京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

鹿ケ谷 安楽寺 新緑 6/4/2011

2011年06月23日 | 洛東 銀閣寺方面

      

       住蓮山安楽寺は、鹿ケ谷・法然院の南にあり、法然上人の弟子、住蓮上人と安楽上人を開基とします。この開山両上人が、現在地より東1キロメート

      ルあたりに「鹿ヶ谷草庵」を結び、布教活動の拠点を持たれたのがこの寺のはじまりです。

 

 

 

 

      

      山門前の石柱には、「浄土礼讃根元地」と刻まれており、開山両上人は、唐の善導大師(ぜんどうだいし)の『往生礼讃』に大原魚山(天台宗)の礼讃

      声明(らうさんしょうみょう)を転用して浄土礼讃を完成されました。両上人が称える礼讃は誠にすばらしく、両上人の前で出家を希望する人も出るほどと

      伝わっております。

 

 

 

 

                  

      その中に、後鳥羽上皇の女官、松虫姫と鈴虫姫がおられ、両姫は、法然上人や開山両上人から念仏の教えを拝聴し感銘され、いつしか仏門に入りた

      いと願うようになりました。建永元年(1206)12月、両姫は後鳥羽上皇が紀州熊野に参拝の留守中、夜中秘かに京都小御所を忍び出て「鹿ヶ谷草庵」

      を訪ね剃髪、出家を乞います。最初、両上人は出家を認めませんでしたが、両姫のお詠に感銘され受け入れをけついされました。


      「哀れ憂き この世の中にすたり身と 知りつつ捨つる 人ぞつれなき」
     

 

 

 

 

      

       19歳の松虫姫は、住蓮上人から剃髪を受け「妙智法尼」と法名を授かり、また17歳の鈴虫姫は、安楽上人から剃髪を受け「妙貞法尼」と法名を授かり

      ます。

 

 

 

 

      

       この事を知った上皇は激怒し、念仏の教えを説く僧侶に弾圧を企てます。翌建永2年(1207)2月9日、住蓮上人は近江国馬淵(まぶち)(現在の滋賀

      県近江八幡市)で、同日安楽上人は京都六条河原(東本願寺近く)で斬首され、この迫害はこれに止まらず、法然上人を讃岐国(香川県高松市)に流罪、

      親鸞聖人を越後国(新潟県上越市)に流罪に処します。いわゆる建永(承元)の法難です。

 

 

 

      

      

       その後、両姫は瀬戸内海に浮かぶ生口島の光明防で念仏三昧の余生を送り、松虫姫は35歳、鈴虫姫は45歳で往生を遂げたと伝えられています。

 

 

 

 

 

      

       また、両上人の亡き後、「鹿ヶ谷草庵」は荒廃いたしましたが、流罪地から帰京された法然上人が両上人の菩堤を弔うために草庵を復興するように命

      ぜられ「住蓮山安楽寺」と名付けられました。その後、天文年間(1532〜55)に現在地に本堂が再建され、今日にいたっております。

 

 

 

      

               

               なお、安楽寺は、春と秋のお花の時期に併せて一般公開を行い、庭園をはじめ、本堂・書院を解放しております。

               春は、さくらの頃、つつじの頃、サツキの頃を中心として、秋は、もみじの頃に公開日を設定しています。

               仏さまのみ教えに触れていただきたいという願いを込め、本堂で30分おきに約10分間、寺の由来やお木像の説

               明をしていただき、また、書院では(催しが行われている時は除く)床の間に宝物(掛け軸)を公開し、ご希望があ

               れば、絵解きもしていただけるそうです。法務がない時間帯は、住職が本堂におりますので、寺の縁起のこと、仏

               教のこと、植物のことなどお尋ねがありましたら、できる限り対応していただけるそうです。また、納経(朱印)は書

               院で受け付けております。  公開の日時は、土日が中心になりますが、毎年時期がずれることがありますので、

               ネットなどで確認の上参拝してください。  http://anrakuji-kyoto.com/anrakuji

 

 

 

 

 

      

      本堂 

 

 

 

 

 

                  

                   山門を潜り参道を進みますと、左手に本堂、右手に石碑が立ち両上人の墓所が佇

                  んでおります。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       墓所前の両氏の歌が刻まれた石碑

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      安楽寺では、毎年7月25日の9時から15時(入山)まで「中風まじない鹿ヶ谷カボチャ供養」を勤めており、当日ご参拝されたお方に、煮炊きされた鹿ヶ

      谷カボチャを食べていただき、中風にならないよう祈願する行事です。鹿ヶ谷カボチャは、寺伝によりますと、寛政年間をはじめ(1790年頃)、京都の粟

      田に住んでいた玉屋藤四郎(たまやとうしろう)が青森県に旅行した際にカボチャの種をお土産に持ち帰り、鹿ヶ谷の庄米兵衛に与え、当地で栽培した

      ところ、突然変異して、ひょうたんの形になったといわれています。

 

 

 

 

 

      

       この頃、当寺の住職、真空益随(しんくうえきずい)上人が本堂でご修行中、ご本尊阿弥陀如来から「夏の土用の頃に、当地の鹿ヶ谷カボチャを振る

      舞えば中風にならない」という霊告を受けられたそうです。以後7月25日に供養日を定め、今日にいたっており220年続く伝統行事です。

      なお、当日、本堂では「安楽寺縁起絵」「剃髪図」「九相図」などの宝物(掛け軸)十数点も虫干しを兼ねて公開され、10時と15時から絵解きも行われ

      ます。

 

 

 

     

      

 

 

 

 

 

 

      

       本堂西側の「縁」と彫られた石碑

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       本堂右手が庭をはさんだ書院になります。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

       書院の南側の客殿につながる架橋と呼ぶのでしょうか? 

 

 

 

 

 

                

                 書院と客殿の間の坪庭

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       本堂正面

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       客殿 「椛 momiji」 2010年夏、安楽寺境内に新しい客殿が建築されました。飛騨高山の大工さんを招き、日本の伝統的な建築方法で木と土の家

      が完成しました。東山の木々を借景とし境内の桜やさつき、紅葉を融合するこの建物を「椛 momiji」と命名しました。お寺の中のフリースペースとして

      広く開放していきたいと思います。 お寺の公開していない日を中心にカフェスペースとして開放しています。安楽寺オリジナルの「京野菜ジュース」を飲

      みながらお寺の庭園でゆっくり自分だけの時間をお過ごしください。詳しくはhttp://anrakuji-kyoto.com/momijiを御確認してください。

      安楽寺ホームページより。

 

 

 

 

     

      

 

 

 

 

 

 

               

                生垣には、幾種類もの木々が使われており、季節ごとの花を咲かせております。

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

       安楽寺の前の道路は、車がすれ違うのがやっとの幅しかないのと、駐車場がありませんので、紅葉シーズンの土日は車の乗り入れはお勧め出来ませ

      ん。 歩いてる方の顰蹙の眼差しを浴びることを保証いたします。 銀閣寺に何カ所か大きい駐車場がありますので、そちらをご利用ください。徒歩10分

      程度です。

 

 

 

 

 

 

 

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鹿ケ谷 雨の法然院 新緑 5/11/2011 

2011年05月12日 | 洛東 銀閣寺方面

 

      

       新緑の季節となり緑が綺麗に映える雨降りに法然院を訪れました。

 

 

 

 

 

      

       哲学の道の東側、東山の山麓に位置する法然院は、銀閣寺に近いのですが観光客は少なく雨の中ゆっくり散策することが出来ました。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      法然院の門の前には、3台分の駐車場がありますが、そこが一杯の場合は銀閣寺までありませんので、お車の方はご注意ください。

      

 

 

 

 

 

      

      門を入り石畳の右手が、著名人などが眠る墓地になっております。       

 

 

 

 

 

      

       椿の花が落ちる季節には、この石畳を埋め尽くさんばかりの数の花が散り法然院の一番人気のある季節となります。

 

 

 

 

 

      

       台風1号の影響の雨が昨夜から降り続き、土道はさすがにぬかるんでおりました。

 

 

 

 

 

      

      法然院の歴史は、鎌倉時代の初め、専修念佛の元祖法然房源空上人が、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、念佛三昧の別行を修し、御本

      尊の阿弥陀仏を昼夜六回拝む六時礼讃を唱えられ、1206年(建永元)12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住

      蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が生じ、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となり、その後草庵は久しく荒廃することとな

      りましたが、江戸時代初期の1680年(延宝8)、知恩院第三十八世萬無和尚は、元祖法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立することを発願し、弟子

      の忍澂和尚によって、現在の伽藍の基礎が築かれました。

 

 

 

 

 

          

      

       当初は、浄土宗内の独立した一本山でありましたが、1953年(昭和28)に浄土宗より独立し、単立宗教法人となり現在に至っており通常伽藍内は

      非公開でありますが、毎年、4月1日から7日までと11月1日から7日までの年2回、伽藍内部の一般公開を行っておられます。 通常は参拝料は無

      料となっております。

 

 

 

 

 

      

      山門を潜った所の盛り砂は、白砂壇(びゃくさだん) と言われ、水を表わす砂壇になっており、この間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味

      しております。

 

 

 

 

 

      

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       講堂 もとは1694年(元禄7)建立の大浴室でありましたが、1977年(昭和52)に内部を改装し、現在は講堂として、講演会・個展・コンサートなどに

      利用されております。 この日も個展が開かれておりました。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

      石橋の左手にある経蔵は、1737年(元文2)の建立で、中央に釈迦如来像、両脇に毘沙門天像と韋駄天像を安置しており、多数の経典の版木を所

      蔵しております。

 

 

 

 

 

               

                池のほとりの藤の木は、花が咲いている時だけ存在をアピールしております。

 

 

 

 

 

      

       石畳を突き当たり右手に進みますと本堂になります。

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

  

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       十萬霊塔

 

 

 

 

 

      

       石畳の左奥が本堂ですが、法要中のためここからは入れませんでした。 本堂  1681年5月に客殿造りの堂宇がまず完成し、1688年再建の時、

      仏殿と拝殿を別設されました。堂内には、本尊阿弥陀如来坐像の他、観音・勢至両菩薩像、法然上人立像、萬無和尚坐像を安置しており、本尊前の

      須弥壇(直壇)上には、二十五菩薩を象徴する二十五の生花を散華されております。

 

 

 

 

 

               

               本堂前の階段の上には、 地蔵塔があり1690年忍澂和尚46歳の時、自身と等身大の地蔵菩薩像を鋳造させ、

               安置されました。

 

 

 

 

      

       講堂

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       石畳の右手は、本堂の南側に位置する庫裡があり、ご住職の法話を聞くこともできます。 法話が聞ける時間はちゃんと表示されていますが、前もっ

      て調べて行かれる事をお勧めします。 TEL: 075-771-2420

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

               

                経蔵の後方の多宝塔

 

 

 

 

 

      

       奉造立石塔と彫られております。

 

 

 

 

 

      

       多宝塔の後方のモニュメントでしょうか?日時計?

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

  

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       白砂檀の周りは、水没しておりました。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      雨が激しさを増してまいりました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

  

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      来た道を戻らずに法然院の西側の金毛院の前を抜けて戻ります。 

 

 

 

 

 

      

       山門前の竹林です。

 

 

 

 

               

      

 

 

 

 

 

 

               

                山門の西側の金毛院の入口です。

 

 

 

 

 

      

  

 

 

 

 

 

      

       法然院の南側に位置する安楽寺を訪ねましたが、年間の拝観日が決まっており本日は拝観できませんでしたが、五月の21・22日と28・29日と6月

      4日がサツキが咲き拝観できるそうですので、時間が合えば行ってみます。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

 

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東山慈照寺 銀閣寺 09/10/23

2009年10月27日 | 洛東 銀閣寺方面

       慈照寺(じしょうじ)は、室町時代の東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院(相国寺の境外塔頭)で、正式名は
      東山慈照寺といい、1482年室町幕府8代将軍の足利義政のてにより開かれました。

      
     









      









      
      総門








      
      総門から参拝入り口のある中門までの両側の垣を銀閣寺垣と呼ばれております。








       
          
      中門前の石碑と参拝券の代わりの御札。同じ相国寺派の金閣寺も同じような御札が使われております。








      
      中門








      
      中門を入ったとことの庫裏の前庭








      









      









      
      「向月台」 銀閣と本堂の間に造られた「銀沙灘」(ぎんしゃだん)と「向月台」と称される2つの砂盛りの造形物。








                
                本堂と「銀沙灘」








      









      
      宝処関から見た庫裏前庭と中門








      
      「銀沙灘」(ぎんしゃだん)庭園の方丈(本堂)の南面にある砂盛りを銀沙灘といい、上面には美しい線状の模様の筋が
      描かれており、灘 (だん)とは、大海原を意味し中国の西湖を模っているとされており、これは見た目の美しさだけでなく、
      太陽や月の光など、自然の光の反射を室内の明かりとして採光する役目を果たしているそうです。









                          
                          本堂(方丈)








      
      本堂の襖絵は池大雅(いけの たいが)と与謝蕪村(よさ ぶそん)の日本南画の大成者が描いたものが拝観できます。








                          
                          本堂と東求堂の間にある銀閣寺型手水鉢








      
      国宝 東求堂(とうぐどう)足利義政の持仏堂で、1486年の建立で池に面して建てられ、正面左は仏間と、右奥は義政の
      書斎があり、書院造や草庵茶室の源流として、日本建築史上貴重な遺構だそうです。









      
      「銀沙灘」と国宝「観音殿(銀閣)」銀閣は、足利義政の山荘東山殿に造営された観音殿のことで、義政の祖父・3代将軍
      義満が建てた金閣と対比されて用いられる通称です。1489年に上棟されたことがわかっており、同年をさほど隔てない
      頃に完成したと思われます。









      









      
      鹿苑寺金閣が文字どおり金箔を貼った建物であるのに対し、銀閣には銀箔を貼った痕跡はないと科学的調査によって
      銀箔が全く検出されなかったことが発表され、当時の東山文化が茶道趣味と禅宗文化を基調にしたものであったことを
      考えると、当初から銀箔を貼る計画はなかった可能性が高いといわれております。








      









                
                樹齢500年以上の「千代の槙(まき)」








      
      境内の庭園は、錦鏡池(きんきょうち)を中心とする池泉回遊式庭園で「苔寺」の通称で知られる西芳寺庭園(夢窓疎石
      作庭)を模して造られたとされており、その後江戸時代に改修されており、創建当時の面影はかなり失われていると言わ
      れており「銀沙灘」(ぎんしゃだん)、「向月台」と称される2つの砂盛りも、今のような形になったのは江戸時代後期とされ
      ています。









                
                洗月泉 手前に溜まっている硬貨は、観光客が入れるのでしょうが、見ていると欧米人は、
                イタリアのトレビの泉のように後ろ向きに放っていました。また京都に来れるようにお願い
                しているのでしょうか?








      
      錦鏡池の東を廻りお茶の井から展望所に向かう階段です。








      










      









      
      広い庭園の中、4,5名の庭師の方が黙々と作業をなされており参道もとてもきれいに手入れがなされておりました。








      









      
      東方山麓の枯山水庭園は1931年(昭和6年)に発掘されたもので、室町時代の面影を残すとされています。








                

                    









                
                これを登れば展望所があります。








      
      写真の向こうには、京都市内の北側が見渡せます。








      
      京都市内も朝晩の冷え込みが徐々にきつくなり樹によっては紅葉が始まってきました。今年は例年より早く紅葉が始ま
      るとの事ですので、北部の山沿いでは11月上旬から色付いてくると思います。








      









                









      









      









      









      









      
      銀閣の二年越しの屋根の葺き替え作業もだいぶ進み全体を覆っていたシートも外され全容が見えるようになりました。
      あとは一階の内部を残すところまで来ております。








                









      
      屋根の上の鳳凰も金閣寺と似た物が載っております。 








                   
                   銀閣の屋根 杮葺(こけらぶき)といい、サワラの薄い割り板を3cmづつずら
                   しながら重ね合わせ、竹釘にてとめていく工法で葺かれております。 








      
      一階部分の改修現場です。








      
      出口付近にあるお茶席とおみやげ売り場です。








      









      









                









      
      門前町を下りきりますと、左手に哲学の道が永観堂の近くまで続いております。 距離的には、1.5キロあり普通に歩け
      ば30分程度ですが、途中にある法然院にも立ち寄ってみてください。 人力車という手もありますが、その場合は哲学の
      道は通れず法然院のある山すそを行きます。料金は二人で8千~1万円掛かります。

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橋本関雪記念館 白沙村荘庭園 2009/05/21

2009年05月26日 | 洛東 銀閣寺方面

      橋本関雪(1883-1944) 日本画壇の重鎮であり、大正5年よりこの地に移り住み昭和20年に亡くなられるまでの30年間、
      庭園の造作に努力をされてこられました。







                    
      








                          
                          門を入ってすぐの所で出迎えてくれる、お釈迦さま?
                          の石像。






      









      
      この石碑に刻まれた文字は、読んで字のごとく臭い物を食べてる方やお酒を飲んでる方の入山をお断りの標識です。
      この「葷(クン)」と言う漢字は、韮やニンニクのように匂いのきつい野菜を意味するそうです。     






               
               国東塔(くにさきとう) 静御前の供養塔と伝えられる国内現存最大の国東塔。
      
               国東塔(くにさきとう)とは、大分県国東半島を中心に分布する宝塔の一種で一般の宝塔が
               台座を有さないのに対して、国東塔は基礎と塔身の間に反花または蓮華座、ものによって
               は双方からなる台座を有するのが外観上の最大の特徴である。







                    
                    こちらの母屋の座敷では、庭園を眺めながらのお食事も出来ます。受付で
                    申し付けてください。






      









      









      









               









      









               









      
      芙蓉池越に見える存古楼(ぞんころう)








      

                         









      









      









      









      









      
      問魚亭茶室(もんぎょてい) 関雪が妻の為に造ったと言われる茶室。      








               









      
      シートに覆われているこちらの建物は、残念な事に今年災禍にみまわれ焼けてしまい、現在修復中です。 
      不審火とも漏電の疑いありとも言われておりました。






               
               茅葺の美しい茶室です。








     









                    









      









               









      









      









      









      
      九輪草  ピンクまたは白色の花が段々に輪生(りんせい)し、茎を伸ばしながら下から段になって 次々と咲く。
      輪生する花の、幾段にもなった様子が、お寺の五重塔などの頂上にある柱の飾り「九輪」のようなのでこの名になったそ
      うです。





               









      
      存古楼(ぞんころう)関雪画伯が、大作を描くために造った画室です。 現在は、個展や催し物やパーティーなどにも使わ
      れるそうです。






      









      









      









      









      









      
      クレマチスの一種(別名 鉄線 てっせん)









      









               









      









                    









      









      
      花菖蒲と竹薮に佇む羅漢像








                
                これは、アヤメです。








      
      花菖蒲、最近やっと杜若と花菖蒲とアヤメの区別がつくようになりました。








      
      藪の羅漢像  羅漢とは、お釈迦様の下で修行を積んだおぼうさんとか、小乗仏教のさとりを得た聖者のことを言うそう
      ですが、仏弟子などをさす場合も多いとか。









      









      









      









      









               









      
      西側の庭園を回り復路に入ります。








                









                









      
      写真の石などは、関雪画伯が自身で選び運ばせた物で、主に鞍馬のしづ原に出向き石に番号を振り庭園のどの位置に
      使うかは、頭にえがかれていたそうです。

      「石も木も呼吸している。それを見た瞬間、その呼吸さえぴったりすれば、すぐどこに据えるかという判断がつくべきである。
      これは私の信条である。一つの物象を見た切那、これはこう描こう、そう感じた時、すでに画は出来ているのである。石を
      据え、木を植えるのも同じ理合いでなければならぬ・・・」    橋本関雪遺稿より

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鹿ケ谷 法然院 2009/05/21

2009年05月23日 | 洛東 銀閣寺方面

      善気山 法然院 萬無教寺(ぜんきさん ほうねんいん ばんぶきょうじ)  善気山は山の名をとり、法然院は開山上人の
      御名により、萬無は中興和尚の称によっております。
      銀閣寺に程近く哲学の道の東側、東山山麓に佇んでいる、閑寂な寺院です。拝観料が無料で檀家信徒で支えられている
      寺院でもあります。梶田貫主の法話『法然・親鸞の人間観 善人・悪人』を拝聴することも可能です。
      年2回 4月1日~7日 11月1日~7日の期間は伽藍内の特別公開が行われます。      









      









                         









             









                          
                          この一枚だけピントがずれてしまいました。








      
      山門








                    









                          
                          鹿ケ谷? 獅子谷 昔の呼び方でしょうか?








      









      
      白砂檀 修行中の若いお坊さんが毎朝自分の心の中にあるものを描くそうです。先日伺った比叡山の浄土院の方もそう
      仰っておられました。









      
      両側にある白い盛り砂の白砂壇は、水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味しているそう
      です。

      人が少ないこの時期の静寂さがとても良いですね。








      
      山門を入り白砂壇の右手にある講堂  もとは1694年建立の大浴室だったそうですが、1977年(昭和52)に内部を
      改装し、現在は講堂として、講演会・個展・コンサートなどに利用されています。










      
      講堂の向かいの経蔵 1737年の建立で、中央に釈迦如来像、両脇に毘沙門天像と韋駄天像が安置されております。
      また多数の経典の版木も所蔵されております。










                
                池に泥が多くすこし気になりましたが、後で理由がわかりました。








      
      橋を渡り境内突き当たりにある庫裏で法話を聞くことができます。その庫裏の玄関です。 法話が聞ける時間はちゃんと
      表示されていますが、前もって調べて行かれる事をお勧めします。 TEL: 075-771-2420








                    
                    これも木魚と呼ぶのでしょうか? 年季が入っておりました。
                    下の張り紙は、用も無いのに叩く方が居られるからの物だと思いますが・・・
                    誰が何のために叩くのでしょうか?







              
        葉っぱを使い上手く下の受け鉢に落ちておりました。 粋なアイデアですが、応急処置でしょうか?








      
      庫裏から本堂に向かう石畳








                        









      









                      









      
      雨が降ると山の斜面が急すぎて吸水力が追いつかないのでしょうね、土が流され根っこがむき出しになっておりました。
      横の池も流れ込んだ泥で濁っており勿体なく思いました。

      上の写真の樹々も倒されまいと必死で隣の樹にしがみついてる様に見えます。








               









                    
                    本堂  堂内には、本尊阿弥陀如来坐像の他、観音・勢至両菩薩像、
                    法然上人立像、萬無和尚坐像が安置されております。                   








                
                地蔵塔 本堂正面の石段上にある地蔵塔は、1690年忍澂和尚46歳の時、自身と等身
                大の地蔵菩薩像を鋳造させ、安置されたものだそうです。










      
      地蔵塔から見た方丈と庭園  通常は拝観は出来ませんが、年2回の特別拝観があります。








      
      復路です。








      









                           
                           経蔵西側の多宝塔








      









      









      









      









      
      谷崎潤一郎や著名人が永眠されている墓所です。








      









      

      左手が銀閣寺方面、右手が安楽寺・永観堂・南禅寺方面です。 観光シーズンにこの道に車を乗り入れるとひんしゅくを
      買いますし、すれ違いが出来ませんのでご注意を。 徒歩か人力車を利用してあげてください。

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