嵯峨小倉山の裾を巡る道を北上、雪に埋もれてひっそりと建つ「落柿舎」俳人向井去来が閑居の地、庭の柿の実が一夜にして落ちた事からこの名が付けられたと伝えられる。
門前に立ち寄る人影はなく降りしきる雪が舞い落ちる、ストロボ光を当て雪の玉を捉える。
朝の予報では正午以降は雪がやんで天候は回復と伝えていたが激しく降り続く、小倉山二尊院門前、伏見城から移築された総門、紅葉の馬場と呼ばれる広い参道が有名。
雪の降り積もる道をさらに奥嵯峨へと向かう、この付近一帯を化野(あだしの)と呼び昔死者を風葬にしたと伝えられる、約八千本の無縁仏の石塔が並ぶ念仏寺を目指すがこの日は降雪のため閉鎖中、あきらめて雪道を引き返して帰路に。