小塩山・十輪寺は、善峰寺の2キロほど手前に位置し天台宗の古刹です。寺は、嘉祥3年(850)文徳天皇のお后、染殿(そめどの)皇后(藤原明子:
ふじはらあきらけいこ)の世継ぎ誕生を祈願のため、伝教大師作の延命地蔵菩薩を安置したのが始まりです。
平安時代の歌人で、「伊勢物語」の主人公の在原業平氏が晩年閑居され、塩焼きの風情を楽しんだと言う、塩がまの旧跡と宝篋印塔があります。
毎年5月28日は業平忌三弦法要が営まれ、三味線に合わせてお経を唱え、京舞や生け花などが奉納されます。又、花山法皇が西国観音霊場を再
興された時に背負った草分観音が安置されております。6月第3日曜日午後1時より「声明と三弦を聞く会」8月23日本尊地蔵尊秘仏ご開帳午前10
時から、11月23日午後1時より「塩がま清めの祀り」が行われます。
本堂は、創建当時の伽藍は応仁の乱で焼失してしまい、現存のものは寛延3年(1750)に再建されたものです。屋根は鳳輦形(ほうれんがた)という
御輿をカタチどった非常に珍しい形になっており、内部天井の彫刻も手前が神社風で、奥側が寺風という意匠が施されております。
ご本尊は、伝教大師が作られた延命地蔵菩薩が祀られ等身大木像の坐像で、お腹に巻かれた腹帯で染殿皇后が安産されたことから腹帯地蔵尊とも
呼ばれていて、子授けや安産を願う人達の厚い信仰をあつめています。本尊は秘仏となっており年一回8月23日がご開帳日となります。
なお、寺宝には花山天皇が観音霊場巡拝の際に、背負ったという観音もまつられております。
本堂前に建つ鐘は「不迷梵鐘 まよわずのかね」と云われ、1666年の作とあります。
本堂の左手から裏山に上る道があり業平の墓と、業平が設けた塩竃跡があります。
十輪寺の駐車場にある銀杏が彩をそえております。
独特のカーブを描く本堂屋根
左下に業平氏の墓石が佇みます。
在原業平(ありはらなりひら)は、当時、勢いを増してきた藤原氏に抑えられ、政治的には不遇の日々をおくっていたようです。50歳過ぎからこの十輪寺
に住み始めたと云われており、当時貴族の間で流行っていた風流な野遊びの一種に塩焼きで業平も優雅な生活を惜しむ気持ちがあったのかも知れませ。
塩竃は、直径5メートルほどの窪地の中で、周囲は円形にしめ縄が張り巡らしてあり、毎年11月23日に業平を偲
んで塩焼きが再現され、この日は大原野の里に、かっての日のように紫の煙がたなびきます。
「小塩」という地名は、この塩焼きにちなんで付けられたと云われ、遠く難波津(大阪)から運んできた海水を溜めたと伝えられる汐汲池が飛び地境内に
あります。
在原業平は、父が平城天皇の皇子である阿保親王で、母は桓武天皇の皇女である伊都内親王と天皇家に縁のある家柄に825年に誕生誕生し880
年5月28日、56歳で死去いたしております。十輪寺では毎年、命日にあたる5月28日、業平をしのぶ「業平忌三弦法要」が行われます。現在、この墓は
恋愛・結婚成就にご利益があるとされ、多くの女性が訪れているそうです。
本堂前の大樟樹
御本尊の前には、スリランカ釈迦仏が安置されております。
「三方普感の庭 さんぽうふかん」は、1750年右大臣藤原常雅公が本堂を再興した時に造られたもので、高廊下、茶室、業平御殿三カ所から場所を
変え、見る人に様々な思いを感じさせるいわば「心の庭」と説明されております。
茶室
玄関
ここ十輪寺は、スリランカの寺院と縁があり僧侶が修行に来ていたりとか、スリランカの写真やお面なども飾られています。
襖絵は、明治の廃仏毀釈によって失われておりましたが、大阪在住の黒田正夕画伯によって復元されました。三十
二面にわたる豪華絢爛たる極彩色の王朝絵巻になっております。
都名所図絵に残る旧十輪寺風景
駐車場は、10台以上停められます。善峰寺の行きか帰りに立ち寄ってみてください。
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