京都市の南西部の長岡京市に位置する長岡天満宮は、菅原道真公が御生前に在原業平らと共に、 しばしば遊んで詩歌管弦を楽しまれた縁深いと
ころであり、道真公が太宰府へ左遷された時、この地にお立ち寄りになり「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しまれた縁故によっ
て、道真公御自作の木像をお祀りしたのが当神社の創立であります。
正面大鳥居 長岡天満宮の入り口正面にそびえる、総御影石製の大鳥居は、平成14 年の菅公御神忌1100年大萬燈祭を奉賛して、平成10
年10月に奉納 された、近隣でも数少ない石の大鳥居です。総高9.75m、笠木 12m、総重量50トンにもなります。
以来皇室の崇敬篤く度々の御寄進御造営をうけ、寛永15年(1638)には八条宮智仁親王によって「八条が池」が築造されました。中堤両
側に樹齢百数十年のきりしまつつじが多数植えられており、その見事さは我が国随一と言われ、この季節には多くの観光客で賑わいます。
天満宮の敷地は、以前は10万余坪にも亘って居りましたが、明治維新の変革に際し上地のため、現在は2万余坪を有しております。
長岡天満宮境内の東に広がる八条ケ池は、 寛永15年(1638)に当時の領主・八条宮が造るように命じられ灌漑用の溜め池としても機能
いたしておりました。 外周は約1㎞、貯水量 は約35000トンあると云われております。 水上橋の先に建つ六角舎
豊かな池を二分する中堤は参道として使われており、中堤真ん中の石の太鼓橋は加賀前田 候の寄進と言われています。又周辺を包み込む花々
を求めて訪れる観光客も多い所です。 この時期は、霧島ツツジでおおわれます。
水上橋の袂には、1メートル近くもある立派な鯉が多数泳いでおります。
中堤の参道の霧島ツツジの最盛期は少し前に終わっておりました。
カキツバタが開花を待っております。
太鼓橋を左に進みますと天満宮への参道が続きます。
社殿への参道
階段を上った右手に紅葉庭園の「錦景苑」があります。
平成19年に境内に完成した紅葉庭園です。四阿(あずまや)に腰を庭園下ろし滝の方を眺めると覆うように大小の紅葉が錦を織り成し、 迂回
して坂を登り絵馬殿の窓から東を望めば、紅葉の時期には、眼下に大銀杏の黄と楓の紅が競っています。
又、庭園の中ほどに南北に延びる通称弁天池には、およそ2トンもある大きな石橋が架けられています。
現在の御社殿(ご本殿、祝詞舎、透塀)は昭和16年に京都の平安神宮の御社殿を拝領移築したもので、正面朱塗りの拝殿は既存の拝殿を増改
築したもので、平成10年秋竣工いたしました。
手水舎
菅原道真公を祀る天満宮では、道真公の生まれ年の丑が必ず奉納されております。
社殿の向かって左手にある稲荷社
神楽殿前に建つ銅像 名前の中小路宗城大人とは、現在の名誉宮司の祖父に当たり孫の宗隆氏が、祖父の没後50年の昭和61年例祭に建て
られたもので、宗城大人は明治35年生まれで、衰微の神社を篤志家を募って保勝会を作り、社殿改修、八条池石堤、参道板石を設け、境域を
整備して、社格も村社→郷社→府社へ1代に2度昇格させた方と云われており、現宮司いわく、祖父の苦労があってこそ今の天神さんがある
とのことです。
酒樽奉納舎 本殿手前の石段下に左右6㍍、天地5㍍、北山丸太の柱、銅板葺きの屋根で50丁の飾樽が奉献できる奉献舎があり、京都を始め
全国の有名な酒造会社の銘酒樽が奉納されています。 又毎年4月末には、献酒祭が行われています。
八条ヶ池の畔に建つ「錦水亭」竹の子で有名な長岡京の竹の子を使った竹の子尽くしがこの時期の売りで、全国から観光客が訪れます。
錦水亭の湖面に建つ離れへの 入り口
各部屋を水上橋で結びます。
錦水亭別館 ちなみに京都の竹の子は、3月中旬から5月上旬が旬となっております。