京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

清水寺 成就院 鹿見喜陌襖絵展 2016

2016年04月28日 | 洛東 東山 清水寺方面

              

      4月28日より5月5日まで、成就院におきまして日本画家の鹿見喜陌襖絵展が開催されております。普段見る事の出来ない、成就院のために書き

      上げられた襖絵です。パンフレットを頂きましたので、取り敢えず先行告知だけさせていただきます。

 

 

 

 

      

      拝観時間は、9時から16時となっております。

 

 

 

 

      

      秋の部分

 

 

 

 

      

      夏

 

 

 

 

      

      秋

 

 

 

 

      

      冬から春

 

 

 

 

      

      京都迎賓館の藤の間の壁画装飾「麗花」の一部です。

 

 

 

 

      

      京都迎賓館の藤の間の壁画装飾「麗花」の一部です。

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

      第一室 雪・桜

 

 

 

      

      第二室 牡丹

 

 

 

      

      第三室 菖蒲

 

 

 

 

      

      第五室 朝顔

 

 

 

 

      

      第四室 月・秋草

 

 

 

 

            

            期間中に伺わせていただきたいと思っておりますので、その時に詳しい説明を搭載いたします。

 

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清水寺 春の夜間拝観 2016/4/10

2016年04月13日 | 洛東 東山 清水寺方面

      

      毎年春の恒例の清水寺の夜間拝観に伺って来ました。 本日10日(日曜日)が最終日で、ソメイヨシノは葉桜になっているものが多かったですが、

      紅枝垂れやモミジの新芽の色が映えてライトアップならではの鮮やかさでとても綺麗でした。 正面の参道を避けて、茶碗坂の一番上の駐車場に

      車を停め仁王門の南側から階段を上がります。

 

 

 

 

 

      

      仁王門  応仁の乱(1467~1477年)によって焼失しましたが、15世紀末に再建され、平成15年(2003)に解体修理されました。清水寺の正

      門で、幅約10メートル、奥行き約5メートル、棟高約14メートルの、室町時代再建当時の特徴を示す楼門です。 以下の説明は、清水寺のホーム

      ページからのものを参照させていただきました。

 

 

 

 

 

      

      西門前の枝垂れ桜 

 

 

 

 

 

      

      西門と三重塔 

 

 

 

 

 

      

      仁王門の吽形(左)の仁王像

 

 

 

 

 

      

      西方面とされる極楽浄土を示すレーザー光線 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

             

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

                

      西門(さいもん)現在の建物は寛永8年(1631)再建のもの。もとの創建時期は分かっていませんが、史書「帝王編年記」など鎌倉時代の文献に

      見えるので、おそらく浄土教が流行した平安時代末期にはできていたと推測されています。

      ここから見る西山の日没は素晴らしく、極楽浄土に往生する入り口の門、浄土を観想する日想観(にっそうかん)の聖所であったと考えられてい

      ます。

 

 

 

 

 

      

      西門の北側に建つ鐘楼は、慶長12年(1607)の再建で、平成11年(1999)に彩色復元され、桃山様式の美しい彫刻が一層華やかに蘇りました。

      牡丹彫刻の懸魚(けぎょ)や菊花彫刻の蟇股(かえるまた)、四隅の柱の先にある獏と象の木鼻などが見どころです。  

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      西門と同様に絢爛豪華な建築美を見せているのが三重塔です。平安時代初期847年に創建され、寛永9年(1632)に再建。現在の塔は古様式に

      則って昭和62年(1987)に解体修理したもので、総丹塗りとともに、桃山様式を示す極彩色文様を復元しました。

      非公開ですが、内部には大日如来像を祀り、四方の壁に真言八祖像、天井・柱などには密教仏画や飛天・龍らが極彩色で描かれています。

      三重塔としては日本最大級の高さ約31メートルの塔は、清水寺、京都東山のシンボルとして、古くから国内外に広く宣伝されてきました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      現在、本堂の入り口の轟門は、修復中なので開山堂の北側から本堂に向かいます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      濡れて観音 本来、奥の院の横にひっそりと佇んでおられますが、奥の院修復期間中は、開山堂の北側に祀られております。 

 

 

 

 

 

      

      右、経堂 寛永10年(1633)の再建で、平成12年(2000)に解体修理され、西門、三重塔とあわせて美しい丹塗りの建物が続きます。

      平安時代中期には一切経を所蔵し、全国から学問僧が集まる講堂として栄えましたが、それ以降、記録から消え、現在その一切経は伝来していま

      せん。 堂内には釈迦三尊像をお祀りし、鏡天井に江戸時代の絵師・岡村信基(おかむらのぶもと)筆の墨絵の円龍が描かれています。 

 

 

 

 

 

      

      本堂の舞台の南側の山に建つ子安の塔 子安塔は、聖武天皇、光明皇后の祈願所と伝わっていますが、詳しい創建時期はわかっていません。現在

      の建物は明応9年(1500)のもので、明治の終わりまで仁王門の左手前に建っていましたが、本堂の南に位置する、錦雲渓を隔てた丘の上に移築

      されました。高さ約15メートル、檜皮葺の三重塔の内部には、子安観音(千手観音)をお祀りし、名前の通り安産に大きな信仰を集めてきました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      舞台から下を望みますと清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となった音羽の瀧があります。こんこんと流れ出る清水は古来「黄金水」「延命

      水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。 3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願するため、連日、行列が

      できるほどの人気の場所ですが、元は瀧行の場。開基行叡居士(ぎょうえいこじ)、開山延鎮上人(えんちんしょうにん)の伝統を守り、現在も

      水垢離が行われています。   右下の灯りは茶店です。

 

 

 

 

 

      

      本堂  西国三十三所観音霊場第十六番札所   洛陽三十三所観音霊場第十二番札所   寛永10年(1633)に再建された、正面36メートル

      強、側面約30メートル、棟高18メートルの大堂です。 堂内は巨大な丸柱の列によって外陣(礼堂)と内陣、内々陣の三つに分かれ、通常、外陣

      とさらに外側にめぐらされた廊下を進んで拝観します。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       本堂東側の御朱印を書いていただける所です。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      子安塔 

 

 

 

 

 

                

 

 

 

 

 

 

      

      右手の釈迦堂の裏手からレーザー光線が放たれております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      新緑が鮮やかな奥の院から 

 

 

 

 

 

      

      音羽山に植樹された千本山桜 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      三つ葉ツツジでしたが、色が出ませんでした。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      夜間は、子安塔には近づけませんでした。 

 

 

 

 

 

      

      音羽の瀧の行列を横目にしながら出口に向かいますの 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

      秋の紅葉 ライトアップ   http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/fb895143ef48ae766495f43771651240

      雪景色  http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/fe302af44504e9a1df50c0416fc671db

 

 

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清水寺夜間拝観 秋紅葉 12/4/2011

2012年01月20日 | 洛東 東山 清水寺方面

      

      2011年度秋の夜間拝観の最終日に伺って来ました。 受付終了が9時半でしたので、何とか間に合うことが出来ました。

      西方浄土を照らすレーザー光線は、嵐山方面に伸びており渡月橋からでも確認できるくらいです。 

      夜間拝観の受け付けは、写真左手の仁王門の階段下で行います。 

 

 

 

 

      

      仁王門右手後方の西門と三重塔 

 

 

 

 

 

      

      仁王門の右手の枝垂れ桜 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      西門(さいもん) 現在の建物は寛永8年(1631)再建のもので、もとの創建時期は分かっておりませんが、史書「帝王編年記」など鎌倉時代の文献に

      見えるので、おそらく浄土教が流行した平安時代末期にはできていたと推測されております。 ここから見る西山の日没は素晴らしく、極楽浄土に往生

      する入り口の門、浄土を観想する日想観(にっそうかん)の聖所であったと考えられております。

 

 

 

 

 

      

      枝垂れ桜と仁王門 仁王門は、応仁の乱(1467~1477年)によって焼失しましたが、15世紀末に再建され、平成15年(2003)に解体修理されました。

      清水寺の正門で、幅約10メートル、奥行き約5メートル、棟高約14メートルの、室町時代再建当時の特徴を示す堂々たる楼門です。 

 

 

 

 

 

      

      西門の左手の階段を登り境内に入ってまいります。 

 

 

 

 

 

      

      階段左手に建つ鐘楼、大晦日には事前に配られた100枚の整理券を持った方が、二人一組で鐘を撞くことが出来ます。 慶長12年(1607)の再建で、

      平成11年(1999)に彩色復元され、桃山様式の美しい彫刻が一層華やかに蘇りました。 牡丹彫刻の懸魚(けぎょ)や菊花彫刻の蟇股(かえるまた)、

      四隅の柱の先にある獏と象の木鼻などが見どころです。また、鐘楼の柱は四隅に4本が一般的ですが、清水寺の鐘楼は、間に2本追加して、6本で組

      まれています。 これは2.03トンのとても重い梵鐘を吊るために頑丈に造ったためと云われ、6本の柱はすべて少し内側に傾ける「四方転び」という技法

      を用いて、しっかりと屋根と梵鐘を支えております。

 

 

 

 

 

              

              三重塔は、平安時代初期847年に創建され、寛永9年(1632)に再建されたもので、現在の塔は古様式に則って

              昭和62年(1987)に解体修理したもので、総丹塗りとともに、桃山様式を示す極彩色文様を復元なされております。

              内部には大日如来像を祀り、四方の壁に真言八祖像、天井・柱などには密教仏画や飛天・龍らが極彩色で描かれ

              ています。 三重塔としては日本最大級の高さ約31メートルを誇ります。

 

 

 

 

 

      

      鐘楼の建つ階段を登り切った正面に建つ随求堂(ずいぐどう)  塔頭慈心院(たっちゅうじしんいん)の本堂で、享保3年(1718)の再建で、衆生の願

      い、求めに随って、叶えてくれるという大功徳をもつ大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)を本尊(秘仏)としてお祀りしております。また、堂内には大聖歓喜

      天(だいしょうかんきてん)や粟島明神(あわしまみょうじん)など縁結び、安産、子育ての神仏もお祀りされております。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      北総門(きたそうもん) 寛永8~16年(1631~39)に再建された間口4.12メートルの薬医門です。 門の北側には、幕末に散った勤王僧 月照・信

      海両上人と西郷隆盛公の歌詩碑がたちます。これは清水寺の塔頭である成就院の第24世住職・月照上人と実弟であり同25世住職の信海上人の

      歌碑、西郷隆盛公の弔詞碑です。兄の月照上人は、江戸時代の弾圧「安政の大獄」で命を落とした勤王僧でした。西郷隆盛公の手引きで九州へ避

      難したものの、隆盛公と薩摩(鹿児島県)の錦江湾に入水。隆盛公は助けられましたが、上人は非業の死を遂げました。安政5年(1858)11月16日

      のことです。その翌年には、弟の信海上人も尊皇攘夷祈祷の嫌疑で逮捕されて江戸に護送され、まもなく獄死しました。隆盛公はのちに弔意の漢詩

      を詠み、その読み下し文が、石碑に刻まれています。

 

 

 

 

 

      

      北総門の手前に建つ観音菩薩立像 

 

 

 

 

 

              

              三重塔の東側に建つ経蔵は、寛永10年(1633)の再建で、平成12年(2000)に解体修理され、西門、三重塔とあ

              わせて美しい丹塗りの建物が続きます。 平安時代中期には一切経を所蔵し全国から学問僧が集まる講堂として

              栄えましたが、それ以降、記録から消え、現在その一切経は伝来していません。 堂内には釈迦三尊像をお祀りし、

              鏡天井に江戸時代の絵師・岡村信基(おかむらのぶもと)筆の墨絵の円龍が描かれております。

 

 

 

 

 

      

      轟門と轟橋と梟の手水鉢  寛永8~10年(1631~33)再建の三間一戸の八脚門で、ここを通って本堂へと向かいます。 切妻造り、本瓦葺で、妻や

      天井の構造は東大寺転害門を縮小して写しています。門の前には、四角にフクロウが彫刻された石造の「梟の手水鉢(ふくろうのちょうずばち)」があ

      り、正面には左右両脇に持国天と広目天を、背面には阿・吽形(あ・うんぎょう)の狛犬を安置しています。水がないのに「轟橋」(とどろきばし) 轟門の

      入口には、水が流れていないのに「轟橋」という橋がかかっています。これは手水鉢の手水を流す溝をまたぐためと、世俗から、ご本尊が祀られている

      最も神聖な場所・本堂を区切りため。 この橋を渡る際に心身を清め、引き締める役割をもっているのです。

 

 

 

 

 

              

               「梟の手水鉢(ふくろうのちょうずばち)」

 

 

 

 

      

      清水寺の東側の音羽山を幻想的に彩るライトアップ 

 

 

 

 

 

      

      轟門から本堂に続く廊下 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      本堂の西側に鎮座する大黒天さん 

 

 

 

 

 

      

      本堂舞台より山沿いに見える奥の院 

 

 

 

 

 

      

      本堂は、西国三十三所観音霊場第十六番札所、洛陽三十三所観音霊場第十二番札所に指定されており、 堂内は巨大な丸柱の列によって外陣(礼

      堂)と内陣、内々陣の三つに分かれ、通常、外陣とさらに外側にめぐらされた廊下を進んで拝観します。建物は、優美な曲線を見せる寄棟造り、檜皮

      葺の屋根や軒下の蔀戸(しとみど)など、平安時代の宮殿や貴族の邸宅の面影を今に伝えています。

 

 

 

 

 

      

      奥の院の舞台は現在解体修復中です。 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

      

      奥の院は、洛陽三十三所観音霊場第十一番札所。 清水寺の起こりとなった「音羽の瀧」の真上に建ち、開基行叡居士(ぎょうえいこじ)と、開山延鎮

      上人(えんちんしょうにん)が修行した旧草庵跡と伝えられています。 「奥の千手堂」ともいい、秘仏の御本尊三面千手観音、脇侍地蔵菩薩、毘沙門

      天と、二十八部衆、風神、雷神をお祀りしているほか、古くは真言宗兼学を伝統していたことから、弘法大師像も奉祀しております。

 

 

 

 

      

      奥の院から見た本堂舞台と市内の夜景 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

      

      西方浄土を示すレーザー光線は、本堂の東側の釈迦堂の裏手から放たれております。 内部には、朱い漆塗りの円柱の来迎柱や、極彩色を施された

      長押(なげし)、貫(ぬき)、遊飛する天女の天井画など、華麗な装飾がなされています。その中央の黒い漆塗りの須弥壇の上に、釈迦三尊をお祀りし

      ています。 昭和47年(1972)に豪雨で倒壊し、その3年後に、寛永8年(1631)再建時の姿に復旧されました。

 

 

 

 

 

      

      釈迦堂前の階段を降りますと、音羽の滝に出ます。 

 

 

 

 

 

      

      奥の院の左手(北側)の阿弥陀堂の脚組 あみ本尊の阿弥陀如来坐像は漆箔仕上げの荘厳華麗な仏様で、如来形の千仏を配した光背(こうはい)

      は阿弥陀浄土の世界を表現したものです。 浄土宗の開祖・法然上人が、日本で最初に常行念仏道場とした場所であることから、法然上人二十五霊

      場第十三番札所として多くの参詣を集め、また、「洛陽六阿弥陀如来念仏道場」としても、縁日や彼岸には多数の参拝者が訪れています。

 

 

 

 

      

      本堂舞台 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      撮影日の12月4日の時点でも青葉が残っており、今年の紅葉の遅さを物語っておりました。 

 

 

 

 

 

      

      音羽の滝 清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となったのがこの瀧です。こんこんと流れ出る清水は古来「黄金水」「延命水」と呼ばれ、清めの

      水として尊ばれてきました。3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願するため、連日、行列ができるほどの人気の場所

      ですが、元は瀧行の場。開基行叡居士(ぎょうえいこじ)、開山延鎮上人(えんちんしょうにん)の伝統を守り、現在も水垢離が行われています。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

            

 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      今日が、夜間拝観の最終日でしたので、拝観終了後門前会の方々に執事長による挨拶があり消灯されました。       

 

 

 

 

地図 

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.47.9.416N34.59.30.148&ZM=9 

 

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高台寺 秋紅葉ライトアップ 11/27/2011

2011年12月08日 | 洛東 東山 清水寺方面

      

      鷲峰山(じゅぶざん)高台寺(臨済宗建仁寺派) 東山霊山(りょうぜん)の山麓、八坂法観寺の東北にあり、正しくは高台寿聖禅寺といいます。豊臣

      秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が慶長11年(1606)開創した寺です。寛永元年(1624)

      7月、建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ、高台寺と号しました。造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行なった

      ので寺観は壮麗をきわめたといわれております。

 

 

 

   

      

      現在旧持仏堂の開山堂、霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台等が国の重要文化財に指定されており、 秀吉と北政所を「霊屋(おたまや)」に祀り、

      北政所像の下はその墓所となっております。開山堂を中心に東西に広がる池庭は小堀遠州作と伝えられております。尚、豊臣秀吉夫人(北政所)は天正

      16年(1588)に従一位に序せられ慶長8年(1603)に後陽成天皇より高台院の号を賜り寛永元年(1624)9月6日、76才で亡くなられました。  

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

                「湖月庵」茶室

 

 

 

 

 

      

      「遺芳庵」茶室 灰屋紹益と吉野太夫との好みの茶席であり、鬼瓦席と共に高台寺を代表する茶席として知られております。 右に軒先が見えるのが

      鬼瓦席です。

 

 

 

 

 

 

      

      遺芳庵の南側にある書院と北庭園

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      書院から開山堂に続く回廊 

 

 

 

 

 

 

      

      方丈庭園 右手に勅使門、昼間ですと正面に霊山観音が望めます。 今年の方丈庭園のテーマは、双龍です。震災や台風被害、今年起こった様々な

      不幸な出来事から立ち上がる願いを双龍に込められて描かれていると思います。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      開山堂 高台寺第一世の住持、三江紹益禅師(1527-1650)を祀る塔所であり、左右壇上には木下家定(ねねの兄)、雲照院(家定の妻)等の像も安

      置されております。礼堂部中央の彩色天井には北政所の御所車の天井、前方の格子天井には秀吉が使った御船の天井が用いられております。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

               開山堂の東の高台に建つ霊屋 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

                開山堂の東側に広がる臥龍池
 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      開山堂の西側、偃月池(えんげつち)に架かる観月台  偃月とは、半円形の月。半月。弓張り月のことをさします。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       臥龍池に架かる臥龍廊は、開山堂と霊屋を繋ぎます。

 

 

 

 

 

      

      霊屋(おたまや)北政所の墓所、秀吉と北政所をお祀りしている所であり、厨子内左右に秀吉と北政所の木像を安置しております。須弥壇や厨子には、

      華麗な蒔絵が施され世に高台寺蒔絵と称され桃山時代の漆工芸美術の粋を集めているものです。

 

 

 

 

 

      

      笠亭(左)と時雨亭 利休の意匠による茶席であり伏見城から移建したものです。傘亭は竹と丸木が放射状に組まれ、カラカサを開けたように見えるこ

      とからその名があり、正式には安閑窟と呼ばれております。時雨亭とは土間廊下でつながっております。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      笠亭と時雨亭は、高台寺の中で一番の高台にあり、これから竹林を通り開山堂の前まで戻ります。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       開山堂の中門前にあるお茶席の雲居庵です。

 

 

 

 

 

      

      勅使門の前に出る出口です。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      山門を下りますと、ねねの道に出、塔頭の圓徳院の玄関があります。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      梵鐘が幻想的に浮かび上がっておりました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      八坂の五重塔と云われる塔は、霊応山法観寺と号し、聖徳太子が創建したと伝えられる臨済宗建仁寺派に属する寺院です。法観寺五重塔(高さ36.

      4m)は、室町時代の永享十二年(1440)に足利義則が再建したものです。

 

 

 

 

 

      

      高台寺の南側の清水寺の三重塔 

 

 

 

 

 

 



 

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青蓮院門跡 秋紅葉ライトアップ 11/27/2011  

2011年12月08日 | 洛東 東山 清水寺方面

      

      青蓮院門跡では、毎年春と秋に、夜の特別拝観、ライトアップを開催しております。

      長屋門 拝観入口の手前右手に建つ門で、明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築したものです。門前には名木「楠」が五本あり、親鸞聖人御手植

      と伝えられております。京都市の登録天然記念物指定他として多数の指定を受けております。

 

 

 

      

      既に恒例となっておりますが、一体何故青蓮院で夜の特別拝観を実施するのでしょうか。(青蓮院ホームページより)

      ご本尊の熾盛光如来は、光そのものであり、その化身の不動明王(国宝青不動明王を祀る)も炎の光を背負っておられ、当院は光との関係が大変深

      くなっております。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      

 

 

 

 

 

      

      夜間拝観は、お昼の拝観順路と異なり、まず大玄関から宸殿に向かいます。

 

 

 

 

 

      

      青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)は、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つとして古くより知られ、現在は天台宗の京都五箇室門跡の一つ

      に数えられています。青蓮院門跡は、古くより皇室と関わり深く格式の高い門跡寺院(門主(住職)が皇室或いは摂関家によって受け継がれてきたお寺

      のこと。) 天台宗の三門跡寺院…青蓮院、三千院、妙法院  五箇室…青蓮院門跡、妙法院門跡、三千院門跡、曼殊院門跡、毘沙門堂門跡となって

      おります。なお、「一隅を照らす」の文字は、比叡山に建つ石碑に刻まれている文字です。

 

 

 

 

      

       闇に浮かんでは消える木々や花々の幽玄な世界、光の中で雄大な力を感じる天然記念物の大クスノキ5本、青く光る静清な竹林、一面の苔庭の海

      に浮かぶ光の星。皆様お1人お1人の光がご本尊の功力によって、夜空に光のたばとなって駆け上がり世の中を明るく照らしていただきたいとの願い

      を込めております。

 

 

 

 


      

      宸殿前の庭園では、数十秒ごとにLEDが点滅を繰り返し幻想的な景色を醸し出しております。

 

 

 

 

 

 

      

      青蓮院は、応仁の乱の際、兵火を免れず、徳川氏には豊臣氏滅亡後今の知恩院の全域を取り上げられましたが、相阿弥の作と伝えられる龍心池を中

      心とする室町時代以来の庭園から粟田山将軍塚にわたる境内は今日まで保有され、徳川幕府も殿舎の造営には力を致して東福門院の旧殿を移して

      宸殿を造りました。
 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      宸殿には、元三慈恵大師像と慈鎮和尚像が祀られております。

 

 

 

 

 

      

      宸殿から小御所の廊下より

 

 

 

 

 

      


      宸殿から小御所に架かる廊下にある一文字手水鉢は、太閤秀吉の寄進したものと書かれております。

 

 

 

 

      

      小御所

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

      小御所から華頂殿に移動しますと、おなじみの蓮の襖絵が鮮やかに目に飛び込んでまいります。 夜間拝観中は、華頂殿は有料のお茶席になって

      おります。

 

 

 

 

 

               

                

 

 

 

 

 

               

               華頂殿には売店があり、青蓮院の国宝「青不動明王」の軸なども販売なされております。

 

 

 

 

 

      

      華頂殿玄関で靴を履き庭園へと向かいます。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      小御所への廊下の下を潜りぬけますと、相阿弥の作と伝えられる龍心池の前に出ます。 こちらの庭園のライトアップも10秒程度で点滅を繰り返し、暗

      闇から浮かび上るる紅葉や竹林が幻想的に演出されております。

  

 

 

 

 

     

      

      龍心池 花崗岩の切石二枚で作られた、半円形の反りの美しい石橋を跨龍橋と呼び、滝を洗心滝と云います。龍心池の中央には二千貫に近い大石

      があり、あたかも沐浴する龍の背のようにみえるそうです。

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      華頂殿の東側庭園も小堀遠州作で霧島の庭と名付けられております。 好文亭裏側山裾斜面から一面に霧島つつじが植えてあり、五月の連休の頃、

      一面を真っ赤に染めることから、霧島の庭とも云います。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      こちらは、昨年の同じ時期に伺った時の写真ですが、色付き具合が全然違い今年の温かさを象徴しております。

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      霧島の庭に佇む好文亭 後桜町上皇が当院を仮御所として御使用の際、お使いになったご学問所であり、明治以降茶室として活用しておりましたが

      放火により平成五年に焼失しいたしました。現在の建物は平成七年秋に復旧落慶したものです。本院所蔵の創建当初の平面図「御学問所」を基に木

      材等の材質も全く同じ、工法も同じで、完全復元された本格的数寄屋造となっており、障壁画十三画は上村淳之画伯の御奉納による花鳥図です。
 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

      

      好文亭前から見る小御所 平安時代末は門主の居間でありましたが、後櫻町上皇が当院を仮御所としてお使いの際上皇もご使用になった建物です。

      但し明治に焼失した為、江戸中期の建物を移築しております。

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

      好文亭玄関 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      好文亭前を進みますと幻想的な竹林の前に出ます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      竹林を左に登った所にある日吉社       

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

      宸殿前の庭園に面し、小御所の南側に位置する本堂の東側には、国宝の青不動画像(複製写真)が安置され、堂内の厨子にはご本尊「熾盛光如来(し

      じょうこう)」の曼荼羅が安置(秘仏)され、本堂の東裏にはその他、不動明王木像、薬師如来及び日光月光菩薩・十二神将像、歓喜天像、毘沙門天像

      も安置されております。

 

 

 

 

 

      

      宸殿前庭園 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      庭園南西角にある梵鐘 

 

 

 

 

 

      

      左手勅使門と右手宸殿 

 

 

 

 

 

               

               正面が本堂です。 

 

 

 

 

               

               勅使門横に建つ親鸞聖人の幼少期の像、浄土真宗の祖親鸞聖人は、慈圓門主のもとで得度したため、青蓮院は

               同宗の聖地の一つとなっており、得度の時の馬を繋いだと云われる場所に像は建っております。なお、親鸞聖人の

               得度の折、剃髪した髪の毛を祀る植髪堂が、境内北側にあります。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 



 

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京都大晦日雪景色 NO5 高台寺塔頭 圓徳院 12/31/2010

2011年01月15日 | 洛東 東山 清水寺方面

  

  圓徳院は、豊臣秀吉の妻、北政所ねね終焉の地で、高台寺の西側、ねねの道をはさんだところに位置します。











  









  
  豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長10(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城
  の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住みました。






  
  それ以来、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化が、北政所を慕って訪れたと伝えられています。 ねね58歳の時のことです。 これが
  今日の圓徳院の起こりで、ねねは77歳で没するまで19年間この地で余生を送り、 ここは北政所の終焉の地となりました。





  
  唐門  現在4時半を回っておりますが、雪のため暗くなってまいりましたので、夜間拝観のためのライトを点灯されておりました。







  
  唐門を入ったところの豊臣秀吉好みの手水鉢








  
  本殿玄関  そのねねを支えていたのが、兄の木下家定とその次男の利房です。圓徳院は利房の手により、高台寺の三江和尚を開基に、木下家の
  菩提寺として開れ、高台寺の塔頭とされました。寛永9年、ねねの没後9年目のことです。








  
  方丈庭園(南庭)








  









  









  
  圓徳院の中を東西に通る通路で、「ねねの小径」と名付けられており、写真奥の方に進めば石塀小路に出ます。








  









  
  北書院につながる渡廊下








  
  北書院入口








  
  北庭は、もともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもので、当時の原型をほぼそのままに留める桃山時代の代表的な庭園の一つにあげられます。








  
  賢庭作で後に小堀遠州が、手を加えたと云われており、池泉回遊式ですが、枯山水になっております。








             
  








  









  
  庭の原点になっておりますのは、庭園北東部(柱左手奥)で、枯滝の石組を構成し築山を中心にして左右に多数の石組を二等辺三角形にまとめて数
  群展開させてあります。  








            











  
  このように多数の巨岩大岩がふんだんに置かれている庭は珍しく、これが桃山時代の豪華さ、豪胆さと云われております。








  









  









             









  









  
  北庭を出てきたところにある、三面大黒天堂 圓徳院の北側に、秀吉が出世時代に念持仏とした三面大黒天が祀られております。 北政所がこの地に
  祀ったものであり、大黒天、弁財天、毘沙門天の三面を併せ持ち、一 つの仏様を拝むことによって三 尊のご利益を得るという、秀吉らしい信仰であり
  ます。今日では、大黒天は福の神、弁財天は学問、毘沙門天は勝利と子宝の神として、信仰を集めております。 こちらは、ねねの道から誰でも参拝
  出来るようになっております。






                     









  
  三面大黒天を祀る堂の東側に歌仙堂がり、歌仙堂は長嘯子(ちょうしょうし)を祀り、もと霊山(高台寺の東の山)にあったものを木下家の関係でここに
  移築した。長嘯子(若狭藩主だった勝俊)は木下家定の甥、すなわち北政所の甥で 歌聖として知られておりました。なお歌仙堂は、詩仙堂、雅仙堂と
  合わせて、京都の三堂といわれる堂で、詩歌を志す人の信仰を集めております。




  









                      

                    
                    圓徳院の北側の千家十職の一つ「永楽茶碗」を扱われている永楽売舗さんの迎春準備です。







  









  
  円山公園の南側の東大谷御廟








  
  公園入口にある、長楽館 ホテルと一階に喫茶があります。








  
  八坂神社の東側に位置する円山公園は、京都で最も有名な公園で元々は、八坂神社の一部で明治維新以降に国へ納めるという形で分離されました。
  円山公園の敷地面積は、約8600㎡もあり公園内には、坂本龍馬・中岡慎太郎像や有名な枝垂桜があり、 桜の季節には昼夜を問わず多くの人が花
  見に訪れます。






  
  公園中央にあるひょうたん池








  









  
  円山公園のシンボルになっているこの桜は、「一重白彼岸枝垂桜」といい、現在の桜は二代目で初代は樹齢220年で 昭和22年に枯死いたしました。
  昭和3年に初代より種子を採って育成された桜を、15代佐野藤右衛門氏により昭和24年に寄贈・植栽され、平成22年現在82歳を向えております。
   しかし、ここ10年を見ておりましても、枝のボリュームが極端に落ちてまいり、見ていて可愛そうな位になってしまいました。








  
  円山公園を北に抜けますと知恩院の三門があります。こちらも深夜に掛けて初詣客の準備が整っておりました。







  









  
  知恩院前で引き換えし公園を抜けて八坂神社を抜けてかえります。








  
  八坂神社は、おけら参りがありますので、初詣を待たずにおけら火を貰いに来る方が、大晦日の夜に掛けて増えてまいります。  本殿前








  
  南門(正式には、こちらが正面門になります)








  









  
  左本殿と右、舞殿








  









  
  おけら参りとは、京都八坂神社の独特の行事で、大晦日から元日の朝にかけて神前に供えた削掛と薬草のオケラをたいて邪気を払い,参拝者はこの
  白朮火(おけらび)を吉兆縄に移して持ち帰り,元日の雑煮を煮たり,神棚や仏壇の灯明をともしたりする事を云います。 こちらの出店では、その吉兆
  縄を売っておられます。
  この日だけは、京阪電車や阪急電車でも火種の付いた縄を持ち込んでもよいことになっていたと思いますが、現在は、確認が取れておりません。






  









  









  









  










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京都大晦日雪景色 NO4 高台寺 12/31/2010

2011年01月14日 | 洛東 東山 清水寺方面

  

  清水寺から三寧坂を下り二寧坂に出てまいりました。やむ気配のない雪の中、足の先が相当冷えて参りましたが、歩くしかないので何とか頑張って
  みました。









  
  霊山観音の手前で、置いてきぼりにあったような紅葉を発見いたしました。








  









  
  あと150mほどで霊山観音です。








  
  さすがにこの雪では、バスも車も駐車場までは上がって来られない状態でした。 と言いますか大晦日に観光バスで旅行に来ている方が居られないだ
  けの話ですね。






  









  
  ほんの1ケ月前に紅葉を見に伺ったばかりでしたが、雪景色も趣があり素晴らしかったです。







  









  









  
  時間も4時を回っておりましたので、こちらの方は清水さんの様な人出ではありませんでした。







  









  









  
  修復中の 「遺芳庵」茶室








  









  
  書院から開山堂に続く回廊
  







  
  靴を脱いで方丈にまいりましたが、さすがに足の裏が痺れた様な感覚になってまいりましたので、早々に退散いたしました。 方丈では明日の初詣に
  向け準備が進められておりました。 勅使門からお参り出来るようです。






  









  









  
  方丈から見た左手開山堂とその右手に霊屋の眺めです。








  









  
  開山堂 高台寺第一世の住持、三江紹益禅師(1527-1650)を祀る塔所であり、左右壇上には木下家定(ねねの兄)、雲照院(家定の妻)等の像も安
  置されております。礼堂部中央の彩色天井には北政所の御所車の天井、前方の格子天井には秀吉が使った御船の天井が用いられております。










  
  開山堂の門です。








  









  
  開山堂の東側に広がる臥龍池








  









  
  開山堂の西側、偃月池(えんげつち)に架かる観月台  偃月とは、半円形の月。半月。弓張り月のことをさします。







  
  開山堂と東側の霊屋を結ぶ臥龍廊








 









  









  
  一か月前の11月26日の様子です。








  
  開山堂から見た本堂(方丈)








  









  

  開山堂をあとにし東側の霊屋へ向かいます。







  









  
  霊屋(おたまや)北政所の墓所、秀吉と北政所をお祀りしている所であり、厨子内左右に秀吉と北政所の木像を安置しております。須弥壇や厨子には、
  華麗な蒔絵が施され世に高台寺蒔絵と称され桃山時代の漆工芸美術の粋を集めているものです。







  









  









  
  霊屋のさらに東側の高台に二軒の茶室が建っております。








  
  右手に時雨亭、左手に傘亭です。









  
  利休の意匠による茶席であり伏見城から移建したものです。






  
  傘亭は竹と丸木が放射状に組まれ、カラカサを開けたように見えることからその名があり、正式には安閑窟と呼ばれております。







  
  時雨亭とは土間廊下でつながっております。 高台寺は各御堂とこの茶室に案内係りの女性を配置されており、詳しい説明を聞くことが出来ます。








  









  
  笠亭と時雨亭は、高台寺の中で一番の高台にあり、これから竹林を通り開山堂の前まで戻ります。









  
  







  









  
  こちらの紅葉も陽の当たらない場所にあるので、この時期まで残りモノトーンの世界に彩りを添えておりました。








  









                          









  









  









  









  









  
  開山堂の中門前にあるお茶席の雲居庵です。








  









  









  
  初詣客を待つ勅使門








  
  山門を下り西側の塔頭圓徳院に向かいます。








  









  









  











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京都大晦日雪景色 NO3 清水寺塔頭 成就院 12/31/2010

2011年01月13日 | 洛東 東山 清水寺方面

  境内、参拝入口の轟門の北側に位置する北総門です。 元来は塔頭(たっちゅう)(旧本坊)成就院の正門であった門で、寛永8~16年(1631~39)
  間に再建された薬医門でです。東隣に弁天堂が建ち、北裏側に月照・信海兄弟上人の歌碑と西郷隆盛の詩碑が並んでおります。 







  
  北総門西側の中興堂の屋根です。 中興堂(ちゅうこうどう)中興開山大僧正・大西良慶和上(1875~1983)の御霊屋(おたまや)、北苑の春日社南隣り
  に立つおどうです。1997年、建立。









  









  
  弁天堂の横を抜け坂道を下りますと千体余りの石仏が群集して祀られております。大日如来・千手観音・地蔵菩薩や二尊仏など多種多様で、鎌倉時
  代の古いものもあり元来は、地蔵信仰の厚い京都市民が各町内の大日堂や地蔵堂などに祀って毎夏に地蔵盆会を営んできた石仏で、明治の廃仏毀
  釈(はいぶつきしゃく)によって清水寺に運び込まれたものだそうです。





  
  成就院玄関 江戸時代初期の寛永16年(1639)、東福門院和子の寄進によって再建されました。創建は、応仁の乱の兵火によって焼失した清水寺
  を勧進活動によって再興した願阿上人の住房に起源し清水寺有力塔中(たっちゅう)として、江戸時代には清水寺の本願職を担当し、寺の財政・メンテ
  ナンスに勤めたとされております。幕末に勤皇歌僧月照(忍向)・信海兄弟を輩出し、明治~昭和にかけて中興開山良慶和上(1875~1983)が住持いた
  しました。





  
  書院 年二回春と秋の特別公開のみの公開となりますが、ご住職にお願いし見せていただきました。








  









  









  
  成就院庭園 相阿弥作・小堀遠州の補修とも、松永貞徳の作とも伝えられる庭園で模範的な借景式・池泉観賞式の庭園で、“誰が袖”手水鉢・烏帽子
  石・蜻蛉(かげろう)燈籠、手毬燈籠などが名高く、五葉松・“佗助”椿が一段と風趣をそえております。 特に“月の庭”として賞美されており月明りで見
  ると素晴らしいといわれます。





  









  









            










                     








  
  縁先の誰ガ袖(たがそで)手水鉢は、豊臣秀吉の寄進と伝えられております。








  









             









  









  
  庭園の面積は約1500平方㍍でさほど広くはありませんが、正面の高台寺山を大きく借景し山中に一基の石灯篭を立てて巧みに遠近法を活用して庭
  と周囲の山景とを結びつけ、庭に無限の広大さを感じさせてくれます。








            









  
  池右端の手鞠灯篭








                     









  
  庭園東側の植え込みの中に建つ護摩堂








  









                     










  









            









  









  
  書院南側庭園








                     









  
  形としては珍しい三角燈籠、以前と違う場所に移動しておりました。








  
  西庭、手水鉢の後ろは樫の木です。 手水鉢の右手の竹筒からは、水琴窟の音色が聞こえます。










  
  十五分くらい庭園を見せていただいておりましたが、足の裏が凍りそうになり早々に御暇してまいりました。 貸し切りの贅沢で貴重なひと時を過ごす
  ことが出来ました。今度は、雪かきのお手伝いにまいりたいと思います。






  









  









  









 
  大玄関前の池です。








  









  









                     
                     来た道を戻り弁天堂の前です。








  









  
  左手に田村堂(開山堂)寛永10年(1633)の再建で、謡曲「田村」に謡われている「田村堂」で、清水寺創建の本願主・坂上田村麻呂夫妻の像を堂内
  中央、須弥壇上の厨子内に祀り、併せて清水寺元祖の行叡居士(ぎょうえいこじ)と開山の延鎮上人を奉祀しております。








  









                        
                         門前町を抜け、三寧坂から高台寺に向かいます。








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京都大晦日雪景色 NO2 清水寺 12/31/2010

2011年01月12日 | 洛東 東山 清水寺方面

  

  雪景色の清水さんにお参りするのも2年振りうらいになり、前回より雪も多く白銀の世界を満喫できました。 仁王門(におうもん)室町時代に建立されま
  したが、応仁の乱で焼失し15世紀末に再建されました。清水寺の正門で、西側に面して建っており、昔ながらの丹塗りで“赤門”と呼ばれております。 
  正面軒下に平安時代の名書家藤原行成の筆と伝えられる「清水寺」の額を掲げ、両脇間に勇壮な大仁王像を祀っております。



  






  
  大晦日の今日は、0時から撞かれる除夜の鐘をこちらの清水寺では、毎年参拝の方が二人一組で順番に撞くことが出来るため22時に開門され準備
  にかかられます。 しかし、108回と回数が限られているので人数分の整理券を前もって受け付けをなされております。






  









  
  仁王門をくぐり階段を上って行きますと左手に新調されたばかりの梵鐘が吊るされた鐘楼があります。深夜にかけ鐘楼横の階段を参拝の方が通られ
  ますので、職員の方やご住職の方々までが雪かきをなされておりました。






  
  2年前に、約530年ぶりに新調された梵鐘と化粧直しが施された鐘楼。 今回、梵鐘の新調を請け負った「岩澤の梵鐘」(右京区) によりますと、530年
  の年月で 金属疲労を起こし、音に濁りが出てきたといわれており、同規模の鐘なら 通常は1分半ほどある余韻も 45秒しか無くなったとのことで、新し
  い鐘は 厚みを一定にしないことなどで、響きが2分近く 続くよう造られたそうです。








                     
                     三重塔 847年創建と伝えられておりますが、現在の塔は寛永9年(1632)の再建された
                     ものです。 日本最大級の三重塔で高さ31メートル弱あり、一重内部に大日如来像を祀り、
                     四周の壁に真言八祖像を描き、天井・柱など密教仏画や飛天・竜らの極彩色で荘厳されて
                     おります。









                     
                     参拝入口のあたる轟門前の手水場








  
  轟門を入った所から、左手本堂








  









  
  本堂正面(南側)に建つ子安塔は、現在解体修復中です。子安塔は、江戸時代初期の建立と云われ本堂の南谷(錦雲渓)を隔てた丘上に建ち、高さ
  約15メートルの三重塔です。内には子安観音(千手観音)を祀り、名前の通り安産に大きな信仰を集めてまいりました。
  聖武天皇・光明皇后の祈願所と伝説されておりますが創建時は不詳、寛永期の再建で、明治末年まで仁王門の左手前に建っておりました。










  









  









  









  
  本堂の西側、最初に迎えてくれる大黒さんです。こちらも二年前に何十年か振りに塗り直されたもので、美しく輝いて居られます。







  









  
  いつもは、観光客や参拝の方で賑っている清水の舞台もこの日ばかりは、事故防止のため立ち入り禁止になっておりました。








  
  本堂と舞台 江戸時代初期に再建された本堂には、最奥の内々陣の大須弥壇上の三基の厨子(国宝)内に本尊千手観音と脇侍(わきじ)の地蔵菩薩
  ・毘沙門天が祀られております。 須弥壇の手前には、漢検が主催する今年の漢字「暑」の揮毫が飾られておりました。






            
  雷神                             清水型十一面千手観音像               風神







           
           御本尊の脇を固める毘沙門天と二十八部衆   現実に見た本物は、迫力に溢れ圧巻されまた。






  
  舞台の向こう側に見えますのが奥の院です。








  
  本堂の東側に位置する奥の院 奥の院は江戸時代初期の建立で、本堂と同期の寛永10年(1633)に再建され、本堂同様に舞台造りになり、「奥の
  千手堂」ともいい、本尊千手観音と脇侍地蔵菩薩・毘沙門天、二十八部衆、風神・雷神が祀られております。






  
  本堂を抜けますと東側に釈迦堂が見えます。 釈迦堂は、昭和47年(1972)、大豪雨禍にあい、寛永8年(1631)再建の姿に復旧したものです。
  堂内奥中央部に朱漆塗り円柱の来迎柱をたて、須弥壇上に釈迦三尊を祀り、長押(なげし)、貫(ぬき)に極彩色を施し、鏡天井に遊飛する天女を彩画し
  ております。









  
  地主神社 本堂裏側に位置しておりますが、清水寺とは関係の無い神社だそうです。 境内に置かれた石と石の間何メートルかを目を瞑って歩いて片
  方の石にたどり着けば、思った人と縁が結ばれると言われており、若い女性で賑わっております。






  
  本堂と釈迦堂の間にある音羽の滝に通じる階段ですが、雪のため閉鎖されておりました。








  
  釈迦堂前より本堂








  









  
  百体地蔵 釈迦堂と阿弥陀堂との間の奥に建つ御堂で、子どもを亡くした親たちが、子どもそっくりの地蔵を探しあてて崇拝を厚くし、特に夏の地蔵盆
  会に賑うそうです。







  
  本堂








  
  阿弥陀堂と奥の院の間です。右手の奥の院の裏側に濡れ手観音が佇んでおります。








  
  濡れ手観音(ぬれてかんのん)奥の院の裏側、石の玉垣にかこまれた小池中に、可愛らしい石仏として立っており、北隣の蓮華水盤で柄杓に水をくみ、
  肩からかけて、自分自身の心身の清めと諸願成就を祈願しお参りいたします。台座には「観世水」と書かれております。





  









  
  奥の院舞台より








  









  









  
  舞台の向かい側の子安の塔に通じる坂道からの眺めです。









  









  









  









  
  音羽の滝 清水寺の開創を起縁し、寺名に由来する滝で、舞台の下に位置しております。こんこんと流れる出る清水は古来「黄金水」「延命水」とよば
  れ、 ”清め”の水として尊ばれ,開祖行叡居士・開山延鎮上人の滝行を伝統して水垢離の行場となり、またお茶の水汲み場となってまいりました。 
  今日、参詣者が行列をつくって柄杓に清水を汲み、六根清浄、諸願成就を祈り滝祠に不動明王や行叡居士を祀っております。





  









  









  









  









  









  









  









  









                          









  
  境内を一周してまいりましたので、北総門から塔頭の成就院さんに向かいます。










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京都大晦日雪景色 NO 1 建仁寺から清水寺 12/31/2010

2011年01月08日 | 洛東 東山 清水寺方面

  

  2010年最後の日、大晦日に降り続いた雪は午後になってもやむ気配が無く市内の交通網に影響が出ました。 タクシーを呼んでもいつになるか分ら
  ず、仕方なくノーマルのタイヤで危なっかしく建仁寺の駐車場まで辿り着きました。








  
  京都で日中これほどの雪が降ったのは、二年振りの事となり折角なので散歩がてらに清水さんに向かいました。







  
  建仁寺さんは、大晦日ということでこの日は拝観はなされておりませんでした。  拝観入口のある庫裡もひっそりとしておりました。








  
  庫裡と法堂を結ぶ渡廊下








  









  
  雙龍図が天井に描かれている法堂







             
            双龍図 法堂の天井には、小泉淳作の双龍図が、平成14年に創建800年を記念して描かれました。







                     
                     正面の須弥壇には本尊の釈迦如来座像脇侍迦葉尊者・阿難尊者が祀られております。








  
  法堂の東側、西来院へのエントランス。








  
  法堂








  
  法堂








  
  六月に特別公開がある半夏生の庭で有名な両足院山門
  







            
            書院前の庭園は、半夏生の庭と呼ばれており、池畔にはクチナシの白い花も咲き涼感を感じさせます。昨年は、6月11
             日から7月11日まで公開されておりました。






                     
                     池のほとりを彩る半夏生









  
  開山堂の前に建つ茶碑 開祖、栄西禅師は比叡山で天台密教を修め、その後二度の入宋を果たし、日本に禅を伝えました。 また、中国から茶種を
  持ち帰り栽培することを奨励し、喫茶の法を普及させた『茶祖』としても知られています。









  
  開山堂前から庫裡方面です。








  
  三門 『望闕楼(ぼうけつろう)』 大正12年、静岡県浜名郡雄踏町から移築されたもので、楼上には釈迦如来と二尊者と十六羅漢が祀られております。
  御所を望む楼閣と言う意味で『望闕楼』と名づけられました。






  
  三門から望む法堂








  









  
  開山堂の正面(西側)が三門になります。








  
  この道を東に進み右に曲がりますと清水道に出ます、さらに東大路を渡りますと八坂の五重塔が見えてまいります。








                     
                     この清水道に電線が無いのは、景観を重視した地元の方々が独自で電線の地中化をなさ
                     れたそうです。年度末に道路を掘り返すお金を是非こういった事業に向けてもらいたいもの
                     です。




                     









                     
                     正式名称は、霊応山法観寺と号し、聖徳太子が創建したと伝えられる臨済宗建仁寺派に
                     属する寺院です。法観寺五重塔(高さ36.4m)は、室町時代の永享十二年(1440)に足利
                     義則が再建したもので、内部の須弥壇には金剛界五仏が安置されております。金剛界五
                     仏とは(大日・釈迦・阿シュク・宝生・弥陀)のことをいいます。








                     









  









  









                     









  
  左の道の向こう側が建仁寺方面で、手前に進みますと二寧坂があります。








  
  五重塔の南側の道を進みますと二寧坂に出会いさらに進みますと左手に料亭坂口の庭園入口があります。 現在は、入口に松栄堂や観光客向けの
  お店が出来ており庭園を眺めながらお茶や甘味が頂けるお店もあります。








  









  









  









  
  三寧坂の手前にある霊山興正寺別院参道








  
  この三寧坂を上り左に折れると清水さんの門前通りに出ます。







                        









  
  雪景色の京都には中々出会うことが出来ないので、観光スポットの寺院は人の列が絶えることがありません。










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東山 高台寺 秋紅葉 11/26/2010

2010年12月08日 | 洛東 東山 清水寺方面

  

  鷲峰山(じゅぶざん)高台寺(臨済宗建仁寺派) 東山霊山(りょうぜん)の山麓、八坂法観寺の東北にあり、正しくは高台寿聖禅寺といいます。豊臣
  秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が慶長11年(1606)開創した寺です。寛永元年(1624)
  7月、建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ、高台寺と号しました。造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行なった
  ので寺観は壮麗をきわめたといわれております。






  
  現在旧持仏堂の開山堂、霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台等が国の重要文化財に指定されており、 秀吉と北政所を「霊屋(おたまや)」に祀り、
  北政所像の下はその墓所となっております。開山堂を中心に東西に広がる池庭は小堀遠州作と伝えられております。
  尚、豊臣秀吉夫人(北政所)は天正16年(1588)に従一位に序せられ慶長8年(1603)に後陽成天皇より高台院の号を賜り寛永元年(1624)9月6日、
  76才で亡くなられました。     方丈に面した唐門








  
  庫裡の玄関です。








  









  









  









                     









  
  真ん中の石畳を通り境内に向かいます。 「湖月庵」茶室








  









  
  湖月庵の庭園
                    







                     









  
  「遺芳庵」茶室 灰屋紹益と吉野太夫との好みの茶席であり、鬼瓦席と共に高台寺を代表する茶席として知られております。 右に軒先が見えるのが
  鬼瓦席です。






  
  遺芳庵の南側にある書院と北庭園








  
  書院から開山堂に続く回廊








                     
                     書院で靴を脱ぎ方丈へと進みます。








  
  方丈








  
  方丈庭園 右手に勅使門、正面に霊山観音が望めます。 霊山観音の裏手の山には、坂本竜馬や中岡慎太郎の墓所となる霊山護国神社があります。







  
  方丈から左手開山堂とその右手に霊屋の眺めです。








  
  開山堂 高台寺第一世の住持、三江紹益禅師(1527-1650)を祀る塔所であり、左右壇上には木下家定(ねねの兄)、雲照院(家定の妻)等の像も安
  置されております。礼堂部中央の彩色天井には北政所の御所車の天井、前方の格子天井には秀吉が使った御船の天井が用いられております。





  









                     









  
  開山堂の門です。








  









                     






            
            開山堂の東側に広がる臥龍池








                     









  
  臥龍池に架かる臥龍廊








  









  
  開山堂の西側、偃月池(えんげつち)に架かる観月台  偃月とは、半円形の月。半月。弓張り月のことをさします。









  
  回廊の中央の檜皮葺の四本柱の建物は、観月をするための観月台です。









                     
                     開山堂と霊屋を結ぶ臥龍廊                      







  









                     







  
  臥龍池の紅葉は、西日に映えとても素晴らしい景色でした。








  









  









  









  









  









  









                     









  









  









                     
                     霊屋(おたまや)北政所の墓所、秀吉と北政所をお祀りしている所であり、厨子内左右に
                     秀吉と北政所の木像を安置しております。須弥壇や厨子には、華麗な蒔絵が施され世に
                     高台寺蒔絵と称され桃山時代の漆工芸美術の粋を集めているものです。






  
  笠亭(左)と時雨亭 利休の意匠による茶席であり伏見城から移建したものです。傘亭は竹と丸木が放射状に組まれ、カラカサを開けたように見えるこ
  とからその名があり、正式には安閑窟と呼ばれております。時雨亭とは土間廊下でつながっております。






  









                     









                     









  









  









  
  笠亭と時雨亭は、高台寺の中で一番の高台にあり、これから竹林を通り開山堂の前まで戻ります。








                     









  








  









  









  









  
  開山堂の中門前にあるお茶席の雲居庵です。











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清水寺・成就院 中島潔氏襖絵展 2010

2010年08月05日 | 洛東 東山 清水寺方面

 

 

 

 

 

      

           明日、8月6日から16日まで再公開されます。

           先日、清水寺の成就院で開かれておりました、中島潔氏の襖絵展にうかがってまいりました。 中島氏は、数十年振りに
           訪れた清水寺で観音様の力に引き込まれ、自分の人生の集大成を奉納させていただきたいと、強く思われ、清水寺さん
           に願い出られたそうです。清水さんからのお返事を待たれたのち、五年の歳月をこの作品だけの為に費やされ完成にこぎ
           つけられました。その集大成の作品が、四月二十四日から五月九日までの間、成就院書院にて有料で展示されておりま
           す。
           展示期間が終わりますとその後は、取り外され次の公開はまだ未定とのことです。ダイナミックな色づかいと繊細な描写
           は、見る人を引き付けてしまいます。







           成就院さんによりますと、先月NHKのクローズアップ現代で放映された時の反響が大きく問い合わせが多数あったこと
           で、再度公開日程を決定され対応をなされております。 期間は、8月6日から16日までと発表されました。
           尚、クローズアップ現代でも後編の放送が決まっているようです。

           
           成就院の書院は、田の字字に四部屋からなっておりますが、各部屋の三面12枚の襖に中島潔ワールドが展開されて
           おりました。全48枚の大作は圧倒されるばかりでした。伺った当日は、女性の方を中心に熱心に鑑賞なされておりました。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

       

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      







      
          第一室12面は、「かぐや姫」と名付けられております。
          「月へ天女と飛んでいくかぐや姫」 それは、華やかな中に一抹の悲しさが漂う壮大な作品となっております。






      
           そこには「別れ」があり「希望」があります。 大事に育ててくれて人との別れ、自然豊かな地球との別れ。すべての人が
           必ず味わう辛く悲しい別れ、しかしそれは同時に希望でもあり、巡りゆく「いのち」でもある、と作者は語りかけております。




        

          





      
      
           風の故郷(ふるさと)「春・夏」 第二室 12面  (花別れ)
           「風の故郷」は、作者の原点「ふるさと」にあり、九州の田舎に育った作者は、一日中思う存分遊びまわり、その中でさま
           ざまなことを学びました。




           

      

 

 

 

      


 

 

      

 

 




      

           水や木、そして大空や太陽と一つになって遊ぶ子供たち、生きることの素晴らしさをからだ全体で表現している子供たち。
           そんな子供たちをそのまま受け入れてあたたかく包み込んでいる豊かな大地。草も木もそして子供たちもみんな生き生き
           と回る生命(いのち)だと仰っておられます。 

 

 

 

 

 

      

         (にわか雨)

 

 

 

 

      

 








      
           (向日葵)







      






       

 

 

 

 


      
           第三室 14面  風の故郷 (秋・冬)
           39歳の時、初の個展を開催した作者は、以後童画はもちろんのこと、二十余年間で新しい美人画の世界「万葉の女(ひ
           と)」や、斬新な日本画として高く評価された「源氏物語五十四帖」の連作や、詩人・金子みすずの詩をモチーフにした作
           品などを次々に発表し続けておられます。

 





      
           五十歳の時、創作に行き詰まりアトリエを故郷の佐賀に移され、そこで親や友人が自分の過去・現在・未来につながっ
           ていることを知り、故郷の自然・四季の美しさをあらためて見つめ直すことで創作の意欲を取り戻され、童画「ふるさとの
           詩(うた)」「源氏物語五十四帖」「金子みすず」の代表作をこの時期に描き上げられました。

 





      
           (紅葉)







      
           (雪の音)







      

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

       






      
           第四室 詩人・金子みすずの「大魚」
           作品を貫いているのは、圧倒的な鰯の群れと漂う少女の姿で、そこには詩人・金子みすずの詩に呼応するような、生命の
           輝きと儚さを悲しむまなざしがあります。





      
           一番弱い鰯を大量に描いたのは、弱いからこそ生きることの大切さを秘めている、一番壊れやすいからこそ生命の息吹
           を宿しているいるからだそうです。それを全身で感じている金子みすず。人というのはここまで優しく強くなれて、ここまで
           見つめられるのか、それを彼女の詩の中に感じ、それが作者に衝撃を与えたと云っておられます。




      

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

           






           
           この作品群は、成就院さんの襖のサイズに合わせて作成されたもので、9日の期間を持ちまして展示は終了し、倉庫に
           収納されます。期間中NHKのクローズアップ現代の取材も入っており5月末の放送予定も組まれておりますので、反響が
           大きければ、再度の展示も計画されているようです。ただし期間はまだ未定とのことです。







      

 

 

 

 

      








      

           清水寺塔頭 成就院 月の庭

 

 

 

 

 

                    
           








      









                     
                     庭園の面積は約1500平方㍍でさほど広くはありませんが、正面の高台寺山を大きく借景
                     し山中に一基の石灯篭を立てて巧みに遠近法を活用して庭と周囲の山景とを結びつけ、
                     庭に無限の広大さを感じさせてくれます。




      
           縁先の誰ガ袖(たがそで)手水鉢は、豊臣秀吉の寄進と伝えられております。 







      

 

 

 

 

      

 

 

 

 

                    

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 





           
           成就院さんの玄関を出たところの新緑です。たまに楓の葉を戴にあがってます。






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清水寺 雨の成就院 庭園 06/13/2010

2010年06月22日 | 洛東 東山 清水寺方面

           13日の日曜日、会合があり成就院にお邪魔してまいりました。今まで何度も伺っておりますが、雨の日は初めてで、しっ
           とりとした庭園が素晴らしかったです。








           
           まずは、荷物だけ置かせていただき本堂にお参りに行ってまいりました。







                          
                          参拝入口の普門閣 








           
           楼閣を本堂に突き当たりますと、ふくよかな出世大黒天さんが迎えてくれます。







           
           本降りの雨にもかかわらず、大勢の観光客が訪れておられました。









                     









           








           
           私にとって、清水さんで外せないお参りスポットが、阿弥陀堂と奥の院の間を入り奥の院の裏手(東側)にあります「ぬれ
           て観音」さまです。






           
           手前の蹲で柄杓に水を汲み、観音さんに掛けながらお参りいたします。







                      
                     陽があまり当らない場所なので、何時伺ってもしっとりとやさしい顔をなされております。








           
           雨がきつくなってまいりましたので、成就院に戻ります。







                     







                     
                     成就院の山門にあたる北総門、門の内側に有る石碑は、幕末に成就院の和尚をなされて
                     いた月照和尚と弟の信海和尚の辞世の句と両名と関わりの有った西郷隆盛が、和尚が亡
                     くなられた後に詠んだ追悼の句が刻まれております。




           
           北総門東側の弁天堂 弁天堂の右手を下がりますと成就院の玄関に出ます。







           
           成就院玄関







           
           南側庭園








           








           
           庭園中央にある、形の珍しい三角燈籠







           
           書院西側の樫の樹







                     
                     同じく西側の手水鉢と水琴窟の音色を聞くための竹筒







           
           成就院の庭園は、相阿弥原作・小堀遠州の補修とも、松永貞徳の作とも伝えられる江戸時代初期を代表する名庭で国
           の「名勝」に指定されております。






           
           縁先の誰ガ袖(たがそで)手水鉢は、豊臣秀吉の寄進と伝えられております。







           








                    
                    池右端の手鞠灯篭






           








           
           庭園の面積は焼く1500平方㍍でさほど広くはありませんが、正面の高台寺山を大きく借し山中に一基の石灯篭を立てて
           巧みに遠近法を活用して庭と周囲の山景とを結びつけ、庭に無限の広大さを感じさせてくれます。







           
           庭園右側の皐月の刈り込みの上に佇む護摩堂の華頭窓







                     
                     橋の左袂の烏帽子岩と正面の五葉松







                     
                     本日、床の間に飾られてた布袋さんの焼き物です。やはり清水焼でしょうね?







           
           この庭園は、月の成就院庭園と賞され、月明かりで見るととても素晴らしいと言われておりますが、本日は月の姿が見え
           ませんでした。







           








           








           
           成就院の前のお地蔵さんは、境内に散らばってたものをこちらに集められたそうです。







           
           成就院の皆さん、今回も色々とお世話になりありがとうございました。また宜しくお願いいたします。











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東山七条 総本山 智積院 03/19/2010 

2010年03月22日 | 洛東 東山 清水寺方面

           東山七条に位置する智積院(ちしゃくいん)は真言宗智山派の総本山であり、成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山
           薬王院の大本山をなどを別格本山として全国に3000余りの寺院教会を擁し、檀信徒の信仰のよりどころとして総菩提
           所、総祈願所と位置付けられています。






           
           真言宗の宗祖(しゅうそ)である弘法大師空海が高野山でご入定(にゅうじょう)されたのは、承和2年(835)3月21日でした。
           それからおよそ260年たって、「中興の祖」とあがめられている興教大師(こうぎょうだいし)覚鑁(かくばん)が、荒廃した高
           野山の復興と真言宗の教学の振興におおいに活躍され、保延6年(1140)に、修行の場を高野山から、同じ和歌山県内の
           根来山(ねごろさん)へと移し、ここを真言宗の根本道場としました。 しかし、2年後の康治2年(1143)12月12日、興教
           大師覚鑁は、多くの弟子が見守る中、49才の生涯を閉じられました。







                     
                     正面の金堂への参道の左手(北側)に講堂と庭園拝観のための参道がもう一本あります。







           

                         









           
           興教大師のもと、高野山から大伝法院を根来山へ移し、これにより、根来山は、学問の面でもおおいに栄え最盛時には、
           2900もの坊舎と、約6000人の学僧を擁するようになりました。智積院は、その数多く建てられた塔頭(たっちゅう)寺院
           のなかの学頭寺院でした。





           
           しかし、同時に、巨大な勢力をもつに至ったため、豊臣秀吉と対立することとなり、天正13年(1585)、秀吉の軍勢により、
           根来山内の堂塔のほとんどが灰燼に帰してしまいました。その時、智積院の住職であった玄宥(げんゆう)僧正は、難を
           京都に逃れ、苦心のすえ、豊臣秀吉が亡くなった慶長3年(1598)に、智積院の再興の第一歩を洛北にしるしました。





           
           その後、慶長6年(1601)、徳川家康公の恩命により、玄宥僧正に東山の豊国神社境内の坊舎と土地が与えられ、名実
           ともに智積院が再興されました。その後、秀吉公が、若くして亡くなった長男鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲禅寺
           を拝領し、さらに境内伽藍が拡充されました。再興された智積院の正式の名称は、「五百佛山(いおぶさん)根来寺智積院」
           といいます。




           
           こうして智積院は、弘法大師から脈々と伝わってきた真言教学の正統な学風を伝える寺院となるとともに、江戸時代前期
           には運敞(うんしょう)僧正が宗学をきわめ、智山教学を確立しました。








           
           講堂・大書院入り口








           
           講堂(方丈殿)は、平成7年に興教大師850年御遠忌記念事業といて再建されたものです。







           









           
           講堂はかつて方丈と呼ばれていて、玄宥僧正が現在の京都東山の地に智積院を再興した折りに、徳川家康公より寄贈
           された祥雲寺の法堂が基になっています。この祥雲寺ゆかりの建物自体は、天和2年(1682)7月に焼失しました。






                     

                         









           









           









           
           大書院








           
           「利休好みの庭」と伝えられるこの庭園は、豊臣秀吉公が建立した祥雲禅寺(しょううんぜんじ・智積院の前身のお寺)時
           代に原形が造られました。その後、智積院になってからは、第七世運敞(うんしょう)僧正が修復し、東山随一の庭と言わ
           れるようになります。




           
           築山・泉水庭の先駆をなした貴重な遺産といわれ、中国の盧山を象って土地の高低を利用して築山を造り、その前面に
           池を掘るとともに、山の中腹や山裾に石組みを配して変化を付けています。






           
           大書院はこの庭園に面して建ち、平安期の寝殿造りの釣殿のように、庭園の池が書院の縁の下に入り込んでいます。







           









           
           書院の西側の大玄関 山門の向こう側に七条通りが西に延びております。







           

           








                       
                       大玄関の鴨居のあちこちで見られる六葉型の「釘隠し金具」








           
           講堂西側庭園








           









           
           講堂正面の廊下








                     
                     講堂・大書院拝観の出入り口門








           









           









           
           金堂 総本山智積院の中心的な建物であり、金堂と呼ばれています。宗祖弘法大師のご生誕千二百年の記念事業とし
           て昭和50年に建設され、堂内には昭和の祈りを込めた本尊大日如来の尊像が安置されています。毎朝の勤行、総本山
           としての多くの法要はここで厳修されます。





           









           









                     

                          









                     
                     金堂前の白木蓮がまもなく満開を迎えます。木蓮は世界最古の花木だそうです。









           
           玄有僧正像の金堂寄りにある仏足石








           
           金堂前に建つ戦没者慰霊碑








           









                     
                     以前の金堂は、元禄14年(1701)3月智積院第10世専戒僧正が発願し、 桂昌院(徳川5
                     代将軍綱吉の生母)より与えられた金千両を基に学侶からの寄付金を資金として、宝永2
                     年(1705)春に建立されたそうですが、明治15年(1882)に火災により焼失しました。





           









           









           
           参道左手の鐘楼越しに京都タワーが見えております。








                     
                     明王殿の御本尊は不動明王様で、不動堂とも呼ばれます。昭和22年(1947)の火災により
                     本堂が焼失した際に、本堂再建のため、京都四条寺町にある浄土宗の名刹、大雲院の本
                     堂の譲渡を受け、現在の講堂のある場所に移築した建物です。




           
           その後、平成2年(1990)12月に、講堂再建にともなって現在の場所に移築されております。







           
           左手が金堂です。








           










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京都東山 花灯路  夜間拝観情報

2010年03月14日 | 洛東 東山 清水寺方面

                     今年も春の花灯路が13日から始まります。それに合わせて周辺寺院もライトアップを
                     なさいます。例年多数の方で賑わうイベントも知名度も上がり定着してまいりました。
                     お帰りの際には祇園にもお立ち寄り頂ければありがたいのですが、皆さんまだ財布の
                     紐が固いようです。

                     期間3月13日(土)~22日(月) 18:00~21:30




                     








                       







                     







                     







                      
                     4月1日からは祇園甲部の都をどりも始まり桜の開花に伴い春満開になって参ります。







           















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