境内、参拝入口の轟門の北側に位置する北総門です。 元来は塔頭(たっちゅう)(旧本坊)成就院の正門であった門で、寛永8~16年(1631~39)
間に再建された薬医門でです。東隣に弁天堂が建ち、北裏側に月照・信海兄弟上人の歌碑と西郷隆盛の詩碑が並んでおります。
北総門西側の中興堂の屋根です。 中興堂(ちゅうこうどう)中興開山大僧正・大西良慶和上(1875~1983)の御霊屋(おたまや)、北苑の春日社南隣り
に立つおどうです。1997年、建立。
弁天堂の横を抜け坂道を下りますと千体余りの石仏が群集して祀られております。大日如来・千手観音・地蔵菩薩や二尊仏など多種多様で、鎌倉時
代の古いものもあり元来は、地蔵信仰の厚い京都市民が各町内の大日堂や地蔵堂などに祀って毎夏に地蔵盆会を営んできた石仏で、明治の廃仏毀
釈(はいぶつきしゃく)によって清水寺に運び込まれたものだそうです。
成就院玄関 江戸時代初期の寛永16年(1639)、東福門院和子の寄進によって再建されました。創建は、応仁の乱の兵火によって焼失した清水寺
を勧進活動によって再興した願阿上人の住房に起源し清水寺有力塔中(たっちゅう)として、江戸時代には清水寺の本願職を担当し、寺の財政・メンテ
ナンスに勤めたとされております。幕末に勤皇歌僧月照(忍向)・信海兄弟を輩出し、明治~昭和にかけて中興開山良慶和上(1875~1983)が住持いた
しました。
書院 年二回春と秋の特別公開のみの公開となりますが、ご住職にお願いし見せていただきました。
成就院庭園 相阿弥作・小堀遠州の補修とも、松永貞徳の作とも伝えられる庭園で模範的な借景式・池泉観賞式の庭園で、“誰が袖”手水鉢・烏帽子
石・蜻蛉(かげろう)燈籠、手毬燈籠などが名高く、五葉松・“佗助”椿が一段と風趣をそえております。 特に“月の庭”として賞美されており月明りで見
ると素晴らしいといわれます。
縁先の誰ガ袖(たがそで)手水鉢は、豊臣秀吉の寄進と伝えられております。
庭園の面積は約1500平方㍍でさほど広くはありませんが、正面の高台寺山を大きく借景し山中に一基の石灯篭を立てて巧みに遠近法を活用して庭
と周囲の山景とを結びつけ、庭に無限の広大さを感じさせてくれます。
池右端の手鞠灯篭
庭園東側の植え込みの中に建つ護摩堂
書院南側庭園
形としては珍しい三角燈籠、以前と違う場所に移動しておりました。
西庭、手水鉢の後ろは樫の木です。 手水鉢の右手の竹筒からは、水琴窟の音色が聞こえます。
十五分くらい庭園を見せていただいておりましたが、足の裏が凍りそうになり早々に御暇してまいりました。 貸し切りの贅沢で貴重なひと時を過ごす
ことが出来ました。今度は、雪かきのお手伝いにまいりたいと思います。
大玄関前の池です。
来た道を戻り弁天堂の前です。
左手に田村堂(開山堂)寛永10年(1633)の再建で、謡曲「田村」に謡われている「田村堂」で、清水寺創建の本願主・坂上田村麻呂夫妻の像を堂内
中央、須弥壇上の厨子内に祀り、併せて清水寺元祖の行叡居士(ぎょうえいこじ)と開山の延鎮上人を奉祀しております。
門前町を抜け、三寧坂から高台寺に向かいます。
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