今から回ります通天橋や開山堂などの拝観は、方丈とは別料金になっております。 東福寺のポスターの写真ですが、仏殿に描かれている雲龍図だ
と思います。
秋の紅葉シーズンには、この回廊が一日中観光客で埋まってしまうほど紅葉の名所として人気があります。
回廊の右手が方丈の西庭園の壁になります。
石碑には、高松宮親王殿下・妃殿下記念御植樹と彫られております。
通天橋 仏殿から開山堂(常楽庵)に至る渓谷(洗玉澗;せんぎょくかん)に架けられた橋廊で、1380(天授6)年、春屋妙葩(しゅんおくみょうは;普明
国師)が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたとつたえられ、歩廊入口には同国師の筆になる「通天橋」の扁額をかかげます。南宋径山(きんざん)の
橋を模し、聖一国師が通天と名付けました。 その後、第四十三世住持、性海霊見が修造し、長廊を架したともいわれますが、その後も幾度か架け
替えられ、現在のものは、1959(昭和34)年、台風によって倒壊したものを1961(同36)年、再建したものです。
眼下に広がる新緑の木々はほとんどが、モミジ(楓)の木です。
通天橋の下は、洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷になっており、一筋の川が流れ一帯に繁るモミジは俗に通天
紅葉と呼ばれており、開山聖一国師円爾弁円が宋国より渡来したものとつたわります。葉は三つに分かれ、黄
金色に染まるのが特徴で、数は二千本に及んでいます。
通天橋から西側に架かる臥雲橋が望めます。
洗玉澗
方丈の西面です。
通天橋の北側の突き当たりの左手に朱色の愛染堂が建ちます。
突き当たりを右に進みますと上り坂になっており、開山堂と普門院に通じます。
方丈と仏殿
開山堂 通天橋を渡って至る、別名常楽庵。もとの建物は1819年に焼失し、1823年一条忠良によって再建されました。屋上に閣を持つ類例を見ない
開山堂で、祀堂は床高で開山国師像を安置します。上層伝衣閣は正面三間、内部左右いっぱいに壇を設け、中央に阿弥陀、右に薬師、左に布袋像
を祀り、前方天井は格子天井で、この縁から見る庭園は、四辺の眺望を借景にして格別だそうです。
楼門を潜り右手には、墓地につながる階段が続きます。
開山堂正面には、別名の常楽庵の額が掛っております。
普門院は、開山堂の西に位置する寝殿造風の建物で、開山国師常住の方丈とつたわります。内部は三室に仕切られ、その襖絵は花鳥草花・唐人物
を主題とし七十四面(桃山-江戸)からなる、画流各派の競作が残されていますが、現在は収蔵庫に収納されているそうです。 開山堂・普門院をは
じめ、書院、庫裏、楼門、裏門そして鐘楼を合わせて全7棟が、国の重要文化財に指定されています。
開山堂庭園 普門院の前庭も兼ねた池泉鑑賞式庭園で、開山堂への参道を中ほどまで進めば左手に枯山水の庭が開けます。枯山水は約百坪の
平庭式で市松の砂紋をつけ、鶴島、亀島を象った石組を配して蓬莢山水をあらわし、対面の池庭は築山風、池中に亀島をつくり、枯滝を設けており禅
院式と武家書院式とを調和させた江戸中期の代表的な名園とされています。
城壁を思わせる専門道場入り口 階段から先立ち入り禁止です。
愛染堂 開山堂の西、南正面にして立つ丹塗りの八角小円堂です。もと万寿寺愛染堂と呼ばれていましたが、昭和9年の室戸台風で倒壊、その後現
在の地に移されました。唐様を主とした鎌倉末期風の優雅さをもって現存する貴重な遺構で、こけら葺、内部は瓦敷、鏡天井とし、須弥壇上に宝塔形の
厨子を置き、愛染明王を祀ります。
愛染堂前から見た、普門院
下から見る通天橋、愛染堂の前から洗玉澗に下りることが出来ます。
洗玉澗に架かる三番目の橋の臥雲橋は、一般の方が生活道路としても使われている橋です。
東福寺境内の西端の土壁です。
手前、経蔵と禅堂 禅堂は、1347年に再建された、国内最古最大の禅道場で、鎌倉風の華頭窓が美しく、聖一国師の師の宋の佛鑑禅師による「選
佛場」の扁額が掛っております。
経蔵の前に建つ鐘楼、左手前が仏殿で奥が三門です。
正面、庫裡
左禅堂と鐘楼の間を通る東福寺のメインの出入り口にあたる、日下門
境内を出て、臥雲橋です。 この道を進めば、東大路に出ます。
臥雲橋から望む通天橋
雨の新緑は、心が洗われるようで梅雨が明けるまでの間、雨降りの度にあちこち足を運んでみます。
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