京都洛西に位置する大原野神社鎮座のあたりは古くから開けたところで、1万年以前の有柄尖頭器が神社の山の手から発見されている地域です。
延歴3年(784)桓武天皇が都を奈良から長岡京(現向日市)に遷されたとき、天皇はしばしば大原野に遊んで鷹を放たれ、藤原氏の人や多くの供奉
の人達はこの美しい風景を賞でて氏神春日大社の分霊を遷し祀ることにした事が当神社の起りと云われております。
その後、約60年を経た嘉祥3年(850)に左大臣藤原冬嗣を祖父とする文徳天皇は冬嗣長年の願望を想い出して、壮麗な社殿を造営されました。
大原野神社では、寿元年(851)に始めて勅祭がな行われ、春秋二季を例典とされるようになりました。はじめ藤原氏の一族では女が生まれると、中
宮や皇后になれるように、この社に祈り、幸にして女が祈願通りの地位につくと美くしく行列を整えて参拝することが例となりました。なかでも寛弘2年
(1005)3月8日に中宮彰子が本社に行啓、御父左大臣藤原道長、紫式部以下がお供をしたといわれ、その行列の絢爛さは、人々の眼をみはらせたと
伝わっております。
鯉沢の池のほとりにある茶店
奈良の、猿沢池にまねて造られた、鯉沢の池には5月下旬頃から杜若や水蓮の花が美しく咲き乱れます。
拝殿
拝殿前鹿の狛犬が左右を固めております。 拝殿に向かって右側が雄鹿で左側が角の無い雌鹿です。
神殿は、春日大社と同じ様に建てられており、4柱の祭神がそれぞれ第一殿~第四殿に祀られております。 御本殿の第一殿には建御賀豆智命
(たけみかづちのみこと)、第二殿には伊波比主命(いわいぬしのみこと)、第三殿には天之子八根命(あめのこやねのみこと)、第四殿には比賣(ひめ)
大神が祀られ、鯉沢の池の東手にある摂社若宮社には天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祀っております。
古くから政治・方除・知恵の神として、また良縁を授けて下さる女の守護神としての信仰が篤い神社です。
大原野神社を後にし、南側の正法寺に向かいます。
大原野神社の南側(向い側)に位置する正法寺(しょうぼうじ)は、真言宗・東寺派の寺院で、奈良唐招提寺を創建した鑑真和上の高弟、智威大徳 が
隠世したのが始まりで、天平勝宝年間 の754年に創建されました。その後延暦年間(782年~806年)最澄がこの地に寺を建立したと伝えられ、弘仁
年間(810年~824年)空海が入寺したといわれております。
後に弘仁年間の時、弘法大師巡錫され四十二歳の厄除けのため、 聖観音を彫刻されました。 朱塗りの極楽橋を渡り坂を上ると右手に春日不動
尊が迎えてくれます。
大日如来のお使い役として、悪魔降服の任を担ってこの世に来られたのが不動明王です。
五大明王の中でも最も親しまれている仏様で、除災招福、家内安全、当病平癒、交通安全、
学業成就等に御利益があると云われております。
不動尊を守る二対の阿吽像
長岡京の氏神「大野野神社」の向いにある当寺 は、応仁の戦火て焼失しましたが、 元和元年(大阪城落城の年)、恵雲・微円の 両律師により再興
され、西山のお大師さまとして古くから親しまれてきました。 拝観入り口
本堂前の石庭
本堂前の大手水鉢は、江戸中期のもので旧大阪商人鴻池家伝来のものと書かれており
ます。
三面千手観音が祀られている本堂
書院の庭園は、鳥獣の庭園といわれる宝生苑です。配置された石が動物に見えることから、こう呼ばれております。
書院には大黒天が祀られております。こちらの大黒天は、右足を一歩踏み出した走り大国
さんです。一刻も早く衆生に福を授けんと走っておられる姿で、京都六大黒天の一つにあげ
られております。
書院の南側に位置する千原池です。五月に伺った時にはエメラルド色の綺麗な池でしたが、季節と光のせいでしょうか?
今年、五月に撮影したものです。
愛染明王 室町時代の作で、敬愛和合の誓願として、夫婦和合、縁結びにご利益あらたか
と云われております。
本堂正面の勅使門
春日不動明王堂
本堂前から春日不動明王堂に向かう途中にある清めの不動尊、ナウマク、サンマンダ、
バサラ、ダンカン、御真言を三回唱え水を掛けてお参りくださいとあります。
不動明王堂にある水琴窟です。
なんとも逞しい後姿です。
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