愛宕念仏寺(おたぎ ねんぶつじ)は、嵯峨野にある天台宗の寺院で、 本尊に厄除千手観音を祀り、境内に羅漢像が多数奉納されているため別名千二
百羅漢の寺とも呼ばれております。 火伏せの神と信仰を集める愛宕山参道の山麓の入り口に位置し嵯峨野めぐりの始発点としても知られております。
今の京都の四条西院から東山方面にかけてを、 昔は愛宕郡と言いました。奈良時代の末、今から約1240年前に、 聖武天皇の娘の稱徳(しゅうとく)
天皇がそこに寺を建てられたので愛宕寺と言いました。
8世紀中頃、稱徳(しゅうとく)天皇により京都・東山、今の六波羅蜜寺近くに愛宕寺として創建された当寺は、平安時代初めには真言宗東寺派の末寺
となっていたらしいですが、すでに荒れ寺となっていた上に、近くを流れる鴨川の洪水で堂宇を流失し廃寺同然のところを、醍醐天皇の命により天台宗
の千観内供(伝燈大法師)が復興したとつてえられております。
千観が念仏を唱えていたところから名を愛宕(おたぎ)念仏寺と改め、天台宗に属するようになりました。 この際
いったんは七堂伽藍を備え勅願寺としての体裁を整えましたが、その後は興廃を繰り返し、最後は本堂、地蔵堂、
仁王門を残すばかりとなりました。
1922年それらを移築して現在地での復興を目指しますが失敗し、あまりの荒れように、1955年に天台宗本山から住職を命じられた西村公朝氏も、引
き受けるのをためらったといわれております。それを清水寺貫主・大西良慶氏の「それだけ傷んでおれば、草一本むしりとっても、石一つ動かしても、お
まえは復興者、復興者やといってもらえる。わしも手伝ってやるから」の激励で復興に取りかかったそうです。以来、仏師として全国を飛び回る傍ら、本
堂、地蔵堂、仁王門などを整備し、 素人の参拝者が自ら彫って奉納する『昭和の羅漢彫り』が始まったのは、1981年、当初は五百体が目標でしたが、
10年後には7百体追加され千二百体に達し現在にいたっております。
山門の仁王門の金剛力士像
本堂への参道は、正面の階段を登る道と右手に続く羅漢洞を通る道と二手に分かれております。 途中で合流いたしますが、階段を登って行きます。
春先には、羅漢像の間をシャカが咲き誇るそうです。
昭和56年、当時の住職西村公朝氏が、寺門興隆を祈念して、境内を羅漢の 石像で充満させたいと発願し、10年後の平成3年に 「千二百羅漢落慶法
要」を厳修なさいました。 境内のいたるところに信者さんが思い思いに彫られた羅漢像が立ち並び、表情ももそれぞれ味があり見ていて微笑ましくなっ
てまいります。
傾斜の上に建つ地蔵堂
階段を登ってまいりますと右手が下りになっており、 仁王門の前から羅漢洞を抜け羅漢像が立ち並ぶ場所に道がつながっております。
この一角だけで、120体以上が並んでおります。
釈迦誕生佛 釈迦の弟子となり、仏教を広め伝えた僧達のことを 阿羅漢と言います。 これを「羅漢さん」と親しみをもって呼ばれてきました。寺の復興
を祈願して、昭和56年から一般の参拝者に 奉納を呼びかけ、この羅漢さんを参拝者自らの手によって 彫ってもらいました。
石像の裏面には、彫られた方の名前が刻まれております。
山水が流れ込む竜神の滝壺 梅雨時期で水量が多く見にくくなっておりますが、滝壺には竜の像が立っております。
手前から、三宝の鐘楼、ふれ愛観音堂、地蔵堂と並んでおります。
右手の建物が、羅漢洞です。中を抜ければ入口の仁王門前に出ます。
坂道の中腹を右の手すりに沿って進みますと三宝の鐘に出会えます。
三宝の鐘は、他の寺院ではあまり見かけない鐘楼になっております。 古来釣り鐘はその音で仏法僧の心を 伝えるものですが、当山ではこれを三鐘 と
し、その妙なる音律によって仏の心を 世界に伝えています。
それぞれの鐘には、「佛」「法」「僧」と刻印されております。
三宝の鐘の真ん中には、円形のこれも撞木(しゅもくと呼ぶのでしょうか?)が吊られ順番に打ってみますと、とても澄んだ音律を奏でてくれました。
三宝の鐘楼を進みますと本堂、ふれ愛観音堂、地蔵堂の建つ境内に出ます。 ここにも整然と羅漢像が並びます。
地蔵堂 平安時代から、あたご本地仏火除地蔵尊として、 京の都を火災から守ってきたお地蔵様です。 古来より伝わる、火難除けとして霊験あらた
かな 「火之要慎」の御札で知られており、また古くから延命地蔵さんとしても親しまれており、 毎月24日のご縁日には法要が営まれています。
本堂 本尊は千手観音像で、 平安時代から厄除けの観音様として厚く信仰されています。 内部は二重折上げ小組格天井が施され、鎌倉様式の美し
い曲線が今に伝えられていることから、 国指定の重要文化財となっおります。
本堂奥に建つ多宝塔
多宝塔の右手の高台に虚空蔵菩薩像が立ちます。
猫好きの信者さんの作品です。猫の表情もいいですね。
右側の像は、ワンちゃんを抱えておられます。
多宝塔 大勢の羅漢さん達に囲まれて、お説法をする姿で 祀られた石のお釈迦様と 左側には伝教大師最澄像が立ちます。 なんとも中国チックな建
物です。
石像を見ていて、ふとしょうもない疑問が頭に浮かびました。千二百体もの石像を皆さんどこで何日ぐらいかけて彫られたのか?是非参加してみたかっ
たです。
虚空蔵菩薩とは、智慧と福徳の仏様で、大宇宙の如く大きな功徳で、悩める全ての人々を救済する力を備えた
菩薩であり、不思議な力により窮地に陥った者を救う菩薩であることから、能満諸願(厄払いその他、諸々の願
いを良く満たしてくださる)、身体健全、家内安全、交通安全、商売繁盛、水子供養祈祷、等が特に信仰され、そ
の昔、虚空蔵菩薩は、うなぎに乗って天から舞い降りてきたという言い伝えから、料理人からは、うなぎと縁の深
い菩薩として信仰され、現世利益では記憶力を良くするという事が主である。
前住職 西村公朝氏の墓石 高台から羅漢さんを見守っておられます。
本堂前に建つ「ふれ愛観音堂」
この観音様は手で触れられることを喜んで下さる仏様です。 仏像は約2000年前から造られてきましたが、 そ
れを造った人たちは皆、目の見える人が造り、目で拝んできました。この像は歴史的に初めて、目の不自由な
人たちに、仏との縁を結んでもらうために生まれた観音様です。目の見える人も 目の不自由な人も 自由に触
れて下さい。 心の目と手で触れることで、私達の心身の痛みを癒して下さいます。
ちなみに、この観音様は、先代の住職の西村公朝氏の手による仏像で、一体は清水寺の奥の院に、一体は比
叡山延暦寺など全国に六十体ほどが点在しているそうです。
この「ふれ愛観音」を造るきっかけには、一人の盲目の女性との出会いがあったそうです。
「最後の仏師」 西村公朝の生涯 詳しくはこちらに掲載されております。ぜひご覧になってみてください。
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic17.html
秋の紅葉も綺麗でしょうね、時間を見つけて再訪したいと思います。
地蔵堂は、けっこうな急斜面に建っております。
手前の石像は天狗が彫られておりました。
仁王門を右に進んだ所にある羅漢洞です。
中を潜りますと、最初に回った羅漢像の群列に出会います。
手前の顔は、誰かの遊び心でしょう、ユーモアたっぷりです。 こちらの寺院は、他の寺院には無いこの羅漢さ
ん達のお蔭でお参りなされた方の心をほんのりと幸せにしてくれるような感じを受けました。発案なされた前住
職の想い通りの気持ちを持って皆さん帰って行かれる事と思います。お参りなされる方は、お参り前に是非先
程の 「最後の仏師」 西村公朝の生涯を読まれてから来ていただきたいと思いました。
最後に何故か信楽焼きが。 受付の右手奥が駐車場になっておりますが、上手く停めて四台ですが、近くに
駐車スペースはありそうでした。 二週間後の7月31日には、愛宕念仏寺の奥にあるトンネルを抜け清滝か
ら、 「火之要慎」の御札もらいに愛宕さんの千日参りに伺います。 店を初めて12年連続の登山になり、目下
足腰のトレーニング中です。 年に一度の与えられた行と思い頑張ってお参りしてまいります。
地図
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.39.51.381N35.1.41.513&ZM=9