京都市内から車で北に約1時間半の所にある常照皇寺は、光厳(こうごん)法皇によって1362年に開かれ、歴代天皇
の帰依を得た皇室ゆかりの寺であり、臨済宗天竜寺派に属する禅宗寺院です。
境内には、国の天然記念物である「九重桜」をはじめ、御所から株分けしたといわれる「左近の桜」、一重と八重が一枝
に咲く「御車返しの桜」など桜の名木があり、観桜期には大変な賑わいをみせます。
階段の左手が駐車場になっており50台以上の駐車が可能です。
山門からなだらかな階段をのぼり勅額門に向かいます。
山門の右手にもう一本の側道があります。
勅額門の塀は天皇家縁の寺院の証の五本線が入っております。
勅額門を入って右手に広がる碧潭池
階段をのぼり左手に進みますと受付のある庫裏があります。
勅額門の正面にある勅使門
庫裏 参拝受付
庫裏に入り左手で志納、300円~500円を納め名前と住所を書いて参拝いたします。
書院・方丈・開山堂へと向かいます。
書院
三面が庭園に囲まれ開放的な方丈です。
勅使門のある方丈南庭
ほかの寺院ではあまり見かけない鴨居の位置に釈迦如来像が安置されております。
襖ではない板戸の画は植田曠躬と描かれております。
方丈北庭園から右手、開山堂の怡雲庵(いうんあん)
方丈から渡り廊下で開山堂の怡雲庵(いうんあん)とつながっっております。
怡雲庵(いうんあん)
人感センサーでひとがお堂に入ると仏像がライトアップされ幻想的に浮かび上がります。
上の写真の三体の像の右側の「まねき観音」
方丈北庭園
方丈の前庭側に掛かる大乗善根界 (だいじょうぜんこんかい)
仏語辞典に因りますと、阿弥陀仏の善根力で大乗の世界。安養浄土。
と記されております。
一度庫裏まで戻り靴を履き庭園に回ります。
農家の茅葺の母屋を思わせる方丈の佇まいが、山の景色になじみどこか懐かしさを覚えます。
勅使門から勅額門を見下ろしてます。
「御車返しの桜」 かつて後水尾天皇がその美しさから何度も車を返し別れを惜しんだという事からこの名前が付いたと
言われます。 一重と八重が一枝に咲くそうです。
開山堂 怡雲庵(いうんあん)
樹齢650年といわれる「九重桜」国の天然記念物に指定されております枝垂桜です。
開山堂の右手にある石塔群
左手の桜は、開山堂の前にあり御所から株分けされた「左近の桜」です。
渡り廊下が掛かる禅定池
御車返しの桜
庫裏の前にある鐘楼
秋の紅葉と来年の桜も是非訪れてみたくなりました。
高山寺は774年に光仁天皇の勅願によって華厳宗寺院として開創された寺院です。当時は神願寺都賀尾坊と称したと
伝えられており、814年には度賀尾十無尽院に改称、また、平安時代初期には天台宗の寺院となり、度賀尾寺(とがの
おじ)と改称されたといわれております。その後、一時荒廃したようでありますが、平安時代末期には文覚によって再興さ
れたと言われております。
写真は表参道から上がって来た所のものです。
案内図の右側の現在地表示の所に駐車場とバス停が有る為、ほとんどの方はこちらの裏参道から境内に入ります。
栂尾山(とがのをさん) 高山寺が正式な寺号で、1994年には世界文化遺産に登録されております。
国宝の石水院を囲む白壁です。
高山寺には、他の寺院に見られるような大きな山門は無く、唯一石水院の入り口にこの門があります。
門をくぐり突き当りの左手の庫裏が参拝受付になっております。
「石水院」は明恵上人が後鳥羽上皇から賜った学問所とされており、建てられたのは13世紀前半といわれ、上人時代の
唯一の遺構とされております。 写真は、石水院の庭園です。
庫裏で受付を済ませ客殿を通り石水院に渡りますが、客殿との間にある中庭です。
後鳥羽上皇の勅額
「阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)」明恵上人が上人自身の日常規則を
欅板に自筆したものだそうです。
佛眼佛母(ぶつげんぶつも)像 国宝の縮小図
西庭園に向かって佇む善財童子像
高山寺にある幾多の国宝の中でもっとも有名な絵巻物。鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)は、鳥獣戯画とも呼
ばれ、現在の構成は、甲・乙・丙・丁と呼ばれる全4巻からなり内容は当時の世相を反映して動物や人物を戯画的に描い
たもので、特にウサギ・カエル・サルなどが擬人化して描かれた甲巻が非常に有名である。一部の場面には現在の漫画
に用いられている効果に類似した手法が見られることもあって、「日本最古の漫画」とも称されております。
石水院から南側の眺めです。
この軒先に吊るされている風鈴の様な物の呼び名と何の為にあるのか後日電話でお寺の方に聞いてみましたが、判り
ませんでした。
西庭園
善財童子(ぜんざい どうじ)は、仏教の童子の一人であり、『華厳経入法界品』に登場い
たします。 『華厳経入法界品』に於いて、インドの長者の子に生まれましたが、ある日、
仏教に目覚めて文殊菩薩の勧めにより、様々な指導者(善智識)53人を訪ね歩いて段階
的に仏教の修行を積み、最後に普賢菩薩の所で悟りを開くという、菩薩行の理想者として
描かれております。
「日本最古」と伝えられる茶園があり、鎌倉時代初期に臨済宗の開祖栄西が、当時の中国の南宋において種を得て、
帰国後に明恵に贈ったものと伝えられており明恵はこれを初めは栂尾山に植え、その後宇治やその他の土地に広めた
と言われております。
栂尾は茶の本園といわれており、そのお茶は本茶と言われます。天皇への献茶も毎年行われ、宇治の茶業家は古く
から毎年自家製の新茶を上人御廟に献供するのを慣わしとして今日に至っております。
開山堂・御廟へとつづく参道 先日登った愛宕山を思いだします。
昭和6年、明恵上人700年御遠忌記念として建てられた遺香庵茶室、拝観はされておりません。
開山堂 明恵上人晩年の頃の草庵禅堂院があった跡と伝えられており、堂内には「明恵上人坐像」が安置されております。
昭和36年、菩提心の拠り所として開山堂横に聖観世音菩薩像が安置されました。
明恵上人御廟 開山堂のさらに奥手にあります。
御廟前の石碑、手前しか確認出来ませんでしたが、上人御歌が刻まれております。
「山のはにわれも入りなむ月も入れ 夜な夜なごとにまた友とせむ」
御廟前から仏足石方向です。
釈迦の足跡の形を刻んだ石で仏像の発祥以前に古代インドで行われた釈迦の象徴表現の一つです。中国の唐を経て
日本にも伝わり、京都では比叡山西塔・釈迦堂前や清水寺にもあるそうです。
春日明神社と金堂
金堂(本堂) 境内の最深部にあり、現存の「金堂」は1634年に仁和寺から移し復興されたものといわれており、本尊の
釈迦如来像が安置されております。
金堂前の階段を下り真っ直ぐ行きますと表参道につながります。
左手に折れて石水院の前を通り駐車場に戻ります。 ゆっくり回って一時間強掛かりました。
高山寺は交通の便が悪くバスか車でしか来れませんので、近くの神護寺もセットで回られる事をお勧めします。
京都駅からですと50分、嵐山からですと20分掛かります。
これより更に北に30分ほど車を走らせ常照皇寺に向かいます。
世界遺産の平等院は、平安時代初期の左大臣源 融(みなもとのとおる)の別荘跡を1052年に関白藤原頼道が寺に改め、
平等院と名付けて極楽浄土を現出させようとしたものです。
山号を朝日山と称し、宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となって
おります。
表門は境内の北側に位置しておりますが、車で伺いましたので、駐車場がある南門から入りました。
南門前の平等院蓮
南門を入ったところの、近代的なミュージアムの鳳翔館。境内の拝観を先にすませ鳳翔館は最後に見学いたします。
鳳翔館の西側を通り境内に入ってまいります。
大書院前の百日紅(さるすべり)です。
鳳凰堂西側(裏側)に位置する大書院
大書院から見た鳳凰堂
大書院北側の不動堂
鳳凰堂は、阿字池に浮かぶ中島に建っており南北二本の橋と鳳凰堂裏側の建物で繋がっております。
樹齢200年以上を誇る藤棚と鳳凰堂の拝観待ちの参拝者。20分置きにガイドさん付きで鳳凰堂を拝観できます。別料金
五月上旬には、1メートルにも及ぶ花を咲かせます。
藤棚の北側の観音堂は、観音菩薩像の他に鳳凰堂の木製模型が安置されております。
藤の枝葉は、開花前に綺麗に切りそろえられるそうです。
表門への参道 鉄道、バスなどでお越しの方は、こちらの門を利用されます。
阿字池(あじがいけ)鳳凰堂への橋と国宝・阿弥陀堂(鳳凰堂)。1053年の建立になるもので、堂内には藤原時代の
仏師定朝の作とされる国宝・阿弥陀如来像が安置され、壁には51体の国宝・雲中供養菩薩像が舞っております。
国宝・阿弥陀如来像と国宝・雲中供養菩薩像。一部抜けている像は、鳳翔
館の方で展示されており、同じ目線で眺めることが出来ます。
パンフレット写真より。
やっと、十円玉の図柄が拝めました。
鳳凰堂の対岸からも阿弥陀如来像が拝める配慮がなされております。 心配りが実に日本的に思えました。
鳳凰堂の南側に鳳翔館の入り口があります。 クーラーが良く効いており汗だくで入ると
急に熱が奪われ寒さを感じてしまいましたが、慣れると外に出るのが嫌になりそうでした。
国宝・雲中供養菩薩像の一部が展示されております。 パンフレット写真より。
鳳凰堂の名前の由来の鳳凰も一対が展示されております。
鳳翔館東庭
鳳翔館東側の鐘楼
古くより比叡山と共に信仰を集めた愛宕山は、1300年の歴史を持ち火伏せ・防火に霊験のある神社として知られており
ます。
3歳までに参拝すると一生火事に遭わないと言われており、小さいお子さんを背負って登っておられる家族連れが沢山
居られます。
「火廼要慎(ひのようじん)」と書かれた愛宕神社の火伏札は殆どと言ってよいほど京都の家庭の台所に貼られており、
飲食店の厨房や茶室などにも貼られていることが多いです。
今年も7月31日の愛宕山千日参りがやって来ました。 二ヶ月前から始めたトレーニングも一ヶ月目に腰の不調で出来
なくなり、一抹の不安を抱えた当日となりました。
天候にも恵まれ、早朝のため清滝の登山口の駐車場もスムーズに停められ、いざ気合を入れて出発いたします。
参道は、左右この二本と水尾から登る道がありますが、一般的には左手の表参道をのぼります。
この鳥居は登山口の二の鳥居で一の鳥居は、鮎料理の平野屋さんの前になります。 7時30分登山開始いたします。
千日参りとは、愛宕山にお参りし火の用心のお札をもらって来るのですが、厳密には31日
の夕方から1日の朝に掛けてお参りすることを言い千日分のご利益があると言う事から、
この呼び方で呼ばれております。
しかし、ほとんどの方は私も含め毎年お参りされてると思います。
登山道には4.2キロを約100メートルおきに40枚の標識で現在位置を知らせてくれ、頑張り
の目安が立てられ大変助かります。
最初の200メートルはコンクリートの坂道が続きその後、階段へとなっていきます。
登り口から約300メートル地点のお助け水ですが、この時点では、お助けはまだ必要無く
帰り道で大変ありがたがられるポイントです。
雷にやられたのでしょうか、全焼してないところが愛宕山の御利益かもしれませんね。
夜になると、電灯に灯が入るのですが、それでも薄暗い中をこの何倍もの人が列を作って
登って行かれます。
10/40地点にある大杉大神
昔は、この道しるべしかなく、一の鳥居から頂上までを
50丁に分けて表示されております。
登り始めから、半分以上登った所で初めて視界が開けます。
この標識で現在地を確認しながらペース配分をして、自分を励ましながら
登ります。左の数字が多くなるほど頂上に近づきます。
ピントがボケてしまいましたが、登山道には5,6箇所木造の休憩小屋があります。
30/40あたりの一番眺めのいい地点です。
左手前の池が広沢の池で、右上の方には京都タワーも確認できます。愛宕山の標高は924メートルあり京都一高い山と
されています。
35/40を過ぎると黒門が見えてまいります。この門までくると残りの行程が残りわずかな
ので、元気が出てまいります。
40/40ここで標識が終わりになりますが、この後最後の関門が待ち構えております。 夜には、この先の階段付近に
屋台が出ます。
皆さんお参りを済ませ、思い思いに食事をしたり休憩をされております。夜中零時を回る頃には、夜が明けるのをここで
待っておられる方で埋め尽くされます。
最後の難関の階段が、400段近く続きます。
この階段が、最後の階段です。
祇園町の超売れっ子芸妓、多満葉ちゃんの提燈を発見いたしました。
ゆっくり登って2時間半、やっと辿り着きました。
左手が、お札を売っているところです。
本堂、最前列には茶道各千家と千家十職の提燈が並んでおります。
お参りを済ませ、本堂右手の返納所で古いお札を納め、後はお札を買って帰路につきます。
彼女が持ってる、小のお札が一枚500円になります。
登りは、息が上がってしんどいのですが、下りは息が上がらない分、足・膝に負担がかかり
最初に無理をしてしまいますと、最後は膝の踏ん張りが効かず大変な目に遭います。
五合目を過ぎたあたりから傾斜がきつくなり爪先が痛くなってまいりました。
毎年の事ながら、よくこの坂道を登ってきたなと関心しなが、らこれから登ってくる方々に
「おきばりやす」と優越感が少しこもった声を掛けております。
やっと登山口まで戻ってまいり、時間が有れば清滝川で足を冷やしクールダウンしてから帰ると後が楽なのですが、夕方
からの仕事に備え早々に退散しました。
今年は、昨年頑張り過ぎた反省を踏まえてゆっくり歩きましたので、登り2時間半、頂上で30分下り2時間と昨年より30
分づつ時間を掛けましたが、三日目を迎えた今、昨年よりはまだましですが筋肉痛で足元がふらついております。来年は
もう少しトレーニングを積んでから挑みます。