かります。→ 「東京近傍図」で、左岸流が氷川神社前を流れていますが、現在の地図に当てはめると、豊玉南小のキャンパスを横切っていたことになります。昭和10年代初めの区画整理以前は、この付近が中新井村の水田の中心だったところです。ちなみに、正保年間(1645~48年)の記録によると、村高135石のうち田79石余、畑55石余と、周辺の各村に比して珍しく田中心で、中新井川流域の水田開発から出発した村だったことがうかがえます。
- ・ 中新井川緑道 前回の水路の合流点から60mほどのところです。右手が昭和36年(1961年)開校の→ 豊玉南小学校、その裏が氷川神社や正覚院のある左岸段丘です。
- ・ 氷川神社 旧中新井村の鎮守で、社伝によると当初は北野神社(天満宮)、ついで須佐之男命を祀る須賀神社(牛頭天王)だったそうで、牛頭天王から改称した江古田氷川神社ともども、興味のある経過です。
- ・ 天満山正覚院 氷川神社の別当だったお寺で、東隣に並んでいます。太田道灌が天満宮別当として創建との伝承があり、氷川神社が北野神社だったとの伝承と符合します。
- ・ 中新井川緑道 環七通りの手前です。→ 「段彩陰影図」では、環七通り付近でもう一つの谷筋が合流していますが、その谷筋にかかわる水路が次回のテーマです。