法然上人の常念仏道場となり、現在、華西山東漸院念仏寺と称し浄土宗に属します。
「あだしの」は「化野」と表し「あだし」とははかない、むなしいとの意で、又「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に
再び生まれ化る事や、極楽浄土に往来する願いなどを意図しているそうです。
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参道山門前に佇む釈迦・彌陀二尊像は、本尊の阿弥陀仏座像と共に鎌倉彫刻の秀作とされております。
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この地は古来より葬送の地で、初めは風葬でしたが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所でり
ます。
境内に奉る多くの石仏・石塔は往古あだしの一帯に葬られた人々のお墓でり、何百年という歳月を経て無縁仏と化し、
あだしのの山野に散乱埋没しておりました。明治中期に地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞ
らえ配列安祀してあります。賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられました。
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仏舎利塔(納骨堂)の前の鳥居(トラナ) トラナとは、インドの仏教やヒンドゥー教寺院にみられる門のことで、サンスクリ
ットで「塔門」を意味するそうです。
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仏舎利塔(納骨堂)
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仏舎利塔の内部は、納骨堂になっており一時預かり納骨、永代供養納骨など、御遺骨を納めていただけます。
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本堂の左側を進みますと水子地蔵があり、その左側から墓所や六面六体地蔵に繋がる竹林の階段があります。
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六面六体地蔵 お地蔵様はあらゆる所お祀りされてあり、一番身近に拝むことの出来る
仏様です。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人道・天道の六つの世界を六道といいます。
この六面六体地蔵さまはそれぞれにお地蔵様が居られ人々を救われる姿を現したものです。
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人道 畜生 地獄
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餓鬼 修羅 天道
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本堂横の庫裏
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鐘楼から先は、写真撮影禁止になっております。
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来た道を引き返し、二尊院の前を通り常寂光寺に向かいます。
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高弟黙庵が復興し、室町幕府二代将軍、足利義詮によって一時観林寺と改名されました。
さらに義詮の没後、その院号、宝筐院に因んで現在の寺名に改められた、以後、足利氏歴代の崇敬を得て栄えましたが
室町幕府の衰亡と共に寺も衰徴していきました。
現在、宝筺院は小さい寺院ながら、もみじで埋め尽くされた庭園を見に新緑と紅葉の時期には特に観光客で賑っております。
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清涼寺もそうでしたが、11月に入り冷え込みが足りなかったせいか、色付きは鮮やかさに欠けていると言いましょうか、
昨年よりは劣っておりました。
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宝筺院をあとにして、祇王寺に向かいます。
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祇王寺は、右京区嵯峨野にある真言宗大覚寺派の尼寺で、祇王・祇女とその母、および仏御前が隠棲した往生院の
跡地にあります。 宝筺院から徒歩で10分の距離にあり、こちらの寺院も小さいながら大変人気があり沢山の観光客の
方で溢れております。平日でこの様子ですので、土日は想像を絶するものと思われます。
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現在の祇王寺は、昔の往生院の境内であり、往生院は法然上人の門弟良鎮に依って創められたと伝えられ、山上山下
に亘って広い地域を占めていが、いつの間にか荒廃して、ささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれる様になりま
した。
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あと何日か早い時期に来れば、枯れる前の紅葉が見られたと思いますが、一番いいタイミングを図るのは京都に住んで
おりましても難しいですね。
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草庵の中には清盛、祇王/祇女(妹)/刀自(母)/仏御前の像が安置されています。
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山門
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山門の外側、庭園の中、唯一鮮やかな紅色を出しておりました羽衣紅葉
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草庵前のつくばい 誰も使わないのに水が勢いよく出過ぎてましたが、緩める栓が分かりませんでした。
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祇王寺の色付きも残念ながら今ひとつでした。
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写真は、祇王寺への参道右側にある、檀林寺の土塀です。
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祇王寺から化野念仏寺に向かう途中にあるお稲荷さん
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/14/22075a1713271b80e1d484cc3d2f39c6.jpg)
ここも途中にある清和天皇陵
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/87/203c27de2e374361b343ff8127d5de3e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/8c/147b6fed53fe8d7c8d11ca46a39141b5.jpg)
こちらは、一般の方の家だと思いますが、とても綺麗だったので失礼をして撮ってしまいました。この道をもう少し歩けば
化野念仏寺です。祇王寺から10分位です。
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親しまれております。中世以来「融通念仏の道場」としても知られており、現在は浄土宗の寺院となっております。
御本尊は釈迦如来で国宝に指定されております。 写真は、駐車場に車を停め一切経蔵の南側のもみじです。
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国宝 釈迦如来が祀られている本堂(釈迦堂) 釈迦如来は、日本三如来の一つに数えられる屈指の霊像です。
東大寺の僧、然が宋へ渡航中の985年、台州の開元寺で現地の仏師に命じて1体の釈迦如来像を謹刻させた。その
釈迦像は、古代インドの優填王(うてんおう)が釈迦の在世中に栴檀(せんだん)の木で造らせたという由緒を持つ霊像を
模刻したもので、実は模刻像と霊像とが入れ替わったとする縁起を持つため、「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから
「三国伝来の釈迦像」と呼ばれております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/93/a977dbb6d40be33a9255cfe3e0308556.jpg)
釈迦堂の向かって右側にある阿弥陀堂 光源氏のモデルと言われている、嵯峨天皇の第12皇子、源融公(みなもとの
とおる)縁のお堂です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/87/e21523cac857a4bf33b19a2ab045ada8.jpg)
釈迦堂の奥にある庫裏の玄関です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/8c/3fb99feb1ae0ad6425df1ef67b0ce90c.jpg)
この奥の霊宝館では、期間中、宝物展が開かれております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/8d/7371986a49c40ad771847c6c47415a02.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/17/3c08f65e011ae8c67e5fa375ce5e27ce.jpg)
方丈と庫裏をつなぐ渡り廊下です。小堀遠州作といわれる、枯山水庭園があり、方丈から有料で拝観出来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/bb/bab1b0d2c3ec131b3c897192326b9107.jpg)
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本堂から見た仁王門
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法隆寺夢殿を模した聖徳太子殿 この時期は紅葉に埋もれてしまっております。
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仁王門から本堂への参道の西側には法華経に由来する多宝塔があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/3e/a96410ddaa944a53368b78f9d61f969a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/f0/35a74944a56b79004cbf6657a2b557e3.jpg)
清涼寺を南側(仁王門側)に出ますと白壁に恒例のえびす屋の人力車が停まっております。
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左に進みますと宝筺院の門があります。 ここも嵯峨野では外せない紅葉の素晴らしい寺院です。
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金閣寺(きんかくじ)と呼ばれていますが正式には鹿苑寺(ろくおんじ)といいます。金閣寺の歴史を振り返りますと鎌倉
時代に藤原一族の藤原公経(西園寺公経 さいおんじきんつね)がこの地に西園寺を建立しました。
鎌倉幕府滅亡後、荒れ果てた西園寺を足利義満が譲り受け、「北山殿(北山第)」と呼ばれる大規模な邸宅を造営しまし
た。邸宅とはいいながら御所に匹敵する大規模なもので義満はここで政治の実権を握りました。
応永4年(1397年)足利義満(足利3代将軍)造営
足利義満の死後、遺言により北山山荘は舎利殿(金閣)を残して解体され禅寺となりました。禅寺の名前は義満の法名
鹿苑院殿から二次をとって鹿苑寺と名付けられました。 開山は、夢窓疎石です。
総門
総門をくぐり参拝受付までの、左側に鐘楼があり、この時期は有料で鐘を撞くことが出来ます。一回 200円です。海外
からの観光客が結構撞いておりました。
庫裏 参拝受付所の右手にあります。
金閣寺 舎利殿 金閣寺を代表する建物です。漆塗りに金箔を張ったこの建物は舎利殿で、
足利義満が造営した北山山荘で唯一解体を逃れた建造物です。残念ながら1950年の失
火で全焼しましたが、1955年にほぼ焼失前の状態に再建されました。
3層構造の豪華な造りの金閣(舎利殿)は2層目、3層目には漆に金箔が押されております。金閣は各層に別々の建築
様式を採用した異色の造りになっており、屋根はこけら葺きで頂上には鳳凰が輝いています。
鏡湖池 鹿苑寺の境内(約4万坪)の半分以上を占めるのが鏡湖池(きょうこち)をはじめとする庭園です。
鏡湖池には池の中に葦原島、鶴島、亀島など大小の島があり、室町時代には足利義満に取り入ろうとした諸大名が競っ
て石を奉納いたしたといわれており、例えば、畠山石、赤松石、細川石などの奇岩名石には諸大名の名前が残っている
そうです。
金閣寺の西にある衣笠山を借景とした庭園は室町時代の代表的な池泉回遊式庭園で国の特別史跡、特別名勝にも指
定されております。
1層(初層) 寝殿造りで法水院(ほうすいいん)と呼ばれ、中央に宝冠釈迦如来像、向かっ
て左に足利義満像が安置されています。
2層 武家造りで潮音洞(ちょうおんどう)と呼ばれ、岩屋観音像と四天王像が安置されてい
ます。
3層 禅宗仏殿造りで究竟頂(くっきょうちょう)とよばれます。
屋根 椹(さわら)の薄い板を重ねた柿葺(こけらぶき)で上には鳳凰が飾られています。
陸舟の松(りくしゅうのまつ)は足利義満が手植えしたと伝えられる松で、京都三松の一つです。船のかたちをしているの
で陸舟と名付けられたのでしょう。
もみじにピントが合ってしまい鳳凰がボケてしまいました。
金閣寺垣 安民澤につながる階段ですが、使用はされておりません。
竜門滝(りゅうもんたき)には、中国の故事登竜門に因んで鯉魚石(りぎょせき)が置かれています。
安民澤に浮ぶ白蛇塚
安民澤(あんみんたく)は雨賜沢・望雲沢ともいわれる池です。池の中には白蛇塚という五輪の石塔があります。ここは金
閣寺創建前にこの地に西園寺を建てた西園寺家の鎮守ともいわれています。
茶室 夕佳亭(せっかてい)
茶室 夕佳亭(せっかてい)は江戸時代の茶道家金森宗和が建てた数寄屋造りの茶室です。茶室は小高い位置にあり、
夕暮れ時にここから眺める金閣(舎利殿)が夕日に映えてことの外美しいことから、夕日に佳い茶室夕佳亭と名付けられ
ました。
夕佳亭の正面にある床柱は有名な「南天の床柱」で、茶席に南天が使われるのは珍しく有名になりました。夕佳亭は明
治初年に焼失しましたが、明治7年に再建されました。
夕佳亭を抜けますと、不動明王堂の前にお茶席があり、紅葉の下沢山の方が寛いでおら
れます。
不動明王堂
お不動さんのお参りが済めば出口になります。
紅葉の向うに比叡山の山頂がうかがえます。
金閣寺の参拝券になるお札、銀閣寺も同じ相国寺派の寺院なので同じようなお札を使っておられます。
金閣寺焼失 1950年当時すでに世界的に知られていた金閣寺が放火により焼失したのは、当時日本人全員に大きな
衝撃を与えた事件でした。それは、犯人の母親が自殺するという痛ましい事件が続いたことでも世間の注目を集める大
事件として伝えられました。
三島由紀夫は小説「金閣寺」を発表し、水上勉は小説「五番町夕霧楼」や「金閣炎上」などの作品を発表されております。
この放火事件をきっかけに京都では多くの寺社仏閣で消火設備が整えられていったと聞きます。
金閣寺放火事件 放火日 1950年7月2日未明
被害内容 金閣寺舎利殿(国宝)全焼 足利義満の木像(当時国宝)焼失 観音菩薩像、阿弥
陀如来像、仏教経巻などの文化財6点 焼失
犯人 金閣寺の修行僧(当時21歳)
犯人の行動 金閣(舎利殿)への放火の後、裏山(左大文字)でカルモチン(催眠剤)を飲み小刀
で割腹自殺を図るが、救命措置により一命をとりとめるとあります。
金閣寺の入り口の黒門を出ますと、北側に左大文字が見えます。
クリックをお願いします。
暦応四年(西暦1341年)、足利尊氏将軍が、天龍寺の夢慈国師にお願いして、衣笠山の南麓に創建されたのが、この
等持院であります。義満・義政両将軍のような金閣・銀閣で有名な人達が、全力を尽して立派にされた禅宗十刹の筆頭
寺院であり、更に、尊氏・義詮(よしあきら)将軍当時の幕府の地の近くにあった等持寺もこちらに移されて、足利将軍家
歴代の菩提所となりました。
応仁の乱などの戦乱に見舞われましたが、豊太閤も秀頼に建て直させたほど、この寺を重んじられており、その後も移り
変わりはありましたが、等持院は数度の災害にあいながらも、足利十五代、二三○余年の歴史を語るだけの貴重な文化
財を、今なお充分に保存しております。 元天龍寺管長関牧扇筆による祖師像
方丈南庭園と勅使門
現方丈は1616年に福島正則が妙心寺海福院から移設したもので、襖絵は狩野興以の作
です。
「霊光殿」は、尊氏公が日頃念持仏として信仰された地蔵尊(伝弘法大師作)を本尊として中央に、禅宗の祖師達磨大師
と、等持院の開山夢窓国師の像を左右にまつるところである。また、両側に足利歴代の将軍像(義量と義栄の像を欠く)が
徳川家康と共に安置されている。
方丈と霊光殿に架かる橋
足利尊氏将軍のお墓
芙蓉池
書院内部のお茶席
庭園は池泉回遊式になっておりますので、書院から履物を履き庭園におります。
茶室 清漣亭 方丈の北側、書院の東にあたる庭園の小高い丘には、茶室『清漣亭』がひっそりとたたずんでおります。
茶道に興味を持ち、室町文化の発展に貢献した八代将軍足利義政公が建設いたしました。
建設当時は、東側(右手)の茶室のみ建てられ、左手は後に建て増しされたものと説明されており、清漣亭とは東側の
茶室の名称とあります。
茶室入り口にある、手水鉢は司馬温公型と呼ばれております。司馬温公型手水鉢とは、縁がでこぼこし、凹凸が激しい
石に水穴をあけたものだそうです。
清漣亭の前にある等持院型と呼ばれる燈籠
清漣亭から東に丘を下りてまいりますと、左手に足利歴代将軍の十三重の遺髪塔があります。
華やかな四季折々の草花に彩られた方丈北庭園から東の庭園の林泉は芙蓉池と呼ばれ、池の形が心の一字をかた
どったように見えることから心字池と呼ばれることもあります。
等持院の説明書によりますと、よく、池の周辺をたどる人たちは、廻遊式庭園という名を用いますが、天龍寺の曹源池
でも苔寺の黄金池でも、この芙蓉池の庭でも、それぞれの池は仏菩薩の逍遙(しょうよう)せられるところであって、
(「逍遙 」には、散歩あるいはそぞろ歩く、などの意味があります)われわれの廻遊観賞のために国師が構想築造された
のではなかった筈で、これを逍遙式庭園と呼ぶのが至当である。とあります。
左手の建物は、方丈東側の霊光殿の裏側になります。
等持院は金閣寺と龍安寺の間にあり立命館大学の南側に位置しております。徒歩であれば龍安寺から向かわれるのが
一番近いです。電車は京福電鉄に等持院駅があります。
クリックをお願いします。
実相院は、元天台宗寺門派の門跡寺院です。 ご本尊は不動明王で、鎌倉時代の1229年関白近衛基通の孫・静基権
僧正により創建されました。
当初の紫野上野町から洛中の五辻通小川へ移転し、応仁の乱の戦地となったため、現在の岩倉に寺域を構えました。
実相院は昔から、岩倉門跡とか、岩倉御殿とも呼ばれています。
門跡寺院とはその寺院の住職を天皇家の血を引く方々が務められていた、格式の高い寺院のことで、代々皇室から大き
な支援を受けて栄えていました。とくに室町時代から江戸時代にかけては、天台宗寺門派では数少ない門跡寺院の随一
とされていました。
東側の借景式庭園、正面に比叡山を借景しております。
また実相院には、狩野派の画家たちの描いた襖絵等がたくさんあり、 普通では見られない素晴らしい作品が襖や戸、
障壁画として使われています。
書院から眺める池泉回遊式庭園、向こうに見える建物は、客殿です。
実相院は、床に映り込む紅葉で有名ですが、撮影禁止でカメラを構えたら監視カメラで見られており即座に注意のアナウンス
がありますので、ご注意ください。この写真は、絵葉書から撮ったもので、こんな感じに見えます。
クリックをお願いします。
ここ「八瀬」の地は、「矢背」とも記されるように、壬申の乱で背中に矢傷を負われた天武天皇(672~686)が「八瀬の釜
風呂」で傷を癒されてより、平安貴族や武士たちに「やすらぎ」の郷として愛されてきました。
喜鶴亭玄関
玄関に向かうエントランス
本願寺歴代門跡もしばしば訪れたと記録に著され、明治
の元勲三条実美公は、当時の庵に「喜鶴亭」と名付けて
直筆の命名額を下されています。
まず、玄関を入り受付を済ませますと、書院の二階に案内されます。二階に上がって最初に見える景色です。
正面に見える山裾を右手に進みますと大原の里につながります。
書院二階
書院二階から眺める瑠璃の庭です。
大正末から昭和の初めにかけて、一万二千坪の敷地に延二四〇坪に及ぶ数奇屋造りに大改築するとともに、自然を借
景とした名庭を造営されました。
建築にあたった棟梁は、京数寄屋造りの名人と称された中村外二、築庭は、佐野藤右衛門一統の作と伝えられます。
その後現在まで、日本情緒あふれる名建築・名庭として多くの人々に親しまれております。
時間的余裕のある方は、書院二階で写経をしていただく事ができます。
二階から降りてきて、釜風呂に向かいます。
八瀬の釜風呂 日本式蒸し風呂の原型であり半円形の釜の中に10数時間、青松葉や薪
などを燃やし、内部の土壁が充分に熱せられた頃合を見計らって火を引いて燃えかすを掃
除して、むしろを敷いて寝転がるお風呂です。
昔はこれほどの手間を掛け使用いたしましたが、現存する釜はボイラーを使用しているとの
事です。
書院、一階から見る瑠璃の庭
瑠璃(るり)の庭 瑠璃色に輝く浄土の世界を表わした当寺の主庭。数十種の苔のじゅうた
んをぬって一条のせせらぎが清らかに流れます。
瑠璃色とは、紫がかった深い青色。古くは薄青色と辞書には載っております。
瑠璃光院の名称のもとになった名庭です。 説明によりますと、高い木立のうっそうとした
深山に分け入って、ふと木立がとぎれ、泉が湧き、せせらぎが流れ、瑠璃色に輝く小宇宙
に出会う。この庭は、ある気象条件が整うと、深々とした苔が一瞬瑠璃の光をはなち、仏典
にいう瑠璃光浄土が現れる、とあります。
茶庵「喜鶴亭(きかくてい)」 茶室手前の縁側と庭園
建物が山の斜面に建っておりますので、喜鶴亭には階段で階下に下ります。臥龍(がりょ
う)の庭 天にかけのぼる龍を水と石で表した池泉庭園。眺める人の心を解放し、昇運の
兆しをもたらすと言われております。
喜鶴亭 茶室 三条実美公命名の由緒ある茶室。和敬静寂の精神を映す千家第六覚々斉原叟好みの佇まい。
臥龍(がりょう)の庭の座敷を挟んだ、裏庭です。
喜鶴亭玄関
一階玄関脇の銅鑼
入り口玄関前の池では、鯉が戯れる姿が見られます。水中で何度も回転している鯉が目を引きました。
瑠璃光院を出た後、近くの蓮華寺に寄って見ましたが、紅葉していたのが庭先だけでしたので、庭園の方までは入りま
せんでした。
蓮華寺を後にして、岩倉実相院に向かいます。
クリックをお願いします。
開基 徳川家康公となっております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/4c/0cfc6c040356990d472fa9869300785b.jpg)
1601年、徳川家康は国内教学の発展を図るため、下野足利学校第九代学頭・三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に
圓光寺を建立し学校といたしました。 一時期、相国寺山内に移った時期もありましたが、1667年に現在の地に移されま
した。伏見にあった頃の圓光寺は、足利学校の三要元佶(さんようげんきつ)閑室(かんしつ)を招き、文教事業に傾注し
ており、特に朝鮮から輸入した木版活字を使った書籍の出版活動をしていたことが有名です。圓光寺には今も伏見版木
活字52320個が残っていて、宝物館に陳列されております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/26/8472aee244b26140728c96a86d5cbe83.jpg)
右手に拝観受付があり、紅葉時以外は、無人になり志納金をおさめます。昨年までは夜間拝観もなされておりましたが、
今年は中止されております。強い光が当たるので、もみじが傷むのかもしれませんね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/3f/63b558dbbd97a49f203f3cd0609c7e70.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/14/bcb4dc20fcf721482ed2f1b94777f63f.jpg)
庭園入り口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/27/dffcf0b3b3182346f46581fd1a406c06.jpg)
水琴窟 京都の寺院には、ここの他に清水寺の成就院や大原・宝泉院や妙心寺・退蔵院、永観堂などにも水琴窟があ
ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/9d/29a5ea1234a166a69ea23c549e18502b.jpg)
竹筒に耳をかざすと、澄んだ音色が聞こえます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/6b/df7b74901bd3e463bf63807898d2ccff.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/12/ce238a43c27e7ed3e34ab26cd5e5d43e.jpg)
一輪の花に、おもてなしの心が表れていますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/fd/5372fe50ececf607d05a1779134473cd.jpg)
本堂から上がり、右奥の書院です。本尊は、伝運慶作の千手観音像が祀られております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/14/686e7f8632ad5a2461ff287443975f3c.jpg)
書院の北側庭園と茶室
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/fe/65b922128e8b07636c4f1dc1073a484b.jpg)
南側庭園の「十牛の庭」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/04/efa51b1f958938697cb59b915aabe0ed.jpg)
十牛図(じゅうぎゅうず)とは、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したも
ので、中国宋代の禅僧、廓庵(かくあん)によるものが有名です。
ここで牛は人の心の象徴とされ、またあるいは、牛を悟り、童子を修行者と見立てております。
1)尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。
2)見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。
3)見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。
4)得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。
5)牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。
6)騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。
7)忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。
8)人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の
自然な姿に気づく。
9)返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。
10)入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の
童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/86/63b6514e47ccbe3e3e7a8ba89c79fdbb.jpg)
十牛図を庭園で表した「十牛の庭」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/c6/2580771b151e69cbab3eb4490fdcb84e.jpg)
書院にある茶室
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/a8/9db9e85e928115eba59b5aefbbd83e8d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/54/0169f7f458385ea232770c9863b45b56.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/35/a1d21779d55df4c134a9e72b3e9e9f33.jpg)
書院の東側、十牛の庭の向こうに佇む蟠龍窟の坐禅堂。毎週早朝坐禅会が行われるそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/6a/cce95aa0ca358210b776d4ab6fa16880.jpg)
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蟠龍窟の前の昼寝する小坊主
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/b0/09e38372a0472524d23432e59f5e487b.jpg)
庭園の拝観順路に沿い進みますと蟠龍窟の南に鐘楼があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/7e/78b61586753bb3ab74e672b258013485.jpg)
竹薮を左に進みますと、徳川家康公を祀る東照宮がありますが、今回はパスいたしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/4e/95c11626e7893b6f8696b9a865c4c895.jpg)
庭園にある栖龍池(せいりゅうち)は、洛北一の古い池といわれております。水面に映り込むもみじが、あでやかです。
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左手の建物が宝物殿の瑞雲閣です。
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土地に建てた住居という意味だそうです。江戸初期の文人、石川丈山が隠棲した山荘であった詩仙堂は、丈山寺という
名の曹洞宗の寺である。
丈山はここに、『凹凸窠』十境を見立て最初の門を(1)小有洞の門と名づけました
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丈山は徳川家康の家臣で、90歳までこの山荘で悠悠自適の風雅な暮しをしたが、その一室の壁に、狩野探幽に描かせ
た中国の詩仙三十六人の肖像と詩があることから、いつからか詩仙堂と呼ばれるようになった。回遊式の庭は白砂とさ
つきの刈り込みが美しく、藤、花菖蒲、杜若、紫陽花、萩、山茶花など、四季それぞれに美しい花姿が見られる。快い竹
の音をひびかせる鹿おどしは丈山が発案者と考えられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/d1/9c03828db4892f27f55a8a8994e18c04.jpg)
小有洞の門をくぐると竹林に囲まれた参道を通って老梅関の門に向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/43/82a1134a88de729d54961dd73b3f2182.jpg)
入り口から竹林の参道を抜けると(2)老梅関の門があります。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/dd/2d1215b1ff8b446a5d73494e0e47fd70.jpg)
左の障子の奥が(3)詩仙の間で鴨居の位置に中国の詩仙三十六人の肖像と詩があります。更にその左の部屋が
(4)至楽巣です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/ab/6a8f1b376604328bb0edea6daeb00880.jpg)
玄関 靴を脱いで上がったところに参拝受付があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/3b/0f4f09002caf2f113989540b6d967da3.jpg)
詩仙の間からの眺めです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/d3/b5879a83bea96e0db1784c31db13db4f.jpg)
詩仙の間の西側の座敷です。観光客で縁側も一杯でしたが、一瞬皆さん移動されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/85/b489453809ea423959f28d2b4a8ca323.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/fe/e5ce1cad8a7d3a5c9fa1e3dd20017a26.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/f4/e0f7680b72fa6d37154f7b46c29a2a55.jpg)
詩仙の間と至楽巣の間の鴨居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/4b/d7eb9b40a98f4e5aece1717476fb08d2.jpg)
至楽巣から庭に出ることが出来、スリッパが用意されております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/1e/d7004be1031fb112eaf347f547cbec85.jpg)
至楽巣の脇にある(6)膏肓泉(こうこうせん)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/02/8f2554db9091cc8dafba22c5ade0628d.jpg)
庭園に下りてすぐ左手にある(8)洗蒙瀑(せんもうばく)蒙味を洗い去る滝と言う意味があ
るそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/49/0c15bbeb61e2710c2035f87f65d34aa8.jpg)
嘯月楼(しょうげつろう)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/d9/4e04b163c7187595c7152d2b47b21a8b.jpg)
快い竹の音をひびかせる「僧都(ししおどし)」は丈山が発案者と考えられております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/13/8886d802a37f58b850868a4554fa477f.jpg)
洗蒙瀑からの流水は(9)流葉はくを通り庭園の池に流れこんでおります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/b9/25591a9079ce0ae17d2d30b53f51de47.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/dd/9ff5a4db9962fad6013cad399e21af80.jpg)
庭園の西端にあるトイレの前の手水鉢
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/66/1ca74a88df5a45cd2c4d255e3dd989cc.jpg)
庭園南側
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/db/ce7921a2e0d8bf306295fce7dd8630e4.jpg)
百花の花を配したと言われる(10)百花塢(ひゃっかのう)の庭園
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/77/49a1a9714c6fbc73563b9205b344b69a.jpg)
百花塢(ひゃっかのう)の庭園にある残月亭茶室
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/d0/3de2cb918adc08bae2dcf3ed2aa05b70.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/47/ee4f088d9cd55fd116c06446fc0e7341.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/d5/0aceece066f6e3c9793fb48838ec1e52.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/30/d894ae9fdd68b40fe38c891e27a849a3.jpg)
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西塔からドライブウェイで横川に向かう途中に比叡山ドライブインがあり、展望台から琵琶湖が望めます。
ドライブウェイのもみじは、そこそこ紅葉しており見頃を迎えております。
横川の駐車場に車を停め徒歩で向かいます。 沿道には、親鸞上人や日蓮上人などの生い立ちから宗派を起こすまでの
様子が、紙芝居の様に描かれております。
駐車場から200メートルほどで龍ヶ池が見えてまいります。
龍ヶ池弁財天 弁財天が祀られており、大蛇が弁財天を守っていると言われるお堂です。
横川中堂(よかわちゅうどう) 龍ヶ池の向かい側に横川中堂の後姿が見えます。
横川は最澄上人の教えに従って、慈覚大師円仁が開いたといわれる場所で、 その円仁が
嘉祥元年(848年)に根本観音堂として創建したとされるのが横川中堂です。
横川の中心となるお堂で、総丹塗の舞台造りで、船が浮かんでいるように見えます。
横川中堂(よかわちゅうどう) 848年慈覚大師円仁によって開祖されましたが、昭和17年の落雷で全焼しました。昭和
46年の伝教大師1150年大遠忌を記念して復元され、 新西国霊場第18番の札所でもあります。
お堂の中央部に、慈覚大師作と伝えられる本尊・聖観音菩薩像が祀られています。
堂内には、本尊のほか数え切れないくらいの観音像が祀られております。
他の堂宇と同様、元亀2年(1571年)、織田信長による比叡山の焼き討ちにより、横川中堂も全焼したようでですが、豊臣
秀頼により再建されたといわれており、その後、昭和17年(1942年)に落雷により焼失、現存の堂は昭和46年(1971年)に
建造されたものです。
横川中堂の前を進みますと突き当たりの鐘楼を右に行けば恵心堂、左に行けば
四季講堂があります。途中には、西国三十三ヶ所の石佛が見られます。
鐘楼を右に進み恵心堂に向かいます。
恵心堂(恵心院とも) 入り口の石碑には、南無阿弥陀仏が刻まれております。
恵心堂 『往生要集』を著わし、浄土教の素地を作った恵心僧都源信が、初めて念仏三昧行を修した『念仏発祥の地』
という石碑が建っております。
ここは恵心僧都の旧跡といわれ、恵心僧都はここに籠もり仏堂修行と著述に専念し、浄土教の基礎を築いたとされてい
ます。
四季講堂(元三大師堂 がんざんたいしどう)慈恵大師・良源の住居跡で、康保4年(967)村上天皇の勅使によって四季
に法華経が論議されたことから四季講堂と呼ばれています。
角大師(つのだいし)の由来の石碑 世に厄病が流行していた永観年(994)疫病神が慈恵大師を襲いました。『逃げられ
ない因縁ならば』と大師は左の小指を差し出し、法力をもって厄病神を退散させました。
その後『厄病に苦しむ人々を一日も早く救わねば』と発心され、等身大の鏡の前で静かに観念三昧に入られました。
すると鏡に映った大師の姿は、恐ろしい鬼の姿に変わり、その姿を弟子に描き写させて、お札にし『これを戸口に貼れば、
厄病はもとより一切の厄災から逃れられる』と示されました。
それ以来『角大師』は、魔除けの護符として人々に頒けられています。
こちらのお堂でお札を求めることが出来ます。 祇園でも料理屋やお茶屋さんの玄関で見掛けることがあります。
元三大師堂を出てこの道を進みますと横川中堂の裏手に出ます。
根本如法塔 横川を開いた慈覚大師円仁が天長年間(824-832年)に法華経を書写し、これ
を如法堂に安置したとされています。以後、如法堂が横川における信仰の中心になったよう
です。 横川中堂の裏手を少し上ったところにあります。
龍ヶ池弁財天
駐車場に戻る道の脇に立てられているものは、親鸞上人と日蓮上人・道元上人の生い立ちを分りやすく説明した、立札
です。各宗派を開祖した方々も比叡山での修行の末、新しい道を切り開き歩まれました。
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西塔駐車場からの入り口です。東塔から車で5分の距離です。徒歩ですと20分ほど掛かります。
坂を下りた左側の社です。 この横に拝観受付がありますが、東塔ないし横川で参拝料を払ってられる方は、その参拝
券ですべて廻れますので、提示してください。
常行堂、法華堂と言う同じ形の二堂が、渡り廊下で繋がっており、俗に『弁慶のにない堂』と呼ばれております。
法華と念仏が一体であるという比叡山の教えを表し、法華堂では法華三昧の、常行堂では常行三昧の修行が行われます。
にない堂 弁慶ゆかりの地 西塔には力持ちの弁慶が常行堂と法華堂の渡り廊下をてんびん棒にして担いだという
伝説から『弁慶のにない堂』と呼ばれるようになりました。
弁慶は比叡山延暦寺に入り、自ら西塔の武蔵坊に住んだことから武蔵坊弁慶と名乗り、学問や仏修行より武芸が好き
であったと伝えられています。
釈迦堂 西塔の中堂で、正式には転法輪堂と言い、現在の建物は、信長の比叡山焼討ち後、秀吉が三井寺(園城寺)の
金堂を1596年移築して手を加えたと伝えられています。山内では最も古い建物で本尊は伝教大師御自作の釈迦如来立
像で、堂の名前もこれに由来しております。
仏足石の隣の階段を登りますと鐘楼があり、自由に撞く事ができます。
釈迦堂の屋根の高さにある鐘楼と石塔
浄土院 西塔駐車場から坂を下り左に行けば、今紹介しました、にない堂や釈迦堂があり
右に行きますと、(東塔方面)5分で浄土院です。写真は東塔から歩いてくれば見える浄土
院の正面門です。
浄土院 伝教大師の御廟所で、比叡山で最も清浄な聖域で、822年に入寂した大師は、この地に埋葬されました。
御廟を守る僧は侍真と称され、厳しく戒律を守り、12年間籠山の誓いをたてて行に励み、大師に仕えます。
白砂の前庭 毎朝掃いてもこの時期はすぐに落ち葉が散ってしまい、ご苦労が伺えます。
白砂の前庭の模様は、侍真僧の方がその日の気分で描かれるそうです。12年間毎日こな
される作業は、想像を絶するものだと思います。
本堂の右側から、奥にある御廟にお参りができます。
伝教大師御廟 浄土院、本堂の裏側に御廟があり、伝教大師が1200年間ここで眠ってられると思うと厳粛な気分になり
ます。
東塔方面に向かう道です。
にない堂(駐車場)方面に戻ります。
左の坂を上れば駐車場、右手の小屋が西塔の参拝受付です。 受付の前方には椿堂が見えます。
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比叡山 東塔 比叡山三塔の中心で、延暦寺発祥の地です。
比叡山の総本堂である根本中堂をはじめ重要な堂塔が集まっています。
今回も三面出世大黒天の60日に一度の甲子の法要が15日にあったのですが当日お参り出来なかったので、11日に前
倒しで行って来ました。
根本中堂 比叡山第一の仏堂で、宗祖伝教大師が延暦7年(788)に一乗止観院として創建したものです。
伝教大師が自ら刻んだと言われる秘仏薬師如来が祀られ、宝前には開創以来の『不滅の法灯』が1200年の時を超えて
輝き続けております。
伝教大師童子像 根本中堂の前に建っております。
宮沢賢治石碑 伝教大師童子像の奥にあります。
星峰稲荷 根本中堂の向かって右奥にあり文殊楼にもつながっております。
根本中堂前、文殊楼への階段です。
文殊楼 慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂にならって創建されました。重層和唐の混合様式の建築で、楼上に
は文殊菩薩が祀られております。
楼上に上る階段ですが、勾配がきつく上り下りに皆さん苦労されております。
文殊楼から東側の大書院の門を望みます。大書院の左手に宿泊施設の比叡会館があり、その先に琵琶湖が望めます。
文殊楼から見た根本中堂
秘仏「薬師如来」が祀られ、宝前には開創以来の『不滅の法灯』が1200年の時を超えて輝き続けております。凛とした
空気の中、何度訪れても気が引き締まる思いがいたします。
根本中堂から西に坂道を登りますと、鐘楼と大講堂があります。鐘楼の鐘は、自由に突く事が出来ますが、連打禁止の
張り紙もあります。
大講堂 昭和39年に琵琶湖側の山麓坂本の讃仏堂を移築したものです。
本尊の大日如来の左右には各宗派の祖師の木像が祀られ、外陣には釈迦を始め仏教・比叡山ゆかりの高僧の肖像画
が掛かっています。五年に一度の法華大会をはじめ、経典の講義などが行われる学問修行の道場でもあります。
大講堂前の手水鉢
鐘楼 皆さん列を作り撞いていかれます。
戒壇院 天台宗の僧が受戒するお堂です。戒壇院建立は伝教大師の入寂後に勅許がおり、第一世座主・義真のときに
創建されました。大講堂から法華総持院・阿弥陀堂に向かう坂道の途中にあります。
今回は、時間的な関係で法華総持院・阿弥陀堂へはお参り出来ませんでした。
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高台寺・圓徳院 秋の特別拝観とライトアップ。 期間は平成21年10月23日(金)~12月6日(日)です。
ねねの道に面する入り口の長屋門
桃山時代を代表する画家、長谷川等伯の襖絵「山水図」32面(重要文化財)を公開しています。圓徳院での公開はこれが
最後となります。
午前10時~午後9時30分まで受付/午後10時閉門(日没後ライトアップ)
圓徳院は、豊臣秀吉の妻、北政所ねね終焉(しゅうえん)の地です。その由来と関連年譜を紹介します。
(圓徳院ホームページより)唐門前に咲く石蕗(つわぶき)の花
豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長10(1605)年、
秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住みました。
それ以来、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化が、北政所を慕って訪れたと伝えられています。
ねね58歳の時のことです。 これが今日の圓徳院の起こりです。ねねは77歳で没するまで19年間この地で余生を送り、
ここは北政所の終焉の地となりました。 唐門を入ったところの豊臣秀吉好みの手水鉢
そのねねを支えていたのが、兄の木下家定とその次男の利房です。圓徳院は利房の手により、高台寺の三江和尚を
開基に、木下家の菩提寺として開れ、高台寺の塔頭とされました。寛永9年、ねねの没後9年目のことです。
今年のライトアップテーマは「こころの宙(そら)」。
方丈南庭園
方丈西側の小部屋
真新しい襖絵
方丈と政所窯の間の「ねねの小径」石塀小路に抜けられます。
方丈から渡り廊下で北書院の入り口へ。
北書院庭園
10日現在のもみじの色付き具合は、まだ三分と言ったところです。
茶室前の桧垣の手水鉢 宝塔の笠を利用し、笠石を横にして、その面を凹字形に切り取り手水鉢としたものです。
笠石は室町時代の作と考えられています。
平日の雨降りの9時過ぎに行きましたので、貸切状態で贅沢をさせていただきました。
雨が降っておりましたので、フラッシュが雨粒に反射してしまいました。
庭園を出たところの石碑ですが、暗くて読めませんでした。
庭園を出て右手(西側)にある三面大黒天神、三面とは(大黒天・毘沙門天・弁財天)が一体になった仏像のことです。
ねねの道から見た大黒天入り口、中には観光客に人気のある都路里のカフェもあります。
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願によって華厳宗寺院として開創された寺院と伝えられておりますが、実質的な開基(創立者)は、鎌倉時代の明恵上
人であり「鳥獣人物戯画」をはじめ、絵画、典籍、文書など、多くの文化財を伝える寺院として知られております。境内が
国の史跡に指定されており、また古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/a8/d1c8a8e68a9e439f74c77d5e492a2f88.jpg)
ここは、市営の駐車場があり従来、駐車場からすぐに登れる裏参道を登るのですが、今回は道路を少し神護寺側に戻っ
たところにある表参道から上がりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/20/8ff8ce7b47706877dfd8c7bd4620e042.jpg)
神護寺・西明寺に比べますと、表参道は大杉に覆われ、もみじが日陰になり太陽光を浴び
ていないため、この辺はまだほとんど紅葉いたしておりませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/6a/636ce81bd3d8ffd8953ab09619cbec4f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/0f/0b00466a99711b283832ed10d25841be.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/39/7ec4abb5939a870098ce00d24fca04f2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/84/309bc8762c5b8c57dac47c77c7524d6f.jpg)
金堂(本堂) 表参道の突き当たりで、境内の最深部にあり、現存の「金堂」は1634年に仁和寺から移し復興されたもの
といわれており、本尊の釈迦如来像が安置されております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/92/86ad345331530bdf6bb9f5dcdff0bab8.jpg)
金堂の左手奥に佇む宝塔
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/30/d423a262e1f913933ee45b08cc56efe9.jpg)
金堂の前の道を右手に進みますと、仏足石と明恵上人の御廟があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/d7/38be9ef73b1fb8564a8e7d2a3eb71706.jpg)
仏足石
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/ba/b0da54ebfb345fa8c26100bee9773693.jpg)
釈迦の足跡の形を刻んだ石で仏像の発祥以前に古代インドで行われた釈迦の象徴表現の一つです。中国の唐を経て
日本にも伝わり、京都では比叡山西塔・釈迦堂前や清水寺の大講堂にもあるそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/55/2698fb0ddf15e0c8143a80c234a290c4.jpg)
明恵上人御廟 明恵上人は高山寺、中興の祖として知られ、鎌倉時代前期の華厳宗の僧です。8歳にして両親を失い、
高雄山神護寺に文覚の弟子上覚を師として出家しました。仁和寺・東大寺で真言密教や華厳を学び、1206年、後鳥羽
上皇から山城国栂尾(とがのお)を下賜(かし)されて高山寺を開山し、観行と学問にはげみ戒律を重んじ、念仏の信徒
の進出に対抗し、顕密諸宗の復興に尽力し、法然の浄土宗を批判した『摧邪輪(ざいじゃりん)』『四座講式』の著作や、
40年にも及ぶ観行での夢想を記録した『夢記』などがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/2d/31830346c56384b88028da96fe0c1d22.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/44/06279a54c9f310f9d1c71455d9db3f7c.jpg)
開山堂 明恵上人晩年の頃の草庵禅堂院があった跡と伝えられており、堂内には「明恵上人坐像」が安置されております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/f3/5e6275f6d773163206fa63c16a4063ff.jpg)
このあたりに来ますと、日当たりも良く木々の色付きも徐々に深まってまいりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/41/a6f69514963babb07f6bb324c4037054.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/92/9a3fca8f1487c3e44dcc553be57e5afb.jpg)
昭和36年、菩提心の拠り所として開山堂横に聖観世音菩薩像が安置されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/c0/acfe306202a3d3910c21a62696280ba7.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/1b/3f2995dad3398aa0db0311ce44e68309.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/7a/9c541f9f8720172fbdb6263dbf1f554c.jpg)
石垣の上に、参拝者が積み上げた燈籠か宝塔に似た石積みが多数ありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/df/f8aaa5a89dd3637bdaa111621e2bd627.jpg)
階段を降りて行きますと、国宝の石水院の門が見えてまいります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/87/d3020debb4f0f3814bac74fcb4ff73c2.jpg)
昭和6年、明恵上人700年御遠忌記念として建てられた遺香庵茶室、拝観はされておりません。
遺香庵茶室の向かい側には、「日本最古」と伝えられる茶園があり、鎌倉時代初期に臨済宗の開祖栄西が、当時の中
国の南宋において種を得て、帰国後に明恵に贈ったものと伝えられており明恵はこれを初めは栂尾山に植え、その後宇治
やその他の土地に広めたと言われております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/67/bd39c0a042f2cc90d2882edeb030a3b4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/0d/9d32faf93092284303e3f0417acc7640.jpg)
高山寺には、他の寺院に見られるような大きな山門は無く、唯一石水院の入り口にこの門があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/98/92279b04397745eb41e662ab7aa10af4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/68/1676d6f249523589350e08dfdfc16c73.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/e3/6e4575a3c6d735ea602c7de861aef6ef.jpg)
門をくぐり突き当りの左手の客殿が参拝受付になっております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/8f/000d0b5f8cc7a8874403ec4cb8055ba0.jpg)
客殿に入りすぐの所にある茶席
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/74/10cdea9feff48c90f6191258e60910af.jpg)
受付を済ませ客殿を通り石水院に渡りますが、客殿との間にある中庭です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/4b/a4d0fc429c47f2eab6a692fc0f7fce3a.jpg)
「石水院」は杮(こけら)葺きの建物で、明恵上人が後鳥羽上皇から賜った学問所と伝えられ、また明恵上人の住房跡と
も伝えられております。外観は住宅風だが、本来は経蔵として造られた建物を改造したものと見られ、もともとは金堂の
右後方に残る石段の上に建っておりましたが、明治22年(1889年)に現在地に移築したものだそうです。 その当時の建
物としては、唯一の遺構とされております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/44/5455a7104421ddbce63c9717885ea4be.jpg)
善財童子(ぜんざい どうじ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/12/b35ac9b162b1ae5c4aa95c8ff659ac00.jpg)
善財童子(ぜんざい どうじ)は、仏教の童子の一人であり、『華厳経入法界品』に登場い
たします。 『華厳経入法界品』に於いて、インドの長者の子に生まれましたが、ある日、
仏教に目覚めて文殊菩薩の勧めにより、様々な指導者(善智識)53人を訪ね歩いて段階
的に仏教の修行を積み、最後に普賢菩薩の所で悟りを開くという、菩薩行の理想者として
描かれております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/19/c37aa18148db644d984f3dc6cc91e5b8.jpg)
石水院庭園
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/eb/05401f71a7c65bdc287e72779af7c44e.jpg)
明恵上人樹上座禅像(国宝)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/f7/be38bcef835031c5fcdd114bb63e598b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/25/6472ffadb43aee22016700c24d61b196.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/f5/a61d8b5f77eb2c7aa12fbf0f51434a53.jpg)
高山寺にある幾多の国宝の中でもっとも有名な絵巻物。鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)は、鳥獣戯画とも呼
ばれ、現在の構成は、甲・乙・丙・丁と呼ばれる全4巻からなり内容は当時の世相を反映して動物や人物を戯画的に描い
たもので、特にウサギ・カエル・サルなどが擬人化して描かれた甲巻が非常に有名であり、一部の場面には現在の漫画
に用いられている効果に類似した手法が見られることもあって、「日本最古の漫画」とも称されております。
紙本墨画鳥獣人物戯画 4巻すべてが国宝に指定されており、原本は東京と京都の国立博物館に所蔵されております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/f9/1fe26ba96cbc26cb5409473d2a89e4ef.jpg)
佛眼佛母(ぶつげんぶつも)像 国宝の縮小図
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/5a/a2e123d7140df977f97a6c670242c254.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/0e/a1b498cc74cc2f21213c170ef0816e44.jpg)
石水院の四隅の軒下に掛かっている風鐸(ふうたく)風鐸とは、堂塔の軒の四隅につり下げて飾りとする鐘形の鈴で青
銅製のものが一般的です。宝鐸とも呼ぶそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/f9/17b1078049f116d41ae42a29648f2e56.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/93/9766487447669dc6687e505d56af1e9c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/9e/6d996e94c6bd39d71318f9a110a09521.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/71/55349e7be900199f1a8c740983fac8ef.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/52/5922322a850ac32eed2a6e5f26b21f34.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/bf/08a7dd86488ffc7eebc33fb9efc5b3af.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/e2/378993aec18dd0d919a8ea922ed882fb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/7a/8cdfb38b3e2c6539c3099b9a992e005b.jpg)
清滝川に沿って走る周山街道(国道162号)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/e0/50d18b816d84aaa3eb73aec817cdbd04.jpg)
裏参道を降りてきた所にある茶屋、隣が駐車場です。50台は停められると思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/67/b853c1f27338e8cdf1595401da5baea7.jpg)
茶屋の裏手を流れる清滝川