毎年、新緑と紅葉の時期に特別公開されます宝厳院は、正式名称を大亀山 宝厳院(だいきざん ほうごんいん)と称し、臨済宗大本山天龍寺派の
塔頭寺院のひとつで、寛正2年(1461年)室町幕府の管領であった細川頼之公の財をもって天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲
永光禅師を開山に迎え創建されました。
拝観入口 創建時は、上京区あり、広大な敷地を有した寺院でしたが、応仁の乱により焼失いたしましたが再建され、その後変遷を経て天龍寺
塔頭の弘源院境内に移転の後、現在地に移転再興されました。
入口を入りますと、右手に茶室 青峰軒を囲うように建てられた宝厳院垣(蓑垣) があります。
左手には、嵐山のシルエットが見えております。
獅子吼(ししく)の庭 この庭は、室町時代に中国に二度渡った夢窓国師の法孫である禅僧策彦周良禅師によって作庭された名園で嵐山を巧みに
取り入れた借景回遊式庭園です。『獅子吼』とは仏が説法するの意味で、庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聴く事によって人生の真理、正道を
肌で感じ心が大変癒されると説明されている庭園です。
須弥山を表す築山、その前に人生を思わせる『苦海』(空池)が広がり対岸には『雲上三尊石』が有り苦海の中には此岸より彼岸に渡る舟石、仏の
元に渡る獣石が配置されています。
その左奥には、中国黄河の上流に有ると称されている「登竜門」より「龍門の瀧」があり、その滝壺には鯉魚石を配し、修行の厳しさを表現されて
おります。
三尊石
お茶席 昼間はお抹茶がいただけます。
お茶席の奥に建つ永代供養堂の「無礙光堂」
永代供養堂の奥には本堂が建ちます。 本堂には、御本尊の十一面観世音菩薩が祀られ脇仏には三十三体の観世音菩薩、足利尊氏が信仰した
寺伝に有る地蔵菩薩が祀られており、西国三十三所観音巡りに等しい功徳があると伝えられております。
本堂を飾る、田村能里子画伯筆による「風河燦燦 三三自在」と題された襖絵五十八面が奉納されております。
ちなみに本堂は、別料金になっております。
説明によりますと、絵に登場する三十三人の老若男女が様々な姿でたたずむのを見ていると心が癒され温もりを感じ
るとあり、「タムラレッド」と呼ばれる独特の赤色が大変鮮やかに描かれております。
この襖絵の主題や題名は、田村能里子画伯が独自に作られたものでありますが、「観音経」の経中に観音菩薩は三
十三身に身を変えてこの苦の世界を救われたとあり、まさしくこの襖絵の中に登場する三十三人の老若男女は、観
音菩薩の化身であり、この襖絵によって仏の世界が身近になった気がするとの説明です。
策彦禅師が命名されたと云われる「碧岩」
庭園の中央に位置する、独特な形状をした豊丸垣(ほうがんがき) 豊丸とは、茶人の名前が付けられているそうです。
豊丸垣の横に鎮座する「獅子岩」こちらも策彦禅師が命名されたと説明されております。
本堂から書院の前を流れる小川
天龍寺管長の筆による渡月橋親柱
茶室 青峰軒
庭園を一周しますと拝観入口に戻ります。
寺院の東側には、モミジの参道が続きます。
こちらの門が、宝厳院の正門だと思います。
拝観出口
門前には『嵐山羅漢』が祀られております。『羅漢』とは釈尊の弟子で崇高な修行者(悟りを得た人)を意味する。『五百羅漢』を天下の景勝地・嵐山
に建立する事により、人類の安心立命と嵐山の守護・景観保全を祈念するとともに、有縁無縁の菩薩を弔うものであります。 夢窓国師曰く『山水
ニハ得失ナシ、得失ハ人ノ心ニアリ』
門前の湯豆腐屋「嵯峨野」