神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

中新井村

2016-06-02 06:34:04 | 妙正寺川4

 「中荒井村は日本橋より三里許、民戸百六十二、『小田原役帳』に『森新三郎買得十四貫五百文江戸廻中新居元吉原知行』と載す、正保の改には板倉周防守知行中新井村と記せり、今は御料所なり、東は上板橋村西は中村北は下練馬村南は多摩郡江古田村なり、東西十六町南北八町余、北の方練馬村堺に河越道中(清戸道の誤りか?)掛れり、用水は仙川上水の分水を引用す」(「新編武蔵風土記稿」)

 

Egotam13

    ・ 「東京近傍図 / 板橋駅」(参謀本部測量局 明治14年測量)の一部を加工したもので、本来の縮尺は1/20000、パソコン上では1/12000ほどです。オレンジ線は練馬、中野の区境で、細線は北豊島郡中新井村当時の大字中、中新井の境です。

 中新井の表記は「中新井」が一般ですが、これは明治以降のことで、後北条氏が一門、家臣の役高を記した「小田原衆所領役帳」では「中新居」、また「新編武蔵風土記稿」では「中荒井」となっています。練馬区のホームページ内「練馬の地名今むかし」は、「小田原衆所領役帳」の「中新居」から、隣村中村の人々が新たに開拓し、居住した地域の意と推測しています。なお、現行の住居表示では旧中新井村は豊玉北、豊玉南などとなっていますが、これは明治9年(1876年)開校の小学校の学区が、当時の北豊島郡と東多摩郡にまたがり、豊玉小学校と名づけられたのがきっかけです。

 

0109b

    ・ 中新井緑道  暗渠が始まる下徳田橋の次の中新井橋が架かっていたところで、旧中新井村に属していました。今は「ここから練馬区」の標識が立っています。

0109a

    ・ 氷川神社  「氷川社 村の鎮守なり例祭九月十八日正覚院持」(「新編武蔵風土記稿」) 中新井川(江古田川)を南に臨む左岸段丘斜面にあります。