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エンコミエンダ制とスペインによる支配

2015年05月01日 | 高3用 授業内容をもう一度
 1492年のスペインでは,1月にレコンキスタが完了し,3月にはユダヤ教徒追放令が発布された。異教徒をイベリア半島から追放したカトリック両王の後ろ盾を得たコロンブスは,この年の10月にカリブ海のサンサルバドル島に到着したのである。1494年のトルデシリャス条約に基づき,「新大陸」はスペインとポルトガルの間で分割され,その結果,ブラジルがポルトガル領となり,それ以外の地域はスペイン領となった。
 
 コロンブス以降,多くのスペイン人がアメリカへと渡った。彼らの中からコンキスタドール(征服者)が生まれ,馬と火器を用いて,この地域に古くから栄えていたアステカ帝国やインカ帝国を滅ぼした。アメリカ統治のために1503年にエンコミエンダ制という制度が導入された。これは王権がインディオに関する義務を植民者に信託する制度である。信託を受けたものは,一定期間インディオを保護しキリスト教に改宗させる義務を負い,その見返りとしてインディオに対して貢租賦役を課する権利を有する。しかし実態は金銀の採掘などのためにインディオを奴隷として酷使したものであった。こうしたスペイン人の暴挙を告発するものが早くも16世紀前半に現われた。最初は植民者としてエスパニョラ島に暮らし,のちにドミニコ会の司祭となったラス=カサスである。
 
 16世紀にアメリカからスペインに運ばれた金銀は莫大な量に達したが,その富は国内の商工業を発展させることはなく,大半は戦費に当てられた。カール5世の治世のヨーロッパは,東方からのオスマン帝国の脅威や,イタリア支配をめぐるキリスト教国家間の争い(イタリア戦争)などがあり,戦乱が絶えなかったのである。こうした状況はフェリペ2世の時代も続き,オランダの独立などもあり,スペインは16世紀後半より徐々に国力を失い,ラテンアメリカに対する影響力も低下させていく。
 
 19世紀になると,ラテンアメリカでも啓蒙主義思想やアメリカ合衆国の独立の影響を受けて,クリオーリョと呼ばれる植民地生まれの白人が中心となって各地で独立運動が繰り広げられるようになる。その結果,シモン=ボリバルやサン=マルティンなどの指導者の下でこの地域に続々と独立国家が誕生していった。しかし,独立後のラテンアメリカ諸国は経済がモノカルチャー化していき,徐々にヨーロッパ列強とアメリカ合衆国に従属していくことになる。とりわけ19世紀後半になると,この地域におけるアメリカ合衆国の影響力は巨大なものとなっていった。

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