京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

宇治・三室戸寺 つつじ後編 05/10/2010

2010年05月30日 | 洛南 伏見 宇治方面











           










          









           








           
           庭園は、入った所左手には白砂の綺麗な庭園が広がります。







           








           








           








                     








           
           池の周りは、いろんな花で彩られております。







           
           手前の花の名前が判りませんでしたが、白いのは小手毬です。







           








           








           
           池のそばに寄ると、餌場なのか金銀高価そうな鯉が集まってきます。







           
           その中に、大昔に話題になった人面魚を発見いたしました。







           









                     
                     庭園の左手に石楠花谷が、ありますが見頃が4月~5月と表示されておりますので時期が
                     終わってしまったようです。写真は、石楠花谷に向かう橋の袂の大手毬です。








           
           ここからは、見頃を迎えておりますツツジの丘になります。








           








           








           








           








           
           こちらの茶店では、麺類やお抹茶がいただけます。







           
           茶店前から







           








           
           ツツジを満喫し冷やし茶そばでお腹も落ち着いたところで、もう一度、来た道を戻り池のある庭園まで引き返します。







           








           








           
           ピンクと白のツツジを見てきた後のアヤメの蒼が引き立っておりました。







                     








           








                     








           
           帰り道は、紫陽花園を通り駐車場に向かいます。







           
           六月の開花を待つ紫陽花は、まだこんな感じでした。







           











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宇治・三室戸寺 つつじ2万本 前編 05/10/2010

2010年05月30日 | 洛南 伏見 宇治方面
           昨年は、紫陽花の時期に伺いましたが、花の寺と言われるだけあり二万本と云われるツツジは圧巻でした。生憎の雨
           模様でしたが、境内や庭園を回っている間は止んでくれ、雨にぬれた花々が鮮やかに咲き誇っておりました。







           








           
           手前の紫陽花は、6月の開花に向け準備を始めておりました。







           








           








                     
                     昨年の紫陽花に比べますと、艶やかさが数段ちがいました。








           








           
           ツツジに負けじと石楠花も参道を彩っております。石楠花は、ツツジや皐月と同じ種類だそうです。







           
           吾妻石楠花







           








                     
                     庭園は後にして、まずはお参りを済ませてきます。






           
           西洋石楠花







           








           








           








           








           








           
           本堂








                     
                     階段を登り切り左手にある不動明王が立つ手水場







                     








           









           
           三室戸寺は天台宗系の寺院で、山号は明星山、西国三十三所第十番札所のお寺です。宝亀年間(770年)光仁天皇の
           勅願により南都大安寺の僧行表が創建したものといわれており、初め御室戸寺と称しましたが、三井寺の修験僧隆明が
           中興した際に、現寺名に改称されました。本堂前に並んでいる鉢は、夏には蓮の花が咲き誇ります。




           
           本堂前に鎮座する勝運の牛は、口の中の珠を触ることで勝機が訪れると云われております。







                     








           

                          
           ミイラの様な賓頭盧さんは、十六羅漢の第一とされておりましたが、神通力をもてあそんで釈迦に呵責(かしやく)され、涅槃
           (ねはん)を許されず、釈迦の入滅後も衆生(しゆじよう)の救済にあたったと云われております。白髪と長眉(ちようび)の姿で
           示され、日本では堂の前に置き、これを撫でると除病の功徳があるという俗信が広まりました。



                     
                    この福徳兎は、両手を穴に入れ中の卵状の珠を立てることが出来れば、福徳を授かる説明
                    されております。昨年は無かったので新しいもののようです。






           
           本堂前の境内中央の灯籠







           

           








           
           本堂南側の鐘楼と三重塔 三重塔 元禄17年(1704年)の建立で全高16メートルあり、もとは兵庫県佐用郡三日月村(
           現・佐用町)の高蔵寺にあったものを、明治43年(1910年)に当寺が買い取って参道西方の丘上に移設いたしましたが、
           その後境内の現所在地に移されました。




                     








                     









           
           羽衣もみじと鐘楼







           








           
           こちらは、野村もみじです。







                            








           








           
           本堂のお参りを済ませて庭園に向かいます。













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比叡山ドライブウェイ 八重桜 05/07/2010

2010年05月25日 | 洛外 比叡山方面

           京都市内も雨模様でしたが、ドライブウェイに入ったあたりから靄(もや)が掛かり始め、いつもと違う幻想的な景色をでした。









           
           延暦寺・根本中堂







                     
                     根本中堂前の文殊楼への階段








           
           階段横の伝教大師最澄若き日の立像と野村紅葉







           








           








           








           








           








           
           五月の大黒さんの法要は、14日の甲子に結願を迎える浴餅供という法要で一週間前のこの日に、御本尊を預けにまい
           りました。浴餅供とは多羅という器の中に大黒天を安置し、尊体に人肌に温めた餅粥を注ぐ年に一回の特別な修法です。
           一日三回の読経が、7日間21座行われ今年は、藤波大阿闍梨が行われました。

           比叡山 三面出世大黒天  大黒天は、古代インドの闇黒神で、摩訶迦羅といわれ、破壊戦闘を司る神でした。仏教に
           取り入れられても、戦闘を司る神とされています。又、万物育成の神ビシュヌの化身とも言われ、財福神としての性格を
           引き継いでいます。七世紀頃には、インドの厨房に大黒神を祀って食糧の守護神として、信仰されておりました。中国に
           は、唐の時代に伝えられており、伽藍や民家の食堂などにも、食糧を司る護法神として祀られていたようです。
           入唐求法僧であった伝教大師が、この大黒天を平安時代初頭に、中国から日本へ伝えられました。比叡山は、日本の
           大黒天信仰の発祥の地であります。現在でも、天台宗の寺院では、大黒天を厨房神として崇拝しております。後に豊臣
           秀吉がこの大黒天に出世を願い遂に豊太閤となったことから三面出世大黒天と敬称され、福徳延寿をお授けになる大黒
           天として、自他安楽の道を願う人々の信仰を受けてききたものです。






                         








                     
                     大黒堂の横からも文殊楼に上がれます。石楠花






           








           
           大黒堂前の一隅を照らす会館 会館の地下には坂本の鶴喜そばが入っております。






                                








           
           比叡山・東塔を後にし西塔方面に向かいます。 ここから先の沿道には色んな種類の八重桜が満開になっておりました。






           
           西塔の駐車場 普賢象








           
           里桜の中でも紅色が濃い関山か大島、雨が強く確認できませんでした。







           








           
           西塔駐車場の横川方面の出入り口にある御衣黄







           








           
           沿道の関山







           








           
           手前が関山と真ん中が、松月







           
           右が駒繁、左が関山と表示されております。







           
           ここは、全部普賢象です。







           
           奥比叡ドライブウェイの琵琶湖展望レストランの駐車場に建つ伝教大師最澄像






           
           天気の良い日は、眼下に琵琶湖が望めます。







           








           
           139番、ドライブウェイの桜には、この様に番号札が付けられ管理されております。種類も表示されていてとても親切です。







           









           







           
           伝教大師像の左側にある一茉と書かれた樹です。







           








           
           帰り道の狩篭の丘の普賢象







           








                         








           








           
           雨がきつく濡れてしまいましたが、いつもと違う雰囲気を味わえ、雨も良しの一日でした。







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宇治・平等院 藤棚 ・ツツジ 05/05/2010

2010年05月24日 | 洛南 伏見 宇治方面
           世の中は、ゴールデンウィークの連休最後の日に平等院に伺ってきました。連休中にわざわざ行かなくても良かったので
           すが、次の日から天気が下り坂になっておりましたので、道が混んでいるのを覚悟で出掛けましたが、連休最後の日とい
           うのもあって混雑に遭うことも無くスムーズについてくれました。車でしたので、平等院南側の駐車場に停め裏口から入場
           いたしました。




           
           








           
           入り口を入りますと、鳳翔館と名付けられているミュージアムの西側(建物の奥)を回り、境内に入り浄土院へと進みます。







           
           入り口側に振り返った景色です。







           
           門をくぐると、白壁の左手が養林庵書院です。







                     
                     正面が、浄土院です。







           
           浄土院前から見た鳳翔館







           
           浄土院 浄土院は平等院の塔頭で、浄土宗の栄久(えいく)上人が、明応年間(15世紀後半)に平等院修復のために開
           創した寺と伝えられています。 文化財である阿弥陀如来立像、帝釈天立像、養林庵書院障壁画などを管理しています。









                     

           
           浄土院の朝日山の額は、平等院の山号です。








           
           浄土院前から、鳳凰堂後姿







                     








           
           羅漢堂は、浄土院の北側に位置し、茶師星野道斎とその息子たちにより寛永17年(1640)に建立されました。 主要部材
           が建立当時そのままに保存され、鏡天井に描かれた龍は彩色良く保存されています。







           
           羅漢堂から見た鳳凰堂の左翼と野村もみじ







           
           鳳凰堂の屋根に羽ばたく二羽の鳳凰







                              








           
           鳳凰堂は、平安時代後期、天喜元年(1053)に、時の関白藤原頼通によって平等院に建立された阿弥陀堂です。
           華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできるほとんど唯一の遺構として、このうえなく貴重な建築です。最も大きな特徴
           は池の中島に建てられていることで、あたかも極楽の宝池に浮かぶ宮殿のように、その美しい姿を水面 に映しています。
           堂内の拝観は、別料金で20分置き位で入れ替え制でガイドの方が説明してくださいます。








           
           鳳凰堂北側の藤棚と観音堂 観音堂は、鎌倉時代前期に創建当時の本堂跡に再建された建造物とされており、法橋徳
           応のニ天像、不動明王像が祀られています。







           
           藤の花は、毎年ゴールデンウィーク中が見頃になります。







           
           表門から鳳凰堂に続く参道とツツジ







           








           
           樹齢200年を越える5株の樹が藤棚を形成しております。







           








           








           








           








           
           世界遺産の平等院は、平安時代初期の左大臣源 融(みなもとのとおる)の別荘跡を1052年に関白藤原頼道が寺に改
           め、平等院と名付けて極楽浄土を現出させようとしたものです。山号を朝日山と称し、宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗
           を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっております。





           









            
           鳳凰堂に入らない方のためにも対岸から阿弥陀如来像が拝める配慮がなされております。 







                     








           








           









           

                         
                         平等院ミュージアムは、宗教法人としては初の総合博物館となる「鳳翔館
                          (ほうしょうかん)」を2001年(平成13年)3月1日(木)に開館しました。






                    
                    鳳翔館の入りますと、この時期からクーラーが良く効いており汗だくで入りますと急に熱が
                    奪われ寒さを感じてしまいましたが、慣れると外に出るのが嫌になりそうです。






           
           鳳凰堂の壁面に配置されている国宝・雲中供養菩薩像の一部が展示されております。 パンフレット写真より。






           
           ミュージアムの出口です。電車の方は、左へ、車の方は右へと分かれていかれます。






           








                            








           
           ミュージアムの南側に位置する鐘楼、先代の梵鐘はミュージアムに展示されております。







           
           平等院の横を流れる宇治川の上流にある天ヶ瀬ダム 天ヶ瀬ダム(あまがせダム)は西日本屈指の大河川・淀川本流に
           建設された唯一のダムで、高さ73.0メートルのアーチ式コンクリートダムです。







           
           淀川の治水と宇治市への上水道供給及び、総出力59万8,000キロワットにも及ぶ水力発電を目的とした特定多目的ダム
           です。






           
           ダムによって形成された人造湖は鳳凰湖(ほうおうこ)と命名され、平等院鳳凰堂などと共に宇治地域の主要な観光地と
           なっております。平等院からは車で五分の距離に位置します。
           毎日かは、定かではありませんが、決まった時間に放水が行われ、カメラを三脚に固定して放水時間を待っておられる方
           が、数名おられました。







           









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大徳寺塔頭 高桐院 05/00/2010

2010年05月15日 | 洛北 中部 大徳寺方面
           大徳寺に24ある塔頭のひとつ高桐院は、広大な境内の西の端に位置し楓の綺麗な寺院として人気があります。









           
           立て板に書かれています様に、戦国大名で有名な細川忠興(三斎)が、父や弟を開祖として建立した寺院で、細川家の
           菩提寺でもあります。







           
           北大路通りの大徳寺前交差点のひとつ西側の信号を北に100メートルほど上がりますと、入り口に着きます。






           
           高桐院山門







           
           青竹の瑞々しさや、コケの青さも新緑と溶け込み期待を高めてくれます。






                     
                     参道の突き当たりの勅旨門







           
           勅旨門を右に折れると、二番目の門がありその先が、玄関になります。






           








           
           玄関を入った所の中庭と、右手の書院は千利休の邸宅を移築したものと云われております。






           








           
           書院から茶室前の庭園出る上がり口ですが、参拝者が庭園に出るには、本堂に回りそこから降りることが出来ます。






           
           書院の西側に位置する茶室 忠興は茶人としても有名で、千利休の七哲の一人とされ、高桐院には千利休ゆかりの品も
           多くあり、「松向軒」は秀吉が(1587年)北野神社で開いた大茶会で使われた茶室と伝えられます。
           「茶室に珍しい黒壁は、瞑想の場の感があって、簡素な中にも幽玄の雅味をたたえた名席である」と高く評価されています。





           
           茶室前の庭園







            
           書院内部







           
           書院から玄関を通り本堂に入ります。本堂東側庭園







           
           方丈庭園 
             







           
           こちらの庭園は、一面に苔が敷かれ中央に灯籠がひとつ有るだけの大変シンプルな庭園ですが、新緑の楓が色鮮やか
           な演出をしてくれております。







           
           方丈の西側の縁側から庭園に降りる事ができ、細川家の墓所に向かいます。写真右奥 








           
           墓所の入口に有る三斎井戸
           






           
           墓所に入って正面にある忠興公とガラシャ夫人のお墓です。

           
 







           
           忠興公の墓の北側にある細川家代々のお墓です。           







                     
                     庭園に戻り玄関と書院前の楓







           
           書院の西側で、左手が茶室になります。 







           








                     
                     この鮮やかな紅葉したような楓は、方丈の縁側から降りたところの楓です。







           








           
           新緑とのコントラストがとても綺麗でした。 







                     








           
           方丈の西側の一室です。







           








           








           








            
           泉涌寺の雲龍院にも同じ物が掛かっておりました。 「生死事大・・」の言葉は修行道場の木版に書かれている語句です。 
           生死事大(しょうじじだい)無常迅速(むじょうじんそく)各宜醒覚(かくぎせいかく)慎勿放逸(しんもつほういつ)と書かれて
           います。その意味は「生死は仏の一大事、時は無常に迅速に過ぎ去っていくから、各人はこのことに目覚めて、弁道精進
           につとめ、無為に過ごしてはいけない」。叩いて合図をするだけではなく、その音声で心をも目覚めさせようとの意味が込め
           られています。





           








           
           勅使門の内側の楓は、秋には真っ黄色に色付きます。








           









           








           
           新緑を満喫出来たひと時でした。








           








           
           この道を進みますと、大徳寺の境内へと入って行きます。








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宇治・三室戸寺 ツツジ満開情報 2010

2010年05月12日 | 洛南 伏見 宇治方面

           一昨日の10日に三室戸寺に行って来ました。雨模様でしたが、庭内を回っている間は大丈夫でした。ツツジのほうは今
           週一杯は見頃が続くそうで、その後は石楠花と紫陽花が咲き始めます。







           
           本堂に向かう参道にも、いろんな種類の石楠花が咲いております。







           
           庭園内のツツジは、2万本もあるそうです。







           
           池泉回遊式庭園は、池の周りに色んな花が咲き彩を添えております。






                     
                     アヤメの青色が、ひと際目を引き景色を引き締めてくれました。







           
           空は曇っておりましたが、花の色はくすんで見えることなく曇り空でも満喫していただけると思います。このツツジの左奥
           が石楠花谷になりますが、一昨日の時点では、まだ数本が開花している程度でした。
           続きの写真は、後日アップいたします。







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祇園甲部 都をどり 御點前 2010

2010年05月08日 | 祇園街
           今年も、4月1日から始まりました都をどりも盛況の内に一ヶ月が過ぎ終わりを迎えました。 贔屓にしていただいてる御
           茶屋さんの芸・舞妓さんと馴染みの芸妓さんに楽屋のお部屋見舞いを届けてまいりました。写真の撮れなかった日もあり
           ましたが、12日間延べ16人の方に届けてまいりました。







           
           4日の佳つ菊さんと、ひかえの佳つ梛ちゃんは、小田本さんの子達です。







           








           








           
           歌舞練場庭園内の紅枝垂れは、満開で皆さん庭内を散策されておられました。







                     








           








                     








           
           5月25日で引退する、吉うたのまめ菊ちゃんと同じ置屋の豆ゆりちゃんです。私の店の開店当時から知っていた芸妓さん
           なのでとても残念に思います。






           









           








           
           今日で、まめ菊ちゃんの黒紋付姿を見るのが最後になりました。







           








           








            









           








                     








           






           







             
             11日、こちらも小田本さんの章佳司(ふみかづ)さんと佳つ寛ちゃんです。







           








                     








           
           10日、美の八重さんの真織ちゃんと彩乃ちゃん、御部屋見舞いに来てくれた真織ちゃんのお姉さんの真琴ちゃんです。






           
           4月も中旬を過ぎると、八重桜が満開を迎えます。







           
           19日、廣島屋さんの小愛ちゃんです。







           








                     
     







           
           歌舞練場の南側の建仁寺の桜も花見小路を通る方の目を楽しませてくれております。







           




           



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比叡山 奥比叡ドライブウェイ 八重桜満開情報

2010年05月08日 | 洛外 比叡山方面

           5月7日比叡山の三面出世大黒天さんに伺って来ました。生憎の雨模様で靄(もや)が掛かっておりましたが、ドライブ
           ウェイを彩る八重桜が満開でしたので、奥比叡までドライブしてまいりました。 写真で見えるゲートから先が奥比叡に
           なります。






           
           西塔入り口の駐車場です。







           








           
           桜には、種類の札が付いており一本づつ番号も振られておりました。手前のピンク色が関山で白いのが一茉と書いてあ
           り、その他に松月や普賢、御衣黄もありました。







           
           ドライブウェイの展望レストランの駐車場です。晴れていれば眼下に琵琶湖が望めます。






           
           同じ駐車場内に建つ比叡山の開祖伝教大師最澄像です。







           
           まだ蕾もありましたし八重は花持ちが良いので、あと一週間以上は、見頃が続くと思います。






            
            靄の掛かった雨降りも、新緑も鮮やかでとても幻想的で良かったです。







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大原 勝林i院・宝泉院 ライトアップ 04/26/2010

2010年05月03日 | 洛外 大原方面
           大原の勝林院(しょうりんいん)と宝泉院のライトアップに行ってまいりました。三千院に着くまで真っ暗で、ライトアップの
           案内も無いなか勝林院の前だけ足元に行灯が照らされておりました。







           
           秋の紅葉シーズンのライトアップと違い周知されていないのか、とても人が少なく貸切の状態でした。






           








           
           勝林院は、835年(承和2年)円仁によって開かれたと伝えられ、1013年(長和2年)寂源によって中興されたと云われて
           おります。古くから来迎院(左京区大原来迎院町)とともに天台声明の道場でありました。






           
 







           
           1186年(文治2年)には顕真と法然との宗論(いわゆる大原問答 念仏により極楽往生ができるかどうかの開答のとき、
           大光明を放たれて念仏衆生摂取不拾の証拠を現わされたという)で、ともに如来が証拠に立たれたところから、証拠阿弥
           陀如来と称し、この堂を証拠堂と呼んでいます。江戸時代には4坊(理覚坊・実光坊・法泉坊・普暁坊)がありましたが、
           現在は宝泉院・実光院の2院が残るのみとなりました。





           








           
           ブレてしまいました。







           









           
           お昼の拝観では、勝林寺と宝泉院の入り口は異なりますが、ライトアップ時は、共通になり本堂の左手より宝泉院に入れ
           ます。






                         
                         宝泉院は、大原寺(勝林院)の僧坊の一つとして、1012年(長和2年)に創
                         建されたものです。





           
           山門の正面にそびえる樹齢700年の「五葉の松」







           
           玄関







           








           
           玄関を入ってすぐ右手の囲炉裏部屋、日中は北側のお庭も見えます。






           
           玄関左手の庭園 宝泉院は、四方を庭園で囲まれております。







           
           宝泉院の庭園は、盤桓園(立ち去りがたいという意味、額縁庭園とも言う)といい、盤桓園には樹齢300年の沙羅双樹の
           木が茂り樹齢700年の「五葉の松」も観光客に人気があります。






           








           








           
           額縁の右端には、蹲と手前に水琴窟の音色を聞くための竹筒が設けられております。






           








           
           五葉松







                     








                     
                     五葉松の前のこの天井は、「血天井」といい関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦い
                     の際に徳川家臣鳥居元忠以下数百名が自刃した伏見城の床板であり、その霊を供養する
                     ため天井板としているものです。鷹峰の源光庵にも同じものがあります。




           
           伺ったときは、二三名居られたお客さんも閉門間近になりますと貸切になりました。






           
           書院の北側のお茶室です。







                              
                              お茶室前の控の間







           
           控の間から見える庭園で、額縁庭園の右手になります。







           
           帰りにもう一度、勝林院の前に出て駐車場に戻ります。







           








          
          流石に京都の奥座敷だけあり、まだ枝垂れ桜が残っておりました。







           
           三千院山門  尚、ライトアップは5月9日までなされております。








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平安神宮 神苑紅枝垂れ 04/13/2010

2010年05月02日 | 洛中 
           平安神宮は、1895年(明治28年)3月15日に平安遷都1100年を記念して京都で開催された内国勧業博覧会の目玉とし
           て平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画されました。当初は、実際に大内裏があった千本丸太町に朱雀門が位
           置するように計画されたましたが、用地買収に失敗し、当時は郊外であった岡崎に実物の8分の5の規模で復元されまし
           た。






           
           博覧会の後は、建物をそのままにして、平安遷都を行った天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として創祀され、皇
           紀2600年にあたる1940年(昭和15年)に、平安京で過ごした最後の天皇である第121代孝明天皇が祭神に加えられて
           おります。平安神宮では、京都を守る四神の御守が授与されております。





           
           京都を護る四神とは、北の丹波高地を玄武、東の大文字山を青龍砂、西の嵐山を白虎砂、南にあった巨椋池を朱雀とす
           る対応付けが可能ですが、背山臨水を左右から砂で守るという風水の観点から正しく京都は四神相応の地でありました。
           ただし巨椋池が完全に埋め立てられてしまったために、現在京都の四神相応は破壊されており、なおかって朱雀大路を
           見通すことのできた船岡山は、玄武とするには小規模であり、現代中国の風水の観点に立つと、船岡山は玄武を伝って
           やってくる山龍が目指す星峰と解釈されております。       




           
           社殿は平安京の大内裏の正庁である朝堂院(八省院)を縮小(長さ比で約8分の5)して復元したもので、大きく赤く光る
           朱色が特徴的な正面の門は、朝堂院の應天門を模しております。その内側の左右の殿舎は朝集堂の再現であり、拝殿
           は朝堂院の正殿である大極殿(左右には蒼龍楼と白虎楼が付属する)を模しております。




           
           神苑には、大極殿の右側の現在地の門から入り、時計回りに廻って行きます。






           








           

           








           








           








           
           神苑に入り、左手に進み最初に南神苑を回ります。







           
           南神苑の南端には、京都で最初に走った市電(ちんちん電車)が展示されております。








                     








                     








                     








           








           








           








           
           南神苑を回り北に上がりますと西神苑の白虎池に出ます。この池は桜は少ないですが、5月下旬から6月にかけて花菖
           蒲や睡蓮が咲き誇ります。





           
           桜の下で、花菖蒲が開花の準備を進めておりました。







           
           西神苑から大極殿の北側を通り中神苑の蒼龍池にでます。こちらも五月には杜若や花菖蒲や睡蓮が池のあちこちで見
           ることができます。 池畔には東屋もあり、お抹茶などをいただくこともできます。






           









           
           東神苑の栖鳳池と尚美館(貴賓館)








           
           薄黄緑の花を付ける御衣黄かと思いましたが、鬱金桜(うこん)という種類だそうです。花弁に葉緑体をもつなど性質はギ
           ョイコウ(御衣黄)に似ていいますが、色は緑色が弱く淡黄色であり、数百品種あるサクラのうちで唯一、黄色の花を咲か
           せる桜です。




           








           








                     









           








           
           栖鳳池に架かる泰平閣(橋殿)








           








           








           








                     








           








           








           








           








           








           
           神苑の出口を出たところの結び木







           
           東を護る蒼龍の手水場







           








           
           昨年から、運行されている十石船。 疎水沿いに今年は、この時期でも染井吉野が残っておりました。







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御室桜 仁和寺 04/13/2010

2010年05月01日 | 洛中 西部

           世界遺産、御室仁和寺は、真言宗御室派の寺院で886年、第58代光孝天皇によって鎮護国家・仏法の興隆を図るため
           「西山御願寺」(にしやまごがんじ)と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。 


 




            
            しかし光孝天皇は志なかばにして崩御せられ、次の第59代宇多天皇が先帝の遺旨を継がれ仁和4年(888年)にその
            造営を完成されました。西山御願寺は先帝から受け継がれた「仁和」の年号をもって仁和寺(にんなじ)と呼ばれるように
            なりました。  仁和寺御殿






            
            宇多天皇が仁和寺第1世門跡宇多法皇となり入山されてからは、江戸時代終わりまで皇室出身者が代々門跡を務める
            事となります。
            しかし応仁元年(1467)に始まった「応仁の乱」によって仁和寺は一山ことごとく兵火で焼失するという悲運に見舞われ
            ました。それから1世紀半の間は現仁和寺の南にあります双ケ丘に堂舎をかまえ、法燈を守るのみとなってしまいました。






            
            仁和寺御殿の勅使門門 仁王門から中門に至る参道の西側に位置する仁和寺の本坊で、宇多法皇の御所があった辺
            りに建ってたものです。今回は宸殿には入らず、仁王門から桜園に向かいました。







           









           








           








           
           中門 寛永再興の時に建立されました。








           
           中門を守る左側の多聞天王







           
           右側、持国天王







           
           中門を入ったところの御室桜の桜園 御室桜は遅咲きで、背丈の低い桜です。調査では粘土質の土壌であることが解り
           ました。粘土質であるために土中に酸素や栄養分が少なく、桜が根をのばせない要因の一つにはなっているようです。
           200本を越す御室桜は、明治初期にはこの場所に植えられていたと記録に残っております。





           
           中門の奥にある、五重塔や経蔵、九所明神社本殿、御影堂中門、観音堂、鐘楼、本坊表門(以上重要文化財)などは、
           大部分は徳川家光の寄進で寛永年間に整備されたものです。







                      









            









                     








                     









           








           
           金堂







           
           金堂(国宝)慶長18年(1613年)に建立された旧皇居の正殿・紫宸殿を寛永年間(1624年-1644年)に移築・改造したも
           ので、宮殿から仏堂への用途変更に伴い、屋根を檜皮葺きから瓦葺きに変えるなどの改造が行われております。御本尊
           の木造阿弥陀三尊像は、もとは金堂に安置されておりましたが、現在は寺内の霊宝館に移されております。
           仁和4年(888年)創建時の本尊といわれます。





                     
                     金堂左手(南側)の鐘楼







           
           鐘楼のさらに左手の御影堂







           
           御影堂 旧皇居の清涼殿の用材を用いて建設したもので、宗祖弘法大師空海と開山宇多法皇を祀るお堂です。







           








           








           








           
           金堂







           








           
           仁王門







           








           








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