京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

岩倉 実相院 秋紅葉 2013/11/26

2013年12月05日 | 洛北

 

      

       洛北岩倉に有る実相院は、元天台宗の寺門派(天台宗には山門派と寺門派があります)の単立寺院で、昔から、岩倉門跡とか、岩倉御殿とも呼

      ばれておりました。  門跡寺院とはその寺院の住職を天皇家の血を引く方々が務められていた、 格式の高い寺院のことで、代々皇室から大きな

      支援を受けて栄えており、とくに室町時代から江戸時代にかけては、天台宗寺門派では数少ない門跡寺院の随一とされておりました。

 

 

 

 

 

      

      静基(じょうき)僧正が開山された、寛喜元年(1229年)に門跡寺院となり、 そのころは北区の紫野に位置しており、その後、京都御所の近くに移

      りましたが、応仁の乱の戦火を逃れるため現在の岩倉に移ったと言われております。 

 

 

 

 

 

      

      その後、義周(ぎしゅう)法親王が門跡となられたとき、京都御所から大宮御所「承秋門院(じょうしゅうもんいん)の 旧宮殿」の一部が下賜されまし

      た。それらが、正面の門「四脚門」、玄関横の「御車寄」 、中の建物「客殿」です。

 

 

 

 

 

      

      また、岩倉具視もここを借りていて住んでいた時期があり、池の前の部屋で密談をした様子などが 記された日記もたくさん残っており、幕末の倒

      幕・佐幕両派と繋がりがあったと言われています。 

 

 

 

 

 

      

      また実相院には、狩野派の画家たちの描いた襖絵等がたくさんあり、 普通では見られない素晴らしい作品が襖や戸、障壁画として使われておりま

      す。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      客殿東側の庭園  

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      数年前までは、石と白砂だけの石庭でしたが、苔が加わり彩が増しました。 

 

 

 

 

 

      

      この庭園は、東向きに位置し比叡山を借景にしております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      客殿北側です。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      西側庭園  池泉回遊式庭園の方は、少し時期が遅かったので、過去の写真も搭載します。

 

 

 

 

 

           

             数年前に伺った時の画像です。

 

 

                               

 

 

       

 

     

               

 

               

 

                           

 

                  

 

                             

 

 

 

                                                          

                         有名な床紅葉は、撮影禁止なのでウェブの写

                         真をかりました。

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      車の方は、駐車場が10台程しか停められないので、週末は相当待つことになると思われます。 国際会議場あたりに停めてタクシーで5分程度で

      すので時間の惜しい方は、混雑状況を確認してから伺ってください。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雲ケ畑 岩屋山 志明院 2012/6/20

2012年06月21日 | 洛北

      

      京都市内から車で、30~40分賀茂川沿いを走り京都市内の最北部に位置する志明院(しみょういん)は、正式には岩屋山金光峰寺(きんこうほうじ)

      志明院と云い、北区雲ケ畑にあり真言宗の単立寺院となっております。通称岩屋不動と呼ばれ、鴨川の源流近い雲ヶ畑の山中にある修験道場で、岩

      屋山不動教本山と称し不動明王を祀っております。 当山は650年(白雉元年)役の行者が草創し、829年(天長6年)弘法大師が、淳和天皇の叡願に

      より再興いたしました。御本尊の不動明王は淳和天皇の勅願に依り弘法大師の直作と伝えられ、根本中院本尊眼力不動明王は宇多天皇の勅願によ

      り菅原道真公一刀三礼の彫刻で以来皇室勅願所として崇敬深く、秘仏として即位に際し勅使を迎え開扉され、宝祚延長、万民安穩の祈願を籠めたそ

      うです。

 

 

 

 

 

      

      日本最古不動明王顕現の神秘霊峯である当山は、皇室の崇敬の一因には鴨川の水源地である洞窟の湧水を重視し水神を祀り、清浄な鴨川の用水

      を祈願したと伝えられております。 水の伝説として有名な歌舞伎十八番「鳴神」の鳴神上人が龍を閉じ込めたと云われる護摩洞窟などがあり、1831

      年(天保2年)失火により山門を除く殆んどが焼失の悲運にあいましたが幸い御本尊の不動明王はその災厄を免れました。その後、数多くの熱心な信

      者により次第に復興され、市の天然記念物に指定されている境内のしゃくなげ林は4月下旬から5月上旬が見頃と説明されております。

      尚、司馬遼太郎が好んだ山寺としても有名で、宮崎駿監督とこの地を訪れアニメ「もののけ姫」のタイトルもこの森から生まれたと云われております。

 

      

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      山門手前には、修験者などの宿泊施設が建っております。 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

      楼門は、室町時代に再建されたもので、両脇を固める金剛力士像は、右側が運慶作、左側が堪慶の作と云われ現在は本堂に安置されております。 

 

 

 

 

      

      尚、こちらのお山では、楼門より奥の写真撮影は禁止されており、カメラ等は受付に預けて入山いたします。 

 

 

 

 

                           

                           金剛力士像 

 

 

 

 

      

      季節がら紫陽花が咲いておりましたが、楼門前は石楠花の木が多数を占めておりました。 

 

 

 

 

                  

                  受付で説明を受け、山内に進みましたが、勾配がきつく台風の翌日だったため足元が滑りやすく、岩屋清水の舞

                  台に立った時には、相当息切れをしておりました。 

 

 

 

 

                         

                         楼門を潜ってすぐ右手に鐘楼が見えてまいり、正面には本堂が建ちます。 鐘楼は、

                         藤原国久作と説明され、本堂には弘法大師の開眼の御本尊不動明王が祀られ、内

                         陣右に大日如来、両脇に毘沙門天、歓喜天が立っているそうです。  

 

 

 

 

                         

                         本堂の左手を奥に進みますと左手に飛龍の滝が見えてまいります。飛竜の滝とは、

                         鴨川源流の一つ岩屋川の流れを集めた滝があり、滝垢離(たきごり)の行場となって

                         いる場所で、弘法大師が行の際に、山の守護神が飛竜となってこの滝つぼに入った

                         ことから飛竜権現の霊が祀られたと云われており、飛竜権現は水を司る神の事を表し

                         ております。

 

 

 

 

                         

            

            飛龍の滝の左手後方の岩屋には、手前に薬師如来が祀られ奥には、鳴神岩屋があります。写真でお見せできないの

            が残念ですが、切り立った岩肌の下に立ちますと、私には霊感はありませんが、感じる方にはとても強い何かを感じて

            いただけると思いました。俗によく言われるパワースポットの様な場所だと感じました。

            歌舞伎十八番中の傑作といわれる歌舞伎脚本「鳴滝」(「雷神(なるかみ)不動北山桜」)の舞台として知られる鳴神岩屋

            とは、朝廷の命により岩屋山に籠り、祈願していた鳴神上人が、約束を反故にされたことを怒り、竜神を飛竜の滝壺に封

            じ込めたことに始まり、雨を呼ぶ竜神が封じられたために、都は旱魃となりました。これをやめさせるために、美姫・雲の

            絶間姫(くものたえまひめ)が遣わされ、ついに上人を破戒させ、注連縄を断ち、竜神を解き放って雨を降らせたという話

            です。 

 

 

            今回は、カメラの持ち込みが出来なかったので、くわしい情報が提供できませんでしたが、ネット上に搭載されてた写真が

            ありましたので、無断ではありますが、参考のため添付させていただきます。 

 

 

                           

                          飛龍の滝

 

                            

                          飛龍の滝の右手で道が左右に分かれ、左手に進みますと、鳴滝の岩屋につながり、

                          戻ってきて右手に進む階段が上の写真です。

 

                           

                         階段の突き当たりに岩屋清水の舞台が建ちます。右手の階段で舞台に出ます。

 

 

                         

                         岩屋清水

                         今回、志明院へ伺いましたのは、お客さんのリクエストでもありましたが、写真の制限

                         もあり申し訳ありませんでしたが、大変すばらしい所を訪れることが出来感謝いたして

                         おります。 心が洗われる様な、心身ともにパワーをいただけた気がいたします。

                         次回は、季節を変えて伺いたいと思います。

                         

 

 

地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.42.57.923N35.7.37.904&ZM=7 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩倉 幡枝離宮跡 圓通寺 8/31/2011

2011年09月01日 | 洛北

      

      洛北岩倉の幡枝(はたえだ)に位置します圓通寺は、 臨済宗妙心寺派の寺院で、山号を大悲山と号します。北山通りの植物園の東側を北に進み深泥

      ヶ池(みどろがいけ)の北1kmほどの所にあります。江戸時代の初期、後水尾上皇が造営された幡枝御所跡で、上皇が修学院に山荘(現在の修学院離

      宮)の完成に伴って近衛家に与えられたもので、後に、霊元天皇が乳母円光院の願いを受け御殿と庭園を与えて延宝6年(1678)に尼寺となりました。

      のち、霊元天皇の勅願寺となっております。

 

 

 

 

 

      

      山門を潜り、拝観受付のある庫裡に進みます。 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

       

       常陸宮殿下御参拝時の記念植樹の立札

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      光の壁と題された土壁は、ただ崩れ落ちている訳ではないと解りましたが、芸術作品は見る方によって解釈が違いますので、難しいですね。 

 

 

 

      

      

 

 

 

 

 

 

      

       壁の向こうの手前が、鐘楼で左手奥が本堂です。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

              

              意味を調べてみましたが、いまいち解りませんでした。 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

        

      拝観受付前の華頭窓、本堂前の庭園になります。 

 

 

 

 

 

      

       靴を脱ぎ、入ったところ右手が拝観受付です。 ここから先は、庭園のみの撮影は許可されておりますが、それ以外は撮影禁止になっております。

 

 

 

 

 

      

      圓通寺は、比叡山を借景とした庭園としては、京都一の評価があり、枯山水式の庭園で国の名勝に指定されております。苔を主体に刈込みと石を配し、

      大小40余りの庭石は上皇となった後水尾天皇が自ら配したといわれております。また、刈込みと立木の背後に望む比叡山を借景としており、上皇は最

      も比叡山の眺望に優れた地を求めて、12年を掛けこの幡枝に山荘を設けたといわれております。

 

 

 

 

 

      

      借景の美しさで名高い庭園ですが、そのため、高層マンション建築など急速に進む都市開発は、貴重な借景を壊してしまう懸念材料になると危惧され

      ており、 そのため、京都市は圓通寺庭園など借景を保護するための眺望条例(正式名称は京都市眺望景観創生条例)を制定するようになり、遅れば

      せながら景勝地の景観に配慮する動きが出始めました。圓通寺は同条例の対象地となり、周辺区域では高さだけでなく、屋根の形式なども制限され

      ることとなりました。

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

      

      以前は、この景色の撮影も禁止されておりましたが、近隣の開発に伴い景観が損なわれる恐れが出たため借景を記録に残して欲しいというお寺側の

      配慮から庭園部分のみ撮影が許可されるようになり、観光客にとっては嬉しい結果となりました。

 

 

 

 

 

      

       生垣には、ツツジやサツキが植えられ縁側から見る方の目線に合わせ、1.6mあるそうです。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      比叡山の真西に位置する庭園は、約400坪の平坦な杉苔に覆われ、40個余りの紀州の海石を配した枯山水平庭になります。その周囲は躑躅,山茶

      花などの低い混ぜ垣で囲われ、その外に植えられた杉と檜の間から比叡山を望むます。ここから望む比叡山はその稜線の美しさから「みやこ富士」と

      も言われております。 

 

 

 

 

 

 

       

       比叡山山頂、現在はガーデンミュージアムになっております。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

              

               庭園の北西角にある手水鉢、左に進みますと本堂につながります。

 

 

 

 

 

                 

                  本堂は、「潮音堂(ちょうおんどう)」と云われ御本尊の観世音菩薩が祀られており

                  ます。本尊の観世音菩薩は、黄金色に輝きとても優しい顔立ちをなされております。

 

 

  

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       光の壁の一部に磁器の欠片が見えます。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

              

              敷石の大きさが目立ちます。 

 

 

 

 

 

      

      向かいの石垣も個性的な組み方になっております。 

 

 

 

 

 

 

              

              圓通寺の南側です。 

 

 

 

 

 

      

       

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       圓通寺の裏側(西側)に真新しい駐車場が完備されております。約20台ほど駐車出来ます。

 

 

 

 

 

      

       こちらは、正面で大型バスも駐車出来ます。

 

 

 

 

 

      

      圓通寺の前の農地と宅地の先に比叡山が望めますが、先ほど見た山と同じ山に見えないのが不思議です。ロケーションの違いを思い知らされました。

      この違いを体感すれば、近隣の方も高い建物は建てられないですね。 許可を下す京都市の職員は、あちこちの庭園を回り研修を積んでほしいもので

      す。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西賀茂 神光院 8/18/2011

2011年08月20日 | 洛北

      

      鴨川の御園橋を西詰を北に進み西賀茂の閑静な住宅地と畑に囲まれた地に位置する神光院(じんこういん)は、山号を放光山といい、真言宗の単立

      寺院です。御本尊は弘法大師(空海)像で、「厄除け大師」として信仰されており、東寺(教王護国寺)、仁和寺と並ぶ京都三大弘法として有名であり、

      地元では「西賀茂の弘法さん」の愛称で親ております。

 

 

 

 

 

      

      1217年(建保5年)、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の神職松下能久が、「霊光の照らした地に一宇を建立せよ」との神託を受け、大和国から慶円を招い

      て寺を建立したと伝えられ、寺名はこの由緒にちなみ、「神光院」と名づけられました。 山門を入りますと正面に四角い衝立のような刈り込みの木が

      立っております。

 

 

 

 

 

 

      

      山門を潜り左手に手水場があり、その奥に茶室の蓮月庵が建ちます。この寺領は、創建される前には、京都御所に奉納する瓦職人の宿に用いられて

      おり、「瓦屋寺」と呼ばれていたそうです。

 

 

 

 

 

      

      手水場の石畳を進みますと右手に池がありその奥に本堂が建ちます。空海が42歳の時に、当院で九十日間の修行を行ったとされ、修行を終えて寺

      を去る際に、境内の池に映る自らの姿を見て木像を彫り、厄除を祈願したといわれております。この木像は本堂に安置され御本尊としてお祀りされて

      おります。同時に彼が眼病治癒の祈祷をしていたことから、眼病に利益のある寺としても広く知られるようになりました。 正面の池のほとりに建つ燈

      籠の山茶花の木は、珍しい品種だそうで八重の白い花を12月に咲かすそうです。

 

 

 

 

 

        

      その後は密教の道場としても栄えましたが、 天保年間(1830年 - 1843年)に堂宇を焼失しております。幕末の女流歌人で陶芸家の大田垣蓮月は、

      晩年の75歳から当院に隠棲していたことから、境内には「蓮月尼旧栖之茶所」と刻まれた石碑とともに、茶室(蓮月庵)が残されております。蓮月隠棲

      中の明治初期に、廃仏毀釈運動を受けて一旦は廃寺となりましたが、蓮月没後の1878年(明治11年)に僧侶、和田月心により再興されました。

 

 

 

 

 

      

      本堂の手前の西側に建つ弘法大師像

 

 

 

 

 

      

      本堂前には、「不思議大日色紙」の看板が立ち、部屋に飾るだけで必ず願い事が達成できるといわれる不思議な大日の色紙を頂くことが出来ます。

      と書かれています。 なお、厄除、眼病祈祷の寺として知られており、毎年7月21日と土用丑の日には、諸病封じのきうり加持が行われます。

 

 

 

 

 

         

       きうり加持とは、自分の身代わりになるきゅうりを受け取り、自分の悪い部分をなぞって土に返すことで諸病封じをしてもらうという行事です。自分の分

      身になる、きうりに、自分の氏名を書き、紙が巻き付けらます。きうりを左の台から右の台に、氏名を読み上げ祈願をします。 祈願が終われば、祈願し

      たきうりを祈願者さんに手渡します。 きうりは、家などに持って帰って土の中に埋めるのですが、マンションなど、持って帰って埋められない人は、境内

      にある、きうり塚に納めます。 後日、神光院さんが納められたきうりを土の中に埋められます。、当日は本堂で祈願法要が7:00~16:30まで行われ

      て、人数が20名ほど揃うと、祈願法要が行われます。

 

 

 

 

      

       本堂の西側には、蔵があり本堂北側には中興堂が建ちます。こちらの神光院は、閑静で観光客が少ないためか、時代劇の撮影の場所として数々の

      作品に使用されているそうです。

 

 

 

 

 

      

      本堂からの廊下でつながる中興堂 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       中興堂西側の石碑には、陸軍中将・松井〇三郎の名が刻まれております。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

              

               本堂と庫裡を結ぶ渡廊下です。

 

 

 

 

 

      

      幕末の女流歌人で陶芸家の大田垣蓮月が、晩年の75歳から隠棲していたといわれる蓮月庵です。

 

 

 

 

 

      

       中には、大聖不動明王が祀られております。

 

 

 

 

 

      

      庫裡玄関

 

 

 

 

 

      

      玄関前の蓮も時期が過ぎてしまいましたが、何とも愛嬌がありました。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       山門を入り右手には、弁天島が浮かぶ弁天池があります。

 

 

 

 

 

              

               池は、水源が無くなってしまったのか、枯れてしまっておりました。

 

 

 

 

 

      

       こちらも水の無い枯れ池でした。

 

 

 

 

 

      

       写真では、確認しづらいですが、土壁の向こうに比叡山が借景となっております。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      神光院は、四季を通じて色々な花が咲きますが、特に12月前後に境内に咲く、白い八重のサザンカは、当院にのみ存在する珍しい品種であるといわ

      れ、訪れる方の目を楽しませているそうです。駐車場も10台以上停めることが出来紅葉のシーズンには穴場的な場所だとおもいます。       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上賀茂 大田神社 杜若 05/16/2010

2010年06月03日 | 洛北

           大田神社は、上賀茂に位置し古くは恩多社(おんたしゃ)と呼ばれた事もあり、上賀茂神社の摂社です。普段はひっそり
           とした神社ですが、五月の上旬から中旬にかけて二万本といわれる杜若が咲き乱れる光景を沢山の方が見に訪れてお
           られます。 
    





          
          祭神には、天鈿女命と猿田彦命を祀っており、延喜式内の古社で、この付近の沼沢池を開墾して栄えた賀茂氏の崇敬を
          受けた神社です。







           
           鳥居をくぐり拝殿に向かう脇に流れる溝のような細い小川から、独特の鳴き声が聞こえてきますが、姿がまったく見えま
           せんでしたが、近くに居られた方が見つけて教えていただきました。






           
           鳴くたびに喉が膨らみ、とても愛嬌がありました。







           
           卵は、拝殿に近い上流のほうに何箇所か産卵しておりました。








           
           この沢池を「大田の沢」といい、野生のかきつばたが美しく咲き乱れております。
           藤原俊成の古歌に「神山や大田の沢のかきつばたふかきたのみは色にみゆらむ」と詠われ、平安時代からこの付近の
           沢地には、かきつばたが咲きみだれて、名勝となっていたようです。







  
  五月上旬から下旬にかけ、濃紫、鮮紫の花が美しく咲き、このかきつばたの群落は、国の天然記念物に指定されています。約二万本群生していると
  言われ、5月20日頃までが見頃と仰っておられました。







                      








           








                     








           








                     









           








           








コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上賀茂神社・鴨川畔  04/08/2010

2010年04月23日 | 洛北

           今年は、四月に入りましても天候不順が続き晴れた日が少なかったのですが、間隙を縫ってこの日は晴れてくれました
           ので、仕事の合間に出かけてきました。









           
           四条川端から北上し桜並木を眺めながら、葵橋西詰めから加茂街道を上がって行きましたが、鴨川畔はずっと桜が続い
           ており春を満喫した気分になりました。
           上二枚の写真は、北大路から北山通りの間の植物園沿いの紅しだれです。鴨川畔はほとんどが染井吉野ですが、この
           区間だけは紅枝垂れが植えられており、桜祭りが行われておりました。




           
           世界文化遺産に指定されております上賀茂神社は、賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)は、京都市北区にある
           神社で「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」の通称で呼ばれ親しまれており、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀
           茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称されており、5月15日の賀茂神社両社の祭事である葵祭で有
           名でもあります。





           
           賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祀る。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた
            雷(神鳴り)の神という意味だそうです。





           








           
           斎王桜の東側(写真右手)では、皆さん思い思いにシートを敷きお花見を楽しんでおられました。






           
     









           
           斎王桜







           
           風流桜 葵祭りのときに「風流傘・花傘」が、この桜を目印に並べられるそうです。 二の鳥居の右手にあります。






           
            神代の昔、本社の北北西にある、秀峰神山(こうやま)に御降臨になり、天武天皇の御代(678)、現在の社殿の基が
           造営され、本殿御鎮座以後も広く庶民の信仰を集め、皇室の御崇敬は歴代にわたり、行幸啓は枚挙にいとまなく、国家
           の重大時には必ず奉幣、御祈願がありました。 嵯峨天皇は御杖代(みつえしろ)として皇女有智子(うちこ)内親王を斎
           王(さいおう)と定め、その制度は以来三十五代、約四百年続きました。








           
           正面、細殿と右手橋殿








                     
                     立砂 - 細殿前の円錐状の二つの砂の山は御神体である神山を模したものであり立砂(た
                     てずな)といいます。鬼門にまく清めの砂の起源とされているものです。






                     








           
           楼門








           








           








           
           本殿







           








           








           








           








           
           葵祭りの起源  賀茂祭は祭儀に関わる全ての人たち、また社殿の御簾・牛車に至るまで二葉葵を桂の小枝に挿し飾る
           ことから、広く一般には「葵祭」として知られる祭です。 その起源は太古別雷神(わけいかづちのかみ)が現社殿北北西
           にある神山(こうやま)に御降臨された際、御神託により奥山の賢木(さかき)を取り阿礼(あれ)に立て、種々の綵色(い
           ろあや)を飾り、走馬を行い、葵楓(あおいかつら)の蔓(かずら)を装って祭を行ったのが当神社の祭祀の始めであります。

           時を経て6世紀欽明天皇の御代、日本国中が風水害に見舞われ国民の窮状が甚だしかったため、勅命により卜部伊吉
           若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせられたところ、賀茂大神の祟りであると奏したことにより、4月吉日を選び馬に鈴
           を懸け、人は猪頭(いのがしら)をかむり駆馳(くち)して盛大に祭りを行わせた事が賀茂祭の起こりであると『賀茂縁起』に
           記されています。








           
           上賀茂神社をあとにし、徒歩で5分の距離にある太田神社をのぞいて来ました。こちらの神社は、杜若が有名で5月には、
           2万本ともいわれる杜若が咲き乱れます。






           








           
           帰り道も加茂街道をはしりました。 植物園横







           









           
           比叡山山頂です。







           
           大文字山を借景に染井吉野が、満開状態です。







           
           北大路と葵橋の間に架かる出雲路橋から、上流(北大路方面)です。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩倉 実相院 09/11/13

2009年11月23日 | 洛北

      実相院は、元天台宗寺門派の門跡寺院です。 ご本尊は不動明王で、鎌倉時代の1229年関白近衛基通の孫・静基権
      僧正により創建されました。
      当初の紫野上野町から洛中の五辻通小川へ移転し、応仁の乱の戦地となったため、現在の岩倉に寺域を構えました。









      
      実相院は昔から、岩倉門跡とか、岩倉御殿とも呼ばれています。
      門跡寺院とはその寺院の住職を天皇家の血を引く方々が務められていた、格式の高い寺院のことで、代々皇室から大き
      な支援を受けて栄えていました。とくに室町時代から江戸時代にかけては、天台宗寺門派では数少ない門跡寺院の随一
      とされていました。










      









      
      東側の借景式庭園、正面に比叡山を借景しております。








      
      また実相院には、狩野派の画家たちの描いた襖絵等がたくさんあり、 普通では見られない素晴らしい作品が襖や戸、
      障壁画として使われています。












      
      書院から眺める池泉回遊式庭園、向こうに見える建物は、客殿です。








                









      









                       









      









                       









               









      









                              
      実相院は、床に映り込む紅葉で有名ですが、撮影禁止でカメラを構えたら監視カメラで見られており即座に注意のアナウンス
      がありますので、ご注意ください。この写真は、絵葉書から撮ったもので、こんな感じに見えます。


        blogram投票ボタン  クリックをお願いします。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大原寺 実光院 2009/06/25

2009年07月03日 | 洛北

      こちらの実光院も、宝泉院と同じく勝林院の子院であり、元は大原陵の地にあった他の2箇所の子院を併合して大正8年
      に現在の地に再建されました。 位置的には、宝泉院の南隣で勝林院から三千院に戻る途中にあります。










                    
                    客殿の玄関 参拝の方は、右上の銅鑼で来院を知らせて下さい。








      
      客殿に入り左手に池泉観賞式庭園があります。 まずこちらでお抹茶をいただきますが、宝泉院の後に行くと続けてお
      抹茶をいただく事になります。








      









      
      客殿の南に広がる庭園は、池泉鑑賞式庭園で、旧普賢院(併合した子院)の庭園で(契心園 けいしんえん)と言い、
      中央の心字の池へは律川から導いた滝の水が流れ落ち、滝口の近くには蓬莱石組があり、築山の松は鶴を、池の島は
      亀を表しております。さらに池の手前が俗世間、向こうを仏の浄土に見たてております。








      
      御本尊には、地蔵菩薩像を祀り、脇侍には不動明王像と毘沙門天像を安置いたしております。 








      

                    
                    これらの楽器は、いずれも声明研究の一助にと歴代住職が収集されたものです。








               









      









      









                         









       
     欄間の三十六詩仙画像は、江戸時代中期の狩野派の画家の筆によるものです。








      
      客殿西側の庭園は、旧理覚院(併合した子院)の池泉回遊式庭園で、実光院に併合された後、当時の住職が作庭した
      もので中央に瓢箪池があり、配置してある石の多くは寺領の山や谷から運び込んだものです。

      池の向うに見える不断桜は、例年初秋より咲き始め翌年の春まで花が咲いている珍しい品種で、秋の紅葉の季節には
      観桜と紅葉狩りが一度に楽しめるそうです。








      









      









      
      庭の北西隅にある茶室「理覚庵(りかくあん)」は、昭和50年に建てられたもので桧の変木床柱を始め、木材ほとんどは
      実光院領の山林から調達されました。








      
      茶室控えの間の夏椿  よく「沙羅双樹」と呼ばれますが、釈迦(しゃか)が亡くなったときに近くに生えていたことで有名な
      「沙羅双樹」は、全く別の熱帯樹のことで「沙羅双樹」は日本の風土では育たないそうです。
      では、なぜ夏椿がこの「沙羅双樹」に間違われたのか・・・。 昔、ある僧侶が、仏教にゆかりのある沙羅双樹の樹は日本
      にもきっとあるはず、と山に入っていろいろ探したところ、夏椿の木を見て「これが沙羅双樹だ!」と思い込み、それを広め
      たため、との説があります。








      









      









               
               理覚庵茶室








      
      茶室前のつくばい(手水鉢)  庭木には茶花を多く植え込む配慮もなされております。








      









      









      









      









      









      
      西の金比羅山や小塩山を借景に取り入れるために庭木を低く仕立てて開放的な明るい印象を与える工夫がなされて
      おります。








      









      









                       
                       次は、大原最後の目的地の三千院にお参りいたします。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新緑の上賀茂神社  2009/05/03 

2009年05月06日 | 洛北

      大田神社から上賀茂神社に向かう途中の風景です。上賀茂神社からの小川が流れ風情を感じられます。








                
      上賀茂神社の門前町の社家と呼ばれる独特な造りの家々は、昔は神社に仕える方々が住んでおられた住居です。
      明神川には、一軒一軒橋が掛けられております。各家々は、この川の水を家に引き入れ生活用水として利用されて
      おります。








     
     上賀茂神社 一の鳥居  正式名称を加茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)と言い加茂別雷大神が祀られております。








                    
                    この注意書きは、5日に行われる「加茂競馬(くらべうま)」のための立て札です。








      
      手前が、斎王桜で奥が御所桜と書いてありました。








      
      来年はこの枝垂れを観に来ます。








      
      日本の乗馬の発祥の地とされ、馬とのかかわりが深い上賀茂神社は、5日に天下泰平と五穀豊穣を祈願する「加茂競馬」
      が行われます。
      二頭の馬に「乗尻(のりじり)」と呼ばれる騎手が黒い装束と赤い装束に分かれ6回勝負いたします。当日は5千人もの
      観客が観戦に訪れるそうです。








                    
                    飼葉は有料で馬に直接食べさせてあげることが出来、小さなお子さんが
                    恐る恐るあげておりました。  神馬舎








      
      二の鳥居前の御所舎








      
      上賀茂神社の由来は、神代の昔、本社の北北西にある、秀峰神山(こうやま)に御降臨になり、天武天皇の御代(678)、
      現在の社殿の基が造営されました。
      本殿御鎮座以後も広く庶民の信仰を集め、皇室の御崇敬は歴代にわたり、行幸啓は枚挙にいとまなく、国家の重大時
      には必ず奉幣、御祈願がありました。

      嵯峨天皇は御杖代(みつえしろ)として皇女有智子(うちこ)内親王を斎王(さいおう)と定め、その制度は以来三十五代、
      約四百年続きました。











                      
                       細殿と立砂








      









      









              
       御手洗川








      
      楼門








      
      中門(ちゅうもん)この奥が本殿になってます。








                    









      









                    









                      









      









                          









                    









      









      









      









      









                       
                       新緑の中、水遊びが出来、一の鳥居と二の鳥居の間の枝垂れ桜の
                       周りでは、お弁当を広げているグループも多数あり開かれた空間
                       になっております。








      
      桜の周りでピクニック感覚の方が沢山おられました。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上賀茂 大田神社 杜若二万本 2009/05/03

2009年05月04日 | 洛北

      北区、上賀茂に位置し古くは恩多社(おんたしゃ)と呼ばれた事もあり、上賀茂神社の摂社です。 
      上賀茂神社の東、徒歩で10分程度の距離です。









                    









                      









      
      祭神には、天鈿女命と猿田彦命を祀っており、延喜式内の古社で、この付近の沼沢池を開墾して栄えた賀茂氏の崇敬を
      受けた神社です。
 
 







      
      右方東側の沢池を「大田の沢」といい、野生のかきつばたが美しく咲き乱れております。

      藤原俊成の古歌に「神山や大田の沢のかきつばたふかきたのみは色にみゆらむ」と詠われ、平安時代からこの付近の
      沢地には、かきつばたが咲きみだれて、名勝となっていたようです。








      
      五月上旬から下旬にかけ、濃紫、鮮紫の花が美しく咲き、このかきつばたの群落は、国の天然記念物に指定されています。

      約二万本群生していると言われ、5月20日頃までが見頃と仰っておられました。







                    









      









                      









      









                      









      


      車で行かれる方は、神社の西側に5~6台分の駐車スペースしかなく、周りは住宅で道路も狭いので御気を付けください。








   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩倉 実相院 秋紅葉 2008

2008年11月30日 | 洛北

実相院は、元天台宗寺門派の門跡寺院です。

ご本尊は不動明王で、鎌倉時代の1229年関白近衛基通の孫・静基権僧正により創建されました。
当初の紫野上野町から洛中の五辻通小川へ移転し、応仁の乱の戦地となったため、現在の岩倉に寺域を構えました。























































実相院は、床に映り込む紅葉で有名ですが、撮影禁止でカメラを構えたら監視カメラで見られており即座に注意のアナウンスがありますので、ご注意ください。
この写真は、絵葉書から撮ったもので、こんな感じに見えます。

交通機関は、バスか地下鉄で国際会館まで行き、タクシーでワンメーターです。
時間を大事にされる方は、地下鉄をお勧めします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする