さて、kaoとの初めてのドライブ旅行、いよいよ最後の訪問地、kaoの行きたがったいた「錦帯橋」です。
実は、私は、何年か前の春、ここを訪れています。その時のことは、以前のご紹介のページを見てね。
ご覧のように、このブログを始めた頃のことですが、桜が満開でとても綺麗だったと記憶しています。その時に岩国城の展示物の中に「日本三奇矯」というのがあって、その後、「甲斐の猿橋」と「祖谷のかずら橋」を見に行きました。(詳しくは、カテゴリーの中の「橋紀行」をご覧ください。)
「日本三名橋」というのもあって、こちらは、「錦帯橋」(山口県岩国市)、「眼鏡橋」(長崎県長崎市)、「日本橋」(東京都中央区)だそうです。奇矯とも名橋とも言われている「錦帯橋」です。
『1673年、岩国藩主の吉川広嘉が現在の橋の原型となる木造橋を架けましたが、残念ながらすぐに流失しました。
しかし改良を加えて翌年再建された橋は、1950年9月にキジア台風による洪水で流失するまでの
276年間威容を保ちました。流失後、市民の強い要望により、1953年に再度、木の橋として再建されました。
平成13年(2002)からは、劣化した木造部分を架け替える「平成の架け替え事業」も行い、2004年3月さらに檜の装いを新たに完成しました。
木造部分の掛け替えは、旧錦帯橋でも江戸時代からほぼ橋大工の代替わりで行われていた定期的な伝統事業です。』(岩国市ホームページより)
錦帯橋 山の上に見えるのは、岩国城
弧の部分は、細かい階段になっています。
『橋の長さは、橋面にそって 210m、直線で 193.3m、幅は 5m、橋台の高さは 6.6m。
巻きガネとカスガイを使った「木組みの技法」で造られています。
反り橋の構造は精巧かつ独創的で、現代の橋梁工学からみても非のうちどころがないと言われています。』(岩国市ホームページより)
私たちは、橋を渡って右に折れ、kaoの探してくれてあったお店でお茶をすることにしました。(このお話は次回に・・・。)
佐々木小次郎像 (細面、かなりかっこいい?)
帰り道、再度錦帯橋を渡る・・・。
槍倒しの松ごしの「錦帯橋」
欄干の影が映る
錦川に映る「錦帯橋」 釣り人が色を添える
錦帯橋は、皆が大切にしてきたことが納得できるとても綺麗な橋でした。
つづく
実は、私は、何年か前の春、ここを訪れています。その時のことは、以前のご紹介のページを見てね。
ご覧のように、このブログを始めた頃のことですが、桜が満開でとても綺麗だったと記憶しています。その時に岩国城の展示物の中に「日本三奇矯」というのがあって、その後、「甲斐の猿橋」と「祖谷のかずら橋」を見に行きました。(詳しくは、カテゴリーの中の「橋紀行」をご覧ください。)
「日本三名橋」というのもあって、こちらは、「錦帯橋」(山口県岩国市)、「眼鏡橋」(長崎県長崎市)、「日本橋」(東京都中央区)だそうです。奇矯とも名橋とも言われている「錦帯橋」です。
『1673年、岩国藩主の吉川広嘉が現在の橋の原型となる木造橋を架けましたが、残念ながらすぐに流失しました。
しかし改良を加えて翌年再建された橋は、1950年9月にキジア台風による洪水で流失するまでの
276年間威容を保ちました。流失後、市民の強い要望により、1953年に再度、木の橋として再建されました。
平成13年(2002)からは、劣化した木造部分を架け替える「平成の架け替え事業」も行い、2004年3月さらに檜の装いを新たに完成しました。
木造部分の掛け替えは、旧錦帯橋でも江戸時代からほぼ橋大工の代替わりで行われていた定期的な伝統事業です。』(岩国市ホームページより)
錦帯橋 山の上に見えるのは、岩国城
弧の部分は、細かい階段になっています。
『橋の長さは、橋面にそって 210m、直線で 193.3m、幅は 5m、橋台の高さは 6.6m。
巻きガネとカスガイを使った「木組みの技法」で造られています。
反り橋の構造は精巧かつ独創的で、現代の橋梁工学からみても非のうちどころがないと言われています。』(岩国市ホームページより)
私たちは、橋を渡って右に折れ、kaoの探してくれてあったお店でお茶をすることにしました。(このお話は次回に・・・。)
佐々木小次郎像 (細面、かなりかっこいい?)
帰り道、再度錦帯橋を渡る・・・。
槍倒しの松ごしの「錦帯橋」
欄干の影が映る
錦川に映る「錦帯橋」 釣り人が色を添える
錦帯橋は、皆が大切にしてきたことが納得できるとても綺麗な橋でした。
つづく