北嵯峨「鳥居本」愛宕神社一ノ鳥居、ここから参詣の道は二つに分かれる、直進すると清滝トンネルを抜け、表参道の急坂を一気に上る。
正面の茅葺は鮎料理「つたや」風情のあるたたずまいを見せています。
この辻を左折すると小さな峠を越えて保津峡沿いに柚子の里として知られる「水尾」の集落から愛宕神社に向かう迂回路。
【嵯峨鳥居本】
嵯峨野の北の外れ、藁葺き屋根の農家や町屋が軒を連ねる情緒ある町並み、昭和59年(1984年)国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定。
人影も絶えた雪の舞い落ちる竹林の道、観光タクシーもヘットライトを点けて登ってきました。
こちらは広々とした田園の向こうに「落柿舎」が雪に霞む、人力車のガイドの説明では樹木が葉を落とした、この季節が落柿舎の風景が一番きれいです。
吹雪を避けて裏通りを歩いていると地元のおじさんに、今日は「羅漢さん」の雪が残っていますよ、と声をかけられた、雪の冠が季節を演出してくれます。
近づいて見ると夫々個性的な表情を見せて、雪の衣をまとっていました。
【五百羅漢】
釈迦没後、第1回仏典編集会議(結集ーけっじゅう)に集まった500人の弟子 達を五百羅漢と称して尊敬し、各地の寺院に建立し奉納された。
今年何回目かの雪の日曜日、京都嵯峨野周辺の雪景色を訪ねる。
人も車も閑散とした「渡月橋」東詰、北から吹き降ろす吹雪の中、向かいの山すそに法輪寺の屋根、多宝塔が真っ白い雪に覆われ始めていました。
天竜寺の門前に老舗の料亭、食事処が軒を連ねる、蕎麦処「嵯峨野」の裏通り人力車の観光客に出会う。
昨年の日本ダービー、牝馬では64年ぶり1着と話題を呼んだ「ウオッカ」が登場、雪の舞う京都競馬場はフアンの熱気で盛り上がった。
黒光りのすばらしい馬体、内に闘志を秘めて周回する姿はこれぞサラブレットと思わせる。
距離2200m「京都記念」レースを制したのは「アドマイヤオーラ」牡4歳、安藤勝巳騎乗、人気の「ウオッカ」は着外に沈みフアンの期待を裏切った。
久しぶりに最高気温が10度を越えた日、万博公園梅林、今朝咲いたばかりの白梅、蘂の先端がきれいにそろっています、逆光のため手前から少し光を当てて撮影しました。
ちじれたような花びらの「マンサク」日本庭園内の池の周辺に咲いています。
日本各地の山林に自生、名前の由来は早春に咲くことから「まず咲く」が訛ったものとの説が有力。
旧帝国陸軍第4師団司令部の建物、戦後米軍の接収を経て府警本部、歴史博物館となる、現在閉館中、公園のランドマークであり、貴重な戦争遺跡。
戦前「またも負けたか八連隊」と俗謡に歌われた、弁舌が立ち(逆に言えば言い訳が多い)商人気質で利に聡く、かつ反権力という大阪人の一般的なイメージから「大阪の兵隊は弱い」と根拠なき俗説として伝えられてきた。
内堀に沿ってゆくと観光客がユリカモメに餌を投げていました。
中空にホバリングしながら見事な飛翔を見せます。
夕日を浴びて金箔が輝く天守閣、1583年豊臣秀吉が築城した当時「金(錦)城」と呼ばれた、大阪の陣で落城焼失、徳川幕府によって再建されたが戊辰戦争で焼失、現在のものは1931年鉄筋コンクリート造りで再建された。
城壁の石組み、築城当時数万の人夫を動員3年を費やし周囲4里に及ぶ広大な城域を構築した、重機など運搬手段のない時代、使役された人びとの苦労がしのばれます。
早咲きの品種の梅が満開の情報が伝えられる大阪城公園梅林、青空に映える天守閣を背景に枝振りのよい白梅が咲きそろっていました。
内堀の東側、約1.8haの広さを持つ梅林。
昭和49年(1974年)3月府立北野高校の卒業生(六稜同窓会)が開校100周年事業として、22品種、880本を大阪市に寄付、植樹したもの。
【大阪城公園】
豊臣秀吉が築城、大阪冬の陣、夏の陣の舞台となった史跡。
歴史のドラマを今に伝える天守閣が大空に雄姿を見せる、大阪市のほぼ中央に位置し106.7haの広大な公園。
大手門、千貫櫓、火硝蔵等13棟の重要文化財を有する。