kaoが行きたいと言っていた「錦帯橋」に行く途中、私のたっての希望で「防府天満宮」に行くことに・・・。
『日本最初の天神様
防府天満宮は学問の神様、
菅原道真公を始め公の御祖先である
天穂日命(あめのほひのみこと)・武夷鳥命(たけひなどりのみこと)・野見宿禰(のみのすくね)の四柱をお祀りしています。
公は、九州の太宰府に下られる途中、船を当地勝間の浦におつけになり暫くご滞在になりました。
ご滞在中、酒垂山にお登りになり、「身は筑紫にて果つるとも、魂魄は必ずこの地に帰り来らん」とお誓いになり、周防国分寺にて家宝の金の鮎12尾を国司土師信貞に託して寂しく旅立たれました。
延喜3年(903年)公のお亡くなりの日、勝間の浦に神光が現れ、酒垂山に瑞雲が棚引きました。
国司は公の御霊がお帰りになられたと、翌延喜4年(904年)この地の酒垂山に社殿を建立して松崎の社と号しました。菅公をお祀りしたお社は日本全国津々浦々に至るまで約1万2千社ありますが、
当社の創建をもって日本最初の天満宮とし、北野天満宮(京都市)、太宰府天満宮(太宰府市)と共に日本三天神と称せられております。』(防府天満宮 ホームページより)(文字色変更は、私です。)
寛永6年(1629)初代藩主毛利秀就の寄進により建立の明神鳥居(奉納年の刻まれたものでは山口県最古)
青銅の中鳥居と参道
青銅鳥居手前の立派な台座の萩狛犬(宮市や三田尻の人の寄進)
『 ~ 萩狛犬 ~
文久2年(1862)に寄進されたこの狛犬は、萩の石工「武村唯昌」とあることから萩狛犬と呼ばれている。
北野天満宮、大宰府天満宮にも同様の萩狛犬が建立されており、幕末における長州藩での天神信仰の広がりを感じさせる。
~ 北野天満宮の萩狛犬伝説 ~
禁門の辺長州藩は敗走。その後、京都守護職の会津藩が北野天満宮に鳥居を奉納、しかし、鳥居の側に奉納されていた萩狛犬を見つけ
「長州獅子、汝まだ去らざるか」
と、神社に撤去を要求。実力で倒そうとしたところ、一天にわかにかく曇り雷鳴が響きわたった。会津藩士は、雷神である菅原道真公の崇りと恐れ逃げ帰ったという。』(説明看板より)
宝暦9年(1759)8月建立の浪速狛犬(大阪の石屋中村屋で造られた防府市内最古)
階段を上がっていきます
鮮やかな楼門と廻廊 右端には牛さんも・・・。
何度か焼失するも建替えられ現在に至る拝殿
寛永元年(1789)建立の 拝殿前のブロンズ狛犬
願いごとの書かれた絵馬がいっぱい!
十代藩主毛利斎煕が五重塔を建立しようとしたが、中止になり、明治になって完成したという「春風楼」
安政2年(1855)建立の裏参道狛犬
先代の牛さんかな? ちょこっとだけ本殿が写っています。(本殿の写真を撮り忘れてしまいました。)
芳松庵 お庭を見せて頂きました。
お庭の中には小さな川が流れていたり、東屋があったり、静かで良いお庭でした。
まちの駅「うめてらす」で一休み、ジュースを頂きました。
神社紹介 防府天満宮 山口県防府市松崎町14-1
☎ 0835-23-7700
最初の大きな鳥居の前に駐車場有り。
一度は訪れてみたいと思っていた「防府天満宮」 鮮やかですが、華美ではなく、豪華ですが、派手ではなく、落ち着いた感じに心休まる「防府天満宮」でした。 萩狛犬のお話も興味深かったです。
つづく
今日は、「富士山女子駅伝」の開催される日です。富士宮浅間大社から富士市内を駆け抜けゴールは富士運動公園陸上競技場です。富士山に見守られながらの力走に期待しています。