西芳寺は、洛西の地に有り聖徳太子が創業されました。
1300年前に行基菩薩が開山し650年前夢窓國師が中興し林泉も大修復した鎌倉式庭園です。
庭園は、上下二段構えで、上段が枯山水式、下段は池泉回遊式庭園で中央の池は心字形をしております。
苔寺の名で有名なこのお寺は、予約制になっておりますので、往復葉書で一週間の余裕をもって、申し込んでください。
受付が済みますと、まず本堂にて住職と参拝者で般若心経を三度唱え、それが終わると写経に移ります。
写経の終わった方から、庭園の拝観へと移って行きますので、約一時間半の時間と三千円の拝観料が必要になれます。
〒615-8286
京都市西京区松尾町
西芳寺参拝係り宛 日時 人数 住所 氏名
075--391-3631
衆妙門
本堂は、昭和44年五月に五百年ぶりに建てかえられた物です。
少庵堂茶室 苔寺と言われるだけあって、庭園内には120種類もの苔で覆われており、庭師の方が広大な庭園内を黙々 と掃除されており、二人掛で一週間かかると仰ってられました。
湘南亭 庭園の南側に位置し、千少庵が建立した湘南亭です。
朝日ケ島
潭北亭
向上門
この階段を下ると庫裡へと続き庭園の終わりになります。
人物の写ってない写真を撮りたい方は、写経を早く済ませば一番に庭園に出ることができます。
嵐山 天竜寺の塔頭 宝厳院(ほうごんいん)
1461年聖仲永光禅師を開山に迎え、細川頼之によって創建され、創建時は上京区にありましたが、応仁の乱の時に兵火にあい焼失しました。
その後幾多の変遷を経て現在地に移転再興されました。
臨済宗 天龍寺派
庭園拝観は、春3月下旬より5月下旬までと秋は10月1日より12月中旬までです。
確認の上、覗ってください。
075-861-0091
獅子吼(ししく)の庭
この庭は、室町時代に中国に二度渡った禅僧策彦周良禅師によって作庭された名園で嵐山を巧みに取り入れた借景回遊式庭園です。
『獅子吼』とは仏が説法するの意味で、庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聴く事によって人生の真理、正道を肌で感じ心が大変癒される為の庭園です。
庭園入り口の蓑垣
苦海
須弥山を表す築山、その前に人生を思わせる『苦海』(空池)が広がり対岸には『雲上三尊石』が有り海の中には此岸より
彼岸に渡る舟石、仏の元に渡る獣石が配置されています。
無毘庵茶席
入り口の受付でお茶券を求めれば、無毘庵の茶席でお抹茶が頂けます。
策彦禅師が命名したとされる『碧岩』
豊丸垣
獅子岩と豊丸垣
庭園内には何種類もの苔が見どれも色鮮やかで目を癒してくれました。
可憐に咲いてたホトトギス。花言葉は『永遠にあなたのもの』だそうです。
誰かに囁かれてみたい言葉ですね。
茶室 青嶂軒と蓑垣
四条通の西の突き当たりに有る松尾大社は、京都最古の神社として古くから洛西の総氏神として崇敬を集めております。
太古この地方一帯に住んでいた住民が、松尾山の神霊を祀って生活守護神としたのが起源といわれております。
五世紀頃、朝鮮半島から渡来した秦氏がこの地に移住し山城・丹波の地を開拓し農林業を興し同時に松尾の神を氏族の総氏神と仰ぎ、文武天皇の701年には山麓の現在地に社殿を造成されております。
現在では、特に醸造の祖神として、全国の酒造家、味噌、醤油、酢等の製造及び販売業者から格別な尊崇を受けています。
拝殿
酒の神様が祀ってあるだけに京都酒造組合からの奉納と読める手水場が境内にあります。
神興庫の酒樽
全国の酒造家より奉献された樽の数々結構知っている酒蔵の樽がありました。
拝殿の奥に本殿があります。
701年に最初の社殿が現在の地に建てられたそうですが、現在の物は、室町初期1397年建造、1542年に大修理を施した
物だそうです。
皇室との関わりを表す菊の御紋があちこちで見かけられました。
本殿北側の庭園入り口です。
曲水の庭
神社がもっとも栄えた平安期を表現した庭で御手洗い川の清水は七曲りして丘麓を洗い、丘上には青石が点在してこれを
見下ろす優雅にして華麗な姿です。
この庭園は、昭和の庭園学の第一人者重森三玲氏の作品で明治以降における現代最高の芸術的作品として知られます。
三つの庭園に使用されている石全ては、徳島県吉野川の青石(緑泥片岩)だそうです。
昭和50年に完成されました。
この角度から見ますと、ツツジの部分が亀の甲羅で頭と手がちゃんと見え、川に遊ぶ亀の様子を表しているとの説明を
していただきました。
川の中に配置されている石は盃を流している様子を表しているそうです。
熊笹に囲まれた中に、御祭神に見立てた男神と女神が有ります。
左上に見える宝物舘に居られた案内のおじさんが実に詳しく説明してくださいました。笹は60年で枯れるそうで、枯れる
前に白い花を咲かすそうです。現在植えてある笹も二代目だそうです。
宝物舘の中には、御祭神が三体展示されており、これも大変詳しく説明していただきました。壁面には古文書の写しが、
向かって右から織田信長朱印状(1577)徳川家康朱印状(1615)など5人の物が描かれてます。
宝物舘の裏手を回ると、霊亀の滝が有りその下に神泉亀の井という霊泉があります。
酒造家はこの水を酒の元水として造り水に混和して用いるそうです。また延命長寿、よみがえりの水としても有名だそうです。
昔、中国の人が、東海中に不老不死の島有りと考えたのが、蓬莱の島です。岩の間から噴出する水が鶴形の池に注ぐ
ところ、多くの島が点在し、周囲を回遊しながら眺めると、仙境に遊ぶ感がすると言われているそうです。
京都・洛西の人気寺
正式名は妙徳山・華厳寺です。1723年華厳宗の再興の為に鳳潭上人が開創されました。
現在は、臨済宗の禅寺です。
秋に鳴く鈴虫の音を聞いて開眼なさった台厳和尚が鈴虫の妙音を皆様にも聞いていただきたいという思いから研究を重ね、今では一年中、鈴虫の音を聞けるようになったそうです。
鈴虫寺の由来はここから来ているそうです。
幸福地蔵菩薩にお願いをしている参拝者。
女性のお客さんの姿が特に目に付きました。
説法を聞き幸福地蔵菩薩のお参りの仕方とお願いの仕方を教えていただきながら、お茶とお菓子をいただき、鈴虫の音色を楽しめます。
説法が始まったり、2百名の定員が埋まってしまうと少々待つことになりますが、皆さん説法を楽しみに来られているみたいです。
本堂で説法を聞いた後、御守を求め庭園を拝見したのち、お地蔵さんの前で、両手に御守を挟み名前・住所・願い事をお願いします。
但し、願い事は一つだけで出来るだけ具体的にお願いするのがいいそうです。
説法の中で、正しい拝み方を説明して下さいます。
願いが叶った方は、ご自身でお礼に来られるか、郵送で御守を返す事も出来るそうです。
詳しくは、お寺のホームページをご覧下さい。
http://www.suzutera.or.jp/index.html
黒竹や珍しい金明竹などが有りました。 庭園は小さいので五分で回ることが出来ます。 駐車場もあり車があれば嵐山からも近いです。
年間400万人の参拝者を誇る清水寺で今、御本尊御開帳が行われております。
期間は、平成20年9月1日~11月30日までと
21年3月1日~5月31日までとなっております。
本来は、33年に一度しか御開帳は行われませんが、この度は西国三十三所観音霊場巡りを中興された花山法皇様の一千年大遠忌にあたる平成二十年に、三十三所の観音霊場がこぞって、御慶賛の秘仏御本尊を御開帳することになりましたので、清水寺でも他の霊場とともに、今回、特別に御開帳することとなり、上記の期間中御開帳なされてます。
清水寺発行の御本尊御開帳パンフレットより
清水寺ホームページ http://www.kiyomizudera.or.jp/
御本尊特別御開帳
御開帳とは、寺院で通常は、お厨子(ずし)の中に秘仏として安置されている御本尊を、特別の期間、お厨子の扉を開き、
ご参詣くださる人々に拝観していただき、悟り・成仏の因縁を結んでいただく、ありがたい行事を言います。
お厨子の扉を開くため、御開扉とも言います。
清水寺では、観音菩薩が衆生の身の上に応じて、三十三身に姿を変え、悩み苦しむ衆生をお救い下されると説かれて
いる『観音経』に基づいて、御本尊の十一面千手観音様を三十三年に一度、御開帳する習わしで、平成十二年に
御開帳されました。
清水寺 御本尊御開帳パンフレットより
雷神 清水型十一面千手観音像 風神
清水寺のご本尊は、本堂内々陣の国宝須彌壇(しゅみだん)の中央に安置されているお厨子内に、秘仏として祀られており、普段は厨子
前に立つ御前立ち像を拝みます。
一般の四十二臂千手観音像と違い、二臂を高々と頭上に挙げ、組んだ掌の上に一体の小如来化仏を戴く、清水寺独特の『清水型』という
お姿で、衆生を一人残らず救い尽くして成仏させようという、殊勝な大悲救世の誓願を表明されておられます。
なお、左右に脇侍地蔵菩薩・毘沙門天、二十八部衆と風神・雷神を従えます。
写真は、御前立ちの像
御本尊の脇を固める毘沙門天と二十八部衆 現実に見た本物は、迫力に溢れ圧巻されまた。
御本尊を参拝し出てきたところに大黒さんが居られます。 今年何十年か
振りに塗り直されたもので、美しく輝いて居られました。
縁結び地主神社
清水寺の中にありますが、全然関係の無い神社だそうです。
石と石の間何メートルかを目を瞑って歩いて片方の石にたどり着けば、その人と縁が結ばれると言われており、若い
女性で賑わっております。
阿弥陀堂と奥之院の間を入り奥之院の裏手に『ぬれ手観音』様がひっそりと佇んでおられます。
手前にある蹲(つくばい)で柄杓に水を汲み観音様に掛けてから願い事を致します。
とても綺麗で優しい顔をされている観音様で清水の中でもとても強い『気』が集まっている場所だそうです。
是非一度、お参りしてみてください。
誰かに案内いただかないと、見過ごしてしまいそうなところでした。
私も何度もお客さんや友達を連れて行きましたが、今回初めて存在を知りました。
案内していただいた方に、いろいろと説明をしていただき大変感謝いたしております。
ぬれ手観音
柄杓でお水を掛けてあげ、正面から拝んでください。
奥之院南側に祀られている夜叉神
ぬれ手観音様をお参りして、奥之院の裏を回ってくると建物の南側に『夜叉神』が祀られております。
夜叉神は、良縁を結び悪縁を絶つと言われておりますので、是非悪縁を絶ちたい方はお参りしてみて下さい。
この神様も今回始めて教えていただきました。
皆様にも良縁が訪れますよう、お祈り申し上げます。
奥之院を一周回って表に回りますと、『ふれ愛観音』様がおられます。
この観音様は、目の不自由な方にも手で触れていただき観音様をじかに感じていただこうと言う物です。
何とも愛くるしい観音様で温かみが伝わってまいりました。
作者は、元東京芸大の名誉教授、故西村公朝さんだそうで、日本の仏像修復の専門家だった方です。
北総門
この石碑は、成就院の北総門の内側に有り幕末に成就院の和尚をなされていた月照和尚と弟の信海和尚の辞世の
句と両名と関わりの有った西郷隆盛が、和尚が亡くなられた後に詠んだ追悼の句が刻まれております。
石碑前を通り坂を下って成就院に向かう右手にお地蔵さんが多数佇んでおられます。
このお地蔵さんは、お寺の境内に散らばって居た物を、明治期にこの場所に集められたそうです。
赤い前垂れは、年一度手作りで換えてくださる方が居られるそうです。
成就院玄関
成就院は、清水寺の塔頭の一つで室町時代、応仁の乱の兵火にあった
清水寺を復興した願阿上人よって創建され、以後、清水寺の本願職を
伝統している所です。
現在の建物は、徳川家光が1639年に再建したものです。
庭園は、相阿弥原作・小堀遠州の補修とも、松永貞徳の作とも伝えられる江戸時代初期を代表する名園で、
『月の成就院庭園』賞されております。
豊臣秀吉から献上されたと言われるつくばいです。
先日伺った時に掛けられていた、お軸です。
年二回の法要の時に掛けられるそうで、『山姥』(やまんば)は、邪気を祓っ
てくれるそうです。