毎年節分祭に訪れております山科の毘沙門堂(びしゃもんどう)は、天台宗の寺院で山号は護法山と称します。本尊は毘沙門天を祀り天台宗京都五門
跡の一であり、毘沙門天を祀っていることから「毘沙門堂門跡」とも呼ばれております。
寺伝によりますと、毘沙門堂の前身の出雲寺は文武天皇の勅願により、大宝3年(703年)に行基が開いたといわれ、その後、平安時代末期には出雲
寺は荒廃していおりましたが、鎌倉時代初期、平親範が平家ゆかりの3つの寺院を合併する形で再興され、中世末期には再び荒廃しておりましたが、
近世に至り、天海とその弟子の公海によって現在地に移転・復興され、天台宗京都五門跡の一として栄えておりました。
毘沙門堂門跡勅使門
勅使門からの下り坂
山門前の参道
仁王門
仁王門 1665年この地に再興された当時の建立です。急峻な石段の上にある本堂への表門にあたります。
仁王門の左右を固める阿吽二天像
節分祭の豆まきの舞台が設置された本堂前です。 本堂 御本尊の毘沙門天(伝教大師一刀三礼の作)が安置されている本堂は、1665年当山中興
第二世の公海大僧正が、師・天海大僧正の意志を受け継いで復興されました。本堂では一時から毘沙門天の大般若転読の法要が行われます。
毎年、参拝者に甘酒を振舞っていただいておりますが、その準備も整っておりました。
本堂の東側、弁財天の手前に有るお堂です。 一切経蔵 一切経・ 転輪経蔵の創始者の傅大士像(ふだいし)を祀ります。 手前の紅枝垂れ桜は、
4月には鮮やかな紅色の花を咲かせてくれます。
本堂右手の弁財天
昨年まいりました時は、梅の花がちらほら咲いておりましたが、今年は、先週からの寒波の影響で池にも薄氷が張っておりました。
高台弁財天 大阪城で豊臣秀吉の正妻、大政所高台院湖月尼(お寧)が信仰していた弁財天で高台弁天と称します。住職・一品公弁法親王が所望
されて、本堂裏右手(東側)に安置して、高台弁財天、不老弁天として多くの人々に信仰されております。
弁天堂から見た左本堂と霊殿
寒空の中、皆さん甘酒で体を温めておられました。
本堂西側に建つ宸殿と樹齢百何十年と云われる枝垂れ桜
左側が霊殿で右側が本堂です。渡り廊下の先に弁天堂が見えます。
霊殿
宸殿前の枝垂れ桜は一目千両と言われ樹齢百数十年の巨木で、その枝張りは30mにも及びます。 満開時期は、4月10日~15日あたりになるそう
です。
毘沙門堂は、境内に桜の木が多く山科地域の桜の名所としても知られております。山麓には、琵琶湖疏水が流れ桜の時期はお花見の方で賑います。
本堂前の中門を潜り、本堂から霊殿、宸殿、庭園と回ります。 ここからは、拝観料が
必要です。
宸殿への渡り廊下
宸殿前の枝垂れ桜越しに見えます勅使門は、後西天皇より拝領した総門で、かつては天皇陛下の行幸の時かその代参、現在では門跡門主の晋山式
以外は開門されない開かずの門となっております。
宸殿襖絵 宸殿内部の障壁が百六十面は、すべて狩野探幽の養子で駿河台派の狩野益信の作で、どの角度から見て
も、鑑賞者が中心になるという逆遠近方の手法を使っております。
天井龍 霊殿の守護龍は狩野永叔主信が画いたもので、眼の向きや顔が、
見る角度によって変化いたします。
宸殿の北側に広がる庭園
庭園には、スリッパを履いて下りることが出来ますが、回遊は出来ません。
鞍馬自然石手水鉢
右手前に千鳥石、石塔の前が座禅石、石橋の手前が亀石だと思います。
中庭に佇む閼伽井の井戸は、仏前に供える水を汲むための井戸です。
宸殿西側の手水鉢
本殿東側
13時からの大般若法要が終わり本堂を出ますと、14時から始まります豆まきに数百人の方が集まっておられ、開始時間を待っておられました。
14時からの豆まきには、毘沙門堂貫主の挨拶のあと一万包みの福豆が蒔かれました。本日は、元宝塚の女優さんがお見えになっておられました。
毘沙門堂では「福は内、鬼も内」と言って豆が蒔かれます。何時頃からそのように云われる様になったかは、分からないそうです。
今更の話ですが、節分とは、季節の分かれ目の意味で、元々は「立春」「立夏」「立秋」「立冬」のそれぞれの前日をさしていたものですが、立春の節分
に豆をまく「豆まき」の行事は、「追儺(ついな)」と呼び、中国から伝わった風習だそうです。「追儺」の行事は、俗に「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」「厄
払い」「厄おとし」「厄神送り」と呼ばれ、疫病などをもたらす悪い鬼(邪鬼)を追い払う儀式で、文武天皇の慶雲3年(706)に宮中で初めて行われたの
が始まりと云われております。
節分にまつわる風習といたしまして、鰯(いわし)の頭を、柊(ひいらぎ)の小枝に刺して戸口に挿す風習は、近世以降行われるようになったもので、これ
も魔除けのための風習で、鰯の臭いで鬼を追い払いとか、または逆さまに匂いで鬼を引き寄せて、柊の刺で鬼の目を刺すとする説もあります。その他
に、節分に巻き寿司を食べる風習は、 福を巻き込むという意味と、縁を切らないという意味が込められ、恵方(えほう)に向かって巻き寿司を丸かぶりす
るようになったと云われます。 主に大坂の船場で行われていた風習が、大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った「巻き寿司のまるかぶり」のPRイベン
トがマスコミに取り上げられて関西地方に広まり、のちに近年全国のコンビニ等でも販売され全国へ広まっていったと云われております。
比叡山からも6人の僧侶の方が法要にお越しになられ、豆まきにも参加なされておりました。
大玄関
玄関を入った所の部屋に置かれている円山応挙筆とされる衝立で、裏表に描かれた鯉の姿です。
五色の紐で結ばれた福豆の中には、7粒の豆が入っており、包み紙の底に印が付いていれば貫主さんの色紙やいろい
ろな景品が当たる様になっておりますが、残念ながら無印ばかりでした。 葉っぱの形をした五色のお札は、法要の時に
須弥壇近くに蒔かれたものを、お世話になっております僧侶の方が、帰り際にくださいました。昨年は暗いニュースばかり
でしたが、今年こそは明るい兆しが見え始める棟祈願し、来年もまた無事に節分を迎えられますよう願いつつ、帰路につ
きました。
毘沙門堂 2009年春 桜模様です。
http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/bb0f00978c7c824afe7e3065d9f44653