泉涌寺別院 別格本山 雲龍院 本坊南の高所に位置する別院雲龍院は、1372年後光厳院(ごこうごん)の思召しによって、竹巌聖皐(しょうこう)が
開いた寺で、皇子・後円融院はここに如法写経の儀を興そうと寺領を寄せられました。また後小松、称光の両天皇もこの寺を崇敬され、四天皇崩御の
後は後山に御分骨所が営まれ、北朝歴代の御尊牌が霊明殿に奉安されており、古くから写経道場として修行の場とされております。
今年、2月に梅を見に来た時に是非秋に訪れたいと思っておりました。夜間拝観が、23日までとなっておりましたので、22日の今日滑り込みで参りま
した。
山門を入り左手にある観音像です。
庫裡の前のはねず梅
庫裡の右手が参拝入口です。
玄関の柱に掲げられている木版 「生死事大・・」の言葉は修行道場の木版に書かれ
ている語句です。 生死事大(しょうじじだい)無常迅速(むじょうじんそく)各宜醒覚
(かくぎせいかく)慎勿放逸(しんもつほういつ)と書かれています。その意味は「生死
は仏の一大事、時は無常に迅速に過ぎ去っていくから、各人はこのことに目覚めて、
弁道精進につとめ、無為に過ごしてはいけない」。叩いて合図をするだけではなく、
その音声で心をも目覚めさせようとの意味が込められています。
玄関正面の雲龍図
雲龍図の右手の部屋からの眺めです。
本堂裏の坪庭
本堂 龍華殿
本殿前の勅使門
御本尊 薬師如来三尊像 薬師如来は、瑠璃光王や大医王尊などと呼ばれることがあり、お医者様の
役目をはたす現世利益の仏として親しまれてきました。 雲龍院は、西国薬師霊場第四十番札所で、藤
原時代作の本尊薬師如来座像を中心に日光・月光両菩薩を両脇に安置祀られております。
別院・雲龍院が制作を進めていた本堂の襖絵「双龍風雷図」がこのほど完成し11月13日から12月5日まで公開されます。縦1.9㍍、横計約14㍍で、
雲龍院の本堂・龍華殿を飾っております。お寺側から、兵庫県たつの市在住の水墨画家、堂野夢酔(むすい)氏66歳に制作を依頼され、一年がかりで
仕上げられ奉納されたものです。襖絵は、14面あり10面に二匹の龍と風神、雷神を描き、中央の4面に般若心経と円相が描かれております。
龍華殿には写経塔が安置されており、南北朝時代の後円融天皇から写経の功徳を御信奉されて以来、現代まで続く現存最古の写経道場として信仰
を集めております。 随時受け付けが可能な本堂での御写経は、後水尾天皇より御寄進された写経机が現在もそのまま使用されております。
本堂左奥の霊明殿 雲龍院は、皇室と密接な関係の寺院ですので、御水尾天皇以降の陵墓が後山にあり、霊明殿はその皇族の位牌堂になります。
霊明殿の裏手(東側)の客殿では、襖絵を奉納なされた堂野夢酔氏の作品展が催されております。
布袋和尚を題材になされた作品が、多数展示されております。 布袋和尚とは、実在の禅僧で中国の四明山に住んだと
伝えられ、916年厳林寺の盤石に端坐したまま遷化(せんげ 高僧がなくなること。)したため、弥勒菩薩の化身といわれ
るようになったそうです。
黄檗宗では、弥勒菩薩の再来像として本尊に祀られるまでになり、また道教においての布袋像は、人間が心ほのぼのと
生きる「心円やかな活力」を与えてくれる仙人像として親しまれ崇められております。
客殿前の庭園
客殿から玄関前を通り書院に向かう廊下です。
書院北側
書院東側の「悟りの窓」梅の木だったと思います。
この日は、堂野氏ご本人が居られ、下の写真のミニ屏風絵を買ったらサインをしてください
ました。
現在、店に飾っておりますが、定価2500円はすごく安いように思えました。
こちらは、堂野氏の作品ではありませんが、台所に祀られている走り大黒天さんです。
帰り道、山門を入ったところの鐘楼。
夜間拝観は、終了いたしましたが、昼の拝観は12月5日まで行われております。
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