京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

伏見 藤森神社 紫陽花祭 06/24/2010

2010年06月30日 | 洛南 伏見 宇治方面

      

      藤森神社は、今から約1800年前、203年に三韓征伐から凱旋した神功皇后が、山城国・深草の里の藤森に纛旗(とうき、いくさ旗)を立て、兵具を納

      め、塚を作り、祭祀を行ったのが当社の発祥であるとされております。







      

      藤森の地は現在の伏見稲荷大社の社地であり、その地に稲荷神が祀られることになったため、当社は現在地に遷座しました。そのため、伏見稲荷大

      社周辺の住民は現在でも当社の氏子であるとのことです。






      

      神功皇后によって創建されたこともあり皇室ともゆかりの深い古社であり、特に当社は、菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、今日では勝運と馬の

      神様として、競馬関係者(馬主・騎手等)、また、競馬ファンの参拝者でにぎわっております。







      

      本殿は正徳2年(1712)、中御門天皇より賜ったもので、御祭神には、素盞鳴命(すさのおのみこと) 別雷命 (わけいかずちのみこと) 日本武尊 (やま

      とたけるのみこと) 応神天皇 (おうじんてんのう) 仁徳天皇 (にんとくてんのう) 神功皇后(じんぐうこうごう) 武内宿禰 (たけのうちのすくね) 舎人親王

       (とねりしんのう) 天武天皇 (てんむてんのう) 早良親王 (さわらしんのう) 伊豫親王 (いよしんのう) 井上内親王 (いがみないしんのう)の十二柱が祀

      られております。









      

      本殿南側の舞殿








      

      本殿東側の腰痛除守の「いちのきさん」







                     

                          








      

      いちのきさんの南側にある不二の水
                               







      

      不二の水の東側に見える藤森稲荷社前の七福神







      

      神鎧像(かむよろいぞう) 第二紫陽花苑入口の右側に佇む鎧像 五月五日に行われる藤森祭りは、菖蒲の節句発祥の祭りとして知られ、節句に飾る

      武者人形には藤森の神が宿ると云われており、その象徴として建立されたものです。第二紫陽花苑は、いちのきさんの東側から入り本堂北側を回るよ

      うになっております。第一第二合わせて3600株の紫陽花を見ることが出来ます。

 

 

 

 

      







 

 

                     








      








      








                








      

      本殿北側北側の八幡宮社







                     








                     








                     








           








                     








      

      紫陽花苑出口近くの天満宮社

 

 

 

 

                     







                     
                     

 

 

 

                     


 

 

 

                     

 

 

 




      

       本殿裏側が、第二紫陽花苑の出口になります。これから、境内を南に縦断して第一の方に向かいます。

 

 

 

 

      







      
           舞殿の横を抜けますと西側に手水場と古藤の藤棚があります。

                         







      

      藤棚の南側の絵馬舎 駆馬や菖蒲→尚武・勝負の連想や、武神が多く祀られていることから、馬と武運の神社として信仰を集めており絵馬舎には、一

      世を風靡した名馬の絵馬が多数奉納されております。





      

 

 

 

 

 

      
           






      

      絵馬舎の南側が紫陽花苑の入口になります。 開園期間は、その年の開花状況によって決められるそうですので、ご確認の上でお出かけください。

      075-641-1045  ちなみに、今年は6月5日からの開園で約1ヶ月を予定なされております。






      

      紫陽花苑は、通路の幅が狭く迷路のように曲がりくねった作りになっております。今日は天候に恵まれましが、雨の日は紫陽花の葉がせり出しており、

      足元と衣服が濡れてしまう可能性が高いのでお気をつけください。






                     

                     紫陽花苑には何十種類もの花が咲いておりましたが、この株ともう一種類だけ名前が付い

                     ておりました。 レッドスカイ







                     








           








                     








      

      もう一種類名前が書いてあったのが、左側のおたふくです。

 

 

 

 

 

                







      

 

 

 

 

 

               








      








      








      








                     

 

 

 

 

 

                     

 

 

 

 

 

      








      








               








                     

 

 

 

 

 

      








      








                     








                     

 

 

 

 

 

                     








           

           

 

 

 

 

                     







      

      紫陽花苑を後にし、もう一度境内を抜け駐車場に戻ります。







      

      舞殿の南側、手水場の横に建つ神馬像







                     

                     神馬の銅像の左手(西側)にある手水場 立て札には手水の作法が書かれており、神殿

                     に参拝する前に、まず手と口を清めてくださいとあり、1)柄杓で左手を洗う 2)次に右手を

                     洗う 3)次に左手で水を受けて口をすすぐ、と書いてあります。




                          








      








      








  

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建仁寺塔頭 両足院 半夏生の庭特別公開

2010年06月26日 | 洛東 東山 四条八坂近辺

      

      両足院では、6月11日より7月11日(日)までの期間、半夏生の庭特別公開をなされております。 書院の池の周りを囲むように可憐に色付いた葉が、

      水面を飾っております。 ハンゲショウ(半夏生、半化粧、)とは、ドクダミ科の多年性落葉草本植物で、名前の由来は、半夏生(太陽の黄経が100°に

      なる日)の頃に花を咲かせることに由来する説と、葉の一部を残して白く変化する様子から「半化粧」とする説があります。 また、葉の片面(表面)だけ

      が白くなることから古くはカタシログサ(片白草)とも呼ばれておりました。







      

      花見小路を四条から南に下がり突き当りの山門を入り、現在修復中の鐘楼の南東に位置しており法堂の東側です。 両足院は、建仁寺の開山・明庵

      栄西(みんなんようさい)禅師の法脈・黄龍派(おうりょうは)を受け継ぐ龍山徳見(りゅうざん とっけん)禅師を開山とする臨済宗建仁寺派の塔頭寺院で

      す。 創建された当時の両足院は、知足院の別院、または徒弟院(つちえん)として建仁寺開山堂・護国院の中にありましたが、天文年間の火災の後、

      「知足院・両足院」両院を併せて「両足院」と称する事となり現在に至ります。





                  

                  開山 龍山徳見禅師(1284~1358)は、関東の名族・千葉氏の出身で、今の千葉県香取市

                  周辺が生誕地です。徳見は、最初「利見」という名で十二歳のころ、鎌倉五山の寿福寺に入

                  り禅僧の道を歩み始めます。 当時、円覚寺には国からの稀代の高僧・一山一寧(いっさんい

                  ちねい)和尚が居り、彼に参ずるものが後を絶たない状況でした。そこで一山和尚は、漢詩文

                  の試験を行い、そこでトップで試験をパスしたのが利見です。円覚寺で禅と漢詩文を勉強する

                  間、一山和尚は利見の才能を見抜き、中国への渡航を薦めます。そして、利見は22歳の時に

                  中国へ単身渡ることを決意いたしました。          





      

      当時の元(中国)にて45年を過ごした禅師は、足利尊氏の招きにより帰国することとなり、禅師が帰国する際、惜別に耐えかね追随する形で来日した

      林浄因が、日本で始めて饅頭を作った人物であることから「饅頭始祖の寺」としても知られております。 帰国後の禅師は、建仁寺35世、南禅寺24世、

      天龍寺6世の住持として栄西禅師直系の黄龍派を広めていきました。 のちに功績を称えられ朝廷から「真源大照禅師」の号を賜り、1358年75歳で

      入滅なされました。






      

      山門の突き当たりの唐門前の砂山







      

      唐門と本堂庭園







      

      本堂南庭園と廊下を進み左手に回ると書院の庭園が見えてまいります。







      

      本堂東庭園

 

 

 

 

                         

 

 








      

      書院庭園 池の向こう側の建物は、左が国宝如庵の写し「水月亭」と大村梅軒好み「臨池亭」の二つの茶室が並びます。








                       

                       池のほとりを彩る半夏生
  






      

      期間中は、本堂と書院で係りの方が説明をしてくださいます。







      








      

      書院前の庭園は、半夏生の庭と呼ばれており、池畔にはクチナシの白い花も咲き涼感を感じさせます。梅雨時でもあり、雨の日の拝観もしっとりとして

      良いと思います。    







                        








                        








      

 

 

 

 

                         

 

 

 

 

 

                         

 

 

 

 

 

      

      本堂東庭       

 






                            
                    
                            書院から本堂北側を通り庫裏に移動します。

 

 

 

 

                              

 

 

 

 

                             




           
           




      
           
      庫裏に展示されているお軸








                        









                        

                        本堂と庫裏の間の閼伽井の坪庭。閼伽(あか)とは、神仏に御供えする水のことで、その

                        水を汲む井戸が閼伽井です。









                        

                        本堂に戻り靴を履き庭園に出ます。お茶席でお茶を召し上がる方は、拝観受付の唐門で

                        申し出てください。唐門横の手水鉢

 

 

 

 

          






                          
           

 

 

 

 

 

      

      本堂南庭園の三尊石







                     








                          








                          








      

      書院を池の東側から見ながらお茶室に向かいます。







                          

                          庭園の北側のお茶室前より。 こちらの茶室では期間中、お抹茶をいただくことも出来ます。

                          両足院は、唐から来朝した林浄因が、日本で初めて饅頭を作った人物であることから、「饅

                          頭始祖の寺」としても有名で、お茶席では美味しいお饅頭も提供されます。





       

       二つの茶室の内の東側の茶室・臨池亭

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

                              


 





                        








           








                           








                           

 

 

 

 

      

 

 

 

 

                        

 

 

 

 

      
      







      

      本堂東庭園







           








                            








      

      両足院を出て石塀を北に進みますと、同じ敷地内に毘沙門堂があります。







      

      鞍馬の胎内仏 両足院の毘沙門天は、鞍馬寺毘沙門天の胎内仏でした。戦国時代 比叡山が織田信長によって焼き討ちにあった際、鞍馬の僧が尊

      像の安全を危惧し、比喜多養清(室町将軍の茶家、筑前黒田家京都御用達)のところへ、尊像を疎開させたものです。





      

      黒田家必勝の御守護 関が原の会戦に黒田長政が、関東方として出陣する際、この尊像を内兜に収めて奮戦し、勝利を収めたといわれています。

      そのあと尊像は代々黒田家で信仰されましたが、維新の変革で明治10年ごろ当院に寄進されました。 以後、勝利の神として商売繁盛、合格祈願、

      良縁成就、誓願成就 など参拝の方々が訪れております。







               
           寅年の本尊 本尊の毘沙門さんは、脇仏に閻魔大王、不動明王をおまつりしています。毘沙門天堂の狛犬は、寅。
           香炉や灯篭にも寅が、浮き彫りされていることから寅年生まれの方やご縁のある方がよくお参りされております。同じ
           毘沙門天を祀っていることから、鞍馬寺と同じ狛寅が両側をかためております。




           
           







                            

                            毘沙門堂の北側、西来院の参道に咲く紫陽花







                            








                            

                            両足院は、年に二回、1月とこの半夏生の時期しか公開なされておりませんので、ご確認

                            の上訪問してください。











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清水寺 雨の成就院 庭園 06/13/2010

2010年06月22日 | 洛東 東山 清水寺方面

           13日の日曜日、会合があり成就院にお邪魔してまいりました。今まで何度も伺っておりますが、雨の日は初めてで、しっ
           とりとした庭園が素晴らしかったです。








           
           まずは、荷物だけ置かせていただき本堂にお参りに行ってまいりました。







                          
                          参拝入口の普門閣 








           
           楼閣を本堂に突き当たりますと、ふくよかな出世大黒天さんが迎えてくれます。







           
           本降りの雨にもかかわらず、大勢の観光客が訪れておられました。









                     









           








           
           私にとって、清水さんで外せないお参りスポットが、阿弥陀堂と奥の院の間を入り奥の院の裏手(東側)にあります「ぬれ
           て観音」さまです。






           
           手前の蹲で柄杓に水を汲み、観音さんに掛けながらお参りいたします。







                      
                     陽があまり当らない場所なので、何時伺ってもしっとりとやさしい顔をなされております。








           
           雨がきつくなってまいりましたので、成就院に戻ります。







                     







                     
                     成就院の山門にあたる北総門、門の内側に有る石碑は、幕末に成就院の和尚をなされて
                     いた月照和尚と弟の信海和尚の辞世の句と両名と関わりの有った西郷隆盛が、和尚が亡
                     くなられた後に詠んだ追悼の句が刻まれております。




           
           北総門東側の弁天堂 弁天堂の右手を下がりますと成就院の玄関に出ます。







           
           成就院玄関







           
           南側庭園








           








           
           庭園中央にある、形の珍しい三角燈籠







           
           書院西側の樫の樹







                     
                     同じく西側の手水鉢と水琴窟の音色を聞くための竹筒







           
           成就院の庭園は、相阿弥原作・小堀遠州の補修とも、松永貞徳の作とも伝えられる江戸時代初期を代表する名庭で国
           の「名勝」に指定されております。






           
           縁先の誰ガ袖(たがそで)手水鉢は、豊臣秀吉の寄進と伝えられております。







           








                    
                    池右端の手鞠灯篭






           








           
           庭園の面積は焼く1500平方㍍でさほど広くはありませんが、正面の高台寺山を大きく借し山中に一基の石灯篭を立てて
           巧みに遠近法を活用して庭と周囲の山景とを結びつけ、庭に無限の広大さを感じさせてくれます。







           
           庭園右側の皐月の刈り込みの上に佇む護摩堂の華頭窓







                     
                     橋の左袂の烏帽子岩と正面の五葉松







                     
                     本日、床の間に飾られてた布袋さんの焼き物です。やはり清水焼でしょうね?







           
           この庭園は、月の成就院庭園と賞され、月明かりで見るととても素晴らしいと言われておりますが、本日は月の姿が見え
           ませんでした。







           








           








           
           成就院の前のお地蔵さんは、境内に散らばってたものをこちらに集められたそうです。







           
           成就院の皆さん、今回も色々とお世話になりありがとうございました。また宜しくお願いいたします。











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山科 勧修寺 花菖蒲・睡蓮 05/11/2010

2010年06月20日 | 洛外 山科方面

      

      京都市内中心部から、車で約30分の距離にある勧修寺は、山号を亀甲山(きっこうざん)と称し真言宗山階派の大本山です。平安中期の昌泰3年(900)、

      醍醐天皇が母(宇多天皇の妃)の菩提を弔うために、母の生家・宇治郡の大領(統治者)宮道弥益(みやじのいやます)の邸宅を寺に改めたと伝えられ

      ております。 お寺の名前は、勧修寺(かじゅうじ)と読みますが、町名は(かんしゅうじ)と読むそうです。







      
      

      寺号は天皇の祖父にあたる藤原高藤(たかふじ)の謚号をとって勧修寺と名付けられました。こうした関係から勧修寺は皇室との関係が深く宮門跡とし

      て品格も維持し、鎌倉時代には後伏見天皇の皇子寛胤法親皇が十六世として入寺されてからは門跡寺院となりました。尚、江戸時代には、徳川家綱

      ・綱吉の帰依を受け、伽藍の整備が進められたと伝わっております。

 

 





      
      左手に見えるのが中門で、拝観入口になります。

 







      








      
      中門を入ったところの右側に宸殿があり、この宸殿は延宝4年(1676)造営の明正院御所対面所を元禄10年(1697)に明正天皇から下賜されたものです。





      








              
              宸殿前の野村もみじの傍にある「さざれ石」とは、「君が代」に「さざれ石の巌となりて」と詠まれた岐阜県春日村産の「さ
              ざれ石」は岐阜県の天然記念物に指定されており、「さざれ石」の名称は、平安朝の姫君の名前で「さざれのきみ」という
              お伽草子の中の話がもとになっているという説があります。しかし、「さざれ石」というのは元来「細石」と書き、小さな石の
              ことであり、石質は各地様々で外観上小さな石の隙間が炭酸カルシュウムや水酸化鉄等で埋められ固化した石を一般に
              「さざれ石」と呼んでいるそうです。





                     
                     拝観順路に従い宸殿の南側を通り書院に進みます。


 

 

      

 

 

 

 


               

                            
                            上の写真では、四方に広がる枝の大きさが分かり難いですが、書院前の
                            庭園の半分近くが一本の樹の葉で覆われております。


 





      
      750年かけて地を這うように伸ばしてきた枝が右下の部分です。








                     
                      臥竜の老梅 御所から移植した梅で、親子孫と三代が連なっています。







      








                     
                     書院前の灯篭は、黄門さんの名で親しまれている水戸光圀公が考案され寄進されたもの
                     といわれており勧修寺型燈籠といいます。燈籠を囲んでいる周りの樹は先ほどの偃柏槇の
                     枝葉です。






           
           書院前庭園のさらに南側に広がる庭園は、氷室池を中心に池泉回遊式庭園になり、氷室池の左手に突き出た樹は、千
           年杉と呼ばれ約100㍍の高さがあり京都の庭園の中にある樹木の中で最高の高さを誇ります。





      
      池のほとりに建つ観音堂







      
      書院の西側の本堂前の楓








      
      本堂は、寛文2年(1662)造営の仮皇居内侍所仮殿の旧材を用いて、同12年に潅頂道場として建築されたものです。堂内には御本尊の千手観音像を祀

      っております。






                      
                                







      








                        
                        本堂前の石仏を囲む紫陽花







      
      真言宗の開祖、弘法大師像 石像の周りには、四国八十八箇寺の石が並べられ2分で霊場周りが出来るようになっております。


 





      
      弘法大師像の前の観音堂とその先には、氷室池が広がります。







                     
                     観音堂の裏を通り池を周遊しようと思いましたらいきなり、この看板が立ちふさがっており
                     ましたが、怖いもの見たさで危険ゾーンに足を踏み入れてきました。

 




                     
                     

 

 

 




      








              








      
      池の西側に建つ弁天堂だったと思いますが、間違ってたらすみません。







              








                     
                     水は流れていませんでしたが、氷室池の水源のようでした?






                     








      
      睡蓮の花が無数に咲いており中々見応えがありました。







                     
                     池を一周してまいりましたが、特に危険箇所はありませんでしたが、古そうな橋には侵入
                     禁止のロープが張られておりました。







      








               








                     
                     こちらの花菖蒲は、鉢植えにされたものが池の周りに並べられております。水の中で育つ
                     のは杜若でしたね。






             








      








               


 

 

 

      

 

 






               








               








               








               
               平安時代には、毎年正月の1月2日にこの池に張った氷を宮中に献上し氷の厚さで作物の出来具合を占ったと云われて
               おります。







                     

 

 

 

 

      

 








      








                       
                       他の寺院では見られない化粧をしたような細身の妖艶な観音像です。







              


 

 

 

 

      


 

 




                        









      








              








      
      城壁の様な白壁が印象的でした。 左手には枝垂れ桜が連なっております。春も綺麗でしょうね。













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大原野 正法寺  05/30/2010

2010年06月16日 | 洛西 大原野方面

           大原野神社の南側(向い側)に位置する正法寺(しょうぼうじ)は、真言宗・東寺派の寺院で、奈良唐招提寺を創建した
           鑑真和上の高弟、智威大徳 が隠世したのが始まりで、天平勝宝年間 の754年に創建されました。その後延暦年間(
           782年~806年)最澄がこの地に寺を建立したと伝えられ、弘仁年間(810年~824年)空海が入寺したといわれておりま
           す。








           
           後に弘仁年間の時、弘法大師巡錫され四十二歳の厄除けのため、 聖観音を彫刻されました。  朱塗りの極楽橋を渡り
           坂を上ると右手に春日不動尊が迎えてくれます。







                     
                     不動尊を守る二対の阿吽像







                     
                     桜の時期も綺麗でしょうね。







           








           








           
           長岡京の氏神「大野野神社」の向いにある当寺 は、応仁の戦火て焼失しましたが、 元和元年(大阪城落城の年)、恵
           雲・微円の 両律師により再興され、西山のお大師さまとして古くから親しまれてきました。 拝観入り口







           
           慶長年間(1596年~1615年)戒律の僧志徹が復興し、大原野の出身で江戸幕府5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の帰
           依を得たといわれております。 拝観入り口の左手にある勅旨門








           
           勅旨門 正面が本堂です。







           








           








           








           
           刈り込みのされた皐月が満開を向かえております。







                     








           
           本堂前の石庭







                     
                     本堂前の大手水鉢は、江戸中期のもので旧大阪商人鴻池家伝来のものと書かれており
                     ます。







           
           本堂から見た勅旨門







           
           三面千手観音が祀られている本堂








           
           本堂を左手に進みますと書院と庭園にでます。







                     
                     書院には大黒天が祀られております。こちらの大黒天は、右足を一歩踏み出した走り大国
                     さんです。







           
           書院の南側に位置する千原池、エメラルド色の綺麗な池ですが、近年色が薄くなってきているそうです。







           








           
           書院の庭園は、鳥獣の庭園といわれる宝生苑です。配置された石が動物に見えることから、こう呼ばれております。
           白塀の右側から一番大きい石が、象、象の手前の小さい石が蛇、象の左がふくろう、その手前が浜千鳥、左上が子じし、
           左に獅子、左手前がいぬ、桜をはさんで大きい石がふくがえる、その左には、オウムやモグラに兎などがおります。






           

           








           








                                         








           
           こちらのお地蔵さんは、不動尊堂の前にあり隣には、水琴窟があります。 正法寺の水琴窟の音色は、今まで聞いたこ
           との無い音で、地底の水の流れの様な音に聞こえてまいります。









           








                     
                     不動尊と本堂の間のお庭です。どのお庭もとても手入れが行き届いておりました。







           

           大原野神社の周りには、もう一ヶ寺花の寺として通っている勝持寺がありますが、今回そちらまで回れませんでしたので、
           次回紅葉の季節には三ヶ寺一緒に回りたいと思います。














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洛西 大原野神社 05/30/2010

2010年06月13日 | 洛西 大原野方面

           京都市内中心部から国道9号を西に進み約30分の工程で大原野神社に到着いたします。 
           延暦3年(784年)に桓武天皇が都を奈良から長岡京に遷都したとき、皇后の藤原乙牟漏(ふじわらおとむろ)が藤原氏の
           氏神である奈良の春日大社の分霊を大原野に移し祀ったのが、神社の創祀であるとされております。  






           
           創建の際に大原野が選ばれたのは、天皇が鷹狩りが好きであったと云われており、しばしばこの地に鷹を放たれていた
           ことや風景が美しいことなどによるといわれております。 






                     
                     その後、嘉祥3年(850年)に文徳天皇が祖父、藤原冬嗣の願望をかなえ、社殿を造営し大
                     原野神社と命名したといわれます。大原野神社は藤原氏の勢力が大きかった時期には、
                     皇族貴族の参詣が盛んで、大いに栄えたといわれております。  弐の鳥居






           
           また、藤原氏の一族に女の子が産まれると、中宮や皇后になれるようにお詣りしたようで、女の子が祈願通りの地位に
           つくと絢爛華麗な行列を整えて参拝したといいます。





                   
                   二の鳥居をくぐり、新緑のもみじのトンネルを進んでまいります。






           
           トンネルが開けたところの右手に広がる鯉沢の池 池の中央に浮ぶ中ノ島に架かる橋 池面には、睡蓮の葉が群生して
           おり綺麗な花を咲かせております。







           








           
           奈良の、猿沢池にまねて造った、鯉沢の池には、5月下旬頃から杜若や水蓮の花が美しく咲き乱れます。


                         








           
           池の中央に浮ぶ中ノ島の社








           
           池の畔に佇む若宮社







                     
                     日向ぼっこ中の亀島







           








           








           
           鯉沢の池畔に建つ若宮社は、御祭神に天忍雲根命を祀り、皇孫の御膳に使われる水の守護神とされております。






           
           鯉沢の池の北側に位置する千眼桜 区民の誇りの木と書かれております。






           
           神殿への入り口の三の鳥居







           
           鳥居手前の手水場、春日大社に縁があるだけに鹿の像があしらわれております。







           
           手水場手前のユーモラスな立て札、ヒヨドリが字を読める事を心より祈っておきます。






           








                     
                     新緑によく映える朱塗りの鳥居です。まだ塗り替えをされてから、そんなに年月が経って
                     ないように思われ、コントラストがとても素晴らしいです。





           
           鳥居をくぐったところには、茶筅型のおみくじ結び所が設けられています。







           
           拝殿前も鹿の狛犬が左右を固めております。 拝殿に向かって左側が角の無い雌鹿です。






           
           こちらの右側が雄鹿です。







           
           神殿は、春日大社と同じ様に建てられており、4柱の祭神がそれぞれ第一殿~第四殿に祀られております。








           








           
           鹿の目には、ガラスがはめられており、とても優しそうな表情に見えます。






           








           
           拝殿に向かって、境内左手の林の中に佇む社







           
           社の隣の歌碑には、「竹郡に降る音ありて更くるらむ 雪の一夜を来て泊まりたし」とあり、植松壽樹の歌集「枯山水」の
           中の一首で昭和10年夏、大原野を詠んだものです。





           
           境内の東側に位置する社務所で、歌碑の対面になり祈祷の受付やおみくじを販売しております。







           
           この日は、日曜日ということもあり水彩画のサークルの方々が鯉沢の池や杜若や睡蓮をキャンパスに納めておられました。







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山科 勧修寺 花菖蒲・睡蓮 満開情報

2010年06月12日 | 洛外 山科方面

           11日、山科の勧修寺に行ってきました。紫陽花は多くない寺院ですが、この時期は花菖蒲と睡蓮が庭園南側の氷室池
           に満開になっております。本編は後日アップいたします。

           文字情報だけになりますが、宇治の三室戸寺では紫陽花が見頃を迎え、今週から土日のみ夜間ライトアップをなされて
           おります。8時半までにお入り下さいとの事です。










                     







           








                      








           








                     








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八坂神社 神前結婚式 05/16/2010

2010年06月05日 | 洛東 東山 四条八坂近辺

           5月16日に私の店の二番手をしてくれております、女性板前の妙子が縁あって結婚することになりまして、当日祇園町の
           守り神である八坂神社で式をあげてもらいました。








                     
                     当日は快晴に恵まれ新緑の楓も輝いておりました。八坂神社を参拝なされる多くの方は、
                     交通の利便性から東大路と四条通に面した西門を利用なされますが、本来はこの南門が
                     正門になっております。
                     鳥居をくぐり、楼門の右手(東側)には創業何百年を誇る田楽弁当で有名な料亭の中村楼
                     があります。






           
           楼門を入りますと境内中央に舞殿があり、ここで式が執り行われます。通常は敷かれて居ない赤毛氈が印象的でした。           







           
           間もなく始まる神事の準備が整ってまいります。







           








           
           10時5分前に、楼門西側の八坂会館の控え室から準備の整った親族の後に新郎新婦が姿を現します。 新婦の父親は
           どんな思いで居られるのでしょうか。







           
           全員が揃ったところで、巫女さんの先導で舞殿に向かいます。







  








           
           午前10時と時間が早いこともあり、一般参拝の方の姿は多くはありませんでしたが、それでも100名位の方が見守って
           いただく中粛々と進んでまいりました。






           








           
           新郎新婦並び親族の方々も緊張の面持ちで入殿されていきます。







           








           
           宮司によりこれより式が執り行われます。







           








                     
                     







           
           三々九度の後の新郎の宣誓文の読み上げですが、声までは聞こえませんでした。






           








           
           式の最後に拝殿に向かい二礼二拍手一礼をもって結婚の儀が終了いたしました。所要時間約30分の式でした。






           
           滞りなく式が終わり、見ている私の方がホッといたしておりました。







           








                     








           
           ここまで来て、やっと新郎はひと息といったところです。







           
           境内を西に進み八坂会館に引き上げていきます。







           








                     
                     この後は、親族紹介の会場に移動します。







           
           新婦の方は、ここに来てやっと緊張がほどけた様子です。 親族の紹介が終われば、鴨川畔の料理屋に移動して食事
           会があり、夕方からは友人やお客さんを交えた披露宴へと移って行きます。







           
           八坂神社での結婚式は、初めて見ましたが洋装での式が流行る中、厳粛な雰囲気の中とても日本的で京都らしく良か
           ったです。







           








           








           







           
            6時からの披露宴の途中ウエスティン都ホテルのテラスから西の夜空に輝いていた金星と三日月、金星が月に一番
            接近した日と次の日の新聞で知りました。 披露宴も無事終わりこれでやっと私も肩の荷が降ろせた気がいたしました。










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上賀茂 大田神社 杜若 05/16/2010

2010年06月03日 | 洛北

           大田神社は、上賀茂に位置し古くは恩多社(おんたしゃ)と呼ばれた事もあり、上賀茂神社の摂社です。普段はひっそり
           とした神社ですが、五月の上旬から中旬にかけて二万本といわれる杜若が咲き乱れる光景を沢山の方が見に訪れてお
           られます。 
    





          
          祭神には、天鈿女命と猿田彦命を祀っており、延喜式内の古社で、この付近の沼沢池を開墾して栄えた賀茂氏の崇敬を
          受けた神社です。







           
           鳥居をくぐり拝殿に向かう脇に流れる溝のような細い小川から、独特の鳴き声が聞こえてきますが、姿がまったく見えま
           せんでしたが、近くに居られた方が見つけて教えていただきました。






           
           鳴くたびに喉が膨らみ、とても愛嬌がありました。







           
           卵は、拝殿に近い上流のほうに何箇所か産卵しておりました。








           
           この沢池を「大田の沢」といい、野生のかきつばたが美しく咲き乱れております。
           藤原俊成の古歌に「神山や大田の沢のかきつばたふかきたのみは色にみゆらむ」と詠われ、平安時代からこの付近の
           沢地には、かきつばたが咲きみだれて、名勝となっていたようです。







  
  五月上旬から下旬にかけ、濃紫、鮮紫の花が美しく咲き、このかきつばたの群落は、国の天然記念物に指定されています。約二万本群生していると
  言われ、5月20日頃までが見頃と仰っておられました。







                      








           








                     








           








                     









           








           








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