友人の案内役で雨の嵐山に行ってきました。桜はほぼ散っておりましたが、青モミジの新緑が雨にぬれとても綺麗でした。
渡月橋上流の大隅川
天竜寺は、嵯峨嵐山に建つ臨済宗の禅寺でその昔は渡月橋や天龍寺の西側に広がる亀山公園などもかつては境内地であったと云われておりま
す。 この地はその昔、檀林皇后と称された嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創した禅寺・檀林寺の跡地で、檀林寺が廃絶した後、後嵯峨上皇が
仙洞御所を造営し、さらに亀山上皇が仮の御所を営んだと説明されております。
その地に足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創
建されました。 参拝受付の庫裏を入った正面に置かれる大衝立の達磨図は前管長である平田精耕老師の筆によるもので、方丈の床の間など
に同じ達磨図が見られ、達磨宗である禅を象徴し、天龍寺の顔ともいえます。
かつて広大な寺域と壮麗な伽藍を誇った天龍寺は度重なる火災に見舞われ、大きなものだけで8回も焼失を繰り返したと云われております。
文安(1445)の火災と応仁の乱による被害は大きく、天正13年(1585)に豊臣秀吉の寄進を受けるまで復興できなかったものの、その後秀吉
の朱印を受けて順調に復興いたしましたが、文化年間に被災、この再建途中の元治元年、蛤御門の変に際して長州軍の陣営となり、兵火のた
めに再び伽藍は焼失いたしました。こうした逆境の中、天龍寺は復興を続け、明治32年には法堂、大方丈、庫裏が完成、大正13年には小方丈
(書院)が再建されております。
曹源池庭園(そうげんち)の名称は国師が池の泥をあげたとき池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられました。
約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・特別名勝指定を受けております。
中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園で、大堰川を隔てた嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園でもあります。
方丈からみた曹源池中央正面には2枚の巨岩を立て龍門の滝とし、龍門の滝とは中国の登龍門の故事になぞらえたもので、鯉魚石を配します
が、通常の鯉魚石が滝の下に置かれているのに対し、この石は滝の流れの横に置かれており、龍と化す途中の姿を現す珍しい姿をしていると
説明されております。
東西を仕切る襖の雲龍の絵は昭和32年に物外道人によって描かれたもので、物外道人とは若狭物外といい、明治20年秋田県に生まれ、東京芸
術学校を卒業後、山元春拳に弟子入りするも自ら絶縁し、富岡鉄斎門下の山田介堂に学んだ富岡鉄斎唯一の孫弟子だそうです。
大方丈の北側に位置する小方丈
多宝殿につながる渡り廊下です。
多宝殿 後醍醐天皇の尊像を祀る祠堂で、前に拝堂をもち、後ろの祠堂とを相の間で繋がっております。昭和9年(1934)に建築されたもの
で、拝堂には正面に1間の階段付き向拝を持ち、あがると広縁になっております。中央に後醍醐天皇の像、両側に歴代天皇の尊牌が祀られて
おります。
多宝殿の西側は、枝垂桜が並んでおりますが、ほとんどが葉桜になっておりました。
庫裏の東側に建つ法堂(はっとう)天井には平成9年(1997)天龍寺開山夢窓国師650年遠諱記念事業として日本画
家加山又造画伯(1927~2004)により「雲龍図」が描かれました。
天井(縦10.6m 横12.6m)に厚さ3cmの檜板159枚を張り合わせ全面に漆を塗り、さらに白土を塗った上に直径
9mの二重円相内に直接墨色で躍動する見事な八方睨みの龍が描かれております。
移築当時は明治期に活躍された鈴木松年画伯の雲龍図が描かれておりましたが損傷が激しく、現在ではその一部が
保存されており、毎年2月に大方丈にて一般公開されております。
昼食に立ち寄った蕎麦屋の玄関です。
生憎の雨模様でしたが、桜がまだ残っているというので妙心寺の塔頭退蔵院に寄ってきました。
退蔵院入り口の庭園
今から600年ほど前(1404年)、室町時代の応永年間に当時の京洛に居を構えた波多野出雲守重通が高徳のきこえ高い妙心寺第3世をつとめ
る無因宗因禅師への深い帰依によって、無因宗因禅師を開山として建立されました。これが退蔵院のはじまりです。
そのころ妙心寺は足利義満の弾圧で名を竜雲寺と変えられ、 関山一派の人々も祖塔を去る悲運に見舞われました。無因宗因禅師は高徳を惜し
まれて大徳寺へとの誘いがありましたが、固く辞して西宮の海清寺に隠棲し、ついに時の有力者たちに終生近寄ることがありませんでした。
正面の桜をはさみ、左右に陽の庭と院の庭が配置されております。
陽の庭 退蔵院は応仁の乱で妙心寺とともに炎上しましたが、1597年に亀年禅師によって再建され、今に至ります。
「退蔵」という言葉には、「価値あるものをしまっておく」という意味があるように、陰徳(人に知られないようにして良い行いをする)を
積み重ね、それを前面に打ち出すのではなく、内に秘めながら布教していくということを示しています。
陰の庭
京都の西に位置する妙心寺の山内には40余りの塔頭がありますが、退蔵院はそのうちでも屈指の古刹として知られています。境内には、国宝
「瓢鮎図(ひょうねんず)」(模本)や史跡名勝・枯山水庭園「元信の庭」、そして四季折々の景色が美しい池泉回遊式庭園「余香苑(よこ
うえん)」があります。
約50年前、「余香苑」の完成時に植えられた退蔵院の紅枝垂れ桜は、平安神宮の孫桜にあたる木で、2013年にJR東海「そうだ京都、行こ
う。」キャンペーンにも使用されました。例年4月10日に見頃を迎え、見事な桜のシャワーと石庭のコントラストをお楽しみいただけます。
方丈
方丈の西側に位置する元信の庭 狩野元信の作と伝わる枯山水の優美な庭園で、枯滝・蓬莱山・亀島と石橋など多数の庭石が豪快に組まれて
おります。
退蔵院 桜 2012
http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/05623bb30a85baf57fc438939079bfe5