京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

八瀬 蓮華寺 新緑 2016/04/19

2016年04月24日 | 洛北 八瀬方面

      

      洛北八瀬に位置する蓮華寺は、北白川通りから大原方面に入ったすぐの所、高野川沿いの住宅地の中に佇んでいるあまり大きくない寺院です

      が、紅葉の名所として知る人ぞ知る穴場スポットとなっております。比叡山天台宗系の寺院で、もとは七条塩小路にあった西来院という寺院

      が、応仁の乱に際して焼失したものを江戸時代初期の1662年に、加賀前田藩の家臣、今枝近義が、祖父の縁のあるこの地に再建したものです。

 

 

 

 

 

      

      山門をくぐるとすぐ右手に鐘楼が建ちます。 開山にあたり比叡山延暦寺の僧が招かれたことから、比叡山延暦寺を本山とし、延暦寺実蔵坊の

      末寺のひとつとして天台宗に属する寺院となり、また、現在の寺号は、かつて同名の廃寺の跡地であったことに由来すると言われております。 

      山門の正面に参拝受付の庫裡が建ちますが、秋の紅葉のシーズンは、山門の内側に受付が設けられます。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

      

      山門を入って左手には約300体といわれる石仏群が居並んでおり、これらは大正13年に開業した京都市電河原町線の敷設工事に際して発掘され

      たもので、河原町周辺はかつて鴨川の河原で、戦災や天災による死者や刑死者の屍が打ち捨てられる遺棄葬の場であったために、そうした死者

      を弔うための石仏群が、京都市内を走っていた市電の線路施設工事によって掘り起こされ、供養されているのがこの石仏群です。これらの石仏

      群はいずれも大日如来像で、中央には地蔵菩薩像が配されています。 

 

 

 

 

 

 

 

      

      鐘楼左手の鳥居の奥には、本堂につながる石畳の参道が続きますが、こちらからは入れないようになっております。 

 

 

 

 

 

      

      京都名水にも選ばれていた「漱玉水(そうぎょくすい)」と呼ばれる井戸ですが、現在は枯れているそうです。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      書院から眺める池泉鑑賞式庭園 作庭者は不明とされております。この庭園は浄土宗的な形式に従い、池の対岸に浄土を描く形をとっており、

      こうした浄土宗的な庭園は池の周囲を巡り歩くことを想定して作庭されることから池泉回遊式と呼ばれますが、蓮華寺の庭園は規模も小さく、

      書院からの鑑賞を旨とした池泉鑑賞式の庭園と説明されております。

 

 

 

 

 

 

      

      畳まで緑色に染まっておりました。 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      庭園の奥には水量の豊かな湧水があり、それを導いた池が庭園の中心にあり、池は「水」の字の形に作られており、「水字形」と呼ばれるもの

      だそうです。池の右手前には舟石(ふないし)と呼ばれる石が配されている。

 

 

 

 

 

      

      右手奥の本堂へは、スリッパを履いて渡れます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      京都の寺院では、以前は見られなかった中国語の注意書きが目立ちだしルールを守ってもらう為には仕方ない事なのでしょうが、無粋感を感じ

      ずにはいられません。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      本堂前の庭園には、蓮華寺形灯籠として知られる2基の灯籠が佇んでおります。蓮華寺形灯籠は、「基礎は六角で蓮弁がつき、竿は丸竿で中央

      部が膨らみ、中台は蓮弁のある六角形で唐草文をあしらってあります。火袋も六角で前後に四角の穴を穿ち、笠は急勾配の長めで九段の葺地を

      表し、頂上に宝珠が乗る独特の形をしており茶人たちに好まれたと言われております。

 

 

 

 

 

 

      

      本寺は天台宗の寺院でありますが、造営に黄檗宗僧が関わったこともあり、本堂の様式は全く黄檗宗のそれであり、本堂入り口には石川丈山の

      筆による寺額が掲げられており、堂内中央の須弥壇には螺鈿厨子に収められた本尊、釈迦如来像が安置されております。

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      蓮華寺の前に見える比叡山山頂 麓には、山頂へのケーブルカーの駅があり、徒歩5分の距離に瑠璃光院が佇んでおります。なお、瑠璃光院

      は、春先と秋の紅葉シーズンのみの特別拝観となります。 

 

 

蓮華寺 紅葉 

http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/d0ea541db6c2bd30872ef29e7efedffa 

 

 

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八瀬童子の里 八瀬天満宮社 秋紅葉 2014/11/20 

2014年12月14日 | 洛北 八瀬方面

      

      八瀬天満宮社(やせてんまんぐうしゃ)は、祭神に菅原道真を祀り、社伝では、菅原道真の仏教の師だった比叡山の法性坊尊意阿闍梨が、道真の

      死後にこの地に天神を勧請したと伝えられております。また、江戸時代までは天神社と呼ばれていたそうです。

 

 

 

 

      

      八瀬天満宮の境内は、比叡山への登り口「八瀬坂」の起点でもあり、境内には、道真が幼少期に勉学のため比叡山へ登る際、ここで休憩したと伝

      わる「菅公腰掛石」があり神社は地域の里人(八瀬童子)から産土神として信仰されております。  

 

 

 

 

 

      

      紅葉には、一週間早かったですがお参りさせていただきます。       

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      社務所の傍には、岩上神社・貴船神社・白髭社が合祀されております。 

 

 

 

 

 

      

      雄牛様の後方には、区民の誇りの木に選ばれている大杉の傍にも幾つかの石碑が建っております。  

 

 

 

 

 

      

      こちらの神社には、神主がおられず八瀬童子と呼ばれる方々の中から高殿(こうどの)と呼ばれる神主の役割や地域の行事を1年交代で務めてお

      られます。 

 

 

 

 

 

      

      本殿 

 

 

 

 

 

       

       地域で持ち回るため、今年の高殿の担当地域が書かれているものと思われます。

 

 

 

 

 

      

      本殿北側の末社群。右から若宮大明神、六所大権現、白井大明神 

 

 

 

 

 

      

       八瀬童子(やせどうじ)とは八瀬に住み、比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁(輿を担ぐ役)を務めた村落共同体の人々を指し、室町時代以降は天皇の

      臨時の駕輿丁も務める何百年も続いてきたこの地域の男性の子孫の事をいいます。伝説では最澄(伝教大師)が使役した鬼の子孫とも伝わります。

      寺役に従事する者は結髪せず、長い髪を垂らしたいわゆる大童であり、履物も草履をはいた子供のような姿であったため童子と呼ばれたと言われ

      ます。

 

 

 

 

 

      

       昭和3年(1928年)、八瀬童子の伝統を守るため関係者によって社団法人八瀬童子会が組織され、資料の収集保全が進められ、平成22年(2010

      年)には同会所有の資料741点(文書・記録類 650点、装束類 91点)が重要文化財に指定されました。 また、葵祭には輿丁の扮装で参加し、天

      皇の輿丁として奉仕した往時の姿をしのばせております。

 

 

 

 

 

      

      本殿南側に建つ秋元神社 神社の前にある末社群は、右に幸ノ神、左に八幡大神。比叡山との境界争いで老中秋元喬知の裁許により八瀬村の利権が

      認められ、報恩のために村人が喬知を秋元大明神として祀ったと説明されております。

 

 

 

 

 

      

       八瀬童子の仕事として比叡山諸寺の雑役に従事したほか天台座主の輿を担ぐ役割もあり、また、参詣者から謝礼を取り担いで登山することもあっ

      たとも説明されております。

 

 

 

 

 

      

      また、延元元年(1336年)、京を脱出した後醍醐天皇が比叡山に逃れる際、八瀬郷13戸の戸主が輿を担ぎ、弓矢を取って奉護したとあり、この

      功績により地租火薬課役の永代免除の論旨を受け、特に選ばれた者が輿丁として調停に出仕し天皇や上皇の行幸、葬送の際に輿を担ぐことを主な

      仕事といたしました。

 

 

 

 

 

 

      

       境内南側の山王神社・八王子

       八瀬童子は比叡山の寺領に入会権を持ち洛中での薪炭、木工品の販売に特権を認められ、永禄12年(1569年)、織田信長は八瀬郷の特権を保護

      する安堵状を与え、慶長8年(1603年)、江戸幕府の成立に際しても後陽成天皇が八瀬郷の特権は旧来どおりとする綸旨を下しております。

 

 

 

 

      

      境内の右端には、「後醍醐天皇御旧跡」と記した石標がありますが、これは建武三年(1336)正月、足利尊氏軍が京都へ侵入した際、その防戦

      に失敗した後醍醐天皇が、比叡山に逃れようと登った道=八瀬坂跡を示すものです。 

 

 

 

 

      

      延暦寺と八瀬郷は寺領と村地の境界をめぐってしばしば争いましたが、宝永4年(1707年)になってようやく老中秋元喬知が裁定を下し、延暦寺

      の寺領を他に移し旧寺領・村地を禁裏領に付替えることによって、朝廷の裁量によって八瀬郷の入会権を保護するという方法で解決し、八瀬郷は

      この恩に報いるため秋元を祭神とする秋元神社を建立し徳をたたえる祭礼を行いこの祭礼は「赦免地踊」と呼ばれる踊りの奉納を中心とするもので、

      現在でも続いております。(毎年10月の第2月曜日の前日にあたる日曜日)。       

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      菅原道真を祀ることから北野天満宮と同じくお牛様が 鎮座されております。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       窯風呂の宿

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.49.22.688N35.4.53.792&ZM=8

 

割烹ふじ原 ホームページ

http://www.kappou-fujiwara.com/

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八瀬 瑠璃光院 秋紅葉 2014/11/20

2014年11月22日 | 洛北 八瀬方面

      

      大原への入り口に位置する八瀬に佇む瑠璃光院は、新緑と紅葉の時期のみ公開されている寺院です。      

 

 

 

 

 

      

      叡山電鉄の八瀬駅から高野川に沿い徒歩5分の距離に建ちます。 

 

 

 

 

 

      

       新緑、紅葉時のみの特別拝観になるため拝観料は、二千円致します。

 

 

 

 

 

      

      ここ「八瀬」の地は、「矢背」とも記されるように、壬申の乱で背中に矢傷を負われた大海人皇子(天武天皇)が「八瀬の釜風呂」で傷を癒されてより、

      平安貴族や武士たちに「やすらぎ」の郷として愛されてきました。

      本願寺歴代門跡もしばしば訪れたと記録に著され、明治の元勲三条実美公は、当時の庵に「喜鶴亭」と名付けて直筆の命名額を下されています。

      (瑠璃光院に現存)

 

 

 

 

      

       茶庵「喜鶴亭(きかくてい)」三条実美公命名の由緒ある茶室。和敬静寂の精神を映す千家第六代覚々斉原叟好みの佇まい。

 

 

 

 

 

      

      敷地内には、百種もの楓が彩りを添えておりますが、11月20日現在は、日当たりの良い樹は紅葉を始めておりますが、そうでない所はまだ青葉のままで

      す。出来ればあと一週間遅らせたくらいがベストかもしれません。

      

 

 

 

 

 

 

      

      大正末から昭和の初めにかけて、一万二千坪の敷地に延二四〇坪に及ぶ数奇屋造りに大改築するとともに、自然を借景とした名庭を造営。

      建築にあたった棟梁は、京数寄屋造りの名人と称された中村外二、築庭は、佐野藤右衛門一統の作と伝えられます。

      その後現在まで、日本情緒あふれる名建築・名庭として多くの人々に親しまれ、囲碁本因坊位の対戦場となったことなどが知られております。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      喜鶴亭の玄関口にある蹲(つくばい) 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

       

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      玄関を入りますと拝観順路が示されております。 

 

 

 

 

 

      

      一階の瑠璃の庭 

 

 

 

 

 

      

      順路はまず二階に案内されております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      写経が出来るようになっております。 

 

 

 

 

 

      

      瑠璃の庭の二階からの眺め 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      二階床の間に掛けられたお軸 「山岳風景図」富岡鐵斎 筆 (1836~1924)江戸末期から大正にかけて、儒家、書家、画家として活躍し、最後の文

      人として知られております。 京都に生まれ京都に没し、生涯に一万点を超える作品を残しておられます。

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

      階下に降り窯風呂の部屋に進みます。 

 

 

 

 

                  

                  八瀬名物の「かま風呂」日本式蒸し風呂の原型であり、「八瀬のかま風呂」の現存する

                  希少な遺構と説明されております。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

      

      瑠璃色に輝く浄土の世界を表わした当寺の主庭です。数十種の苔のじゅうたんをぬって一条のせせらぎが清らかに流れます。 

 

 

 

 

 

      

      一階書院 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      瑠璃光院は、浄土真宗東本願寺の寺院で、ご本尊は、阿弥陀如来像が祀られております。 

 

 

 

 

 

      

      本堂を抜け渡り廊下を通り茶室のある喜鶴亭に移ります。 

 

 

 

 

 

      

      渡り廊下より見下ろす喜鶴亭と「臥龍の庭」 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      「臥龍の庭」 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      喜鶴亭の玄関前の「山露地の庭」 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      玄関口 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      お車でお越しの方は、叡山電鉄の前の道を入っていきますが、駐車場が3台分しかないのでご注意くださいませ。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

      瑠璃光院からほど近い蓮華寺に寄ってみましたが、書院庭園のモミジがまだ十分紅葉していないとの事でしたので、入るのをやめました。 

 

 

 

 

 

      

      山門付近は、色づき始めでした。

       蓮華寺 秋紅葉 2011・12・05 http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/d0ea541db6c2bd30872ef29e7efedffa

 

        地図  http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.48.37.224N35.3.33.826&ZM=9

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八瀬 瑠璃光院 09/11/13

2009年11月23日 | 洛北 八瀬方面

      ここ「八瀬」の地は、「矢背」とも記されるように、壬申の乱で背中に矢傷を負われた天武天皇(672~686)が「八瀬の釜
      風呂」で傷を癒されてより、平安貴族や武士たちに「やすらぎ」の郷として愛されてきました。









      









      









      
      喜鶴亭玄関









                









      









                
                玄関に向かうエントランス








      









                          
                          本願寺歴代門跡もしばしば訪れたと記録に著され、明治
                          の元勲三条実美公は、当時の庵に「喜鶴亭」と名付けて
                          直筆の命名額を下されています。









      
      まず、玄関を入り受付を済ませますと、書院の二階に案内されます。二階に上がって最初に見える景色です。

      正面に見える山裾を右手に進みますと大原の里につながります。









      
      書院二階











      
      書院二階から眺める瑠璃の庭です。
      大正末から昭和の初めにかけて、一万二千坪の敷地に延二四〇坪に及ぶ数奇屋造りに大改築するとともに、自然を借
      景とした名庭を造営されました。








      
      建築にあたった棟梁は、京数寄屋造りの名人と称された中村外二、築庭は、佐野藤右衛門一統の作と伝えられます。
      その後現在まで、日本情緒あふれる名建築・名庭として多くの人々に親しまれております。








                









      
      時間的余裕のある方は、書院二階で写経をしていただく事ができます。








      

                      









                
                二階から降りてきて、釜風呂に向かいます。









                
                八瀬の釜風呂 日本式蒸し風呂の原型であり半円形の釜の中に10数時間、青松葉や薪
                などを燃やし、内部の土壁が充分に熱せられた頃合を見計らって火を引いて燃えかすを掃
                除して、むしろを敷いて寝転がるお風呂です。
                昔はこれほどの手間を掛け使用いたしましたが、現存する釜はボイラーを使用しているとの
                事です。








                    









      
      書院、一階から見る瑠璃の庭









                
                瑠璃(るり)の庭 瑠璃色に輝く浄土の世界を表わした当寺の主庭。数十種の苔のじゅうた
                んをぬって一条のせせらぎが清らかに流れます。
                瑠璃色とは、紫がかった深い青色。古くは薄青色と辞書には載っております。
                瑠璃光院の名称のもとになった名庭です。 説明によりますと、高い木立のうっそうとした
                深山に分け入って、ふと木立がとぎれ、泉が湧き、せせらぎが流れ、瑠璃色に輝く小宇宙
                に出会う。この庭は、ある気象条件が整うと、深々とした苔が一瞬瑠璃の光をはなち、仏典
                にいう瑠璃光浄土が現れる、とあります。










      









          









                    









      
      茶庵「喜鶴亭(きかくてい)」 茶室手前の縁側と庭園









                
                建物が山の斜面に建っておりますので、喜鶴亭には階段で階下に下ります。臥龍(がりょ
                う)の庭  天にかけのぼる龍を水と石で表した池泉庭園。眺める人の心を解放し、昇運の
                兆しをもたらすと言われております。








      
      喜鶴亭 茶室 三条実美公命名の由緒ある茶室。和敬静寂の精神を映す千家第六覚々斉原叟好みの佇まい。 









      
 










                    









              









      
      臥龍(がりょう)の庭の座敷を挟んだ、裏庭です。









      
      喜鶴亭玄関








                          
                          一階玄関脇の銅鑼








      
      入り口玄関前の池では、鯉が戯れる姿が見られます。水中で何度も回転している鯉が目を引きました。








                









                









      
      瑠璃光院を出た後、近くの蓮華寺に寄って見ましたが、紅葉していたのが庭先だけでしたので、庭園の方までは入りま
      せんでした。






      










      









                
      
                蓮華寺を後にして、岩倉実相院に向かいます。


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八瀬 蓮華寺 2009/05/28

2009年06月02日 | 洛北 八瀬方面

      瑠璃光院の帰りに立ち寄った蓮華寺は、北白川から大原方面に入ったすぐの所高野川沿いに佇んでおります。
      天台宗の寺院で、もとは七条塩小路にあった西来院という寺院で、応仁の乱に際して焼失したものを江戸時代初期の
      1662年に、加賀前田藩の家臣、今枝近義が、祖父の縁のあるこの地に再建したものです。










      
      開山にあたり比叡山延暦寺の僧が招かれたことから、比叡山延暦寺を本山とし、延暦寺実蔵坊の末寺のひとつとして
      天台宗に属する寺院となり、また、現在の寺号は、かつて同名の廃寺の跡地であったことに由来すると言われております。









      








      
      山門を入ってすぐ左手には約300体といわれる石仏群が居並んでおり、これらは京都市電河原町線の敷設工事に際して
      発掘されたもので、河原町周辺はかつて鴨川の河原で、戦災や天災による死者や刑死者の屍が打ち捨てられる遺棄葬
      の場であったために、そうした死者を弔うための石仏群が、工事によって掘り起こされ、供養されているのがこの石仏群
      です。これらの石仏群はいずれも大日如来像で、中央には地蔵菩薩像が配されています。









                          









      
      庫裏の手前を本堂に入る入り口ですが、ここからは入れないようになされてます。







      
      書院から眺める池泉鑑賞式庭園 作庭者は不明とされております。
      この庭園は浄土宗的な形式に従い、池の対岸に浄土を描く形をとっており、こうした浄土宗的な庭園は池の周囲を巡り
      歩くことを想定して作庭されることから池泉回遊式と呼ばれますが、蓮華寺の庭園は規模も小さく、書院からの鑑賞を
      旨とした池泉鑑賞式の庭園です。







      









               
               書院に描かれた鷲の杉戸絵 








      
      庭園の奥には水量の豊かな湧水があり、それを導いた池が庭園の中心にあり、池は「水」の字の形に作られており、
      「水字形」と呼ばれるものだそうです。池の右手前には舟石(ふないし)と呼ばれる石が配されている。








      
      舟石を置く庭園は稀少でありますが、とりわけ蓮華寺の舟石は入舟の形をしている点でさらに珍しいものとなっている。
      舟石を置く庭園のほとんどでは、出舟の形があしらわれており、出舟とは、向こう岸に理想郷(浄土)を見出し、彼岸を
      想念させるものであり、それに対し、入舟は浄土を此岸に見出す思想を表すものだそうです。




      









      
      書院からスリッパを履き本堂に向かいます。








      









      
      本堂前の庭園には、蓮華寺形灯籠として知られる2基の灯籠が佇んでおります。蓮華寺形灯籠は、「基礎は六角で蓮弁
      がつき、竿は丸竿で中央部が膨らみ、中台は蓮弁のある六角形で唐草文をあしらってあります。火袋も六角で前後に
      四角の穴を穿ち、笠は急勾配の長めで九段の葺地を表し、頂上に宝珠が乗る独特の形をしており茶人たちに好まれたと
      言われております。





               
               本寺は天台宗の寺院でありますが、造営に黄檗宗僧が関わったこともあり、本堂の様式は
               全く黄檗宗のそれであり、本堂入り口には石川丈山の筆による寺額が掲げられており、
               堂内中央の須弥壇には螺鈿厨子に収められた本尊、釈迦如来像が安置されております。




      









      









               









      









      









      
      土蔵 庫裏の手前にある土蔵は(非公開)、1872年(明治5年)の学制まで、男女共学の寺子屋の教場として使われて
      いた形跡が残されいるそうです。








               
               新緑に覆われた、参道の帰り道です。雨が降った後だったので、緑が生き生きとしており
               ました。








               









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八瀬 瑠璃光院 2009/05/28

2009年05月29日 | 洛北 八瀬方面

      小雨降る新緑を楽しむには、最高のコンディションの中、八瀬の瑠璃光院に行ってまいりました。
      
      叡山電鉄、八瀬比叡山口駅より高野川の清流に沿って歩き、吊り橋を渡ると瀟酒な山門が目に入ります。









                
                ここ「八瀬」の地は、「矢背」とも記されるように、壬申の乱で背中に矢傷を負われた天武
                天皇(672~686)が「八瀬の釜風呂」で傷を癒されてより、平安貴族や武士たちに「やす
                らぎ」の郷として愛されてきました。






                
                喜鶴亭玄関








      









                 









      









      
      玄関に向かうエントランス








      
      水の透明感が目を引きます。








               









                    
                    本願寺歴代門跡もしばしば訪れたと記録に著され、明治の元勲三条実美
                    公は、当時の庵に「喜鶴亭」と名付けて直筆の命名額を下されています。






      
      まず、玄関を入り受付を済ませますと、書院の二階に案内されます。二階に上がって最初に見える景色です。

      正面に見える山裾を右手に進みますと大原の里につながります。





      
      書院二階から眺める瑠璃の庭です。
      大正末から昭和の初めにかけて、一万二千坪の敷地に延二四〇坪に及ぶ数奇屋造りに大改築するとともに、自然を借景
      とした名庭を造営されました。

      建築にあたった棟梁は、京数寄屋造りの名人と称された中村外二、築庭は、佐野藤右衛門一統の作と伝えられます。
      その後現在まで、日本情緒あふれる名建築・名庭として多くの人々に親しまれております。




      
      このお座敷で写経が出来、始めはしたのですが、結構時間が掛かるので途中で断念して持って帰ってきました。
      次回、秋までに仕上げて奉納させて頂くことにいたしました。







       









               









       









               
               二階から降りてきて、釜風呂に向かいます。








       
      八瀬の釜風呂 日本式蒸し風呂の原型であり半円形の釜の中に10数時間、青松葉や薪などを燃やし、内部の土壁が
      充分に熱せられた頃合を見計らって火を引いて燃えかすを掃除して、むしろを敷いて寝転がるお風呂です。
      昔はこれほどの手間を掛け使用いたしましたが、現存する釜はボイラーを使用しているとの事です。 









                     
                    釜風呂の中まで入り見学することが出来ます。








      
      書院、一階から見る瑠璃の庭








      
      瑠璃(るり)の庭 瑠璃色に輝く浄土の世界を表わした当寺の主庭。数十種の苔のじゅうたんをぬって一条のせせらぎが
      清らかに流れます。

      瑠璃色とは、紫がかった深い青色。古くは薄青色と辞書には載っております。






      
      瑠璃光院の名称のもとになった名庭です。 説明によりますと、高い木立のうっそうとした深山に分け入って、ふと木立が
      とぎれ、泉が湧き、せせらぎが流れ、瑠璃色に輝く小宇宙に出会う。
      この庭は、ある気象条件が整うと、深々とした苔が一瞬瑠璃の光をはなち、仏典にいう瑠璃光浄土が現れる、とあります。








      









               
               書院を抜け御本尊が祀られている仏間から、茶室に向かいますが、建物が山の傾斜に
               建っておりますので、階段で下に下がって行きます。









      









      









      
      茶庵「喜鶴亭(きかくてい)」 茶室手前の縁側と庭園








      
      臥龍(がりょう)の庭  天にかけのぼる龍を水と石で表した池泉庭園。眺める人の心を解放し、昇運の兆しをもたらすと
      言われております。








               









      
      喜鶴亭 茶室 三条実美公命名の由緒ある茶室。和敬静寂の精神を映す千家第六覚々斉原叟好みの佇まい。








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      臥龍(がりょう)の庭の座敷を挟んだ、裏庭です。








                          









      








      









               









      









               









      









                    









      
      高野川に掛かる橋です。 瑠璃光院に叡山鉄道で来られた方は、もう一本下流の吊橋を使います。








      
      大変、美しい瑠璃光院ですが、春の特別拝観は5月31日で終了いたします、次回は秋となりますので確認のうえ御参
      拝ください。  075-781-4001

      帰りに、蓮華寺に寄ってきます。







               

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