京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

東福寺塔頭 天得院・芬陀院 2009/07/10

2009年07月26日 | 洛南 東山 東福寺方面

      東福寺塔頭の天得院は桔梗とスギゴケの美しい小さな寺で、創建は南北朝時代、東福寺住持無夢一清(むむいつせい)
      で臨済宗東福寺五大塔頭の1つです。1614年に文英清韓(ぶんえいせいかん)長老が住持となりましたが、清韓は、
      豊臣秀頼の請に応じ方広寺の鐘名を撰文いたしましたが、その銘文中の「国家安康、君臣豊楽」の文字が徳川家を呪詛
      するものとして家康の怒りを招き、寺が取り壊されれる運命となり、現在の堂宇は1789年に再建されました。

      



               
               山門前に佇む慈母観音像。 本堂奥には保育園も経営なされております。








      









      
      南庭園 丁度桔梗の花が満開を向かえすぎ苔の庭園に彩を添えておりました。








               
               正確には解らないそうですが、樹齢300年位と言われている軍鶏檜葉(しゃもひば)と言う
               ヒノキ科の樹だそうです。








      









      









               
               華頭窓より西庭の眺めです。








      









               
                西庭園の奥には、精進料理が食べれるお座敷があります。







      









      









      
      芬陀院(ふんだいん) 天得院の南側に位置する雪舟庭園で有名なお寺です。
      1321年~1324年に時の関白であった一条内経(うちつね)が東福寺開山・円爾(聖一国師)の法孫にあたる定山祖禅
      (じょうざんそぜん)を開山として創建され、以後、今日まで一条家の菩提寺とされております。










      









      









      
      左手大玄関の手前が参拝受付です。








      









      
      画聖として知られる雪舟が作庭したと伝わる枯山水庭園で、元禄と宝暦の火災などにより一部荒廃しましたが、昭和12
      年(1937年)に重森三玲により復元されました。










      
      南庭 1460~68年に作庭されたと認められており、様式は禅院式枯山水庭園で京都で最古の枯山水庭園のひとつです。
      左側の鶴島は折鶴を、右の亀島は二重基檀により亀の姿を表現しております。








      









      









      









      









      
      東庭は重森三玲が復元に携わった時に作られたものです。こちらの庭園にも亀島と鶴島が配されております。 庭の奥
      に見える茶室は昭和44年に再建された恵観堂です。








                
                恵観堂の西側にある茶室








               
               茶室北側の坪庭








      
      恵観堂から東庭の眺めです。








      









      









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臨済宗大本山 東福寺 2009/07/10

2009年07月24日 | 洛南 東山 東福寺方面

      大本山 東福寺は摂政九条道家が、奈良における最大の寺院である東大寺に比べ、また奈良で最も盛大を極めた興
      福寺になぞらえようとの念願で「東」と「福」の字を取り、京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。
      1236年より1255年まで実に19年を費やして完成しました。

      工事半ばの1243年には聖一(しょういち)国師を開山に仰ぎ、まず天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備しましたが、
      1319年・1334年・1336年と相次ぐ火災のために大部分を焼失しました。





      








      
      三門は空門・無相門・無作門の三解脱門の略で南都六宗寺院の中門にあたります。東福寺は新大仏と呼ばれるような
      巨大な本尊を安置するなど南都二大寺に影響を受け、この三門は大仏様(天竺様)、禅宗様(唐様)、和様をたくみに組
      み合わせた建造方式となっています。





      









      
      仏殿(本堂) 1881(明治14)年焼失後、1934(昭和9)年再建。起工から竣工まで17年を要し復興させた昭和の木造
      建築中最大の建物です。






      









      
      経蔵 三門、禅堂、東司などとともに旧観を残す宝形造りの瀟洒な建造物。 開山の聖一国師(円爾弁円)は宋からの
      帰朝の際一千余りの典籍を持ち帰り、我が国文教の興隆に多大な貢献をしました。当寺には今なお、宋代の書跡や貴
      重な書物が多数所蔵されています。




      
      庫裡








      
      仏殿から開山堂(常楽庵)に至る渓谷に架けられた橋廊です。1380年、春屋妙葩(しゅんおくみょうは;普明国師)が谷を
      渡る労苦から僧を救うため架けたとつたえられ、歩廊入口には同国師の筆になる「通天橋」の扁額をかかげます。
      南宋径山(きんざん)の橋を模し、聖一国師が通天と名付けました。









      









               









      
      橋楼から望む方丈








      









               









      
      愛染堂








      
      手前、方丈と本堂








      








      
      開山堂 通天橋を渡って至る、別名常楽庵。もとの建物は1819年に焼失し、1823年一条忠良によって再建されました。
      屋上に閣を持つ類例を見ない開山堂で、祀堂は床高で開山国師像を安置します。








      









               









      









      









      
      普門院 右手、開山堂の西に位置する寝殿造風の建物で、開山国師常住の方丈とつたわります。内部は三室に仕切ら
      れ、その襖絵は花鳥草花・唐人物を主題とし七十四面(桃山-江戸)からなる、画流各派の競作が残されています。








      









       









       
      愛染堂 開山堂の西、南正面にして立つ丹塗りの八角小円堂です。もと万寿寺愛染堂と呼ばれていましたが、昭和9年
      の室戸台風で倒壊、その後現在の地に移されました。
      唐様を主とした鎌倉末期風の優雅さをもって現存する貴重な遺構です。
      単層、こけら葺、桟唐戸。内部は瓦敷、鏡天井とし、須弥壇上に宝塔形の厨子を置き、愛染明王を祀ります。








       









       









               
               愛染堂の前から通天橋の下を流れる川まで降りることが出来ます。 新緑も綺麗ですが、
               紅葉も素晴らしいと思います。








      









      









      









      









       
      方丈 1890(明治23)年再建。南正面の前庭には昭憲皇太后の寄進とつたえる向唐破風の方丈表門があります。
      恩賜門ともいい、小型ながら明治期唐門の代表作です。
     








       
      庫裡で受付を済ませ方丈に向かいます。








      
      禅宗の方丈には古くから多くの名園が残されてきましたが、四周に庭園をめぐらせたものは当寺唯一の試みです。
      当庭園は1938(昭和13)年、重森三玲氏が作庭しました。
      釈迦成道を表現し、八相の庭と命名され、近代禅宗庭園の代表として広く世界各国に紹介されています。








      
      方丈南庭 方丈正面の南庭は210坪(693平方メートル)、東西に細長い地割に、蓬莢・方丈・瀛洲(えいじゅう)、壺梁
      (こうりょう)の四島に見立てた巨石と、砂紋による荒海の表現に加え、西方に五山を築山として大和絵風にあらわし、
      神仙境を表現しています。
      鎌倉時代の質実剛健な風格を基調に、近代芸術の抽象的構成をとり込んだ枯山水式庭園です。




      









      








      









      








      
      方丈西庭 西庭は「井田市松」の庭。さつきの刈込みと砂地が大きく市松模様に入り、くず石を方形に組んで井田を意図
      して表現します。色彩の変化も楽しい庭です。










      









      









      
      方丈北側から望む通天橋








      
      方丈北庭 市松の庭は、作庭以前に南の御下賜門内に敷かれていた石を市松模様に配したもので、通天紅葉の錦織り
      なす景観を借り、サツキの丸刈り、苔地の妙が調和するという、南庭とは逆に色彩感あふれる空間となっています。









               









      
      方丈東庭 北斗の庭は、もと東司の柱石の余材を利用して北斗七星を構成し、雲文様地割に配している小宇宙空間です。

      方丈を見終えたところで、門前の塔頭、天得院と芬陀院に向かいます。









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祇園祭 鉾巡行  2009/07/17

2009年07月18日 | 京都歳時記

      早がけの雨も上がり曇り空ではありますが、鉾巡行に参加されている方々も見ている方々にとってはありがたい
      天候になりました。
      九時にスタートしました巡行も11時半現在で、最後の辻回しの御池新町まで先頭の長刀鉾がやってまいりました。
      私は、ここからスタートしてコースを逆行してまいります。









               
               三回目の辻回しで、90度を2・3度に分けて方向転換いたします。鉾が回るたび
               に観衆の方から拍手が起こります。








      
      屋根の高さはビルの3階部分に相当するので、結構怖いと思います。








      
      最後の辻を回りますと後は、新町通りを四条の手前まで進み、即日解体が始まります。








               
               長刀鉾の後に、芦刈山・白楽天山・霰天神山と続き函谷鉾がやって来ました。








               
               函谷鉾








               
               前の鉾が辻回しをしている間は、後ろの組は休憩・吸水時間となります。








      
      孟宗山(もーそーやま)「筍山 たけのこ」ともいわれ、中国の史話24孝のなかで、病身の母を養う孟宗が、雪の中で筍
      を掘り当てた姿をあらわしております。

      雨が降りそうな様子でしたので、残念ながら人形や装飾にビニールがかけられております。






               
               月鉾 鉾頭に新月型を付けているのでこの名で呼ばれており、真木のなかほどの「天王座」
               には月読尊を祀っております。








      
      油天神山 古くから町内に祀られていた天神を勧請して作られた山で油小路にあることからこの名前がついております。








          
          蟷螂山(とうろうやま) 「かまきり山」とも呼ばれかまきりと御所車の車輪が動くなど山鉾として唯一のから
          くりが施されております。








               









      
      菊水鉾








               









               
               先日も紹介いたしましたが、菊水鉾や蟷螂山などの組み立てを担当している工務店の
               数奇屋大工の五嶋孝康です。舵取り役を任されております。








      









      
      綾傘鉾 綾傘鉾は、山鉾の非常に古い形態を残している傘鉾の一つで、大きな傘と棒振り囃子の行列として巡行して
      おります。
      棒振り囃子は、赤熊をかぶり、棒をもった者が、鉦、太鼓、笛に合わせて踊りながら巡行いたします。








      
      綾傘鉾








               
               鶏鉾(にわとりほこ) 中国唐堯の時代に天下がよく治まり訴訟用の太鼓も用がなくなり
               苔が生え鶏が巣をつくり宿ったという史話からこの名前がついております。








                    









      
      木賊山(とくさやま) 謡曲「木賊」に取材し、我が子を人にさらわれて一人信濃国伏屋の里で木賊を刈る翁をあらわして
      おります。








               
               保昌山(ほーしょやま) 丹後守平井保昌と和泉式部の恋物語に取材し、保昌が式部の
               ために紫宸殿の紅梅を手折ってくる姿を表しております。





      
      山伏山 この名は山に飾る御神体が山伏の姿をしていることからこう呼ばれております。 昔、八坂の法観寺の塔が傾
      いたとき法力によってそれを直したという浄蔵貴所の大峯入りの姿をあらわしております。








      
      放下鉾 鉾の名は真木の中ほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来しております。








               









      
      岩戸山 天岩戸を開いて天照大神の出現される日本神話から取材しており、山とはいえ鉾と同じ車をつけた曳山と呼ば
      れるもので、鉾柱のかわりに屋上に真松を立てております。








               
               四条御池で二回目の辻回しが行われます。








      









      
      船鉾 神功皇后をめぐる説話によって鉾全体を船の型にし、舳先には金色の鷁(げき)、艫には黒漆塗螺鈿の飛龍文様
      の舵をつけております。屋根は唐破風入母屋造りといいます。






      
      舞妓ちゃんも仕事とはいえ3時間じっと座っているのは可哀想ですね。







      
      北観音山 上り観音山とも言われ、後祭巡行列の先頭を行き、山舞台には楊柳観音像と韋駄天立像を安置した曳山で、
      飾屋根を付けたのは1833年といわれております。








      
      停止中で手持ち無沙汰の様子です。








          
          橋弁慶山 謡曲「橋弁慶」より取材し、弁慶と牛若丸が五条大橋で戦う姿を表しております。         








      
      黒主山 謡曲「志賀」にちなみ大伴黒主が桜の花をあおぎ眺めている姿をあらわしております。








      
      鈴鹿山 伊勢国鈴鹿山で道行く人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現を、金の烏帽子をかぶり手に大長刀を持つ女人
      の姿で表しております。








      
      八幡山  町内に祀られている八幡宮を山の上に勧請したものです。








      
      役行者山(えんのぎょうじゃやま) 山の御神体として役行者と一言主神と葛城神の三体を安置しております。








      
      鯉山 山の上に大きな鯉が躍動しており、龍門の滝をのぼる鯉の奔放なな勇姿をあらわしております。








      
      浄妙山 平家物語の宇治川の合戦で三井寺の僧兵筒井浄妙と一来法師の戦いをあらわしております。








               
               最後尾をしめる南観音山  「下り観音山」ともいわれ、後祭巡行列の最後を行く曳山です。
               本尊の楊柳観音像を安置しております。








      
      留学生でしょうか? 外国の方も毎年みかけます。








               









      


      一箇所で留まって見ているのもいいですが、進行が遅いため、すべての鉾を見ようと思えば3時間半掛かります。 
      炎天下であれば尚更つらいものがあります。 今日私は、御池新町で先頭の長刀鉾を見て御池通りの北側を逆走しまし
      たら、最後の南観音山は河原町の蛸薬師のあたりで、約1時間ですべてを見ることが出来ました。 
      時間の無い方は、来年の参考になさってください。









               



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東福寺塔頭 光明院 2009/07/10

2009年07月16日 | 洛南 東山 東福寺方面

      明徳2年(1391年)に金山明昶(きんざんみょうしょう)により創建された東福寺の塔頭で、重森三玲氏による「波心の庭」が
      有名です。別名「虹の苔寺」とも言われております。










      
      光明院さんは、ご住職が以前からのお客さんなので、30年近く前から良く仕事で伺わせていただきました。








      









      









      









      
      雨模様の中、10時半頃だったので他に観光の方が一人居られただけで、とてものんびりと静かに拝観出来ました。








      









      









      









      









      









      









      









               









      









      









      









      









      









      









      









      









      









      
      光明院から北に上がると東福寺の南門にでます。 車の方は、上の写真を進むと西門がありそちらから境内に入ると
      駐車場があります。








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祇園祭り 前夜夜景

2009年07月15日 | 京都歳時記
      宵々々山の前日13日の夜の様子です。 四条に面した函谷鉾 粽を買えば鉾の上に上る事が出来ます。









               









      









               
               菊水鉾 初めて鉾に登ってみました。








      









      









      









      









      









      









               
               上から見下ろすと結構な高さがありました。 巡行当日は、さぞ見晴らしが良い事と思いま
               すが、炎天下の中、団扇も扇げない中の数時間は相当きついと思いました。








      
      新町通り南観音山の手前です。








      
      南観音山  この日は、明日からの準備で屋台や夜店の搬入組み立てで大忙しの状況でした。








               









      









      









      









      









               









               
               室町六角上ル 黒主山 暗闇の中明日からの出番をひっそりと待っているようでした。
               他の山の埒が白木なのに比べて、今年から名前の如く誰が見ても一目で判るように白木
               を黒に加工されたそうです。
               歌人・大伴黒主の名前が由来です。


                         


            





      
      烏丸六角西入ル 浄妙山  宇治川の合戦で、三井寺の僧兵筒井浄妙と一来法師の奮戦の一瞬を人形組でとらえて
      おります。


                         










      
      室町四条下ル 鶏鉾 中国の故事から名前が付けられております。








               









      









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祇園祭 鉾建て 2009/07/12

2009年07月14日 | 京都歳時記

      七月一日から始まった祇園祭の最大のイベントとなる山鉾巡行の準備が10日より始まり、鉾と山がある内山鉾から
      組み立てが始まりました。
      山鉾の方が規模が大きいため日にちも掛かるためです。まず四条通りに面した、長刀鉾・函谷鉾・月鉾、室町通りの
      鶏鉾・菊水鉾・放下鉾と続きます。









               
               毎年先頭を任される、長刀鉾は鉾先に疫病邪気をはらう長刀を付けております。
               この鉾は古来くじ取らずで必ず巡行の先頭を行き、生稚児の乗るのも現在この鉾だけとなっ
               ております。







      
      今日は、完成後の曳き初めが三時頃から行われ、この時は唯一一般の方が参加できます。








      
      釘を使わず縄だけで組上げられた姿は、芸術的でした。








               
               胴懸の織物は、インドやペルシャの絨毯が使われ、古来より動く美術館と呼ばれております。








      
      四条烏丸西入ルの函谷鉾(かんこほこ) 鉾の名前の由来は、中国戦国時代の故事から付けられており、前懸は、旧約
      聖書創世記の場面を描いた16世紀の毛綴りです。








      









      









               









               
               四条室町上ルの菊水鉾です。彼は菊水鉾を組み立てる数奇屋大工の工務店の若い衆で、
               私の店の女性板前の弟です。巡行の当日は、菊水の曳き手も担当します。
               広島出身 数奇屋大工修行暦6年目 大学建築学科卒 27歳 独身 五嶋孝康です。







      
      菊水鉾は、町内にあった菊水井戸にちなんで名付けられた鉾で、鉾頭には金色の菊花が飾られております。
      昭和28年に88年ぶりに再興された鉾です。







               
               今年から、新築のマンションからの出入りが出来るようになり、囃子方が乗ってないときは、
               一般の方も鉾に登ることが出来ます。








               
               曳き初め、そろいの法被の竹田工務店の皆さんです。








      









      









               









      
      錦小路新町上ルの南観音山 楊柳観音像と脇侍の善財童子像を祀る曳山です。 真木の先端部分(鉾頭)です。








      
      真木の繋ぎ目の作業中です。 鉾により違いますが、鉾頭まで17m~24mもあります。      








      
      まず本体を組み立て、出来上がった物を横に倒し、真木を取り付けそれからもう一度立ち上げます。








      









      









               









      
      四条新町上ルの放下鉾(ほうかほこ) 鉾の名は、天王座に放下僧を祀るのに由来しており、鉾頭は、日・月・星三光が
      下界を照らす形をしております。








               
               これから、真木が組まれた横倒しの鉾を、ワイヤーとジャッキを使い立ち上げるところです。








               









               









               









               
               45度まで立ち上がったのですが、不具合がありやり直しになりましたので、最後まで見る
               ことは出来ませんでした。
               この後、立ち上がった鉾を固定しながら、ジャッキアップして、手前の車軸を入れ車輪を組
               立てられます。







      
      完成時の総重量が、12トンにもなるのですから大変な作業が続きます。








               









               
               蛸薬師室町上ルの鯉山の骨組みです。 由来は、中国の龍門の滝をのぼる鯉の勇姿を
               あらわしているところから、この名前が付きました。 鉾と違い規模も小さく総重量は、鉾の
               十分の一位になり曳き手も鉾が3,40人に比べ山は15から24人位です。








      









      
      室町の呉服屋さん。室町通りは、昔から呉服の町として栄えてきました。この店も創業270年の記念に270匹の鯉を
      あしらった反物をたなびかせておられました。








               









               
               四条室町西入ル月鉾 鉾頭に新月を飾り天王座には月読尊が祀られております。








               









      

      本日、14日の午後6時からは宵々々山の歩行者天国がはじまり、16日までの3日間で延べ100万人以上の人手が
      あります。








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西山 善峯寺 前編 2009/07/02

2009年07月10日 | 洛西 大原野方面

      善峯寺は、平安中期1029年に源算上人がこの地に小堂を建て、自作の十一面千手観音をまつられたのに始まります。
      観音信仰の高まりとともに早くからその霊場として栄え、創建まもない長元七年(1034)に後一条天皇 から「良峯寺」の
      寺号と聖詠をたまわって来、歴代天皇の崇敬あつく、中世 には「西山宮」と称する門跡寺院となり、五十あまりもの堂塔
      を有する大寺院となりました。








      
      バスで来られる方は、上の写真の参道を登って行かれますが、車の方は山門の近くに駐車場が完備されております。







                         
                         西国三十三観音霊場の二十番札所です。







                  
                  境内が広いため、パンフレットには、一周40分と書いてありましたが、約倍の
                  一時間半は掛かりました。






      
      バス停からの参道を登って来ますとこの東門が最初にあります。








      
      東門から山門への階段です。ここから登りがずっと続きます。 一ヵ月後に迫った愛宕さんの千日参りのトレーニングの
      つもりで頑張ってみました。








      









      
      1692年桂昌院により再建され、楼上には運慶作の本尊・文殊菩薩と両脇・金剛力士が祀られております。 寄進された
      のは、源頼朝公と言われております。






      









                   








      









      




                    









      
      








                         









      
      山門をくぐり最初の階段を上ると本堂の観音堂があります。 1692年に再建され、仁弘法師作の御本尊、十一面千手
      観世音菩薩があり、脇立には開祖・源算上人作の同じく十一面千手観世音菩薩が祀られております。








      









      
      観音堂の右脇にある弘法大師修行像。








      









               
               手水場は、この地が竹の里だけあって竹筒の細い枝先から水が滴っております。








      
      西国三十三観音霊場の観音菩薩像が、一番霊場から順番に並んでおります。








                         
                賓頭盧尊(びんずる)十六羅漢の第一でありましたが、神通力をもてあそんで釈迦に
                呵責(かしやく)され、涅槃(ねはん、とは死ぬことの意味)を許されず、釈迦の入滅後も
                衆生(しゆじよう)の救済にあたったそうです。白髪と長眉(ちようび)の姿で示され日本
                では堂の前に置き、これを撫でると除病の功徳があるという俗信が広まりました。 
                おびんずるさま、賓頭盧尊者、なでぼとけなどとも呼ばれております。
                三室戸寺でもお堂の前におられました。







               
               階段の上に遊龍の松が見えておりますが、順序通りに右手のつりがね堂に向かいます。








      
      つりがね堂と反対側の本坊に向かう参道です。








      
      経堂と遊龍の松








      









      
      1685年建立の「厄除けの鐘」 桂昌院が徳川五代将軍綱吉公の厄除けのために寄進されたものです。 厄除けを祈願
      しつつ鐘を突く事が出来ます。








      
      つりがね堂から見上げた遊龍の松の根元部分です。 この中心から二方向に幹が伸びております。








                









      
      つりがね堂の北隣の護摩堂は、1692年に建立され不動明王五大尊が祀られております。








      
      護摩堂から遊龍の松を眺めながら北に進みますと開山堂の手前で、京都市内が一望出来る場所に出ます。 天気も良く
      東山までくっきりと見えました。








      
      この石碑の手前には1692年に建立された開山堂があり、開祖源算上人117歳のお姿の木像が祀られており、上人より
      長寿の御利益を受ける方々がお参りなされております。 比叡山の横川より47歳の時に入山なされ70年もの歳月を過さ
      れました。現在でもギネス級ですが、その当時の117歳は驚異的な長寿だったんでしょうね。








      
      幸福地蔵「自分以外の幸せを祈りましょう」とあります。地蔵堂からは、北側一面の谷に紫陽花が咲き乱れておりました。








               
               桜の木も沢山あり春も美しいことでしょうね。








      









      
      紫陽花苑には下りずに、左手の十三仏堂の方に進みました。このお堂にはお山を守護する諸尊が祀られております。








      
      十三仏堂の向いには、桂昌院廟の門があります。








      
      宝筐印塔 鎌倉時代に慈円大僧正により、伝教大師筆の法華経が納められました。








      
      桂昌院廟 1705年79歳で亡くなられた桂昌院の遺髪が納められております。

      桂昌院と善峯寺のつながりとは・・・・。
      善峯寺は、開山以来、朝廷・幕府の庇護により五十二僧坊を数えるほどとなったのですが、1467年応仁の乱が始まると
      その兵火にかかり、焦土と化してしまうのですが、荒廃したこの寺を次々に再建し、今日の姿に復興されたのは、ひとえ
      に徳川五代将軍綱吉の母、桂昌院の寄進によるものでした。

      京都に生まれた桂昌院は、将軍家の侍女となり江戸に移り住み三代将軍家光公の寵愛を受け五代将軍となる綱吉公を
      生みました。 綱吉公が将軍になりその財力を使い、小さい時に両親に何度か連れて来てもらった事のある善峯寺の復
      興に心血を注いだと伝えられてております。





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西山 善峯寺 後編 2009/07/02

2009年07月10日 | 洛西 大原野方面

      善峯寺と桂昌院との縁が、分かったところで釈迦堂に向かいます。
      釈迦堂の建立は新しく明治18年との事で、明治初年まで釈迦岳に安置されていたご本尊を信者の崇拝篤く、明治13年
      に下山を乞い釈迦堂に安置されたとのことです。 ご本尊の石仏釈迦如来は源算上人の作です。









      



                    









      
      釈迦堂の左手を進みますとお稲荷さんから奥の院に続きます。








      









      
      奥の院の薬師堂に向かう途中で、眼下に幸福地蔵堂と紫陽花苑が見え、随分登ってきたのを実感します。








      
      奥の院 薬師堂は、1701年に建立され、桂昌院の両親が祈願された開運出世のお薬師さまが祀られております。
      桂昌院の幼名(お玉の方)のように「玉の輿」に乗るのを願う参拝者多いそうです。 「玉の輿」がここから来ているとは
      思いませんでしたが、しっかりお願いだけはしておきました。








      
      薬師堂に向かう階段の途中左手にある「けいしょう殿」見晴らしのいい景勝の地で桂昌院を祀っておられます。








      









      
      こちらまでお参りなされる方は、手水場はありますが、特に夏場はお水かお茶をお持ちになった方がよろしいかと思います。








                    






                    









      
      先ほどの、開山堂からの眺めをより一層広範囲に眺めることが出来ます。
      左手が、比叡山方面、市内中央に京都タワーが見え、右手は久御山から枚方方面になります。








      
      薬師堂の裏手には、青蓮院門跡よりお移りになった宮様の住坊旧跡の庭、蓮華寿院庭が広がっております。








      









               









      
      蓮華寿院庭を抜けますと、青蓮院の宮御廟があります。








      









      
      御廟前の聖観音菩薩像。








               









      
      いかにも聖地と言った佇まいの青蓮院の宮御廟。 覚快法親王殿下以下、善峯寺の住職を勤められた宮様の御廟所と
      なっております。


                    









      
      御廟所をお守りする、二対の獅子像。








      
      善峯寺、最深部の御廟所で往路が終了で、これから復路に入ります。








      
      復路は、来た道と違うルートになっておりますので、最後まで見所が散りばめられております。








               
               青蓮の滝 石仏不動明王を祀っており、滝の竿石は、青蓮院門跡より拝受されたものです。               
               思わず滝に打たれたくなるような天気でしたので、少しは涼を感じることが出来ました。







      









      
      先ほどのお稲荷さんの前に戻ってきて向かいに見えております阿弥陀堂に進みます。








      
      阿弥陀堂 1673年建立で、御本尊は宝冠阿弥陀如来が祀られております。 常行三昧道場にて常行堂とも呼ばれてお
      り、堂内には徳川家代々と檀家信徒の位牌が安置されております。








      









      









      









      









      









               









      
      遊龍の松は、樹齢600年の五葉松で天然記念物に指定されており、「日本一の松」と言われております。1857年花山前
      右大臣家厚公が、その名を「遊龍」と名付けられました。 元はぜんちょう54mありましたが、平成6年松くい虫のため15
      mあまり切られ現在の長さになっております。








      
      ここが幹になり両翼に伸びております。








       









      









       
      右手に1705年に建立された経堂があり、桂昌院が鉄眼の一切経を納められ、祈願成就の絵馬堂となっております。
      正面の枝垂れ桜は、桂昌院のお手植えと言われており樹齢は300年にもなります。








       
      経堂隣にある多宝塔は1621年に賢弘法師によって再建されたものです。








       









      









      
      山門 一時間半お参りと、良い運動が出来ました。バスでお越しの方は、本数が少ないですので、時間に余裕をみてお
      参りください。








      









      
      お車の方は、駐車場も充分あり、山門の下まで乗り付けられます。









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大原 三千院門跡 2009/06/25

2009年07月05日 | 洛外 大原方面

      三千院門跡は、左京区大原にある天台宗の寺院です。伝教大師最澄により開かれ御本尊に薬師如来像が祀られており
      ます。    かつては貴人や仏教修行者の隠棲の地として知られた大原の里にあり青蓮院、妙法院とともに、天台宗の
      三門跡寺院の1つに数えられております。








                         









      
      参拝受付を済ませ客殿に入ったところの坪庭です。








                          









      
      客殿 聚碧園(しゅうへきえん)  客殿と写経場との間に有る池泉観賞式庭園です。








      










               









      









      









      
      赤毛氈の敷かれている特等席は、有料のお茶席です。








      









      
      客殿から宸殿に向かう廊下より。








               
               玉座に掛かる「鵞」の大字は、中国天台山國清寺内に今尚、現存する碑の拓本で、王 
               義之筆によるものです。
               王羲之とは1600年もの昔に中国書道の革命家とも言われ、その後の書道家たちにも大き
               な影響を及ぼしていると言われています。
               「鵞」の意味を探しておりましたところ、王羲之はガチョウを可愛がっていて、多くのガチョウ
               を飼っていたそうです。國清寺以外の紹興の蘭亭と言う所にも、「鵞池碑亭」と言う碑があり、
               鵞鳥(ガチョウ)がいる池という意味で「鵞池」という字の碑があるそうです。
               私などは、書道の事はわかりませんが、鵞鳥と言えば北京ダックを連想してしまいますが、
               1600年前には勿論無かった料理でしょうね。








      
      玉座前から見た有清園と往生極楽院

      宸殿には、御本尊の薬師瑠璃光如来像が祀られております。







      









      









      









      
      有清園に佇む地蔵菩薩像








                    









      
      有清園の杉苔に覆われた庭は、瑠璃光庭とも呼ばれております。








      
      往生極楽院は、986年の建立で、阿弥陀如来座像を中心に向かって右に観世音菩薩・左に大勢至菩薩が祀られ、いずれ
      も立像ではなく、お坐りになっている像です。それは即ち、彼岸の極楽へ引導せんと来迎する阿弥陀如来と、それに随喜
      して往生者を迎えて(信者を蓮華座に乗せて)今まさに彼岸の彼方へ帰らんとする御姿であるそうです。






      
      往生極楽堂の前庭に佇む「わらべ地蔵」 杉村 孝 作








      









      









                    









                    









                









      
      城郭のように三千院を囲む白壁








                

                  








      









               









      
      金色不動堂は、三千院の祈願道場として、平成元年四月建立された新しいお堂で、本尊は智証大師作と伝えられる
      金色不動明王で、秘仏となっています。
      








      
      観音堂








      
      二十五菩薩石庭








      
      何万体もの小観音像が並んでおり一つ一つに寄進された方の名前が付いております。







      









      









      
      金色不動堂の裏手北側の庭園です。








               









               
               三千院の北側を流れる律川








      
      売炭翁石仏








      
      金色不動堂西側の紫陽花苑 ここの紫陽花は酸性土壌なのかほとんどが青色です。








      
      唯一一輪だけ紫を見付けました。








      









                    
                    不断開けられることの無い往生極楽院の前の朱雀門








      









      









      









      









      
      客殿の玄関








      










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大原寺 実光院 2009/06/25

2009年07月03日 | 洛北

      こちらの実光院も、宝泉院と同じく勝林院の子院であり、元は大原陵の地にあった他の2箇所の子院を併合して大正8年
      に現在の地に再建されました。 位置的には、宝泉院の南隣で勝林院から三千院に戻る途中にあります。










                    
                    客殿の玄関 参拝の方は、右上の銅鑼で来院を知らせて下さい。








      
      客殿に入り左手に池泉観賞式庭園があります。 まずこちらでお抹茶をいただきますが、宝泉院の後に行くと続けてお
      抹茶をいただく事になります。








      









      
      客殿の南に広がる庭園は、池泉鑑賞式庭園で、旧普賢院(併合した子院)の庭園で(契心園 けいしんえん)と言い、
      中央の心字の池へは律川から導いた滝の水が流れ落ち、滝口の近くには蓬莱石組があり、築山の松は鶴を、池の島は
      亀を表しております。さらに池の手前が俗世間、向こうを仏の浄土に見たてております。








      
      御本尊には、地蔵菩薩像を祀り、脇侍には不動明王像と毘沙門天像を安置いたしております。 








      

                    
                    これらの楽器は、いずれも声明研究の一助にと歴代住職が収集されたものです。








               









      









      









                         









       
     欄間の三十六詩仙画像は、江戸時代中期の狩野派の画家の筆によるものです。








      
      客殿西側の庭園は、旧理覚院(併合した子院)の池泉回遊式庭園で、実光院に併合された後、当時の住職が作庭した
      もので中央に瓢箪池があり、配置してある石の多くは寺領の山や谷から運び込んだものです。

      池の向うに見える不断桜は、例年初秋より咲き始め翌年の春まで花が咲いている珍しい品種で、秋の紅葉の季節には
      観桜と紅葉狩りが一度に楽しめるそうです。








      









      









      
      庭の北西隅にある茶室「理覚庵(りかくあん)」は、昭和50年に建てられたもので桧の変木床柱を始め、木材ほとんどは
      実光院領の山林から調達されました。








      
      茶室控えの間の夏椿  よく「沙羅双樹」と呼ばれますが、釈迦(しゃか)が亡くなったときに近くに生えていたことで有名な
      「沙羅双樹」は、全く別の熱帯樹のことで「沙羅双樹」は日本の風土では育たないそうです。
      では、なぜ夏椿がこの「沙羅双樹」に間違われたのか・・・。 昔、ある僧侶が、仏教にゆかりのある沙羅双樹の樹は日本
      にもきっとあるはず、と山に入っていろいろ探したところ、夏椿の木を見て「これが沙羅双樹だ!」と思い込み、それを広め
      たため、との説があります。








      









      









               
               理覚庵茶室








      
      茶室前のつくばい(手水鉢)  庭木には茶花を多く植え込む配慮もなされております。








      









      









      









      









      









      
      西の金比羅山や小塩山を借景に取り入れるために庭木を低く仕立てて開放的な明るい印象を与える工夫がなされて
      おります。








      









      









                       
                       次は、大原最後の目的地の三千院にお参りいたします。








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