1868年 (明治元年)5月10日、明治天皇から維新を目前にして倒れた志士たち(天誅組など)の御霊を奉祀するために、
京都・東山の霊山の佳域社を創建せよとの詔・御沙汰が発せられ、それに感激した京都の公家や山口・高知・福井・鳥取・
熊本などの諸藩が相計らい京都の霊山の山頂にそれぞれの祠宇を建立したのが神社創建のはじまりであり、日本初の
招魂社であります。
東大路通りから高台寺に向かう参道を上り、突き当りの東山の山麓に位置しております。
祭神の中には京都で暗殺された坂本龍馬も含まれており、境内に銅像が作られているほか、誕生日であり命日でもある
11月15日には、龍馬の遺徳を偲び霊を慰める龍馬祭が行われます。(誕生日・命日は本来は旧暦11月15日ですが、祭
は新暦11月15日に行われます。)
龍馬のほかに、中岡慎太郎、頼三樹三郎、梅田雲浜、吉村寅太郎、平野国臣、久坂玄瑞ら幕末勤王の志士1,356柱と
明治以降の日清戦争、日露戦争、太平洋戦争などの戦死者を合わせ約73、000柱が祭神として祀られております。
本殿の右手(東側)に墓所への入り口があり、電車の自動改札機のような機械に300円を投入するとゲートが開きます。
木戸孝允(桂小五郎)勅撰碑
坂本龍馬、中岡慎太郎の墓石は案外山腹の下の方にあり、この階段を上った所にあります。
階段を上りきる途中にある昭和の社
その上が、展望台も備え付けられた墓前になります。
鳥居の向こう、左側が坂本龍馬、右側が中岡慎太郎の墓石です。
熱烈な龍馬ファンの方のお参りが後を絶たないため、ここの前だけは生花やお供え物が切れることは無いそうです。
墓前の展望台からの眺めです。 140年の間、命を懸けた改革後の日本をどんな思いで見つめているのでしょうか?
現在の政治家にも坂本龍馬のような国の行く先をきちっと見据え、国民の為に汗できる大志を持った方にリーダーになっ
て欲しいものです。
墓前には、お参りされた方々の思いを書き綴った石板が、奉納されております。
墓所右手の銅像 京都市内を見守っているようですが、憂いていることだと思います。
坂本龍馬・中岡慎太郎の墓所の後方、池田屋騒動殉難烈士の墓
お供えのチョコレートを器用に袋を破って食べておりました。
禁門の変殉難烈士の墓 禁門の変で長州藩は、倒幕運動の拠点として1864年大挙して蛤御門で幕府軍と戦いました。
この戦いはまれにみる激しい戦いで京都の町811町、三万戸の民家が焼失したほどです。この戦いで、福岡久留米藩の
真木和泉守に率いられた長州軍は、多数の優秀な人材を失い大きな打撃を受けました。
禁門の変殉難烈士の墓
護国神社の一番高台にある長州藩士、木戸孝允の墓石 墓石には、「内閣顧問勲一等贈正二位木戸孝允之墓」の文字
が刻まれております。
手前の墓石が木戸孝允の妻、幾松の墓で二人並んで建てられております。
護国神社の南側にある霊山(りょうぜん)歴史館
NHKの大河ドラマの影響もあり、平日でも結構な人出で賑っておりました。
以下の写真は、入場料700円で頂けるパンフレットの転載です。
車でお越しの方は、歴史館には駐車場が7台分位しか無く護国神社には駐車場が無いため高台寺の駐車場をお勧めし
ますが、土日や三月下旬以降はこのあたりは、車で来られると相当な時間ロスをいたしますので、ご注意ください。
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