天台宗 西岩倉山 金蔵寺(こんぞうじ) 小塩山の東南斜面の中腹にあり、大原野神社の南側、車で約15分車一台がやっと通れる様な細い山道を
登った所に佇んでおります。徒歩で登りますと、最寄りのバス停から3キロ50分の行程になります。
斜面に沿って堂宇が建ち並んでおり、奈良時代初期の養老2年(718)、天正天皇の勅命により隆豊(りゅうほう)禅師により創建され、その後、神亀5年
(728)には聖武天皇から「金蔵寺」の勅額を賜り、さらに翌年には天皇が各地の霊山に「華厳・普門品」など経典を書写して埋めたときの一つの山に選
ばれております。
護摩堂
護摩堂奥の湧水
護摩堂から向かい側に庫裡があります。
左手の階段を登りますと本堂になります。
本堂の御本尊は十一面千手観音菩薩像で、向日明神(幼名楠松丸で文武天皇の孫にあたる)と開祖隆豊禅師とが楠の木に天狗の爪で彫ったと伝え
られております。
登ってきた階段を見下ろしたところです。
本堂の向かって右手の開祖隆豊禅師と歴代の僧師を祀る開山堂。
開山堂からさらに右手(東側)に進みますと祠に突き当たります。
下の川弁財天を祀った祠の背後に聖武天皇経塚碑があります。
下の川弁財天でUターンをし本堂の前に戻りさらに先に進みます。
本堂に左手(西側)にある愛宕大権現堂。防火勝軍地蔵愛宕大権現といい、以前は火防の守護仏として愛宕神社の本尊でありましたが、明治3年5
月の神仏分離令によって、金蔵寺に遷座いたしました。
愛宕大権現堂からさらに進みますと桂昌院廟所がみえてまいります。桂昌院は、鎌足の末孫にあたり、寛永の初め6歳の時に父に連れられ金蔵寺な
ど洛西の寺によく参詣してたといわれ、13歳の時、春日局に仕えて江戸城内で奉仕しているうち、家光の寵愛を得て綱吉を出産いたしました。幼少の
頃の恩に報いるために金蔵寺の再建に尽力したと云われます。
庫裡と客殿
左、本堂。
人里から離れた山寺なので、観光客も少なく穴場的な紅葉の名所になっております。
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