京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

木津川 岩船寺 紫陽花 6/29/2011

2011年07月07日 | 洛外 山城方面

      

      京都市内から車で約1時間、50kmにある岩船寺(がんせんじ)は京都府木津川市加茂町に位置し、真言律宗の寺院です。山号は高雄山(こうゆうざん)

      と号し、 開基は行基と伝えられておりまする。アジサイの名所として知られ「アジサイ寺」とも呼ばれる境内には、30種5千株の紫陽花が咲き誇ります。

      岩船寺の名は門前にある岩船(いわふね)にちなむと説明されております。

 

 

 

 

      

      岩船寺は京都府の南端、奈良県境に近い当尾(とうの)の里に位置すますが、この地区は行政的には京都府に属しますが、地理的には奈良に近く、

      文化的にも南都の影響が強いとされているところです 。浄瑠璃寺にも近く付近には当尾石仏群と称される鎌倉時代を中心とした石仏(多くは自然の

      岩壁に直接刻んだ磨崖仏)や石塔が多数残り、その中には鎌倉時代の銘記を有するものも多いそうです。当尾には中世、都会の喧騒を離れて修行

      に専念する僧が多数居住し、多くの寺院が建てられたと言われ、今に残る石仏・石塔群はその名残りであるといわれております。

 

 

 

 

 

      

      岩船寺は寺伝によりますと天平元年(729年)に聖武天皇が出雲の国不老山大社に行幸の時、霊夢によって、この地に阿弥陀堂の建立を発願し大和

      国善根寺に籠居しておられた、行基菩薩に命じて建てられたことに始まります。その後、平安時代初期の806年に弘法大師空海と甥の智泉(ちせん)

      大徳が阿弥陀堂において、伝法灌頂(密教の儀式)を修せられたため灌頂堂となりました。 

 

 

 

 

               

               806年智泉大徳は、新たに報恩院を建立され、さらに813年には嵯峨天皇が智泉大徳に勅命して皇子誕生を祈

               念され、後の仁明天皇を授かったので、嵯峨天皇の皇后が皇孫誕生の事もあって堂塔伽藍が整備、その時に寺

               号も岩船寺と改められました。 以上はあくまでも寺伝であり、中世以降の火災で古記録が失われているため、

               草創の正確な時期や事情ははっきりしていないもようです。  

 

 

 

 

 

      

      最盛期には四域十六町の広大な境内に三十九の坊舎があり、その威容を誇っておりましたが、承久の変(1221年)によって大半が焼失し、その後再

      興された堂塔も再度の兵火よって次第に衰え、江戸時代初期の1624年には本堂、塔、坊舎、鎮守社等の十棟程度になっておりましたが、当時の住

      僧文了律師がこの荒廃ぶりを嘆き自ら世上に出て訴え続け、ご勧進と徳川家の寄進とにより本堂や本尊の修復を成し遂げられたと云われております。

      その当時には興福寺の末寺であったそうです。

 

 

 

 

 

      

      その後、江戸時代の本堂も老朽化のため本堂再建事業により昭和63年四月に落慶し現在に至っております。 なお現在は関西花の寺第十五番札所

      に指定れております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       御本尊の阿弥陀如来坐像を祀る本堂

 

 

 

 

 

      

      本堂前の山側(東側)に建つ地蔵堂 

 

 

 

 

 

               

               地蔵堂の右手に佇む石宝の不動明王像 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      厄除け 地蔵菩薩 石造 鎌倉時代

 

 

 

 

 

 

      

      かしわば紫陽花と五輪石塔 鎌倉時代

 

 

 

 

 

      

      山門 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

       本堂に祀られる、本尊阿弥陀如来坐像の像内には天慶9年(946年)の銘があり、この像が当初から岩船寺の本尊であったという確証ありませんが、

      「岩船寺」の存在を示す最も古い記録は、寺の西方にある岩船不動明王磨崖仏(通称一願不動)の銘記で、そこには弘安10年(1287年)の年記ととも

      に「於岩船寺僧」の文字がみえます。 

 

 

 

 

             

             本尊阿弥陀如来座像  (平安時代)重要文化財  天慶九年(946) 作者 行基 本尊の周りを固める四天王立像は、

             鎌倉時代の作で東に持国天(右奥)、南に増長天(右手前)、 西に広目天(左手前)、北に多聞天(左奥)が配されており       

             ます。 阿弥陀如来坐像は、高さ2.4メートルという大きなもので、一本の榧(かや)から掘り出されています。胎内には経

             文などの銘文があり、その中に、「天慶九年丙午(946)九月二日梵字奉書」という銘文があったことから、貞観彫刻の重

             厚さと和様という日本的な美術表現をもつ過渡的な仏像として、美術史上の基準される仏像で、紅色の彩色が残る衣が

             古様を示しています。 

 

 

 

 

                 

             本堂には、その他にも普賢菩薩騎象像(左)が厨子に入って安置されています。普賢菩薩像は平安時代に造立されたもの

             で、像高三九・五㎝の可愛らしい坐像で、菩薩像が乗っている白象は、後世に補われたものです。 右側は、釈迦如来坐像

             です。

 

                                   

              十一面観音像 (鎌倉時代)                   薬師如来像   (室町時代)

 

 

               

              十二神将像の一部、頭上には十二支が一体づつ乗っております。      不動明王像  (室町時代)

 

 

 

 

 

      

      三重塔 825年智泉大徳入滅後、十年を過ぎて847年に仁明天皇が智泉大徳を偲んで宝塔を建立されたものと伝わります。 鎌倉時代に再建され、

      現存する塔には  「嘉吉二年(1442)五月二十日」の銘があります。 岩船寺の山門をくぐると、正面の奥まった高台に朱塗りの色鮮やかな三重塔が

      建っています。表面は板壁、初層は心柱や四天柱がなく、 中央に須弥壇を設けて二本の来迎柱を配置する構造で、室町時代の特徴を示しています。

      初層内部には壁画が描かれていて、近年の修理の際扉絵も含め復元されました。

 

 

 

      

      本堂と三重塔の間にある阿字池  阿字池とは阿弥陀如来の種字すなわち梵字の阿字を顕していると言われます。池の形を梵字の「阿」に見

      立てた命名で、密教的解釈による池の名称だそうです。

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

       

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

               十三重石塔 1314年に妙空僧正の造立と伝えられ、軸石のくぼみの中から水晶の五輪舎利塔がみつかってお

               り、高さ6.2メートルで、切石で造られた方形の基壇から相輪まで完全に残る珍しいもので、重要文化財に指定さ

               れています。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

               阿字池

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

       三重の塔前に咲いてた未央柳 (びょうやなぎ)別名(美女柳(びじょやなぎ)や、美容柳(びようやなぎ)とも呼ばれるそうです。

 

 

 

 

 

      

      三重塔の南側には、紫陽花園が広がり、その中に鐘楼が建ちます。 

 

 

 

 

 

       

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      報恩の鐘 生かされていることに感謝し、真心をこめてお撞き下さい。 合掌とあります。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      中央は桜の木です。 

 

 

 

 

 

      

      藤棚で見つけた藤の実、中の豆を出して炒って食べると美味しいとの事ですが、経験が無いので今度試してみたいと思います。    

 

 

 

 

 

      

      ベンチもあり、ゆっくり休憩も出来るのですが、6月末の炎天下では座っている方は居られませんでした。 桜や紅葉の季節ならいいかもしれませんね。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

      三重塔の西側の歓喜天(聖天)を祀る社、岩船寺は、聖武天皇をはじめ各天皇の祈願所として世にしられており、その後の高僧平智僧都が心願成就

      祈願のため歓喜天を祀って以来七百有余年霊験有って今も商売繁盛、招福、結縁を願う人々のよりどころになっております。 

 

 

 

 

 

               

               歓喜天の前に山道があり貝吹岩という案内板が出ており、暑かったのですが、この日は時間に余裕があったので、

               恐る恐る進んでみました。 

 

 

 

 

 

               

               貝吹岩までの距離や所要時間が書いてなかったので、途中で引き返そうかと悩みましたが、約5.6分で目的地

               に到着しました。 

 

 

 

 

      

      眼下に広がる景色を見たとたんに、暑さと息切れが飛んで行ってくれました。 

 

 

 

 

 

      

      貝吹岩 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

         

      岩の向こう側は、断崖絶壁になっており、岩の上に乗って法螺貝を吹く気にはなりませんでした。 

 

 

 

 

 

      

      歓喜天の社まで戻ってまいりました。今までいろんな寺院を回ってまいりましたが、三重の塔を上から眺められる所はなかったように記憶しております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      三重の塔の各階の四隅に天邪鬼が、鎮座しております。 

 

 

 

 

 

               

               相輪  お寺の多重塔の天辺には相輪と呼ばれる飾りがあります。塔(仏塔)というのは元々、お釈迦様のお墓で

               インドではそれをストゥーパと呼びます。 相輪の一番下の部分から花の形をした受花(うけばな)の上には大抵

               の相輪は9つの輪が乗り、それを九輪(くりん) と呼びます。さらに九輪の上には水煙(すいえん)という相輪の中で

               も最も華やかな飾りがあります。水煙は本来、火炎を意味しているそうなんですが、塔が燃えてしまうと困るので

               あえて水煙という名前がついているそうです。九輪と水煙には小さな風鐸(ふうたく)、つまり青銅製の風鈴がつい

               ています。相輪によっては風鐸がつかないものもあります。そして水煙の上には二つの玉があります。下側の玉

               は竜車(りゅうしゃ)、上側は宝珠(ほうじゅ)と呼ばれております。

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

      天邪鬼(あまのじゃく)は、「天探女(あまのさぐめ)」という悪神の名前が転訛したといわれ、人の心の内を探り意に逆らうという、ひねくれた神であった

      そうです。また、仏教では「あまのじゃく」を人間の煩悩の象徴としております。 東寺の五重塔にも居りますが、仏教的にはいつも反対ばかり言う、天邪

      鬼にお釈迦様が 罰として「家の守り神」にしてしまったという説があります。 お釈迦様が天邪鬼に素直な心をもちなさいという教えなのでしょう。

 

 

 

 

 

               

               三重塔から阿字池を左手に進み本堂前に戻ります。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      本堂南側の身代わり地蔵さんです。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

               本堂前の沙羅双樹(夏椿) 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      山門前にある石風呂は、鎌倉時代に三十九あった寺塔の僧侶が身を清めたという風呂だそうです。 

 

 

 

 

 

      

      浄瑠璃寺まで2kmの距離なので、途中の石仏を回りながらお参りなされる方が多数おられました。 駐車場有。 電車の方は、JRの加茂駅からシャ

      トルバスが運行されているようです。 

 

 

 

 

 

 

  このブログを見ていただいているお客様も多数お越しいただき、大変ありがたく思っております。時間の許す限り随時更新を続けていきたいと思っております。

  私もまだまだ行ったことのない寺院が沢山ありますので、リクエストがございましたら、是非伺いますので遠慮なく仰ってくださいませ。  

  祇園 割烹 ふじ原 ホームページ  http://kappou-fujiwara.com/ 

 

 

 

 

 

 

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木津川 浄瑠璃寺  06/28/2010

2010年07月04日 | 洛外 山城方面
           浄瑠璃寺は、京都市内から奈良方面に45㌔走ったところにあり、京都府木津市に位置しておりますが、地理的には奈良
           の平城京や東大寺の法が近くにあります。浄瑠璃寺の所在する地区は当尾(とうの)の里と呼ばれ、付近には当尾石仏
           群と呼ばれる、鎌倉時代にさかのぼる石仏、石塔などが点在しております。






           
           駐車場から参道を進んでまいりますと、左手に古寺を使った蕎麦や甘味がいただける店があります。趣きがあるので覗い
           てみましたが、なかなかいい雰囲気のお店でした。







           








           








           
           お店の前では、向かいの畑で採れた野菜が売られておりました。帰りに通りました時には、胡瓜は完売しておりました。








           
           山門 浄瑠璃寺の起源や歴史につきましては、当寺に伝来する『浄瑠璃寺流記事』(じょうるりじるきのこと)という14世紀
           の記録が唯一のよりどころであり、それによりますと、当寺は永承2年(1047年)、当麻(たいま、現・奈良県葛城市)の僧・
           義明上人を開基(創立者)、阿知山大夫重頼を檀那(後援者)とし、薬師如来を本尊として創建されたものであるとしるされ
           ております。






           
           山門をくぐり左手にあります鐘楼です。 義明上人、阿知山大夫重頼の2人の人物については、詳しいことはわかってい
           ないそうですが、重頼氏は地元の小豪族であろうと推定されております。








           
           後でも登場してまいりますが、境内では何匹もの猫に遭遇いたしました。 








           
           浄土式庭園の中央に位置する池です。左手(東方)に三重の塔、右手(西方)に本堂が配置されております。当寺は、中
           世から近世にかけては興福寺(奈良・南都七大寺)一乗院の末寺であったが、明治初期、廃仏毀釈の混乱期に真言律宗
           に転じ、奈良・西大寺の末寺となっております。







           
           池の中央に弁財天を祀る中島があります。 「真言律宗」とは、大和西大寺を総本山に大和・山城・伊賀・河内をはじめ四
           国・九州まで広がっている奈良仏教の宗派で、いわゆる西大寺流を伝える宗派のことだそうです。









           
           本堂 浄瑠璃寺は九体阿弥陀如来を安置する寺として知られておりますが、創建当初の本尊は薬師如来であったとされ、
           九体阿弥陀如来を安置する現・本堂の建立は創建から60年後の嘉承2年(1107年)のことであったそうです。1つの堂に
           9体もの阿弥陀如来像を安置するという発想は「九品往生」(くほんおうじょう)思想に由来いたします。






           
           石燈籠 本堂と対岸の三重塔の前に建つ燈籠は、阿弥陀仏と薬師仏のお光です。







                          








                     
                     猫の横では、可憐な額紫陽花が咲いておりました。







                          
                          







                     
                     拝観の受付をすませ、本堂に入ります。







           
           本堂への入口は裏側から周り、南側から入ります。








                     
                     南側の縁側では、人馴れした猫がピクリとも動かず涼んでおりました。ちなみにこの日は、
                     今年の京都の最高気温の34、5度を記録しておりました。







                     
                     本堂を入ったところに建つ四天王像の内の二体 手前、持国天と増長天です。(国宝) 堂
                     内は撮影禁止のためパンフレットから転載いたしました。四天王像の四体のうち広目天は
                     東京国立博物館、多聞天は京都国立博物館に寄託されております。








            
           九体阿弥陀如来像(国宝) 1つのお堂に9体もの阿弥陀如来像を安置するという発想の「九品往生」(くほんおうじょう)」
           とは「観無量寿経」に説かれる思想で、極楽往生(人が現世から阿弥陀如来のいる西方極楽浄土へと生まれ変わると
           き)のしかたには、人間の努力や心がけなど、いろいろな条件で下品下生からはじまり、下の中、下の上と最高の上品上
           生まで九つの往生の段階があるという考えから、九つの如来を祀っておられます。









                              
                              阿弥陀如来中尊像 中尊は右手を上げ、左手を下げる来
                              迎印、他8体は膝前で両手を組む定印(じょういん)をそれ
                              ぞれ結んでおられます。


           









                     
                     九体阿弥陀如来像の北側に安置されている不動明王三尊像は、元護摩堂の本尊でした。
                     力強い表情、鋭い衣紋の彫り、玉眼の光、見事な迦楼羅光景など鎌倉時代の特徴をよく顕
                     した秀像といわれます。向って右にやさしい矜羯羅童子(こんがら童子)、左に智恵の杖をも
                     った力強い制多迦童子(せいたか童子)を従えております。








                     
                     本堂前の手水鉢 1296年の刻印が残っているそうです。 池をはさんで、東側には三重塔
                     がありますが、残念ながら現在修復中で、今年いっぱいは見ることが出来ないそうです。






           
           鉢の中には、可愛らしい睡蓮の花が咲いておりました。







           
           本堂前を通り池を回り三重塔(此岸)に向かいます。







           








           








           








           








           








           
           本堂は、当時、京都を中心に競って建立された九体阿弥陀仏を祀るための横長のお堂で、現存する唯一のものです。
           太陽の沈む西方浄土へ迎えてくれる阿弥陀仏を西に向かって拝めるよう東向きにし前に浄土の池をおき、その対岸から
           文字通り彼岸に来迎仏を拝ませる形にしたものです。宇治の平等院も同じ形式になります。
           九体阿弥陀仏の一体一体の如来が堂前に板扉を持ちます。






           
           三重塔の前の薬師如来像のお光の燈籠には、鎌倉・南北朝時代の1367年の刻印があるそうです。







                     
                     修復中の三重塔には、東の本尊の薬師如来像が安置されており、この像は九体阿弥陀仏
                     より60年前に造顕されたこの寺のはじめのご本尊とされております。遠い昔から積み重ね
                     られてきたいろいろな力を私達に持たせてこの現実へ送り出し、さらに現実にある四苦八苦
                     をのりこえる力を薬としてあたえてくれる仏さまで、太陽の昇る東にいて遣送の如来ともいい
                     ます。






                            







                                 







            
            山門横の鐘楼







           








           








                     








           
           炎天下、灼熱の車へと戻っていきます。







           
           駐車場横のお土産やさん 信楽が近いこともあり陶器の焼き物が多数並べられておりました。







           








           








           

















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