龍安寺のあと仁和寺に伺いました。龍安寺に比べ観光客が少ないのが魅力です。境内東側の駐車場から東門を通り参拝いたします。
仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。 しかし翌
年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成され、寺号も元号から仁和寺
となりました。
二王門 仁和寺の正面に建つ巨大な門。高さは18.7mで門正面の左右に阿吽の二王像、後面には唐獅子像を安置します。同時期に建立された
知恩院三門、南禅寺三門が禅宗様の三門であったのに対し、平安時代の伝統を引く和様で統一されています。
宇多天皇は寛平9年(897年)に譲位され、後に出家し仁和寺第1世 宇多(寛平)法皇となってから、皇室出身者が仁和寺の代々門跡(住職)
を務め、平安〜鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保ちました。 しかし応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱で、仁和寺は一山のほと
んどを兵火で焼失するという悲運に見舞われました。そんな中、本尊の阿弥陀三尊をはじめ什物、聖教などは仁和寺の院家であった真光院に移
され、法燈とともに伝えられていきました。
御殿入口 仁王門をくぐりすぐ左手に御殿の受け付けがあります。御殿には、白書院、宸殿、黒書院などが点在します。
玄関正面
白書院前の南庭 宸殿の南側にあることから南庭と呼ばれており、庭内には左近の桜、右近の橘が植えられ、その前方に白砂と松や杉を配し
た、簡素の中にも趣のある庭といえます。
正面に見える勅使門は、大正2年(1913年)に竣工され、設計は京都府技師であった亀岡末吉氏によるもので、檜皮葺屋根の四脚唐門で前後を
唐破風、左右の屋根を入母屋造としています。また、鳳凰の尾羽根や牡丹唐草、宝相華唐草文様や幾何学紋様など、細部にまで見られる彫刻装
飾は、伝統的和様に亀岡独自の意匠を取り入れたもので、斬新かつ見応えがあります。
白書院から渡り廊下を通り右に宸殿、左に黒書院と回っていきます。
白書院
北庭 宸殿の北側にあることから北庭と呼ばれ、南庭とは対照的な池泉式の雅な庭園です。斜面を利用した滝組に池泉を配し、築山に飛濤
亭、その奥には中門や五重塔を望む事が出来ます。庭の制作年は不明ですが、元禄3年(1690年)には加来道意ら、明治〜大正期には七代目小
川治兵衛によって整備され現在に至ります。
飛濤亭 五重塔の手前に見える建物で、第119代光格天皇(1771〜1840)遺愛の席と伝えられている茶室です。仁和寺第28世 深仁法親王
(1759〜1807)は光格天皇の異母兄にあたり、飛濤亭は宸殿北庭の築山にあり、内部は四畳半に台目がついた茶室と水屋の間、勝手の間で構
成され、入口は躙口のかわりに貴人口が設けられています。
霊明殿 宸殿の北東にみえる霊明殿は、仁和寺の院家であった喜多(北)院の本尊 薬師如来坐像を安置する為に明治44年(1911年)に建立
されました。設計は亀岡末吉で、内部は正面に須弥壇を置き、小組の格天井をはじめ、蛙股の組物などの細部に至るまで見事な出来になってお
ります。
宸殿から霊明殿に渡る廊下です。
霊明殿から宸殿の眺めです。
仁王門の正面に建つ中門
五重塔 寛永21年(1644年)建立の塔は、塔身32.7m、総高36.18mあり、東寺の五重塔と同様に、上層から下層にかけて各層の幅にあまり
差が見られない姿が特徴的です。初重西側には、大日如来を示す梵字の額が懸けられます。塔内部には大日如来、その周りに無量寿如来など四
方仏が安置され、中央に心柱、心柱を囲むように四本の天柱が塔を支え、その柱や壁面には真言八祖や仏をはじめ、菊花文様などが細部にまで
描かれています。
金堂(国宝)仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂で、慶長年間造営の御所 内裏紫宸殿を寛永年間(1624〜43)に移築したもので
す。現存する最古の紫宸殿であり、当時の宮殿建築を伝えるの建築物として、国宝に指定されています。堂内は四天王像や梵天像も安置され、
壁面には浄土図や観音図などが極彩色で描かれます。
鐘楼 「鐘楼」の「楼」とは元来二階建ての建物を指します。階上は朱塗で高欄を周囲に廻らせ、下部は袴腰式と呼ばれる袴のような板張りの
覆いが特徴的です。また、通常吊られた鐘は外から見ることが出来ますが、この鐘は周囲を板で覆われており見ることが出来ません
経蔵 金堂の右手にある建物で寛永〜正保年間の建立ました。内部は釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩など六躯を安置し、壁面には八大菩薩や十
六羅漢が描かれます。内部中央には八面体の回転式書架(輪蔵)を設け、各面に96箱、総計768の経箱が備えられており、その中には天海版の
『一切経』が収められています。
経蔵の南側に建つ九所明神(KushoMyojin) 仁和寺の伽藍を守る社。社殿は本殿・左殿・右殿の三棟あり、八幡三神を本殿に、東側の左殿に
は賀茂上下・日吉・武答・稲荷を、西側の右殿には松尾・平野・小日吉・木野嶋の計九座の明神を祀ります。現在の建物は寛永年間(1624~)に建立
されたものです。
四隅の屋根を必死で支える天邪鬼(あまのじゃく)邪鬼とは仏教では押さえ込まれる存在としてあらわされ、よく四天王が踏みつけているのも
邪鬼でだそうで身近な邪鬼では天邪鬼(あまのじゃく)が有名です。人に反発する、反対のことをする、といった意味で使われることから、大
工たちは邪鬼のこの性格を利用して、屋根を支える束の代わりにこれを置いたと云われております。反発することにかけてはナンバーワンの邪
鬼の力を利用して屋根を支えようとした発想のようです。邪鬼達は必死の形相で軒を支えており装飾のないこの塔において唯一昔の人の洒落を
感じます。
一層目には大日如来を示す梵字の額が懸けられます。
東門への帰り道に金剛華菩薩が鎮座されております。 済信塚と霊宝館の間に露座される菩薩像で、金剛界曼荼羅の金剛華菩薩と説明されており
ます。 左手には宝相華を盛った器を持ち、右手で器をはさむような姿を執り昭和56年(1981年)に安置されました。
菩薩像の東側に建つ霊宝館 別料金がかかります。
仁和寺の前に寄った金閣寺です。
仁和寺 紅葉
http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/2b6bfd02d87c069b382a2bc578e3da93
仁和寺 桜
http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/a42449f5f232fb495499ba4fd475beff
仁和寺 雪景色
http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/5d06a8296bcc635f04081cb37cebaa91