京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

太原 三千院門跡 新緑 2016/04/19

2016年04月23日 | 洛外 大原方面

 

      

      三千院は、比叡山延暦寺を開かれた伝教大師が、東塔南谷に草庵を開いたのが始まりで、その後寺地は時代の流れの中で、京都市中を幾たび

      か移転しました。その都度呼び名も円融房、梨本房、円徳院、梨本門跡、梶井宮と変え、特に応仁の乱後、梶井宮の政所であった現在の地を一時

      仮御殿とされたのでしたが、明治維新までは御所の東、河原町御車小路梶井町(現・府立病院)に御殿を構えておりました。

      御殿門 高い石垣に囲まれた大きな御殿門は、門跡寺院にふさわしい風格をそなえ、又、政所としての城廓、城門を思わせる構えで、2003年秋、

      修復完成しました。

 

 

 

 

 

 

      

      京都の奥座敷だけあって市内は葉桜になっておりますが、まだ桜が所々残っておりました。 

 

 

 

 

 

      

      書院玄関  元永元年(1118年)堀川天皇第二皇子・最雲法親王が梶井宮に入室され梨本の正統を継がれて以来、皇族出身者が住持する宮門

      跡となりました。  妙法院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡のひとつとして歴代の天台座主を輩出してきました。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      客殿南側の聚碧園庭園 客殿を介して初めに広がる庭園で、 声明の音がしみ渡ったであろう自然の美に、江戸時代の茶人金森宗和 (かねもりそ

      うわ・1656没)が感動し、自らの手を加え、今日の清楚にして 優美な庭が生まれました。

 

 

 

 

 

 

      

      庭内の、永遠に満るがごとく清らかなる水を湛えた 池の源は、音無しの滝よりいでし清流の律川から引かれております。 往生極楽院の、杉木

      立ちの間に見透かすように在るさまが、尚いっそう庭の 立体感を深めて伝わる自然の絵巻物の様と説明されております。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      この時期に伺ったのは初めてでしたが、庭園内にこれほどシャクナゲが植えられていた事を花を見て初めて知りました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      宸殿(本堂)前庭 

 

 

 

 

 

      

      宸殿(本堂)は三千院の最も重要な法要である御懴法講の道場として、大正15年に建てられたもので、宸殿では毎年5月30日、門主が導師を勤

      め、山門(延暦寺)と魚山(大原寺)の僧侶が式衆として出仕し、歴代天皇の御回向である御懴法講が厳かに行われます。雅楽と声明がとけあった

      御懴法講は、後白河法皇の御代からはじめられた宮中伝統の法要で、江戸末期までは宮中で行われていましたので、「宮中御懴法講」と呼ばれ

      ていました。   宸殿の東の端にある玉座の間から望む往生極楽院

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      宸殿の東の端にある玉座 玉座に掛かる「鵞」の大字は、中国天台山國清寺内に今尚、現存する碑の拓本で、王義之筆によるものです。

      王羲之とは1600年もの昔に中国書道の革命家とも言われ、その後の書道家たちにも大きな影響を及ぼしていると言われています。

      「鵞」の意味を探しておりましたところ、王羲之はガチョウを可愛がっていて、多くのガチョウを飼っていたそうです。國清寺以外の紹興の蘭

      亭と言う所にも、「鵞池碑亭」と言う碑があり、鵞鳥(ガチョウ)がいる池という意味で「鵞池」という字の碑があるそうです。
               

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      宸殿より往生極楽院に通ずるこの広い庭園は、その名の通り清らかな自然に抱かれています。園内の所々には、地蔵様が訪れる人々をあたたか

      く見守られ、(地蔵菩薩は迷いの世界で人々を救うと伝えられ、とくにその慈悲深さより子供たちの守護尊として広く信仰を集めております。)

 

 

 

 

 

 

      

      宸殿前に広がる有清園  青苔にスギ、ヒノキ、ヒバなどの立木が並び、見るものをして心の安らぎを与えてくれる庭です。そして、御堂の東側

      にはまんまんと水をたたえた池泉があります。山畔を利用して三段式となった滝組を配して、上部から水が池泉へと流れ落ちています。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      天下泰平、萬民豊楽の祈願も併せて行われますので一般の参詣者も自由に献香していただけるようになっております。 白木造りの美しい本殿の

      正面には、伝教大師作の薬師瑠璃光如来が安置されており、秘仏として非公開となっています。 向かって右には歴代天皇の尊牌を、左には歴代

      法親王の尊牌が厳かにお祀りしてあります。

 

 

 

 

 

 

      

      往生極楽院の前庭の苔の中に佇む「わらべ地蔵」 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      有清園の中央に建つ往生極楽院は、三千院の歴史の源とも言える簡素な御堂で、平安時代に恵心僧都(源信)が父母のために、姉安養尼ととも往

      に建立したものと伝えられており、堂内には、阿弥陀三尊が今も変わることなく永遠の大慈大悲の御心を私たちに与えて下さっています。 千年の

      昔より、弥陀の浄土に往生安楽を願い、ひたすら念仏を称え三昧にひたる常行三昧(阿弥陀様の周囲を念仏を唱えながら修行する)が行われてき

      た御堂内部には、有名な船底天井及び壁画は、金胎曼荼羅・二十五菩薩・飛天雲中供養菩薩(楽器を奏でる菩薩像)・宝相華(極楽の花園の図)な

      どの極彩色の絵で包まれ、あたかも極楽浄土をそのまま表しています。

 

 

 

 

 

 

      

      ヤマブキ 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      妙音福寿大弁財天 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      万両 

 

 

 

 

 

      

      金色不動堂       

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      金色不動堂の前の階段を登りますと観音堂があります。 

 

 

 

 

 

      

      こちらには、一万体を優に超える観音様が信者の皆様から奉納されており、今なお増え続けております。   

 

 

 

 

 

      

      観音堂前の庭園には、シャガが咲いておりました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

       

 

 

 

 

 

 

                

 

 

 

 

 

 

      

      桜の終わりとともに境内は色んな花が咲き誇り参拝者の目を楽しませてくれます。金色堂裏のこの庭園は、アジサイの名所としても知られてお 

      り6月まで新緑と共にお花の好きな方は楽しめます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      ヤマブキ 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      山わさび 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      この道の両側があじさいです。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      境内最後の門です。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      大原のお土産は、やはり柴漬けでしょうか? 従姉妹もしっかり買っておりました。 

 

 

 

 

 

      

 

新緑とあじさい

http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/591da90cad0a955d77062315d7301f4a

紅葉

http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/72c30b7aea3cc438afe7521c00376030

 雪景色

http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/21986909da4bc14bce28ab3ec22f5c3b

 

 

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大原 宝泉院 新緑 2016/04/19

2016年04月22日 | 洛外 大原方面

      

      寂光院のあと三千院に伺いました。 

 

 

 

 

 

      

      桜のシーズンも済み観光客も一段落した感じでとても空いておりゆっくり回る事が出来ました。何よりも、やかましい中国語が聞こえてこない

      のが良かったです。 

 

 

 

 

 

      

      三千院の前を通り抜け、勝林院の奥の宝泉院に向かいます。 

 

 

 

 

 

      

      三千院門跡の北側を流れる律川  

 

 

 

 

 

      

      左手、実光院は時間の関係で今回はスルーいたしました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      この勝林院は、835年円仁によって開かれたと伝えられ、古くから来迎院(左京区大原来迎院町)とともに天台声明の道場であり1186年には顕

      真と法然上人との宗論(いわゆる大原問答)がこの寺で行われた事で有名で、江戸時代には4坊(理覚坊・実光坊・法泉坊・普暁坊)の塔頭が

      ありましたが、現在は宝泉院と実光院の2院のみが残っております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      山門を入りますと樹齢700年の五葉松が迎えてくれます。 

 

 

 

 

 

      

      シャクナゲが満開でした。 

 

 

 

 

 

      

      山門を入り左手に宝楽園庭園があります。平成17年3月に宝泉院境内南側の低地に新しく誕生した庭で、心の内なる広大な仏、神の世界を岩

      組、樹花、白砂等をもって表わし美しく宝の如くそのままそこにある楽園の境を創作したものと説明されております。 

 

 

 

 

 

      

      作庭は長野県に本拠を置く、造園の園冶(えんや)庭園研究企画創作所─空間総合プロデューサーとなっております。庭園北側の築山や橋の石

      組に使用されている銀石は、金属の輝きを思わせる三波峡の石を使用しております。  三波石峡(さんばせききょう)は、神流川上流に位置

      し、群馬県から埼玉県に跨る景勝地です。また、緑色の結晶片岩は石英が緑色の紋様を示し非常に高価な庭石としても重宝されており(三波石 

      さんばせき)と呼ばれております。  天橋立玄海のぞき橋 

 

 

 

 

 

      

      海の濁流を表現した白川砂は、夜半にその砂に月光が照り映えて、銀砂幽玄の世界がそこに現れるそうです。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      環状列石蹲い(つくばい) 古代先人仏舎利を表現した、蹲踞 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      四季折々の花木が配置されており百花繚乱と言われる庭園です。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      池に注ぐ滝の横に佇む不動明王像 

 

 

 

 

 

      

      こちらの庭園は、玄関の左手にある鶴亀庭園です。江戸中期の作で、部屋の中から格子ごしに観賞する庭園で池の形が鶴、築山が亀、山茶花の

      古木を蓬莱山とみる名園と云われております。 この庭園も園冶の修復、管理と説明されております。

 

 

 

 

 

 

      

       玄関を入りすぐ右手にあるお部屋です。宝泉院は四方を庭に囲まれており、どの部屋からでもそれぞれの庭園を鑑賞することができます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      額縁庭園 客殿の西方にあり右手に御本尊が祀られる本堂の柱と柱の空間を額に見立て観賞する庭園です。 庭の名前を盤桓園(ばんかん)と

      言い立ち去りがたい庭園という意味だそうです。 

 

 

 

 

 

                 

                 拝観料にお抹茶代が含まれておりますので、毛氈に座り待っておりますと、御茶菓子と共に

                 運んできてくださいます。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      庭園南側に鎮座する近江富士を型どる樹齢7百年を誇る五葉松  京都市指定の天然記念物で京都市内にある3つの著名な松の一つで、 70年ほ

      ど前に高浜虚子が無住寺の宝泉院を訪れ、「大原や 無住の寺の 五葉の松」と詠んだそうです。

 

 

 

 

 

                

 

 

 

 

 

 

      

      西側庭園の右手の軒先のつくばいにある水琴窟  竹筒に耳を傾けますと心地よい水の音色が響きます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

                

                血天井  慶長五年(1600)関が原合戦前、徳川の忠臣・鳥居元忠以下数百名が

                豊臣の大軍と戦い伏見城中で自刃し、その武将たちの霊をなぐさめ、供養のために、

                自刃した場所のものを天井にして祀ったものです。

                鷹峰の源光庵の本堂にも同じものがあります。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      実光院の向側に位置する法華堂は、後鳥羽天皇ご冥福のため、梨本主尊快親王母公修明門院御計らいにて水無瀬の御所を以て仁冶元年(1240)

      に建立されました。享保二十一年(1736)類焼いたし現在の堂宇は、安永年度(1764~)に再興されております。 御本尊には、普賢菩薩を祀り

      ます。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      三千院に向かいます。 

 

秋紅葉

 http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/c55fa3bbeefc032ae854364f9c27c83c

雪景色

http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/m/201402

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大原 寂光院 新緑 2106/04/19

2016年04月21日 | 洛外 大原方面

      

      従姉妹夫婦が来てくれたので、彼女たちのリクエストで大原を案内して来ました。

      寂光院は天台宗の尼寺で、山号を清香山、寺号を玉泉寺といい、寂光院は玉泉寺の子院であり推古2(594)年に、聖徳太子が御父用明天皇の菩提

      を弔うために建立されたと伝えられております。 

 

 

 

 

 

      

      菊の御門の刻まれた門を進みますと芽吹き始めた新緑が迎えてくれます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      山門までの中腹に建つ「狐雲 茶室」 

 

 

 

 

 

      

      京都御所で行われた昭和天皇の即位の御大典の際に用いられた部材が寂光院に下賜され、それをもとに茶室を造り、昭和6年3月に千宗室宗匠を

      たのみて献茶式を催し茶室開きを行ったものである。
 

 

 

 

 

 

      

      「孤雲」の名のいわれは、建礼門院のもとを訪れた後白河法皇が、粗末な御庵室の障子に諸経の要文とともに貼られた色紙のなかに、「笙歌遥

      かに聞こゆ孤雲の上 聖衆来迎す落日の前」という大江定基の歌とともに、「思ひきや深山の奥にすまひして 雲居の月をよそに見んとは」と

      いう女院の歌を御覧になって、一行涙にむせんだという『平家物語』の大原御幸のなかの一節にちなんでおります。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      狐雲茶室の向かい側に建つ「鳳智松殿(ほうちしょうでん)『宝物殿』」

      平成18年秋に寂光院の復興を記念して建てられた宝物殿は、 寂光院に伝来する『平家物語』ゆかりの文化財等を紹介しており、一角にミュー

      ジアムショップも併設されております。

 

 

 

 

 

      

      山門と正面に建つ本堂 

 

 

 

 

 

      

      本堂の右手に建つ書院 

 

 

 

 

 

      

      雪見灯篭 本堂に向かって右手前にある置き型の鉄製灯籠で、豊臣秀頼が本堂を再建した際に伏見城から寄進されたものと伝えられており宝

      珠、笠、火袋、脚から形成されております。  火袋は側面を柱で5間に分かち、各面に五三の桐文を透し彫りにし、上方に欄間をもうけ格狭間

      (ごうざま)の煙出とし、円形台下に猫足三脚が付いております。  

 

 

 

 

 

      

      本堂 山門の正面に建つ本堂には、当初の本尊として、聖徳太子御作と伝えられる六万体地蔵尊がまつられておりましたが、鎌倉時代に制作さ

      れた旧本尊(重要文化財)は、平成12年(2000)5月9日未明に発生した不慮の放火により焼損したため、文化庁の指導を受けて財団法人美術院に

      よって修復されて、境内奥の収蔵庫に安置されることとなり、現在は美術院によって模刻された色白の地蔵菩薩像が本堂に安置されております。 

 

                             

      本尊 六万体地蔵尊菩薩           建礼門院(けんれいもんいん)            阿波内侍(あわのないじ)

                            第3代の建礼門院徳子(平清盛の          第2代の阿波内侍(藤原信西の息女)

                            息女、高倉天皇の皇后、安徳天           崇徳天皇の寵愛をうけた女官であったが、

                            皇の国母)                    出家のあと永万元(1165)年に入寺

                                                     し、証道比丘尼となった。

 

 

 

 

 

      

      境内の中央には、八重桜が満開を迎えておりました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      本堂と書院を結ぶ渡り廊下   四方正面の池 本堂の東側にある池で、北側の背後の山腹から水を引き、三段に分かれた小さな滝を設け、 池

      の四方は回遊出来るように小径がついており、本堂の東側や書院の北側など、四方のどこから見ても正面となるように、周りに植栽が施されお

      ります。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      本堂の左手の西門を出ますと神明神社の鳥居が建つております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       文治元年(1185)長門壇ノ浦の合戦で平家が敗れたあと、建礼門院はひとり助けられて京都に連れ戻され、その年の9月、都を遠く離れた洛北の  

      地大原寂光院に閑居いたしました。 本堂の北奥に女院が隠棲していたと伝えられている庵跡があり 翌2年の春、女院のもとを訪れた後白河法皇

      がご覧になった御庵室の様子は、「軒には蔦槿(つたあさがお)這ひかかり、信夫まじりの忘草」「後ろは山、前は野辺」という有様で、「来る

      人まれなる所」であったと云われておりました。 御庵室跡の右手奥に、門院が使用したという井戸が残ります。

 

 

 

 

 

      

      女院は夫高倉天皇とわが子安徳天皇および平家一門の菩提を弔う余生を送りつつ、建久2年(1191)2月中旬この地でその生涯を閉じました。
 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      境内の西側に建つ「諸行無常の鐘楼」 本堂の正面の池の汀にある江戸時代に建立された鐘楼には、「諸行無常の鐘」と称する梵鐘が懸かって

      おり、 鐘身に黄檗宗16世の百癡元拙(1683-1753)撰文になる宝暦2年(1752)2月の鋳出鐘銘が刻まれております。時の住持は本誉龍雄智法

      尼、弟子の薫誉智聞尼で、浄土宗僧侶であったそうです。 鋳物師は近江国栗太郡高野庄辻村在住の太田西兵衛重次と伝わります。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

       

      山門の西側に宝物殿への階段があります。 

 

 

 

 

 

      

      ヤマブキだと思います。 

 

 

 

 

 

       

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

                   

 

 

 

 

 

 

      

      まだ開く前のモミジの新芽 

 

 

 

 

 

      

       

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      トキワマンサクと三千院方向 

 

 

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雪の京都 大原 宝泉院 2014/2/8

2014年02月21日 | 洛外 大原方面

      

      三千院門跡の北側を流れる律川には、雪景色の中唯一色彩を放っている末明橋が架かります。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      律川に架かる橋を渡り、正面に勝林院を見ながら、左手が実光院、参道右手に 後鳥羽天皇と順徳天皇が祀られている天皇陵があります。 

 

 

 

 

 

      

      勝林院・本堂  平安時代の847年に唐から帰朝した慈覚大師円仁は、中国仏教の伝統的な儀式音楽である声明音律業(声明 しょうみょう)を

      日本に伝え、その後弟子たちにより比叡山に伝承されてきました。そして、平安中期の1013年に慈覚大師の九代目の弟子・大原入道こと寂源上

      人が、この大原に声明道場として大原寺(現在の勝林院)を建立しました。 1186年(文治2年)には顕真と法然との宗論(いわゆる大原問答 念

      仏により極楽往生ができるかどうかの問答のとき、大光明を放たれて念仏衆生摂取不拾の証拠を現わされたという)で、ともに如来が証拠に立た

      れたところから、証拠阿弥陀如来と称し、この堂を証拠堂と呼んでいます。江戸時代には4坊(理覚坊・実光坊・法泉坊・普暁坊)がありましたが、

      現在は宝泉院・実光院の二院が残るのみとなりました。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      勝林院を左手に折れますと宝泉院の参道へと続きます。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      宝泉院山門前からの勝林院 

 

 

 

 

 

      

      宝泉院(ほうせんいん)は、1012年寂源が大原寺(勝林院)を創建し、その住職の坊として平安末期頃よりの歴史をもち現在に至っております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      正面に見ますのが、樹齢600年以上と言われる宝泉院を代表する五葉松(近江富士)です。 

 

 

 

 

 

                 

                 雪の無い季節には、左手に宝楽園庭園が拝観出来ます。

                       

 

 

 

 

 

      

      玄関前 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      こちらの庭園は、玄関の左手にある鶴亀庭園です。江戸中期の作で、部屋の中から格子ごしに観賞する庭園で池の形が鶴、築山が亀、山茶花の

      古木を蓬莱山とみる名園と云われております。 

 

 

 

 

 

 

      

       本堂の右手のお茶室からみるお庭の景色です。  

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      額縁庭園 客殿の西方にあり右手に御本尊が祀られる本堂の柱と柱の空間を額に見立て観賞する庭園です。 庭の名前を盤桓園(ばんかん)と

      言い立ち去りがたい庭園という意味だそうです。 拝観料にお抹茶代が含まれておりますので、毛氈に座り待っておりますと、御茶菓子と共にお抹

      茶を運んできてくださいます。

 

 

 

 

 

 

      

      こちらの庭園は、大変人気がある為、観光シーズンは人で溢れておりますが、今日の雪では大原まで来る方も少なくゆっくりと拝観することが出来

      ましたが、 外にいるのと同じなので足先が凍りそうになりました。

 

 

 

 

 

      

      庭園南側に鎮座する樹齢6百年を誇る五葉松 

 

 

 

 

 

                

                お抹茶をいただいている場所の天井には、血天井と云う伏見城の床板が使われております。

                血天井  慶長五年(1600)関が原合戦前、徳川の忠臣・鳥居元忠以下数百名が豊臣の大軍と戦い伏見城中

                で自刃し、その武将たちの霊をなぐさめ、供養のために、自刃した場所のものを天井にして祀ったものです。 

                鷹峰の源光庵の本堂にも同じものがあります。

   

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

                

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

       西側庭園の右手の軒先のつくばいにある水琴窟  竹筒に耳を傾けますと心地よい水の音色が響きます。

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

                      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      天皇陵の北側に位置する法華堂は、後鳥羽天皇ご冥福のため、梨本主尊快親王母公修明門院御計らいにて水無瀬の御所を以て仁冶元年

      (1240)に建立されました。享保二十一年(1736)類焼いたし現在の堂宇は、安永年度(1764~)に再興されております。 御本尊には、普賢菩薩

      を祀ります。

 

秋の紅葉 宝泉院 2011/11/29  

http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/preview?eid=c55fa3bbeefc032ae854364f9c27c83c&t=749707047530709f821ad7?0.7677169519642555 

 

 

 

 

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雪の京都 大原 実光院 2014/2/8

2014年02月18日 | 洛外 大原方面

       

      三千院の山門の前を北に進みますと正面に勝林院が建ち、その左手前に勝林院の子院の実光院が佇んでおります。 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      実光院は魚山大原寺下院(ぎょざんたいげんじ)の本堂・勝林院の僧院と説明されております。 勝林院は、長和二年(1013)に慈覚大師円仁(天

      台宗の入唐求法僧・中国から仏教儀式音楽である声明を伝えた)の九代目の弟子寂源が、 天台声明を伝承するために建立した寺院であり、後に

      聖応大師良忍が来迎院を建立し、この地が天台声明の中心地となり、以後この二院を本堂として魚山大原寺と総称するようになりました。勝林院

      には実光院のほかに、宝泉院、普賢院、理覚院などの子院が建てられ、歴代の住職は日々天台声明の研鑽に励んでまいりました。

 

 

 

 

 

 

      

      実光院ははじめ隣の大原陵(後鳥羽天皇・順徳天皇陵)の地にありましたが、大正八年に普賢院と理覚院を併合し、普賢院跡地である現在地に移

      転いたしました。

 

 

 

 

 

 

      

       玄関で拝観手続きを済ませ左手に客殿があり客殿南側には、池泉観賞式庭園が望めます。

 

 

 

 

 

      

      現在の客殿は、大正十年に建てられたものであり、(庫裡は江戸末のものを移築)欄間には、江戸時代中期の狩野派の画家により描かれた三十

      六詩仙画像がかかっております。 床の間を始め、各所に楽器が陳列してありますが、これらはいずれも声明研究の一助にと歴代住職が収集した

      ものであるとの説明があります。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      庭園は、契心園(けいしんえん)と称し客殿の南に広がる池泉観賞式の庭園となっており、江戸時代後期の作庭とされております。心字の池に律川

      から導いた滝の水が流れ落ち、滝口の近くには蓬莱石の石組があります。 築山の松は鶴を、池の島は亀を表象しており、また、築山には石造の五

      重塔を配置し、池のこちら側を俗世間、向こう側を仏の浄土に見立てておりますと、テープから説明が聞こえてまいります。

 

 

 

 

 

 

      

      お抹茶は、このあと回る宝泉院もそうですが、拝観料に含まれております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

                 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      この雪の中、舞妓さんに変身した女の子が、 店のスタッフの方と記念撮影をなされてました。

 

 

 

 

 

      

      客殿の西側には、北山杉の山を借景に庭園が広がっております。 

 

 

 

 

 

      

      備え付けのスリッパを履いて庭園に出ます。 

 

 

 

 

 

      

      「不断桜」 例年初秋より翌年の春まで花を咲かせる珍しい品種の桜です。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      西側庭園は、 旧理覚院庭園を再興したもので、客殿の西側一帯にある池泉回遊式庭園となっております。理覚院が廃寺となり実光院に併合され

      た後、荒廃していた土地を近年、前住職が作庭したものだそうです。中央にはひょうたん池があり、配置してある石の多くは寺領の山や谷から運び

      こんだもので、西の金毘羅山や小塩山を借景に取り入れるために庭木を低く仕立てており、極めて解放的な明るい印象を与えております。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      庭園の西北隅にある茶室「理覚庵(りかくあん)」は、前住職の設計によって昭和50年に建てられたもので、桧の変木床柱を始め、材木のほとんど

      は実光院領の山林から調達したものだそうです。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

                

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

                

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

大原 実光院 秋紅葉 11/29/2011

http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/2ac3cc40324e207f3589d5d5848992e8 

 

 

 

 

 

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雪の京都 大原三千院門跡 2014/2/8

2014年02月14日 | 洛外 大原方面

      

      京都市内から車で約30分、大原に近づくほど雪の量が増えてまいりスタットレスタイヤを履いてないと心配な所が出てきました。 

 

 

 

 

 

      

      北山杉が植えられた山々は、水墨画の様な面持ちです。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      三千院は、比叡山延暦寺を開かれた伝教大師が、東塔南谷に草庵を開いたのが始まりで、その後寺地は時代の流れの中で、京都市中を幾たび

      か移転しました。その都度呼び名も円融房、梨本房、円徳院、梨本門跡、梶井宮と変え、特に応仁の乱後、梶井宮の政所であった現在の地を一時

      仮御殿とされたのでしたが、明治維新までは御所の東、河原町御車小路梶井町(現・府立病院)に御殿を構えておりました。

      御殿門 高い石垣に囲まれた大きな御殿門は、門跡寺院にふさわしい風格をそなえ、又、政所としての城廓、城門を思わせる構えで、2003年秋、

      修復完成しました。

 

 

 

 

 

 

      

      元永元年(1118年)堀川天皇第二皇子・最雲法親王が梶井宮に入室され梨本の正統を継がれて以来、皇族出身者が住持する宮門跡となりまし

      た。  妙法院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡のひとつとして歴代の天台座主を輩出してきました。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

                      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      客殿南側の聚碧園庭園 客殿を介して初めに広がる庭園で、 声明の音がしみ渡ったであろう自然の美に、江戸時代の茶人金森宗和 (かねもりそ

      うわ・1656没)が感動し、自らの手を加え、今日の清楚にして 優美な庭が生まれました。

 

 

 

 

 

 

      

      庭内の、永遠に満るがごとく清らかなる水を湛えた 池の源は、音無しの滝よりいでし清流の律川から引かれております。 往生極楽院の、杉木立ち

      の間に見透かすように在るさまが、尚いっそう庭の 立体感を深めて伝わる自然の絵巻物の様と説明されております。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

                      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

                          

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       客殿と写経場を結ぶ渡廊下

 

 

 

 

 

                          

                           客殿東側庭園、左手には、往生極楽院のを囲む木々がそびえております。

 

 

 

 

 

      

       客殿と宸殿を結ぶ廊下より、右手宸殿

 

 

 

 

 

      

      宸殿は三千院の最も重要な法要である御懴法講の道場として、大正15年に建てられたもので、宸殿では毎年5月30日、門主が導師を勤め、山門

      (延暦寺)と魚山(大原寺)の僧侶が式衆として出仕し、歴代天皇の御回向である御懴法講が厳かに行われます。雅楽と声明がとけあった御懴法講

      は、後白河法皇の御代からはじめられた宮中伝統の法要で、江戸末期までは宮中で行われていましたので、「宮中御懴法講」と呼ばれていました。

       宸殿の東の端にある玉座の間から望む往生極楽院

 

 

 

 

 

                           

                           宸殿の東の端にある玉座 玉座に掛かる「鵞」の大字は、中国天台山國清寺内に今尚、現

                           存する碑の拓本で、王義之筆によるものです。

                           王羲之とは1600年もの昔に中国書道の革命家とも言われ、その後の書道家たちにも大き

                           な影響を及ぼしていると言われています。

                           「鵞」の意味を探しておりましたところ、王羲之はガチョウを可愛がっていて、多くのガチョウ

                           を飼っていたそうです。國清寺以外の紹興の蘭亭と言う所にも、「鵞池碑亭」と言う碑があり、

                           鵞鳥(ガチョウ)がいる池という意味で「鵞池」という字の碑があるそうです。
               

 

 

 

 

 

 

      

      天下泰平、萬民豊楽の祈願も併せて行われますので一般の参詣者も自由に献香していただけるようになっております。 白木造りの美しい本殿の

      正面には、伝教大師作の薬師瑠璃光如来が安置されており、秘仏として非公開となっています。 向かって右には歴代天皇の尊牌を、左には歴代

      法親王の尊牌が厳かにお祀りしてあります。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      宸殿前に広がる有清園  青苔にスギ、ヒノキ、ヒバなどの立木が並び、見るものをして心の安らぎを与えてくれる庭です。そして、御堂の東側には

      まんまんと水をたたえた池泉があります。山畔を利用して三段式となった滝組を配して、上部から水が池泉へと流れ落ちています。

 

 

 

 

 

 

 

      

      宸殿より往生極楽院に通ずるこの広い庭園は、その名の通り清らかな自然に抱かれています。園内の所々には、地蔵様が訪れる人々をあたたか

      く見守られ、(地蔵菩薩は迷いの世界で人々を救うと伝えられ、とくにその慈悲深さより子供たちの守護尊として広く信仰を集めております。)また、

      春には石楠花の淡い色が園内一面を染めます。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      雪に埋もれてしまってますが、往生極楽院の南側に佇むわらべ地蔵です。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

       

 

 

 

 

 

 

      

      有清園の中央に建つ往生極楽院は、三千院の歴史の源とも言える簡素な御堂で、平安時代に恵心僧都(源信)が父母のために、姉安養尼ととも

      に建立したものと伝えられており、堂内には、阿弥陀三尊が今も変わることなく永遠の大慈大悲の御心を私たちに与えて下さっています。 千年の

      昔より、弥陀の浄土に往生安楽を願い、ひたすら念仏を称え三昧にひたる常行三昧(阿弥陀様の周囲を念仏を唱えながら修行する)が行われてき

      た御堂内部には、有名な船底天井及び壁画は、金胎曼荼羅・二十五菩薩・飛天雲中供養菩薩(楽器を奏でる菩薩像)・宝相華(極楽の花園の図)な

      どの極彩色の絵で包まれ、あたかも極楽浄土をそのまま表しています。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       金色不動堂の前では、この時期「大根焚き」が無料で振る舞われております。

 

 

 

 

 

      

      案内している友人も熱々の大根で温まっておりました。 

 

 

 

 

 

      

      金色不動堂の前の階段を登りますと観音堂があります。  

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      こちらには、一万体を優に超える観音様が信者の皆様から奉納されており、今なお増え続けております。  

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       観音堂の左手に広がる、二十五菩薩石庭 

 

 

 

 

 

      

      蠟梅が一本だけ咲いておりました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

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大原 三千院門跡 秋紅葉 11/29/2011

2011年12月18日 | 洛外 大原方面

      

      三千院は、比叡山延暦寺を開かれた伝教大師が、東塔南谷に草庵を開いたのに始まりで、その後寺地は時代の流れの中で、京都市中を幾たびか移

      転しました。その都度呼び名も円融房、梨本房、円徳院、梨本門跡、梶井宮と変え、特に応仁の乱後、梶井宮の政所であった現在の地を一時仮御殿と

      されたのでしたが、明治維新までは御所の東、河原町御車小路梶井町(現・府立病院)に御殿を構えておりました。

      御殿門 高い石垣に囲まれた大きな御殿門は、門跡寺院にふさわしい風格をそなえ、又、政所としての城廓、城門を思わせる構えで、2003年秋、修

      復完成しました。 

 

 

 

      

      元永元年(1118年)堀川天皇第二皇子・最雲法親王が梶井宮に入室され梨本の正統を継がれて以来、皇族出身者が住持する宮門跡となりました。

      妙法院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡のひとつとして歴代の天台座主を輩出してきました。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

             玄関を入り、まずは客殿に向かいます。 

 

 

 

 

 

      

      客殿南側の聚碧園庭園 客殿を介して初めに広がる庭園で、 声明の音がしみ渡ったであろう自然の美に、江戸時代の茶人金森宗和 (かねもりそう

      わ・1656没)が感動し、自らの手を加え、今日の清楚にして 優美な庭が生まれました。 

 

 

 

 

      

      庭内の、永遠に満るがごとく清らかなる水を湛えた 池の源は、音無しの滝よりいでし清流の律川から引かれております。 往生極楽院の、杉木立ちの

      間に見透かすように在るさまが、尚いっそう庭の 立体感を深めて伝わる自然の絵巻物の様と説明されております。  

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

      写経場の円融房から見た客殿 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      客殿と写経場を結ぶ渡廊下 

 

 

 

 

 

             

             客殿東側庭園、左手には、往生極楽院のを囲む木々がそびえております。 

 

 

 

 

 

      

      客殿と宸殿を結ぶ廊下より、右手宸殿 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

      宸殿前 

 

 

 

 

 

      

      宸殿は三千院の最も重要な法要である御懴法講の道場として、大正15年に建てられたもので、宸殿では毎年5月30日、門主が導師を勤め、山門

      (延暦寺)と魚山(大原寺)の僧侶が式衆として出仕し、歴代天皇の御回向である御懴法講が厳かに行われます。雅楽と声明がとけあった御懴法講は、

      後白河法皇の御代からはじめられた宮中伝統の法要で、江戸末期までは宮中で行われていましたので、「宮中御懴法講」と呼ばれていました。

       宸殿の東の端にある玉座の間から望む往生極楽院

 

 

 

 

      

       天下泰平、萬民豊楽の祈願も併せて行われますので一般の参詣者も自由に献香していただけるようになっております。 白木造りの美しい本殿の正

      面には、伝教大師作の薬師瑠璃光如来が安置されており、秘仏として非公開となっています。 向かって右には歴代天皇の尊牌を、左には歴代法親王

      の尊牌が厳かにお祀りしてあります。

 

 

 

 

 

      

      

 

 

 

 

                
               宸殿の東の端にある玉座 玉座に掛かる「鵞」の大字は、中国天台山國清寺内に今尚、現

               存する碑の拓本で、王義之筆によるものです。

               王羲之とは1600年もの昔に中国書道の革命家とも言われ、その後の書道家たちにも大き

               な影響を及ぼしていると言われています。

               「鵞」の意味を探しておりましたところ、王羲之はガチョウを可愛がっていて、多くのガチョウ

               を飼っていたそうです。國清寺以外の紹興の蘭亭と言う所にも、「鵞池碑亭」と言う碑があり、

               鵞鳥(ガチョウ)がいる池という意味で「鵞池」という字の碑があるそうです。
               

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      宸殿で玄関受付で脱いだ靴を履き境内を回ります。 

 

 

 

 

 

      

      宸殿前に広がる有清園  青苔にスギ、ヒノキ、ヒバなどの立木が並び、見るものをして心の安らぎを与えてくれる庭です。そして、御堂の東側にはまん

      まんと水をたたえた池泉があります。山畔を利用して三段式となった滝組を配して、上部から水が池泉へと流れ落ちています。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      有清園に佇む地蔵菩薩像

 

 

 

 

 

      

      宸殿より往生極楽院に通ずるこの広い庭園は、その名の通り清らかな自然に抱かれています。園内の所々には、地蔵様が訪れる人々をあたたかく見

      守られ、(地蔵菩薩は迷いの世界で人々を救うと伝えられ、とくにその慈悲深さより子供たちの守護尊として広く信仰を集めております。)また、春には

      石楠花の淡い色が園内一面を染めます。 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

        

      有清園の中央に建つ往生極楽院は、三千院の歴史の源とも言える簡素な御堂で、平安時代に恵心僧都(源信)が父母のために、姉安養尼とともに建

      立したものと伝えられており、堂内には、阿弥陀三尊が今も変わることなく永遠の大慈大悲の御心を私たちに与えて下さっています。 千年の昔より、弥

      陀の浄土に往生安楽を願い、ひたすら念仏を称え三昧にひたる常行三昧(阿弥陀様の周囲を念仏を唱えながら修行する)が行われてきた御堂内部に

      は、有名な船底天井及び壁画は、金胎曼荼羅・二十五菩薩・飛天雲中供養菩薩(楽器を奏でる菩薩像)・宝相華(極楽の花園の図)などの極彩色の絵で

      包まれ、あたかも極楽浄土をそのまま表しています。

 

 

 

 

      

      境内の南に位置する朱雀門      

 

 

 

 

 

      

      往生極楽院の南側に佇むわらべ地蔵        

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

      有清園を抜け、さらに東側に広がる境内を回ります。 

 

 

 

 

 

             

             まず最初に左手に佇む妙音福寿大弁財天が見えてまいります。  

 

 

 

 

 

             

             京の七福神 妙音福寿大弁財天 とても優しいお顔をなされております。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

             金色不動堂の前の階段を登りますと観音堂があります。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

       

      こちらには、一万体を優に超える観音様が信者の皆様から奉納されており、今なお増え続けております。 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      観音堂の左手に広がる、二十五菩薩石庭は、中根庭園研究所が手掛けられました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      金色不動堂の横を抜け後方の庭園に進みます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

      三千院の最北に建つ売炭翁石仏 

 

 

 

 

 

      

      石仏は、律川の北側に建ちます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      順路に沿い進みますと、六月に満開を迎える紫陽花園を通ります。 

 

 

 

 

 

             

             紫陽花園を抜けますと弁天像の横に出てまいります。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

       

 

 

 

 

 

 

      

      境内をゆっくり回りますと約1時間所要いたします。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      門前では、これから最盛期を迎える千枚漬けの実演販売を行っておられました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

      三千院の南側を流れる呂川 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

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大原 実光院 秋紅葉 11/29/2011

2011年12月16日 | 洛外 大原方面

      

      宝泉院の南側に位置する、実光院は魚山大原寺下院(ぎょざんたいげんじ)の本堂・勝林院の僧院とあります。勝林院は、長和二年(1013)に慈覚大

      師円仁(天台宗の入唐求法僧・中国から仏教儀式音楽である声明を伝えた)の九代目の弟子寂源が、 天台声明を伝承するために建立した寺院であり、

      後に聖応大師良忍が来迎院を建立し、この地が天台声明の中心地となり、以後この二院を本堂として魚山大原寺と総称するようになりました。勝林院

      には実光院のほかに、宝泉院、普賢院、理覚院などの子院が建てられ、歴代の住職は日々天台声明の研鑽に励んでまいりました。

 

 

 

 

 

      

      実光院ははじめ隣の大原陵(後鳥羽天皇・順徳天皇陵)の地にありましたが、大正八年に普賢院と理覚院を併合し、普賢院跡地である現在地に移転

      いたしました。 

 

 

 

 

 

      

      庫裡の玄関を入りますと、客殿の西側に広がる庭園が、目に飛び込んでまいります。 

 

 

 

 

 

      

      玄関の左手が、客殿になっており客殿南側には、池泉観賞式庭園が望めます。 

 

 

 

 

 

      

      現在の客殿は、大正十年に建てられたものであり、(庫裡は江戸末のものを移築)欄間の三十六詩仙画像は、江戸時代中期の狩野派の画家の筆であ

      ります。床の間を始め、各所に楽器が陳列してあるが、これらはいずれも声明研究の一助にと歴代住職が収集したものであるとの説明があります。     

 

 

 

 

 

 

      

      庭園は、旧普賢院庭園(契心園けいしんえん)客殿の南に広がる池泉観賞式の庭園となっており、江戸時代後期の作庭とされております。心字の池に

      律川から導いた滝の水が流れ落ち、滝口の近くには蓬莱石の石組があります。 築山の松は鶴を、池の島は亀を表象しており、また、築山には石造の

      五重塔を配置し、池のこちら側を俗世間、向こう側を仏の浄土に見立てております。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      客殿でお抹茶を頂きながら南庭園を鑑賞した後は、庫裡からスリッパを履き西庭園に出ることが出来ます。 

 

 

 

 

 

      

      西庭園は、 旧理覚院庭園を再興したもので、客殿の西側一帯にある池泉回遊式庭園となっております。理覚院が廃寺となり実光院に併合された後、

      荒廃していた土地を近年前住職が作庭したものだそうです。中央にはひょうたん池があり、配置してある石の多くは寺領の山や谷から運びこんだもの

      で、西の金毘羅山や小塩山を借景に取り入れるために庭木を低く仕立てており、極めて解放的な明るい印象を与えております。

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

      庭園の中央にある不断桜は、例年初秋より翌年の春まで花を咲かせる珍しい品種で、秋の紅葉の季節には観桜と紅葉狩りが一度に楽しめます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      庭園の西北隅にある茶室「理覚庵(りかくあん)」は、前住職の設計によって昭和50年に建てられたもので、桧の変木床柱を始め、材木のほとんどは実

      光院領の山林から調達したものだそうです。 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

             

             茶室前の蹲踞 

 

 

 

 

 

      

      茶室前のこちらにも不断桜が花を咲かせております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

              理覚庵

 

 

 

 

 

      

      石垣の向こうに三千院の庫裡が見えます。 

 

 

 

 

 

      

      三千院北側を流れる律川 

 

 

 

 

 

      

      石垣の先に三千院の御殿門が見えてまいります。 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大原 宝泉院 秋紅葉 11/29/2011

2011年12月14日 | 洛外 大原方面

      

      大原三千院門跡界隈は、この時期大変に賑わっておりますが、平日の午前中と云う事もあり、思ったほどの人出もなくスムーズに回ることが出来ました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      参道を進みますと、右手に三千院の御殿門を見つつさらに突き当りまで進みます。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

             

             三千院門跡の北側を流れる律川 

 

 

 

 

 

      

      律川に架かる橋を渡り、正面に勝林院を見ながら、参道右手に有る天皇陵です。 後鳥羽天皇と順徳天皇が祀られております。

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

      天皇陵の正面の山々と手前、実光院の屋根。 正面の山の左裾野に寂光院があります。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      京都を囲む三山には、どこに行っても歴代の天皇陵に出会う事が出来ます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

      

 

      

      実光院の白壁。

 

 

 

 

 

      

      天皇陵の北側に位置する法華堂は、後鳥羽天皇ご冥福のため、梨本主尊快親王母公修明門院御計らいにて水無瀬の御所を以て仁冶元年(1240)

      に建立されました。享保二十一年(1736)類焼いたし現在の堂宇は、安永年度(1764~)に再興されております。 御本尊には、普賢菩薩を祀ります。  

 

 

 

 

      

      勝林院・本堂  平安時代の847年に唐から帰朝した慈覚大師円仁は、中国仏教の伝統的な儀式音楽である声明音律業(声明 しょうみょう)を日

      本に伝え、その後弟子たちにより比叡山に伝承されてきました。そして、平安中期の1013年に慈覚大師の九代目の弟子・大原入道こと寂源上人が、

      この大原に声明道場として大原寺(現在の勝林院)を建立しました。 1186年(文治2年)には顕真と法然との宗論(いわゆる大原問答 念仏により極

      楽往生ができるかどうかの問答のとき、大光明を放たれて念仏衆生摂取不拾の証拠を現わされたという)で、ともに如来が証拠に立たれたところから、

      証拠阿弥陀如来と称し、この堂を証拠堂と呼んでいます。江戸時代には4坊(理覚坊・実光坊・法泉坊・普暁坊)がありましたが、現在は宝泉院・実光

      院の二院が残るのみとなりました。

 

     

 

 

 

      

      本堂の中心に祀られている本尊・阿弥陀如来像は、平安中期の仏師康尚の作といわれております。現在は、本堂のみが残っており境内の規模も入り

      口から見渡せるため、中に入る方も少なく、勝林院左手の宝泉院に向かわれます。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      勝林院左手(西側)の宝泉院への参道 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      宝泉院の入り口から見た勝林院の本堂。

 

 

 

 

 

 

      

      宝泉院(ほうせんいん)は、1012年寂源が大原寺(勝林院)を創建し、その住職の坊として平安末期頃よりの歴史をもち現在に至っております。

 

 

 

 

 

 

      

      正面に見ますのが、樹齢600年以上と言われる宝泉院を代表する五葉松(近江富士)です。

 

 

 

 

 

 

             

             宝楽園庭園は平成17年3月に宝泉院境内南側の低地に 新しく誕生した庭で、(仏神岩組雲海流水回遊花庭)を

             趣向し、地球太古の創世に遡り、その原初の海を創造した庭園です。作庭は長野県に本拠を置く、造園の園冶(え

             んや)庭園研究企画創作所─空間総合プロデューサーとなっております。

              

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

      庭園北側の築山や橋の石組に使用されている銀石は、金属の輝きを思わせる三波峡の石を使用しております。  三波石峡(さんばせききょう)は、

      神流川上流に位置し、群馬県から埼玉県に跨る景勝地です。また、緑色の結晶片岩は石英が緑色の紋様を示し非常に高価な庭石としても重宝されて

      おり(三波石 さんばせき)と呼ばれております。  天橋立玄海のぞき橋  

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

             海の濁流を表現した白川砂は、夜半にその砂に月光が照り映えて、銀砂幽玄の世界がそこに現れるそうです。

              

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

      庭園中央にある三尊石は、東北の念珠関から運ばれてきた念珠石で、阿弥陀仏・観音菩薩・勢至菩薩の来迎の姿を表した岩組みになっております。

 

 

 

 

 

 

             

             環状列石蹲い(つくばい) 古代先人仏舎利を表現した、蹲踞 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

             四季折々の花木が配置されており百花繚乱と言われる庭園です。

 

 

 

 

 

 

             

      

 

 

 

 

 

 

             

             宝楽園を回り、石畳正面が、書院への玄関口になります。 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      玄関を入りすぐ右手にあるお部屋です。宝泉院は四方を庭に囲まれており、どの部屋からでもそれぞれの庭園を鑑賞することができます。 

 

 

 

 

 

      

      こちらの庭園は、玄関の左手にある鶴亀庭園です。江戸中期の作で、部屋の中から格子ごしに観賞する庭園で池の形が鶴、築山が亀、山茶花の古木

      を蓬莱山とみる名園と云われております。 この庭園も園冶の修復、管理と説明されております。

 

 

 

 

 

 

      

      本堂の右手のお茶室からみるお庭の景色です。 

 

 

 

 

 

      

      額縁庭園 客殿の西方にあり右手に御本尊が祀られる本堂の柱と柱の空間を額に見立て観賞する庭園です。 庭の名前を盤桓園(ばんかん)と言い

      立ち去りがたい庭園という意味だそうです。 拝観料にお抹茶代が含まれておりますので、毛氈に座り待っておりますと、御茶菓子と共に運んできてく

      ださいます。

 

 

 

 

 

 

      

      庭園南側に鎮座する樹齢6百年を誇る五葉松

 

 

 

 

 

 

      

      西側庭園の右手の軒先のつくばいにある水琴窟  竹筒に耳を傾けますと心地よい水の音色が響きます。

 

 

 

 

 

 

      

      この時期は、本来ですと右手のモミジが燃えるような紅色に染まっているはずなのですが、今年は色づきが遅く葉先が枯れ始めておりました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

             血天井  慶長五年(1600)関が原合戦前、徳川の忠臣・鳥居元忠以下数百名が豊臣の大軍と戦い伏見城中

             で自刃し、その武将たちの霊をなぐさめ、供養のために、自刃した場所のものを天井にして祀ったものです。 

             鷹峰の源光庵の本堂にも同じものがあります。
 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

 

      

      本堂東側のこちらが、本来の玄関になります。 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      玄関横の花器には、いつも可愛らしい花が活けて有ります。 

 

 

 

 

 

             

             山門前 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      宝泉院を後にして、石垣の右手の実光院に寄って行きます。 

 

 

 

 

 

 

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大原 古知谷阿弥陀寺 秋紅葉 11/29/2011 

2011年12月11日 | 洛外 大原方面

      

      阿弥陀寺(あみだじ)は、京都市左京区大原の北側に位置する古知谷(こちだに)にある浄土宗知恩院派の寺院で、山号は光明山、院号は法国院と

      云いますが、一般には古知谷阿弥陀寺として知られております。 

 

 

 

 

 

      

      1609年(慶長14年)3月、弾誓(たんぜい)上人が開山した念仏道場です。弾誓上人は尾張国の出身で、9歳の折りに自ら出家され美濃国塚尾の観音

      堂に参籠し、さらに同国武芸の山奥において念仏三昧、二十余年の修業を積まれ、その後、諸国を行脚して苦行修行を重ねた末、ようやく時節が到来

      し、最後の修業の地の古知谷に赴きました。 

 

 

 

 

      

      古知谷に入った上人は、岩穴に住して念仏三昧の日々を送っておりましたが、近江国の人達との御縁でこの地に一寺を建立し、御本尊として人間とし

      ての理想像を草刈り鎌にて刻み、自身の頭髪を植え、これを本尊として本堂に安置し寺の名を「光明山 法国院 阿弥陀寺」と付けました。しかし、阿

      弥陀寺に在住して4年後の1613年(慶長18年)5月23日に、当寺の本堂脇の巌窟内で即身仏となられました。その後、弾誓上人のミイラ化した遺体は

      石棺に納められ、巌窟内の石廟に安置されて現在にいたっております。

      

 

 

 

 

 

 

      

      山門は、下層を白漆喰塗り込めとした中国風の楼門が建ち、門前の石柱には「弾誓仏一流本山」の石碑が建ちます。当寺は阿弥陀とともに弾誓像を

      本尊として安置することから「弾誓仏一流本山」と称しております。 

 

 

 

 

      

      この弾誓上人におくれること百年、近江国平子山にあって念仏三昧を続けていた澄禅上人(ちょうぜん)は、弾誓上人の行跡を慕って当山に入り、本坊

      から四町ほど上の岩穴にて常座不臥称名念仏すること5年の後の1721年2月4日に70歳で入定されておられます。 

 

        

 

 

 

      

      山門から歩くこと500m程登った所に本坊が見えてまいります。車の方は上まで登って行けます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      石組の山肌に建つ瑞雲閣 

 

 

 

 

 

 

               

               樹齢800年以上と云われる古知谷カエデ 

 

 

 

 

 

      

      こちらのタカオカエデは、寺の伝えによりますと弾誓上人が阿弥陀寺を開かれた時にはすでに古木となっており、阿弥陀寺周辺の古知谷は紅葉の名

      所としても知られておりますが、その中でも最大のものといわれており、昭和56年6月1日に京都市の指定天然記念物にしていされております。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

      

      受付で拝観料を払い境内に向かいます。 

 

 

 

 

 

      

      山腹にある寺院なので、紅葉がもっと進んでいると思っておりましたが、太陽の当たり具合が悪いのかもしれませんね。       

 

 

 

 

 

      

      本堂左手の書院玄関より上がらせていただきます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

      石廟 この巌窟は、上人が入定される一年前に修行中の僧らに頼んで掘らせた物で、上人は石棺の真下に掘ってある二重の石龕(せきがん)に生き

      ながら入られ「ミイラ佛」となられました。明治15年にこの石棺が収められるとき、「ミイラ佛」も下よりお出しして現在この石棺に収められております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      宝物殿には、上人の所持品や、有栖川・閑院など各宮家から賜った品々が収納されております。 

 

 

 

 

 

               

               宝物館前の坪庭 

 

 

 

 

 

      

      本堂より 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      本堂には開山弾誓の像(弾誓が自らの毛髪を埋め込んだ自作の植髪像と伝える)を本尊として安置しており、浄土宗寺院では一般に阿弥陀如来を本

      尊といたしますが、本尊の右側に木造阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)が安置されております。

 

 

 

 

 

      

      日当たりが悪いのか、この時期にしてまだ紅葉していない樹も見られます。       

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

      本堂前の船石 

 

 

 

 

 

      

      五智如来像  五智如来(ごちにょらい)とは、五大如来ともいい、密教で5つの知恵(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)を5体の

      如来にあてはめたものだそうで、金剛界五仏のことだそうです。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      本堂右手の梵鐘 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

      瑞雲閣  瑞雲閣前に置かれた石塔は、燈籠の笠と台座の部分だそうですが、なぜ真ん中が抜けているのかは分からないそうです。

 

 

 

 

  

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      大原の山並みも綺麗に紅葉いたしておりました。これから三千院に向かいます。 

 

 

 

 

 

 

 

 

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山科 毘沙門堂門跡 節分祭 2/3/2011

2011年02月06日 | 洛外 大原方面

  

  毎年節分祭に訪れております山科の毘沙門堂(びしゃもんどう)は、天台宗の寺院で山号は護法山と称します。本尊は毘沙門天を祀り天台宗京都五
  門跡の一であり、「毘沙門堂門跡」とも呼ばれております。








  
  寺伝によりますと、毘沙門堂の前身の出雲寺は文武天皇の勅願により、大宝3年(703年)に行基が開いたといわれ、その後、平安時代末期には出
  雲寺は荒廃していおりましたが、鎌倉時代初期、平親範が平家ゆかりの3つの寺院を合併する形で再興され、中世末期には再び荒廃しておりました
  が、近世に至り、天海とその弟子の公海によって現在地に移転・復興され、天台宗京都五門跡の一として栄えておりました。







  
  仁王門 1665年この地に再興された当時の建立です。急峻な石段の上にある本堂への表門にあたります。         











  
  仁王門の左右を固める阿吽二天像








  









  
  節分祭の豆まきの舞台が設置された本堂前です。 本堂 御本尊の毘沙門天(伝教大師一刀三礼の作)が安置されている本堂は、1665年当山中
  興第二世の公海大僧正が、師・天海大僧正の意志を受け継いで復興されました。本堂では一時から毘沙門天の般若転読の法要が行われます。







  
  毎年、参拝者に甘酒を振舞っていただいておりますが、その準備も整っておりました。








  
  13時から始まる、毘沙門天の般若転読法要の前に境内とお庭を回ってまいります。 こちらは、玄関前の山門です。







  
  玄関 御堂と庭園の拝観入口は、本堂になりますのでそちらに回ります。
  







  
  







  
  宸殿前の枝垂れ桜と右手に勅使門の軒です。 この枝垂れ桜は一目千両と言われ樹齢百数十年の巨木で、その枝張りは30mにも及びます。 
  満開時期は、4月10日~15日あたりになるそうです。









  
  枝垂れ桜の右手の梅が開花の準備が出来上がっておりました。









  
  宸殿と霊殿を結ぶ廊下です。








  
  左側が霊殿で右側が本堂です。








  
  霊殿の東側に建つ弁財天堂








  
  本堂








  
  本堂前の紅梅も花を咲かせ始めておりました。








  
  本堂の東側、弁財天の手前に有るお堂です。 一切経蔵  一切経・ 転輪経蔵の創始者の傅大士像(ふだいし)を祀ります。 手前の紅枝垂れ桜は、
  4月には鮮やかな紅色の花を咲かせてくれます。







  
  本堂右手の弁財天








  
  高台弁財天  大阪城で豊臣秀吉の正妻、大政所高台院湖月尼(お寧)が信仰していた弁財天で高台弁天と称します。住職・一品公弁法親王が所
  望されて、本堂裏右手(東側)に安置して、高台弁財天、不老弁天として多くの人々に信仰されております。






  









  
  弁天堂から見た左本堂と霊殿








  









  









  









                       
                       本堂の唐門をくぐり参拝受付を済ませ本堂左手に進みます。







  
  本堂左手より、霊殿、宸殿へと進みます。








  









                       









  









                      
                      霊殿には、阿弥陀如来像を中心にして歴代の影像や位牌を安置しており、1693年
                      に第三世公瓣法親王の建立とあります。                       








  
  渡廊下の右手の庭に閼伽井の井戸がありますが、後で紹介いたします。








  









  
  宸殿前の枝垂れ桜越しに見えます勅使門は、後西天皇より拝領した総門で、かつては天皇陛下の行幸の時かその代参、現在では門跡門主の晋山
  式以外は開門されない開かずの門となっております。






            
            宸殿襖絵 宸殿内部の障壁が百六十面は、すべて狩野探幽の養子で駿河台派の狩野益信の作で、どの角度から見て
            も、鑑賞者が中心になるという逆遠近方の手法を使っております。







                           
                           天井龍 霊殿の守護龍は狩野永叔主信が画いたもので、眼の向きや顔が、
                           見る角度によって変化いたします。










  
  玄関を入った所の部屋に置かれている円山応挙筆とされる衝立で、裏表に描かれた鯉の姿です。







                     









  









  









  
  観音堂と七重石塔








  
  庭園には、スリッパを履いて下りることが出来ますが、回遊は出来ません。








                     









  









                     









  









  
  鞍馬自然石手水鉢








  
  右手前に千鳥石、石塔の前が座禅石、石橋の手前が亀石だと思います。








  









  
  中庭に佇む閼伽井の井戸は、仏前に供える水を汲むための井戸です。








  
  宸殿西側の手水鉢








                       









  









                      









  
  先ほどまで閑散としていた境内ですが、三,四百名は居られたと思います。






  
  2時からの豆まきには、毘沙門堂貫主の挨拶のあと一万包みの福豆が蒔かれました。本日は、宝塚からお二人の方がお見えになっておられました。 
  毘沙門堂では「福は内、鬼も内」と言って豆が蒔かれます。






  









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大原 寂光院 秋紅葉 11/25/2010

2010年12月04日 | 洛外 大原方面
  寂光院(じゃっこういん)は、左京区大原にある天台宗の寺院で山号を清香山と称します。開基(創立者)は聖徳太子と伝えられておりますが、諸
  説があるみたいです。平清盛の娘・建礼門院が、平家滅亡後隠棲した所でもあり、『平家物語』ゆかりの寺として知られております。ご本尊は六万
  体地蔵菩薩尊が祀られております。






                   









  









  









  
  孤 雲 (茶室) 京都御所で行われた昭和天皇の即位の御大典の際に用いられた部材が寂光院に下賜され、それをもとに茶室を造り、昭和6年3月に
  千宗室宗匠をたのみて献茶式を催し茶室開きが行われました。








  
  「孤雲」の名のいわれは、建礼門院のもとを訪れた後白河法皇が、粗末な御庵室の障子に諸経の要文とともに貼られた色紙のなかに、「笙歌遥かに
  聞こゆ孤雲の上 聖衆来迎す落日の前」という大江定基の歌とともに、「思ひきや深山の奥にすまひして 雲居の月をよそに見んとは」という女院の歌
  を御覧になって、一行涙にむせんだという『平家物語』の大原御幸のなかの一節にちなんでおります。




                   









  









  









  









  
  寂光院本堂 桃山時代頃の建築の特色を残していると言われていた寂光院本堂は、平成12年(2000)5月9日未明、不慮の火災により焼失しましたが、
  再建は小松前住職の「すべて元の通りに」の言葉通りに、焼け残った木組みや部材を入念に調査し、材木を吟味して、5年の歳月を経て平成17年6月
  2日に落慶いたしました。ヒノキ材で屋根は木柿葺(こけらぶき)で焼失前の寂光院がここによみがえりました。





  









                   
                   雪見灯籠 (ゆきみどうろう) 本堂に向かって右手前にある置き型の鉄製灯籠で、豊臣秀
                   頼が本堂を再建した際に伏見城から寄進されたものと伝えられます。
















  









                   









  
  四方正面の池 本堂の東側にある池で、北側の背後の山腹から水を引き、三段に分かれた小さな滝を設けてあり、池の四方は回遊出来るように小
  径がついており、本堂の東側や書院の北側など、四方のどこから見ても正面となるように、周りに植栽が施されております。






                   









                   









  









  









                   









  









  









  
  汀の池 (みぎわのいけ)池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛なりけれ (『平家物語』大原御幸)
  文治年(1186)4月下旬、後白河法皇は忍びの御幸で寂光院の建礼門院の閑居を訪ねたおりの一首です。都から遠く離れた寂光院は、全く通う人もな
  い奥山の里で、庭の若草が茂り合い、青柳のしだれた枝は風に乱れもつれ合い、お堂の汀池の浮き草が波に揺れ池の中島の松にかかっている藤が
  うら紫に咲いている色、青葉まじりの遅咲きの桜が咲き、岸辺には山吹が咲き乱れる様子を詠んだものだそうです。この時の汀の池と桜は今も本堂前
  に平家物語当時そのままをしのぶことができます。








                   









  
  千年姫小松 (御神木) 池のうきくさ 浪にただよい 錦をさらすかとあやまたる中嶋の松にかかれる藤なみの うら紫にさける色 (『平家物語』大原御幸)
  本堂前の汀の池のそばには、古来より櫻と松が寄り添うように立っていて、その櫻を「みぎわの櫻」といい、松を「姫小松」といいました。姫子松は細長
  く柔らかい松の葉が5本が一組になってつく、いわゆる五葉松のことであり、寂光院の姫小松は樹高15メートル余りで樹齢数百年になるものでありまし
  たが、平成12年(2000)5月9日の不慮の本堂火災とともに、池のみぎわの櫻と姫小松もともに被災し、とくに「姫小松」は倒木の危険があるため伐採の
  やむなきに至り、現在はご神木としてお祀りしておられます。






  
  諸行無常の鐘楼 本堂の正面の池の汀にある江戸時代に建立された鐘楼には、「諸行無常の鐘」と称する梵鐘が懸かっております。
  鐘身に黄檗宗16世の百癡元拙(1683-1753)撰文になる宝暦2年(1752)2月の鋳出鐘銘があり、時の住持は本誉龍雄智法尼、弟子の薫誉智聞尼で、
  浄土宗僧侶でありました。





  









  
  鳳智松殿(ほうちしょうでん)『宝物殿』前から山門を見上げたところです。 平成18年秋に寂光院の復興を記念して建てられました。寂光院に伝来する
  『平家物語』ゆかりの文化財等を紹介しています。






            









                   









  









                   









  









                   









                   









                   









  









  












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大原 勝林i院・宝泉院 ライトアップ 04/26/2010

2010年05月03日 | 洛外 大原方面
           大原の勝林院(しょうりんいん)と宝泉院のライトアップに行ってまいりました。三千院に着くまで真っ暗で、ライトアップの
           案内も無いなか勝林院の前だけ足元に行灯が照らされておりました。







           
           秋の紅葉シーズンのライトアップと違い周知されていないのか、とても人が少なく貸切の状態でした。






           








           
           勝林院は、835年(承和2年)円仁によって開かれたと伝えられ、1013年(長和2年)寂源によって中興されたと云われて
           おります。古くから来迎院(左京区大原来迎院町)とともに天台声明の道場でありました。






           
 







           
           1186年(文治2年)には顕真と法然との宗論(いわゆる大原問答 念仏により極楽往生ができるかどうかの開答のとき、
           大光明を放たれて念仏衆生摂取不拾の証拠を現わされたという)で、ともに如来が証拠に立たれたところから、証拠阿弥
           陀如来と称し、この堂を証拠堂と呼んでいます。江戸時代には4坊(理覚坊・実光坊・法泉坊・普暁坊)がありましたが、
           現在は宝泉院・実光院の2院が残るのみとなりました。





           








           
           ブレてしまいました。







           









           
           お昼の拝観では、勝林寺と宝泉院の入り口は異なりますが、ライトアップ時は、共通になり本堂の左手より宝泉院に入れ
           ます。






                         
                         宝泉院は、大原寺(勝林院)の僧坊の一つとして、1012年(長和2年)に創
                         建されたものです。





           
           山門の正面にそびえる樹齢700年の「五葉の松」







           
           玄関







           








           
           玄関を入ってすぐ右手の囲炉裏部屋、日中は北側のお庭も見えます。






           
           玄関左手の庭園 宝泉院は、四方を庭園で囲まれております。







           
           宝泉院の庭園は、盤桓園(立ち去りがたいという意味、額縁庭園とも言う)といい、盤桓園には樹齢300年の沙羅双樹の
           木が茂り樹齢700年の「五葉の松」も観光客に人気があります。






           








           








           
           額縁の右端には、蹲と手前に水琴窟の音色を聞くための竹筒が設けられております。






           








           
           五葉松







                     








                     
                     五葉松の前のこの天井は、「血天井」といい関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦い
                     の際に徳川家臣鳥居元忠以下数百名が自刃した伏見城の床板であり、その霊を供養する
                     ため天井板としているものです。鷹峰の源光庵にも同じものがあります。




           
           伺ったときは、二三名居られたお客さんも閉門間近になりますと貸切になりました。






           
           書院の北側のお茶室です。







                              
                              お茶室前の控の間







           
           控の間から見える庭園で、額縁庭園の右手になります。







           
           帰りにもう一度、勝林院の前に出て駐車場に戻ります。







           








          
          流石に京都の奥座敷だけあり、まだ枝垂れ桜が残っておりました。







           
           三千院山門  尚、ライトアップは5月9日までなされております。








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大原 三千院門跡 2009/06/25

2009年07月05日 | 洛外 大原方面

      三千院門跡は、左京区大原にある天台宗の寺院です。伝教大師最澄により開かれ御本尊に薬師如来像が祀られており
      ます。    かつては貴人や仏教修行者の隠棲の地として知られた大原の里にあり青蓮院、妙法院とともに、天台宗の
      三門跡寺院の1つに数えられております。








                         









      
      参拝受付を済ませ客殿に入ったところの坪庭です。








                          









      
      客殿 聚碧園(しゅうへきえん)  客殿と写経場との間に有る池泉観賞式庭園です。








      










               









      









      









      
      赤毛氈の敷かれている特等席は、有料のお茶席です。








      









      
      客殿から宸殿に向かう廊下より。








               
               玉座に掛かる「鵞」の大字は、中国天台山國清寺内に今尚、現存する碑の拓本で、王 
               義之筆によるものです。
               王羲之とは1600年もの昔に中国書道の革命家とも言われ、その後の書道家たちにも大き
               な影響を及ぼしていると言われています。
               「鵞」の意味を探しておりましたところ、王羲之はガチョウを可愛がっていて、多くのガチョウ
               を飼っていたそうです。國清寺以外の紹興の蘭亭と言う所にも、「鵞池碑亭」と言う碑があり、
               鵞鳥(ガチョウ)がいる池という意味で「鵞池」という字の碑があるそうです。
               私などは、書道の事はわかりませんが、鵞鳥と言えば北京ダックを連想してしまいますが、
               1600年前には勿論無かった料理でしょうね。








      
      玉座前から見た有清園と往生極楽院

      宸殿には、御本尊の薬師瑠璃光如来像が祀られております。







      









      









      









      
      有清園に佇む地蔵菩薩像








                    









      
      有清園の杉苔に覆われた庭は、瑠璃光庭とも呼ばれております。








      
      往生極楽院は、986年の建立で、阿弥陀如来座像を中心に向かって右に観世音菩薩・左に大勢至菩薩が祀られ、いずれ
      も立像ではなく、お坐りになっている像です。それは即ち、彼岸の極楽へ引導せんと来迎する阿弥陀如来と、それに随喜
      して往生者を迎えて(信者を蓮華座に乗せて)今まさに彼岸の彼方へ帰らんとする御姿であるそうです。






      
      往生極楽堂の前庭に佇む「わらべ地蔵」 杉村 孝 作








      









      









                    









                    









                









      
      城郭のように三千院を囲む白壁








                

                  








      









               









      
      金色不動堂は、三千院の祈願道場として、平成元年四月建立された新しいお堂で、本尊は智証大師作と伝えられる
      金色不動明王で、秘仏となっています。
      








      
      観音堂








      
      二十五菩薩石庭








      
      何万体もの小観音像が並んでおり一つ一つに寄進された方の名前が付いております。







      









      









      
      金色不動堂の裏手北側の庭園です。








               









               
               三千院の北側を流れる律川








      
      売炭翁石仏








      
      金色不動堂西側の紫陽花苑 ここの紫陽花は酸性土壌なのかほとんどが青色です。








      
      唯一一輪だけ紫を見付けました。








      









                    
                    不断開けられることの無い往生極楽院の前の朱雀門








      









      









      









      









      
      客殿の玄関








      










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大原寺 宝泉院 2009/06/25

2009年06月30日 | 洛外 大原方面

      宝泉院(ほうせんいん)は、左京区大原にある天台宗の寺院です。
      1012年寂源が大原寺(勝林院)を創建し、その住職の坊として平安末期頃よりの歴史をもち現在に至っております。









      
      三千院の参道を進みますと、右手に三千院の御殿門を見つつさらに突き当りまで進みますと勝林院があります。








               
               勝林院の参道途中、右手にある法華堂、後鳥羽天皇の御冥福を祈って建てられたものです。








      
      この橋を渡り突き当りが、勝林院です。








      
      勝林院・本堂  平安時代の847年に唐から帰朝した慈覚大師円仁は、中国仏教の伝統的な儀式音楽である声明音
      律業(声明 しょうみょう)を日本に伝え、その後弟子たちにより比叡山に伝承されてきました。そして、平安中期の10
      13年に慈覚大師の九代目の弟子・大原入道こと寂源上人が、この大原に声明道場として大原寺(現在の勝林院)を建
      立しました。








      
      本堂の中心に祀られている本尊・阿弥陀如来像は、平安中期の仏師康尚の作といわれております。
      現在は、本堂のみが残っており境内の規模も入り口から見渡せるため、わざわざ中に入る方も少なく、宝泉院に向かわ
      れます。








      
      勝林院の向かって左手が、宝泉院です。








      
      宝泉院の入り口から見た勝林院の本堂。








      









      









      
      正面に見えるのが、樹齢600年と言われる五葉松(近江富士)です。








      
      宝楽園庭園は(仏神岩組雲海流水回遊花庭)を趣向し、地球太古の創世に遡り、その原初の海を創造した庭園ですと、
      説明には書いてあります。








               









      









               









      
      三尊石は、阿弥陀仏・観音菩薩・勢至菩薩の来迎の姿を表した岩組みになっているそうです。








      
      台付花桃、四季折々の花木が配置されており百花繚乱と言われる庭園ですが、この時期は花を咲かせている樹は残念
      ながらありませんでした。








      
      







               
               海流水を思わせる白川砂は、夜半にその砂に月光が照り映えて、銀砂幽玄の世界がそこ
               に現れるそうです。








                    
                    猿田彦神社









               
               書院玄関横の池








      
      書院玄関








      
      書院に入りすぐ左手にある鶴亀庭園は、江戸中期作で、部屋の中から格子ごしに観賞する庭園で池の形が鶴、築山が
      亀、山茶花の古木を蓬莱山とみる名園です。








      
      こちらの庭も緑の色が強調されとても綺麗な景色でした。








      









      









      









      









      
      額縁庭園 客殿の西方にあり柱と柱の空間を額に見立て観賞する庭園です。 庭の名前を盤桓園(ばんかん)と言い立
      ち去りがたい庭園という意味だそうです。








                         









      
      庭先のつくばいにある水琴窟  竹筒に耳を傾けると心地よい音色が響きます。








      









      
      何度か訪れておりますが、人気のある寺院だけに無人の庭園を撮影するのは中々難しいです。 先ほどまで中学生の
      団体が40名ほど入っておりお行儀が良くなく閉口いたしました。





      
      樹齢6百年を誇る五葉松








      









                               



      
      血天井  慶長五年(1600)関が原合戦前、徳川の忠臣・鳥居元忠以下数百名が豊臣の大軍と戦い伏見城中で自刃し、
      その武将たちの霊をなぐさめ、供養のために、自刃した場所のものを天井にして祀ったものです。      








               









                         









      
      法然上人縁の岩    次は、宝泉院南側にある実光院に向かいます。








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