京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

西山 善峯寺 前編 2009/07/02

2009年07月10日 | 洛西 大原野方面

      善峯寺は、平安中期1029年に源算上人がこの地に小堂を建て、自作の十一面千手観音をまつられたのに始まります。
      観音信仰の高まりとともに早くからその霊場として栄え、創建まもない長元七年(1034)に後一条天皇 から「良峯寺」の
      寺号と聖詠をたまわって来、歴代天皇の崇敬あつく、中世 には「西山宮」と称する門跡寺院となり、五十あまりもの堂塔
      を有する大寺院となりました。








      
      バスで来られる方は、上の写真の参道を登って行かれますが、車の方は山門の近くに駐車場が完備されております。







                         
                         西国三十三観音霊場の二十番札所です。







                  
                  境内が広いため、パンフレットには、一周40分と書いてありましたが、約倍の
                  一時間半は掛かりました。






      
      バス停からの参道を登って来ますとこの東門が最初にあります。








      
      東門から山門への階段です。ここから登りがずっと続きます。 一ヵ月後に迫った愛宕さんの千日参りのトレーニングの
      つもりで頑張ってみました。








      









      
      1692年桂昌院により再建され、楼上には運慶作の本尊・文殊菩薩と両脇・金剛力士が祀られております。 寄進された
      のは、源頼朝公と言われております。






      









                   








      









      




                    









      
      








                         









      
      山門をくぐり最初の階段を上ると本堂の観音堂があります。 1692年に再建され、仁弘法師作の御本尊、十一面千手
      観世音菩薩があり、脇立には開祖・源算上人作の同じく十一面千手観世音菩薩が祀られております。








      









      
      観音堂の右脇にある弘法大師修行像。








      









               
               手水場は、この地が竹の里だけあって竹筒の細い枝先から水が滴っております。








      
      西国三十三観音霊場の観音菩薩像が、一番霊場から順番に並んでおります。








                         
                賓頭盧尊(びんずる)十六羅漢の第一でありましたが、神通力をもてあそんで釈迦に
                呵責(かしやく)され、涅槃(ねはん、とは死ぬことの意味)を許されず、釈迦の入滅後も
                衆生(しゆじよう)の救済にあたったそうです。白髪と長眉(ちようび)の姿で示され日本
                では堂の前に置き、これを撫でると除病の功徳があるという俗信が広まりました。 
                おびんずるさま、賓頭盧尊者、なでぼとけなどとも呼ばれております。
                三室戸寺でもお堂の前におられました。







               
               階段の上に遊龍の松が見えておりますが、順序通りに右手のつりがね堂に向かいます。








      
      つりがね堂と反対側の本坊に向かう参道です。








      
      経堂と遊龍の松








      









      
      1685年建立の「厄除けの鐘」 桂昌院が徳川五代将軍綱吉公の厄除けのために寄進されたものです。 厄除けを祈願
      しつつ鐘を突く事が出来ます。








      
      つりがね堂から見上げた遊龍の松の根元部分です。 この中心から二方向に幹が伸びております。








                









      
      つりがね堂の北隣の護摩堂は、1692年に建立され不動明王五大尊が祀られております。








      
      護摩堂から遊龍の松を眺めながら北に進みますと開山堂の手前で、京都市内が一望出来る場所に出ます。 天気も良く
      東山までくっきりと見えました。








      
      この石碑の手前には1692年に建立された開山堂があり、開祖源算上人117歳のお姿の木像が祀られており、上人より
      長寿の御利益を受ける方々がお参りなされております。 比叡山の横川より47歳の時に入山なされ70年もの歳月を過さ
      れました。現在でもギネス級ですが、その当時の117歳は驚異的な長寿だったんでしょうね。








      
      幸福地蔵「自分以外の幸せを祈りましょう」とあります。地蔵堂からは、北側一面の谷に紫陽花が咲き乱れておりました。








               
               桜の木も沢山あり春も美しいことでしょうね。








      









      
      紫陽花苑には下りずに、左手の十三仏堂の方に進みました。このお堂にはお山を守護する諸尊が祀られております。








      
      十三仏堂の向いには、桂昌院廟の門があります。








      
      宝筐印塔 鎌倉時代に慈円大僧正により、伝教大師筆の法華経が納められました。








      
      桂昌院廟 1705年79歳で亡くなられた桂昌院の遺髪が納められております。

      桂昌院と善峯寺のつながりとは・・・・。
      善峯寺は、開山以来、朝廷・幕府の庇護により五十二僧坊を数えるほどとなったのですが、1467年応仁の乱が始まると
      その兵火にかかり、焦土と化してしまうのですが、荒廃したこの寺を次々に再建し、今日の姿に復興されたのは、ひとえ
      に徳川五代将軍綱吉の母、桂昌院の寄進によるものでした。

      京都に生まれた桂昌院は、将軍家の侍女となり江戸に移り住み三代将軍家光公の寵愛を受け五代将軍となる綱吉公を
      生みました。 綱吉公が将軍になりその財力を使い、小さい時に両親に何度か連れて来てもらった事のある善峯寺の復
      興に心血を注いだと伝えられてております。






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 西山 善峯寺 後編 2009/07/02 | トップ | 祇園祭 鉾建て 2009/07/12 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

洛西 大原野方面」カテゴリの最新記事