京の四季 名勝散策 写真集

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建仁寺塔頭 両足院 特別公開 01/14/2010

2010年01月15日 | 洛東 東山 四条八坂近辺

        両足院は、建仁寺の開山・明庵栄西(みんなんようさい)禅師の法脈・黄龍派(おうりょうは)を受け継ぐ龍山徳見(りゅうざん
        とっけん)禅師を開山とする臨済宗建仁寺派の塔頭寺院です。 創建された当時の両足院は、知足院の別院、または徒弟
        院(つちえん)として建仁寺開山堂・護国院の中にありましたが、天文年間の火災の後、「知足院・両足院」両院を併せて
        「両足院」と称する事となり現在に至ります。






        
        開山 龍山徳見禅師(1284~1358)は、関東の名族・千葉氏の出身で、今の千葉県香取市周辺が生誕地です。 
        徳見は、最初「利見」という名で十二歳のころ、鎌倉五山の寿福寺に入り禅僧の道を歩み始めます。 当時、円覚寺には
        中国からの稀代の高僧・一山一寧(いっさんいちねい)和尚が居り、彼に参ずるものが後を絶たない状況でした。
        そこで一山和尚は、漢詩文の試験を行い、そこでトップで試験をパスしたのが利見です。円覚寺で禅と漢詩文を勉強する
        間、一山和尚は利見の才能を見抜き、中国への渡航を薦めます。そして、利見は22歳の時に中国へ単身渡ることを決意
        いたしました。








                           









        
        当時の元(中国)にて45年を過ごした禅師は、足利尊氏の招きにより帰国することとなり、禅師が帰国する際、惜別に耐
        えかね追随する形で来日した林浄因が、日本で始めて饅頭を作った人物であることから「饅頭始祖の寺」としても知られ
        ております。 帰国後の禅師は、建仁寺35世、南禅寺24世、天龍寺6世の住持として栄西禅師直系の黄龍派を広めてい
        きました。 のちに功績を称えられ朝廷から「真源大照禅師」の号を賜り、1358年75歳で入滅なされました。







        
        山門をくぐりますと、白砂と青松の唐門前庭が迎えてくれます。








        
        今回の特別公開中は、唐門は使用せず左手の庫裏の方から上がってまいります。








        
        庫裏と方丈を結ぶ廊下に面した、閼伽井の坪庭。 閼伽(あか)とは、神仏に御供えする水のことで、その水を汲む井戸
        が閼伽井です。








        
        方丈庭園へ








        
        方丈庭園 桃山時代の枯山水庭園  今更ですが、方丈前庭園は、一部の寺院を除き圧倒的に方丈の南側に位置づけ
        されてる事が多いですね。
        一番重要な本尊を祀っておりますので、明るく日当たりの良い南向きに設計されるにですね。ちなみに天龍寺は東向き
        に建ってた様な。








         
         方丈の本尊の左側の部屋の襖絵 「水辺童子図」長谷川等伯筆








                      







                      
                        方丈奥の間に展示されている「竹林七賢人図」








        
        方丈庭園西側の唐門        








        









        
        方丈東庭園から書院前の池泉回遊式庭園へとつづきます。








        









        
        池の向こう側の建物は、左が国宝如庵の写し「水月亭」と大村梅軒好み「臨池亭」の二つの茶室が並びます。








        









        
        書院からの庭園








                
                  書院の北側の壁には、伊藤若沖筆の「雪梅雄鶏図」の掛け軸が掛かっております。








        
        佛手柑と南天








        









        
        書院前庭園の池辺は、半夏生(半化粧)が群生しており、六月中旬頃から特別公開があります。








                  
                  閼伽井坪庭








                  









          









        









        









        









        
        両足院を出て北に進みますと同じ敷地内に毘沙門天堂があります。








        









        
        鞍馬の胎内仏 両足院の毘沙門天は、鞍馬寺毘沙門天の胎内仏でした。戦国時代 比叡山が織田信長によって焼き
        討ちにあった際、鞍馬の僧が尊像の安全を危惧し、比喜多養清(室町将軍の茶家、筑前黒田家京都御用達)のところへ、
        尊像を疎開させたものです。








        
        黒田家必勝の御守護 関が原の会戦に黒田長政が、関東方として出陣する際、この尊像を内兜に収めて奮戦し、勝利
        を収めたといわれています。そのあと尊像は代々黒田家で信仰されましたが、維新の変革で明治10年ごろ当院に寄進
        されました。 以後、勝利の神として商売繁盛、合格祈願、良縁成就、誓願成就 など参拝の方々が訪れております。









         
       寅年の本尊 本尊の毘沙門さんは、脇仏に閻魔大王、不動明王をおまつりしています。毘沙門天堂の狛犬は、寅。香炉や
       灯篭にも寅が、浮き彫りされていることから寅年生まれの方やご縁のある方がよくお参りされております。
        開門中はいつでもお参りできます。 開門時間7時頃~17時頃  阿吽の虎 そう言えば、鞍馬寺も狛虎でした。








        
        縁結び この毘沙門天は戦前は祇園の芸妓、舞妓がお参りして自分の願いを成就させていました。そのころの願いは
        「いい旦那さんがみつかるように」ということで「祇園の縁結び」としても知られています。  
        








                  







                       














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