京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

12月恒例 ロームイルミネーション 09

2009年12月20日 | 京都歳時記

        11月の末より毎年恒例のロームさんのイルミネーションが始まりました。 毎日6時頃から22時半まで点灯されます。
        五条通りを走る車が見ながら通りますので、渋滞が起こる位です。









        
        私には、帰り道なので久しぶりに早く終わりましたので寄ってみました。 駐車場も提供されており警備の方が誘導して
        くださいます。消灯間際でしたので人影もまばらでしたが、カップルやグループの若い方が公園ではしゃいでおりました。 
        気温が0℃近くになっており手がかじかんでしまいました。五条に面した二本の木は今年から自社製のLEDを使用してい
        ると新聞に載っておりましたが、個人的には黄色い明かりの方が暖かくて好きなのですが、世論は省エネですから仕方あ
        りませんね。 この不景気の中、中止なされないだけでも企業の精神がうかがえます。








        









        









                  









        









                  









        









        









        









         









        









        









        

        尚、点灯されるのは、25日クリスマスの夜までだったと思います。        


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西本願寺 大銀杏 2009/12/04

2009年12月20日 | 洛中 

        30年以上、本願寺さんの前を通っておりますが、色付いた銀杏を見たのは始めの様な気がします。今まで気に留めて
        居なかったのでしょうか。そういえば、気が付いた時は、助手席に座っておりました。









                  









        









                  









        









        









        









        









                  










        










        








                  









        









                  









        









        









        









        










        

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大雲山 龍安寺 09/12/02

2009年12月20日 | 洛中 西部

        

        世界文化遺産 大雲山 龍安寺 徳大寺家の別荘だったものを、宝徳2年(1450)管領 細川勝元が譲り受けて寺地として、妙心寺の義天玄承を開山

        として創建されたものです。応仁の乱に焼失して、1499年勝元の子、政元が再興しましたが、1797年の火災で方丈、仏殿・開山堂などを失いまし

        た。現在の方丈は、そのとき西源院の方丈を移築したものです。方丈の前庭は、枯山水の石庭として著名で、臨済宗妙心寺派に属し、大雲山と号し禅

        苑の名刹です。










        

        駐車場から山門に向かう通路です。









        

        山門






        

        山門前







        

        鏡容池に浮ぶ伏虎島       








        

        参道を進みますと左手に鏡容池が広がります。








        

        弁天島に架かる石橋

 

 

 

 

 

      









                  









        

        弁財天前の鳥居








                  

                  本堂や庫裏につながる階段の手前にある手水鉢








        

        本堂への階段 平日ではありましたが、紅葉のこの時期にしては観光客がまばらでした。








                         









        

        本堂への入り口がある庫裏








        









        

        現在、本堂(方丈)は屋根の改修工事のために石庭に足場が組まれておりご覧の様な状況になっております。








        

        石庭は、白砂を敷き詰め、帚目を付け、15個の石を一見無造作に5か所、点在させただけのシンプルな庭です。巨大な中国の山水の世界を日本人独

        特の感性を研ぎ澄まして写した「枯山水」の庭といわれております。15個の石は、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように

        設計されているといいます。








        

        最大の特徴は、「水を感じさせるために水を抜く」ということで、水を見立てられるようなものをつくり、白砂も大海をイメージし、岩は島というより山に見

        立てられております。作庭は室町幕府に仕えた相阿弥の作と伝えられますが、作者、作庭年代、表現意図ともに諸説あって定かでないようです。室町

        時代末期の作で特芳禅傑らの優れた禅僧によって作られたものとも伝えられております。

 

 

 

 

        

 

 

 

 

        

 










      

 

 

 

 

 

      

      方丈裏庭の蹲踞







                      
                      『吾唯足知』(ワレタダタルヲシル)
                      方丈の北東に据えてある銭形のつくばいです。
                      中心の口を共用すれば『吾唯足知』と成り、禅の格言を謎解きに図案化された
                      無言の悟道です。
                      水戸光圀公の寄進と言われております。

              









                  

                  石庭の東側(左手)に位置する勅使門の入り口







        

        石庭の南側の土壁








        









        

        上の写真の階段を降りて左手にある枝垂れ桜









        
        2008年12月7日のもみじの絨毯 今年は、まだ落葉には少し早かったです。








                  









        

        木陰では、まだ青葉も見かけられました。








        









        









                  









        

        納骨堂








                  

                  納骨堂前のビルマ戦線で亡くなった方を慰霊するパゴダの慰霊塔








                  

                  慰霊塔前の紅葉








        









        









        









        









        









         

         2008年12月7日








       

       2008年12月7日     







        

        西源院の湯豆腐屋の前の藤棚








        









        

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      









                  









        









        









        

        鏡容池は、かつてオシドリの群が遊んだ事からオシドリ池とも呼ばれております。









        

 











        

 

 

 

 

 

        









        

 

 

 

 

 

        









        

        今回の龍安寺で、今年の紅葉の見納めとなりました。        

      





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臨済宗 建仁寺 09/12/02

2009年12月20日 | 洛東 東山 四条八坂近辺

        日本最古の禅寺 建仁寺  臨済宗建仁寺派の大本山です。開山は栄西禅師で鎌倉時代の建仁二年(1202)の開創
        で、寺名は当時の年号から名づけられています。

        四条花見小路を南に下がり突き当りが建仁寺です。
        出勤前の建仁寺、駐車場を借りておりますので境内を少し歩いてきました。









        
        三門 『望闕楼(ぼうけつろう)』 大正12年、静岡県浜名郡雄踏町から移築されたもので、楼上には釈迦如来と二尊者と
        十六羅漢が祀られております。御所を望む楼閣と言う意味で『望闕楼』と名づけられました。 








        
        三門から見た法堂 法堂天井には有名な双龍図が描かれております。









        









        









        
        三門の南東に位置する浴室








        
        開山堂








        









        
        茶碑 開祖、栄西禅師は比叡山で天台密教を修め、その後二度の入宋を果たし、日本に禅を伝えました。 また、中国
        から茶種を持ち帰り栽培することを奨励し、喫茶の法を普及させた『茶祖』としても知られています。








        
        法堂(はっとう) 1765年に上棟された仏殿兼用の『拈華堂(ねんげどう)』は禅宗様仏殿建築といわれます。






         
        双龍図 法堂の天井には、小泉淳作の双龍図が、平成14年に創建800年を記念して描かれました。







                  
                  正面の須弥壇には本尊の釈迦如来座像脇侍迦葉尊者・阿難尊者が祀られております。








                  









        









        
        塔頭 両足院








        
        法堂








                  
                  拝観入り口のある庫裏








                  
                  花見小路から入ったところにある鐘楼








        
        塔頭 西来院 



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北嵯峨 直指庵 09/12/02

2009年12月14日 | 洛西 嵐山・嵯峨野 高雄
        浄土宗 祥鳳山(しょうおうざん) 直指庵(じきしあん) 直指庵は、南禅寺で臨斉禅を学んでいた独照性円(どくしょうしょ
        うえん)が正保3年(1646)に営んだ草庵「没蹤(ぼつしょう)庵」が起源です。その後、独照が明(中国)の日本黄檗宗の禅
        開僧・隠元(いんげん)禅師をこの地に招請し、教えを受けてから帰依者も増え次々と伽藍が建ちならび大寺院となりまし
        たが、黄檗宗の正統を「直指人心」するという意味から直指庵と称され寺名を定めなかったと言われております。その後は
        次第に荒廃していき、諸堂は明治13年(1880)に焼失しましたが、有志の方々によって再建されました。










       
       幕末の時代には、尊王攘夷(じょうい)派の公家近衛家に仕えていた津崎村岡が再建して、浄土宗の庵寺となりました。
       村岡局は、近衛家の侍女として江戸城に行き、水戸藩士らと親交をもち、勤王の志士達と近衛家およびその他の公卿と
       の連絡に当たり特に近衛卿や西郷隆盛らの運動を助け活躍したことから、安政5年(1858)の安政の大獄が起こると、村
       岡局も捕らえられて江戸に送られました。その後、放免された村岡は、北嵯峨の直指庵に隠居し付近の子女の教育に尽
       くし、晩年は嵯峨庶民の慈母であり、明治6年(1873)八十八歳でこの地で没しました。








       









       









       









                 
                 








       
       本堂前庭園







       
       山門と拝観受付









       










       








       









       









       
       本堂(庵)直指庵は悩む女性の駆け込み寺としても知られており、本堂内には心の内を打ち明けるためのノート「想い出
       草ノート」が置かれています。「想い出草ノート」に心の内を書き込むことで悩みも和らぐのでしょうね。境内の奥には想い
       出観音像もあり、多くの方がお参りされております。









       










       









                 
                 本堂玄関前








       
       玄関 本堂は後にして、先に諸堂を廻ってまいります。









       
       本堂前の夫婦像






       
       玄関右手の竹庭園 二河白の庭の入り口になり、いろんな種類の竹が見られます。








       
       落ち葉で池が隠れてしまってます。










                 
                 待合 奥には、津崎村岡局のお墓や観音像があります。                








       









                 
                 待合の手前を右に、竹垣を通り抜けますと左奥には、琵琶湖の葦で葺かれた屋根の道場
                 があります。









       
       道場







       









       
       水子地蔵尊 水子地蔵をお参りすれば、子宝に恵まれるといわれており、別名「子授け地蔵」ともいわれております。 
        左奥に佇む思い出草観音








                           
                           思い出草観音








       
       水子地蔵の前、石の柵で囲まれた津崎村岡局の墓 昨年のNHKの大河ドラマ「篤姫」で松坂慶子が演じてたのが、村
       岡局で、島津斉彬の養女・篤姫が近衛忠熙の養女として江戸幕府13代将軍徳川家定との婚儀のおり、既に亡くなって
       いた正室・郁姫に代わり養母役を務めた事でも知られております。。








                 
                 水子地蔵の左手、山側に開山堂につながる階段があります。








       









       
       待合








       









       
       開山堂 開祖の独照性円の墓といわれる石塔を中央に祀ったお堂です。








       
       開山堂は本堂の右手、少し小高くなったところに建っております。本堂の屋根も道場と同じく葦葺きだそうです。








       
       開山堂への階段は、先ほどの水子地蔵横からと、お堂の正面からの二本あります。








       
       玄関前








       
       本堂からの前庭の眺めです。 すぐ横では、熱心に思い出草ノートに書き込んでおられる方が居られました。つねに三、四
       冊置かれており、累計では5000冊を越えているそうです。








                 









       









       
       本堂中央には、本尊の阿弥陀如来像が祀られ、となりの中庭は、四月頃日本石楠花が満開になります。 








       









       
       玄関口、紅葉のトンネルを通り帰り道に入ります。








       









                 









       









       









       









       









       









       









       
       直指庵は、嵯峨野の一番北に位置しており大覚寺から徒歩で10分ほどです。車で行かれますと駐車場は10台も停めら
       れず、道も細くすれ違いも出来ませんので、車の方は特に土日はご注意ください。








       
       直指庵の帰り道広沢の池を通りました。この時期はどこを通っても美しいですね。 








       









       









       









       









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西山 光明寺 09/11/30

2009年12月11日 | 洛南 西部 

        西山浄土宗の総本山光明寺は、長岡京市西山のふもと、粟生広谷にあります。宗祖円光大師法然上人が御歳43歳の
        時、日本で最初に念仏の産声を上げられた立教開宗の地であります。









        
        総門「高麗門」という形式で、天保十六年(1845)に建てられました。








        









        
        女人坂 総門を入ると道が二手に分かれており、左手の道は鮮やかな紅葉のトンネルになる通称「紅葉参道」。総門の
        正面から本堂に向かっている坂道が表参道です。この参道は傾斜がゆるやかで、女性でもお年寄りでも楽に登れるよう
        に配慮されているので、通称「女人坂」として知られています。しかし坂の下からはまだ本堂の屋根も見えず、ここを登る
        のはけっこうな運動になります。








        









        









                   








         









        










        

        鐘楼 1949年に鋳造されたこの梵鐘は「遣迎鐘」(けんこうがね)と呼ばれています。発遣の「遣」と来迎の「迎」。つまり、
        極楽をお勧めくださるお釈迦様と、お浄土から迎えに来られる阿弥陀さまが、鐘と撞木のように出会うことを象徴している
        のだそうです。








        

        法然上人立教開宗の像 御影堂に向かって左手に立つ銅像は、法然上人の誕生850年を記念して、昭和57年(1982)に
        建てられたものです。
        立像の後ろの建物は、光明寺の中心的な建物の御影堂(みえどう)です。通常の寺院様式では本堂(ほんどう)と呼ばれ
        る建物に相当します。御影堂には、法然上人が自らお作りになられた「張子の御影」がお祠りしてあります。








                  

                  張子の御影 御影堂の中央に安置されている御像は、法然上人がお母様からのお手紙を
                  水にひたし、自らお作りになったといわれる「張子の御影」です。










        

        御影堂前の紅葉 陽光に照らされ燃える様な鮮やかな紅色を出しておりました。








        










        

        阿弥陀堂前の丸々とした福々しい小地蔵さんは、ちゃんと冬装備が出来ておりました。








        

        鐘楼と法然立像








        
 
        御影堂でお参りを済ませ、釈迦堂に向かう渡り廊下です。








        

        御影堂の裏側です。








        










        

        釈迦堂(方丈)








        

        釈迦堂につながる階段横には、なんとエスカレーターが設置されておりました。








        

        釈迦堂前の信楽庭(しんぎょうてい)と勅使門








        

        信楽庭 白州に大小18個の石を配した庭園は、阿弥陀さまの慈悲に包まれながら生死の大海を渡る念仏行者の姿を表
        しているといわれております。      







                  










        










        

        勅使門 左手の大きな三つの岩は、阿弥陀三尊の姿です。








        

        釈迦堂と大玄関の間にある庭園です。








        










        
 
        勅使門








                      










        

        圓光大師火葬跡の石碑が建っております。








        

        本玄関








        

        薬医門につながる紅葉参道








                  










        










        
 









        
 









        
  
        薬師門








                  
 
   








        
 









        
 









        










        
 









        










        










                  
 









        










        










        
 
        出発点の総門に戻ってまいりました。今日も良いお天気に恵まれ感謝、感謝のひとときでした。








        










        
 


        
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音羽山 清水寺  09/11/29

2009年12月11日 | 洛東 東山 清水寺方面

        紅葉真っ盛りの29日の日曜に無謀にも清水さんの成就院へ用事があり伺ってきました。茶碗坂をタクシーで上りましたの
        で、思ったほどの人出が無くスムーズに着いてくれました。  茶碗坂からの仁王門







        
        仁王門の前を左に入り大講堂の横を通り成就院に向かいます。








                  
                  仁王門の東側の三重の塔








        
        突き当りを左に曲れば成就院です。  








        
        成就院前の池です。








        









        
        紅葉の期間中、特別公開をなさっておられるので「月の庭」も見せていただきました。








        
        成就院の庭園は、相阿弥原作・小堀遠州の補修とも、松永貞徳の作とも伝えられる江戸時代初期を代表する名庭で国
        の「名勝」に指定されております。 この庭園は、月の成就院庭園と賞され、月明かりで見るととても素晴らしいと言われ
        ております。 公開期間中は写真撮影が出来ませんので、今年の五月に伺った時の物をアップしました。 池の向うに見
        えるもみじが、綺麗に色付いておりました。








        









        
        用事が済み、時間もありましたので中に入ろうとしましたが、有料エリアは人混みで一杯でしたので外側を少し歩いて来
        ました。








        









        









        









                  
                  三重塔 平安初期847年創建と伝えられ、現塔は寛永9年(1632)の再建されたものです。
                  日本最大級の三重塔で高さ31メートル弱あります。 一重内部に大日如来像を祀り、四周
                  の壁に真言八祖像を描き、天井・柱など密教仏画や飛天・竜らの極彩色で荘厳されており
                  ます。









        
        随求堂(ずいぐどう) 仁王門を入って正面の建物です。 塔頭慈心院の本堂で、享保3年(1718)再興され、本尊に、
        衆生の願い・求めにすぐに 随って、すべて叶えてくれるという大功徳をもつ随求菩薩(ずいぐぼさつ)[秘仏]が祀られてお
        ります。






        








        
        鐘楼(しょうろう)右側と仁王門 鐘楼は、慶長12年(1607)の再建で、2.3トンの重い梵鐘を吊るために六本柱で支えられ
        ております。







                  









        









                  









                  









        









        









        









                  
                  帰り道の門前町の人混みです。        

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大本山 東福寺 通天橋 09/11/27

2009年12月09日 | 洛南 東山 東福寺方面

      

      東福寺三門

 

 

 

 

 

      

      光明院・龍吟庵・即宗院と廻り、紅葉真っ盛りの通天橋に向かいました。 写真は、西門を入ったところです。平日でしたので、思ったほどの人出では

      なくスムーズに廻ることが出来ました。 正面 法堂 右 禅堂

 

 

 

 


      

 

 

 

 

 

 

                           

 

 

 

 

 

 

      

      仏殿

      









               
      

               通天橋を入ったところの左手(西側)です。








      
 

      








      









      

      入り口の係りの人に伺いましたら、土日は今日の数十倍の人が訪れ、橋に入るまでに相当な時間並ばれるそうです。








      









      









      









      
 

     洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷 早い樹は落葉しておりましたが、落葉した葉もじゅうたんとして見所がありました。








                

                洗玉澗(せんぎょくかん)を流れる三ノ橋川 三ノ橋は、龍吟庵の偃月橋(えんげつきょう)

                通天橋と下流の臥雲橋です。              








      

      方丈








      









      

      開山堂につなが廊橋









      

      開山堂 通天橋を渡って至る、別名常楽庵。もとの建物は1819年に焼失し、1823年一条忠良によって再建されました。

      屋上に閣を持つ類例を見ない開山堂で、祀堂は床高で開山国師像を安置します。






                      









      









      

      市松模様の綺麗な白砂庭園です。








      

      普門院 右手、開山堂の西に位置する寝殿造風の建物で、開山国師常住の方丈とつたわります。内部は三室に仕切られ、その襖絵は花鳥草花・唐

      人物を主題とし七十四面(桃山-江戸)からなる、画流各派の競作が残されています。








                      









      

      普門院前のどうだんツツジ








      









      

      普門院の屋根








      

      城門を思わせる専門道場入り口 階段から先立ち入り禁止です。








      

      愛染堂 開山堂の西、南正面にして立つ丹塗りの八角小円堂です。もと万寿寺愛染堂と呼ばれていましたが、昭和9年の室戸台風で倒壊、その後

      現在の地に移されました。  唐様を主とした鎌倉末期風の優雅さをもって現存する貴重な遺構です。 単層、こけら葺、桟唐戸。内部は瓦敷、鏡天

      井とし、須弥壇上に宝塔形の厨子を置き、愛染明王を祀ります。









      









      

      下から見る通天橋 1380年、春屋妙葩(しゅんおくみょうは;普明国師)が谷を 渡る労苦から僧を救うため架けたとつたえられております。








      









                       
             

                       龍吟庵前の偃月橋(えんげつきょう)の下を通り洗玉澗(せんぎょくかん)を流れる三ノ橋川。








                       
      









      









      









      









                          









      









      

      経蔵と禅堂(右側)








      









      









      









      










      

      西門を入ったところの禅堂 

     






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東福寺塔頭 龍吟庵 特別公開 09/11/27

2009年12月09日 | 洛南 東山 東福寺方面

      光明院のあと、紅葉の期間中特別公開されている龍吟庵と即宗院に向かいました。南門から入り方丈の手前で右に折
      れると龍吟庵と即宗院に通じる「偃月橋(えんげつきょう)」という橋の袂に出ます。      









      
      三門の北側の法堂(本堂)横を更に北に進みます。








                       
                       法堂の上空、龍が舞い降りる様子に遭遇いたしました。








                
                法堂の右手(東側)宗務事務所があります。その奥には、最勝金剛院と墓所があります。
                金剛院には向かわず、さらに北に進み方丈の前で右に曲ると、特別公開中の龍吟庵と即
                宗院に渡る偃月橋(えんげつきょう)があります。







      
      この偃月橋(えんげつきょう)は、豊臣秀吉の妻のねねが、龍吟庵を参拝されるために作られたもので、重要文化財に指
      定されています。橋のかかっていない時代は、谷を登り降りして、参拝していたそうです。東福寺三橋のうち、創建時
      (1603年)のままで残っているのはこの偃月橋だけだそうです。





      









      
      『龍吟庵』は、25ヶ所あるという東福寺の塔頭の一つで、「偃月橋(えんげつきょう)」を渡った正面にあります。
      東福寺第三世住持・大明国師の住居跡で、その方丈は現存する日本最古の方丈建築だそうです。
      大明国師こと東福寺第三世住持無関普門禅師は、南禅寺を開山された方でもあり、方丈を東西南に囲む龍吟庭はいず
      れも枯山水の庭で、昭和を代表する作庭家重森三玲氏の作庭となります。









      









      









      
      龍吟庵の方丈は、室町時代に建てられた日本に現存する最古の禅宗方丈建築で、書院造と寝殿造りの名残(蔀戸など)
      をとどめ、国宝に指定されています。正面入り口には、足利義満の筆と伝えられる扁額(へんがく)が掲げられており、室
      内には大明国師の大きな肖像画が掛けられています。室内は写真撮影が禁じられておりますので、庭のみの写真とな
      ります。









      
      方丈の周囲には、重森三玲氏作庭の3つの枯山水庭がありますが、方丈正面の南庭は、一木一草をも用いない簡素な
      白砂敷きの「無の庭」で、唯一の装飾は、西庭との仕切りの稲妻の模様が描かれた竹垣のみとなります。










      









      
      西庭「龍の庭」は、寺名の龍吟庵にちなみ、龍が海中から黒雲を得て昇天する姿を表現しています。










                









      









                









      









      
      黒雲の中から現れる龍頭








      

                    
                  方丈の背後には、開山堂があり、堂内には、大明国師坐像が安置されています。

                    









      
      東庭「不離の庭」は、方丈と庫裡を結ぶ渡り廊下に面した長方形の小さな庭です。3歳の時に、伝染病にかかってしまっ
      たため、山に捨てられた大明国師を、どこから現れたのか2頭の犬が3日3晩、国師のそばを離れず、狼から守ったという
      故事に基づいて作庭されています。中央の細長い石が国師を表しており、おかげで国師は病も治り、13歳で得度、東福
      寺の3世住持(住職)となりました。その後、南禅寺の開山として迎えられますが、ほどなく病になってしまったため東福寺
      に帰山し、80歳で亡くなっておられます。説明を聞いておりますと、現在の東福寺の住持は303世だそうです。







                









      
      龍吟庵の南隣にある即宗院は、九条兼実の山荘「月輪殿」跡地で、幕末維新の舞台となった寺院です。
      龍吟庵同様、通常非公開の寺院で、即宗院の山門は、江戸時代初期の慶長18年(1613)の遺構で、左右に石造りの仁
      王像を配した貴重な建造物です。










      
      なお即宗院は、島津家との縁が深く島津家の菩提のために創建されました。境内奥には西郷隆盛が倒幕の密議をかわ
      した茶室跡や島津藩士の顕彰碑があります。 顕彰とは、隠れた功績・善行などをたたえて広く世間に知らせることとあ
      ります。








      
      この即宗院の写真は、11月16日に撮影したものですので、龍吟庵を訪れた27日と10日以上の差がある為、紅葉具合が
      異なっておりますのでご了承ください。








      









      









      









      









                









      









      









      
      即宗院の庭園を出て左手に進みますと、この立て札があり更に進みますと小高くなった丘の上に石碑が見られます。








                
                左手が、即宗院の庭園で庭園からは、東の山側になります。








      









      









      
      右側の五つの石碑に島津藩士4百数名の名前が刻まれております。








                
                石碑までの途中の林の中に佇んでいる石像です。とてもユニークな物ばかりだったので撮
                ってしまいました。








      









      









      









      









      

      
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東福寺塔頭 光明院 09/11/27

2009年12月08日 | 洛南 東山 東福寺方面

      明徳2年(1391年)に金山明昶(きんざんみょうしょう)により創建された東福寺の塔頭で、重森三玲氏による「波心の庭」が
      有名です。別名「虹の苔寺」とも言われております。










      
      位置的には、東福寺の南門を真っ直ぐ南に下がったところにあります。南門から徒歩3分ほどの距離です。








      
      山門を入り左手の玄関前の摩利支尊天をお祀りするお堂です。








      









                    









      
      東福寺の方丈や塔頭も含む庭園は重森三玲氏による作品が多くく、この庭園もその一つの「波心の庭」です。








                
                紅葉の期間中は、一番奥のお座敷がお茶席になります。そのお茶席前からの景色です。
                ご住職いわく夕方の西日に照らされた紅葉が一番美しいそうです。








      









                          









      









      
      この写真は、11月16日に色付きの様子を見に来たときのものです。10日間でこれだけの変化が見られました。

      









      









      









      









      









      









      









      









      


       





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くろ谷 金戒光明寺 09/11/26

2009年12月04日 | 洛中 

      紫雲山・くろ谷 金戒光明寺は、法然上人がはじめて草庵を営まれた地であり、十五歳で比叡山に登られた上人が承安
      5年(1175年)四十三歳の時比叡山の黒谷を下り、お念仏の教えを広めるために、紫雲山の山頂の石の上でお念仏を
      された時、紫雲全山に光明があたりを照らしたことから この地に草庵をむすばれました。これが浄土宗最初の寺院となり
      ました。









      
      山門 万延元年(1860年)の完成で、正面に後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額があります。









      
      山門前の紅葉








      
      新選組発祥の地 会津藩と黒谷と新選組
      幕末の京都は暗殺や強奪が日常化し、手のつけようのない状態になつていたところ、文久二年(1862)に徳川幕府はつ
      いに新しい職制を作り京都の治安維持に当たらせることになりました。これが京都守護職であります。
      京都守護職本陣  金戒光明寺は徳川初期に同じ浄土宗の知恩院とともに城郭構造に改められており、会津藩主松平
      容保公が幕末の文久2年閏8月1日(1862年9月24日)に京都守護職に就任すると、京都守護職会津藩の本陣となり、
      藩兵1,000人が京都に常駐し1年おきに交替いたしました。会津藩士のみでは手が回りきらなかったため、守護職御預か
      りとして新選組をその支配下に置き治安の維持に当たらせていたという歴史的なつながりがあります。
      慶応3年12月9日(1868年1月3日)、この年の10月に行われた大政奉還後の王政復古の大号令によって薩摩藩・長州藩
      が京都市中の支配権を確立したため、京都守護職は設置後6年をもって廃止されました。 そういった繋がりから、鳥羽・
      伏見の戦いで戦死した会津藩士の菩提をここくろ谷の地で弔っております。




                









      
      後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額








      









                
                紅葉の期間中、山門に登ることが出来京都市内の景色が展望出来ます。








                
                楼上から見る御影堂









      
      三重塔と東山








      









            









      
      御影堂(大殿) 内陣正面に、宗祖法然上人75歳の御影(坐像)が奉安されております。 大方丈と紫雲の庭には御影
      堂から靴を持って上がってください。
      






      
      方丈前庭と勅使門








      
      方丈東側の紫雲の庭








      
      茶室 紫雲亭








      









                









      









      
      こちらの光明寺は、初めて訪れましたが、特に紫雲の庭は、午後からの拝観をおすすめします。西側からの陽光が当た
      りとても素晴らしい景観でした。








      









                









      
      実相院の床紅葉は有名ですが、さしずめこちらは水紅葉と言ったところでしょうか。








                









      









      









                









      









      









      









      









                









      









      









      
      御影堂西側の大いちょう








      
      御影堂を後にして、境内の西側の塔頭の栄摂院に向かいました。この紅葉が太陽の光を浴びると鮮やかな色に変身し
      てくれます。








      
      拝観はされておりませんが、庭園だけは外から見れるようになっておりました。








      









      
      庭園の右手に佇む釈迦像








      









      
      夏の忘れ物発見









      









                









      









                









      









      









      
      鐘楼横の階段を下り、山門の右手(西側)の塔頭のどうだんツツジが目を引きました。








                









      
      何処の寺院もそうですが、京都の重要な観光資源を乱すような、景観無視の電柱を、行政始め電力会社は考えていただ
      きたいものです。日本の美的センスの無さを世界中に宣伝している様なもので、とても恥ずかしく感じます。









      









      
      太陽の恵みに感謝したひと時でした。

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嵯峨 天龍寺 09/11/24

2009年12月04日 | 洛西 嵐山・嵯峨野 高雄
      天竜寺は、嵐山・嵯峨野を代表する臨済宗天龍寺派の大本山の寺院です。開基(創立者)は足利尊氏で、開山(初代住
      職)は夢窓疎石です。足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第一位とさ
      れてきました。






      
      大河内山荘から来ましたので、北門から入り境内を廻り方丈東側の正面出口に向かいます。








      
      小方丈前の白壁








      









      
      多宝殿の北側から高台に上ることが出来境内や右京区が望めます。








      
      大方丈の北側、庫裏の屋根です。








                









      
      庫裏のさらに北側に位置する多宝殿 後醍醐天皇の尊像を祀る殿舎で、昭和9年(1934)に天龍寺、信者の尽力によっ
      て造営されました。








      
      曹源池の西側の回遊路です。








      









      
      大方丈








      
      大方丈前の曹源池 夢窓国師作の庭園で、嵐山、亀山などを巧みに取り入れた我が国借景式庭園として、わが国では
      始めて特別名勝に指定されました。








      









      









      
      大方丈南側のひと際鮮やかなもみじです。








      









      
      大方丈東側の方丈庭園と勅使門 正面入り口から入れば最初に目にする庭園です。 勅使門は、江戸期の火災を免れ
      た寛永年間(1624~1644)のものとされ、天龍寺では最古の建築物です。細部によく桃山様式を伝えております。








      









      
      方丈庭園から大方丈を透して見た曹源池の紅葉 大方丈は、法堂の奥に西側に位置し、その北側に小方丈(書院)が連
      なり、大方丈は明治三十二年、小方丈は大正十三年の建築です。








                
                大方丈の拝観入り口がある庫裏。 入ったところには、達磨大師の画が置かれております。








      









     
      庫裏








      
      後嵯峨天皇稜








      
      後嵯峨天皇稜の前に佇む鐘楼









      









      
      参道左側は、中門、総門まで塔頭の白壁が続きます。








      
      八幡宮








      









      









      









      









      









      
      松厳寺 左手に天竜寺七福天の福禄寿天が祀られております。








      
      福禄寿天の板塀








      
      弘源寺








      




                    









      









      









      









      









      









      









      









      









      
      新緑と紅葉の時期だけ拝観が出来る、塔頭の宝厳院








      
      宝厳院前の嵐山羅漢









      









      
      宝厳院の南隣にある小倉百人一首の時雨殿








      
      天気は曇りでしたが、そんなに暗くもなく綺麗な紅葉を楽しむ事が出来、10時半から3時半まで五時間で7箇所を廻るこ
      とが出来ました。

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嵯峨 大河内山荘 09/11/24

2009年12月01日 | 洛西 嵐山・嵯峨野 高雄
      大河内山荘(おおこうちさんそう)は嵯峨にある史跡、日本庭園で、時代劇などで知られる俳優大河内傳次郎が別荘とし
      て造営したものです。











      
      常寂光寺から徒歩10分、天竜寺の北門からですと3分、竹林の中の坂道を登ったところにあります。拝観料は、お茶券
      が付いて1000円いたしますが、訪れる価値は十分あると思います。








      
      昭和9年(1931年)、大河内傳次郎34歳のとき、当時長期保存が難しかったフィルムに対し永く消えることのない美を追
      究するため自身で設計しこの庭の造営を始めたといわれており、映画出演料の大半を注ぎ込み64歳で亡くなるまで30
      年の歳月をかけてこつこつと作り上げたものです。 北に小倉百人一首でも知られる小倉山の南東面に、亀山公園に挟ま
      れた約2万平方メートルの荒地であったところに位置しております。

   








                
                まず庭園に入りますと、右手奥に茶席があり、お茶をいただいてから庭園をまわります。







      









      









      
      庭園入り口の中門








      









      










      
      大乗閣  寝殿造、書院造、数寄屋造など日本の住宅の伝統的様式を合わせ取り入れた建物で傳次郎の構想に基づき
      数寄屋師の笛吹嘉一郎が施工いたしました。








                









      









      









      









      









      









      









      
      持仏堂  信仰の篤い傳次郎氏が座禅を行った所で山荘の初期の建物です。








      









                









      
      滴水庵 茶室









                









      









      









      









      
      滴水庵 茶室前のつくばい








                









      
      茶室の茅葺屋根








      
      庭園の一番高台から眺める保津峡と山腹に見える厳下院








      









      









      
      市内を眺める月下亭

                    









      









                









                









                









      









      









      
      記念館  当たり役の丹下左膳姿の写真など大河内傳次郎の姿を伝える施設です。








      









      
      出口を出て、真直ぐ進みますと亀山公園から大隈川に出ます。左に曲がれば、竹林を通り天竜寺の北門に出ます。


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嵯峨 常寂光寺 09/11/24

2009年12月01日 | 洛西 嵐山・嵯峨野 高雄
      常寂光寺(じょうじゃっこうじ)は嵯峨野にある日蓮宗の仏教寺院で山号を小倉山といいます。
      小倉百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望でき、秋は全山紅葉に包まれます。
      その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされております。開基は日禎という日蓮宗の高僧で、1595年に建立
      されたお寺です。






      
      平安時代に藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地で、安土桃山時代末の慶長元年(1596年)に日蓮宗大本山
      本圀寺十六世日禎が隠棲の地として当山を開きました。 山門









      
      さすがに平日とは言え、このシーズンは観光客で賑います。








                










      









      
      仁王門 南北朝時代の貞和年間(じょうわ 1345年~1349年)に本圀寺の南門として建立され、元和2年(1616年)に
      現在地に移築されました。藁葺き








                
                仁王門から本堂につながる階段の右手にある階段は、帰りがけに通ります。








                
                階段左側の石塔








      
      仁王門をくぐり、階段を登ってきますと本堂の前に出ます。写真は、段上からの仁王門です。









      
      本堂・鐘楼前のいちょうの樹








                









      
      老爺柿(ろうやかき)親指の先ほどの可愛らしい柿です。 鐘楼







      









      
      本堂に繋がる客殿 桃山城の客殿を慶長年間に移築されたものです。 本尊は十界大曼茶羅です。








      
      客殿庭園








                
                紅葉の向うの多宝塔








      









      









      
      本堂左側から多宝塔につながる参道横の竹林








      









      









      
      1620年辻藤兵衛尉直信建立といわれる多宝塔








      









      









      
      境内の一番高い位置からの眺めです。右京区から金閣寺方面が望めます。








      









      









      









      
      客殿庭園の池








      
      多宝塔から下りてまいり、本堂前にある鐘楼です。








      









      









      









      









                 
                 仁王門








      









      
      小倉百人一首選定の地








      









      









      
      こちらでも十分、紅葉を堪能いたしましたが、貪欲に大河内山荘に向かいます。

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