片貝孝夫の IT最前線 (Biz/Browserの普及をめざして)

Biz/Browserの黎明期からかかわって来ました。Bizを通じて日常を語ります。

モンブランのボールペン

2007年05月05日 | こころ
突然モンブランの高価なボールペンが送られてきた。ローマ字で私の名前が彫ってある。Mさんからの贈り物だ。私が生涯忘れてはならない恩人。14年前、私が社長をしていた会社が立ち行かなくなったとき、何度も何度も、私の話を聞いてくださり、ご自分の身の上話までされて、私を励ましてくださった方。そして、私を含めて、会社ぐるみ救ってくださった方。私はその方の恩に報いることなく、3年半後に、その方から離れてしまった。はたから見たら、とても許されることではなかった。Mさんは、組織の達人だった。私は天然人。どう折り合いをつけていけばいいのか、正直わからなかった。その結果離れることになった。辞表を、時の上司に出したとき、友人が「Mさんに話したのか」と私を詰問した。私の態度が許せなかったのだ。私は限界だった。というより、千数百人の会社組織の中では、無能に近かった。
Mさんは、私が辞めたあとの会社の役員会で、私の会社を救ったことで、役員に対して謝罪をしたと、風の便りで聞いた。私が勝手に辞めたからだ。
私は辞めて、パソナグループの人材派遣会社に入った。そこで、出身のMさんの会社に早速営業に行った。会社の人たちは呆れていた。私は、ただ純粋に、仕事と人の出会いを一生懸命努め、結果としてMさんの会社の業績が向上すれば、社員でいるより役に立つくらいに思っていたが、常識はずれだと人が思うことも知ってはいた。でも気にしなかった。どうしたらMさんの役に立つかだったから。それと派遣スタッフのためにも。
その後アクシスソフトに入ってから、Biz/Browserを売り込みに行った。私にとっては売り込みに行ったのではなく、新しい時代がくる、だから早く気づいて、準備して欲しいという気持ちだった。Mさんは、社長室で真剣に私の話を聞いてくれた。
その後私も年に一度くらい、偶然Mさんと会うことがあるが、自分のことで精一杯で過ごしていた。そこへモンブランのボールペンだ。蓼科から帰ったら、あった。なんでかなあと平静を装ったが、だんだん、たいへんな気分になってきた。このボールペンは、Mさんが、その会社から完全に離れると言う記念に送ってくださったものだ。私のような放蕩息子にもくださるとは。