この時期の龍安寺に伺うのは初めてですが、友人夫妻が上海から小学生の息子を連れて来てくれたので、息子の修学旅行代わりに金閣寺・龍
安寺・仁和寺と案内してまいりました。
世界文化遺産 大雲山 龍安寺 徳大寺家の別荘だったものを、宝徳2年(1450)管領 細川勝元が譲り受けて寺地として、妙心寺の義天玄
承を開山として創建されたものです。応仁の乱に焼失して、1499年勝元の子、政元が再興しましたが、1797年の火災で方丈、仏殿・
開山堂などを失いました。現在の方丈は、そのとき西源院の方丈を移築したものです。方丈の前庭は、枯山水の石庭として著名で、臨済宗妙
心寺派に属し、大雲山と号し禅苑の名刹です。
山門をくぐり参道を進みますと左手に広大な鏡容池(きょうよういけ)が広がります。
鏡容池の中央には、弁天島が浮かび石橋で結ばれており弁天堂にお参りすることも出来ます。
正面に見える枝垂れ桜は、春には濃い目の花を咲かせ参拝客を迎えてくれます。
本堂へと続く庫裏の入り口があります。
石庭で有名な龍安寺の15個の石組みを現したミニチュアです。この石を全部目視出来る位置が一か所だけ有ると云われております。
石庭は、白砂を敷き詰め、帚目を付け、15個の石を一見無造作に5か所、点在させただけのシンプルな庭です。巨大な中国の山水の世界を日
本人独特の感性を研ぎ澄まして写した「枯山水」の庭といわれております。15個の石は、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れ
て見えないように設計されているといいますが、ある位置に立てばかすかに15個すべてが確認できました。
石庭の最大の特徴は、「水を感じさせるために水を抜く」ということで、水を見立てられるようなものをつくり、白砂も大海をイメージし、
岩は島というより山に見立てられております。作庭は室町幕府に仕えた相阿弥の作と伝えられますが、作者、作庭年代、表現意図ともに諸説
あって定かでないようです。室町時代末期の作で特芳禅傑らの優れた禅僧によって作られたものとも伝えられております。
息子に庭園の説明をしている友人です。
方丈の西庭園 渡り廊下の先は昭和56年に再建された非公開の仏殿が建ちます。
渡り廊下の掲げられた鬼瓦
方丈の北側庭園には有名な蹲(つくばい)が 配置されております。
『吾唯足知』(ワレタダタルヲシル)
方丈の北東に据えてある銭形のつくばいです。
中心の口を共用すれば『吾唯足知』と成り、禅の格言を謎解きに図案化された
無言の悟道です。
水戸光圀公の寄進と言われております。
ミズゴケが付き漢字が判読しずらくなっております。
庫裏を出た後は、広大な鏡容池の周りを回って出口に向かいます。
天皇の勅使しか通れない勅使門は、石庭の東側に位置します。 左手の白壁の向こうが石庭です。
方丈西側の仏殿への御門
びっしりと敷き詰められた苔が、とても目に鮮やかです。
池の北東に位置する 塔頭の西源院では、庭園を眺めながら湯豆腐をいただけます。
鏡容池西側の藤棚には腰掛が設置されております。
池の南側から望む塔頭の天珠院と霊光院
庭園の杉苔
龍安寺 秋紅葉
http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/7ccd9b2f8f83bc93f4272ef70d259554
龍安寺 枝垂れ桜
http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/8a2df119e22db1a0e81f90eadd60483b
龍安寺 雪化粧
http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/a45dee349d6245076018437cd87a5e41