京の四季 名勝散策 写真集

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臨済宗大本山 東福寺 新緑 前篇 5/23/2011

2011年06月08日 | 洛南 東山 東福寺方面

 

      

       臨済宗大本山・東福寺は、摂政九条道家が、奈良における最大の寺院である東大寺に比べ、また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの

      念願で、「東」と「福」の字を取り、京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。 嘉禎2年(1236)より建長7年(1255)まで実に19年

      を費やして完成しました。 

 

 

 

 

 

               

               工事半ばの寛元元年(1243)には聖一(しょういち)国師を開山に仰ぎ、まず天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を

               完備しましたが、元応元年(1319)・建武元年(1334)・延元元年(1336)と相次ぐ火災のために大部分を焼失しました。

 

 

 

 

 

      

       延元元年(1336)8月の被災後4ヶ月目には早くも復興に着手し、貞和3年(1346)6月には前関白一条経道により仏殿の上棟が行われ、延元の火災以

      降実に20余年を経て、再び偉観を誇ることになりました。建武被災の直前にはすでに京都五山の中に列せられていましたから、再建後の東福寺は完

      全な禅宗寺院としての寺観を整えることとなりました。  三門の北側には仏殿(本殿)が建ちます。

                                            

  

 

 

       

      三門前の池に架かる石橋と向こうに見える東司

 

 

 

 

       

      

      境内の一番南に位置する三門は、空門・無相門・無作門の三解脱門の略で南都六宗寺院の中門にあたります。東福寺は新大仏と呼ばれるような巨大

      な本尊を安置するなど南都二大寺に影響を受け、この三門は大仏様(天竺様)、禅宗様(唐様)、和様をたくみに組み合わせた建造方式となっています。

      両脇に階上へのぼる山廊を設けた、日本最大最古の遺構で、応永年間(1394-1428)、足利義持の再建で、1977(昭和52)年、大修理が完成しました。

 

 

 

 

 

      

       開山 聖一国師とは、円爾弁円(えんにべんえん)といい、三井園城寺の学徒として天台の教学を究め、のち栄西(建仁寺開山)の高弟行勇・栄朝に

      ついて禅戒を受け、嘉禎元年(1235)34歳で宋に渡り、在宋6年、杭州径山の無準の法を嗣ぎ、仁治2年(1241)7月に帰朝しました。 帰朝後まず筑紫

      に崇福・承天二寺を建てて法を説き、名声は次第に国内に及んで寛元元年(1243)には藤原(九条)道家に迎えられて入京、道家に禅観密戒を授けま

      した。次いで東福寺開山に仰がれ、同4年(1246)2月には山内の普門寺を贈られて常住しました。


 

 

 

 

 

      

       その後、宮中に宗鏡録を進講し、後深草天皇の勅を奉じて、京都岡崎の尊勝寺、大阪四天王寺、奈良東大寺などの大寺院を観閲し、また時には延

      暦寺の天台座主慈源や東大寺の円照らを教導したので、学徳は国中に讃えられ、遂に建長6年(1254)には幕府執権北条時頼に招かれて、鎌倉の

      寿福寺に住することとなりました。 翌7年6月、一条実経の東福寺落慶供養にあたり帰山、爾来東福寺に住し、弘安3年(1280)10月17日79歳で入定

      (にゅうじょう)しました。 聖一国師の号は花園天皇より贈られたもので、日本禅僧最初の賜号です。

      その他に国師の功績といたしましては、中国(宋)より帰朝にあたっては多くの文献を伝え、文教の興隆に多大の貢献をしましたが、また水力をもって

      製粉する器械の構造図を伝えて製麺を興し、今日わが国最大のお茶の生産地となった静岡茶の原種を伝えたことも見逃せない功業です。

 

 

 

 

 

               

               仏殿(本堂)は、1881(明治14)年焼失後、1934(昭和9)年に再建されたもので、起工から竣工まで17年を要し復

               興させた昭和の木造建築中最大の建物です。 三門にならった大仏様の組物と角扇垂木、禅宗唐様の桟唐戸・

               礎盤・鏡天井、裳階の窓は和様の連子窓、破風の妻飾りは法隆寺南大門風と、多様に様式が組み合わされてい

               ます。 内部は禅式床瓦敷とし、正面須弥壇上に本尊釈迦立像、脇に摩訶迦葉尊者 阿南尊者、四天王を安置し

               天井の画龍は堂本印象氏の作、龍の大きさは体長54m・胴廻り6.2mに及んでいます。                       

 

 

 

 

 

      

      手前三門へ上る楼閣と仏殿 

 

 

 

 

 

      

 

                      

 

 

 

 

 

 

      

       本堂から見た三門

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

               

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      経蔵は、 三門、禅堂、東司などとともに旧観を残す宝形造りの瀟洒な建造物です。 開山の聖一国師(円爾弁円)は宋からの帰朝の際一千余りの

      典籍を持ち帰り、我が国文教の興隆に多大な貢献をしました。経蔵や寺内には今なお、宋代の書跡や貴重な書物が多数所蔵されています。

            

 

 

      

       仏殿と通天橋をつなぐ楼閣

 

 

 

 

 

      

       左手に方丈、正面が拝観受付の庫裡になります。

 

 

 

 

 

               

               昭憲皇太后の寄進といわれる方丈表門

                

 

 

 

 

      

      庫裡と方丈をつなぐ回廊 

 

 

 

 

 

      

      方丈は1890(明治23)年再建で、前庭には昭憲皇太后の寄進とつたえる向唐破風の方丈表門があり恩賜門ともいい、小型ながら明治期唐門の代表

      作です。 方丈南庭園は、禅宗の方丈には古くから多くの名園が残されてきましたが、四周に庭園をめぐらせたものは当寺唯一の試みで、当庭園は1

      938(昭和13)年、重森三玲氏が作庭しました。釈迦成道を表現し、八相の庭と命名され、近代禅宗庭園の代表として広く世界各国に紹介されています。

      

 

 

 

 

      

       東庭園 方丈前庭を廊下ではさんだ東側に位置します。

 

 

 

 

               

               北斗の庭は、もと東司の柱石の余材を利用して北斗七星を構成し、雲文様地割に配している小宇宙空間です。

               

 

 

 

 

 

 

      

      方丈東面

 

 

 

 

 

      

      方丈正面の南庭は210坪(693平方メートル)、東西に細長い地割に、蓬莢・方丈・瀛洲(えいじゅう)、壺梁(こうりょう)の四島に見立てた巨石と、砂紋

      による荒海の表現に加え、西方に五山を築山として大和絵風にあらわし、神仙境を表現しています。 鎌倉時代の質実剛健な風格を基調に、近代芸

      術の抽象的構成をとり込んだ枯山水式庭園です。

       

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

       

      

 

 

 

 

 

 

               

               庭園西端から経蔵 の眺め。

 

 

 

 

 

      

       仏殿

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      方丈西庭は「井田市松」の庭で、さつきの刈込みと砂地が大きく市松模様に入り、くず石を方形に組んで井田を意図して表現します。色彩の変化も楽

       しい庭です。

       

 

 

 

  

               

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

       

 

 

 

 

 

 

 

      

       方丈の西北には、モミジを愛でるための舞台が設えてあり、この時期は新緑が目に優しく映ります。

 

 

 

 

 

      

       舞台から眺める通天橋

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      方丈北庭(裏庭)は、市松の庭は、作庭以前に南の御下賜門内に敷かれていた石を市松模様に配したもので、通天紅葉の錦織りなす景観を借り、

       サツキの丸刈り、苔地の妙が調和するという、南庭とは逆に色彩感あふれる空間となっています。

       

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      方丈と庫裡を結ぶ回廊の向こうに東庭があります。

 

 

 

 

     

               

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

  

               

               方丈を後にし、通天橋を通り開山堂・普門院に向かいます。 

 

 

 


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