ワークシート(30)中国史(13)モンゴル帝国の拡大
1206年モンゴル高原でテムジンがチンギス=ハンに即位した。【 】とはチンギス=ハンの幼名である。また、可汗(ハン)とはモンゴル民族の皇帝を意味する。【 】年に可汗に即位した【 】は、西北トルキスタンにあったタングート族の西夏を征服し、中央アジアのナイマン部とホラズムを征服した。西北トルキスタンの【 】、東トルキスタンの【 】部、西トルキスタンの【 】を次々と征服した結果、チンギス=ハンがシルク・ロードを征服した。さらに【 】の功績はジャムチを設置してシルク・ロードを発展させた点にある。【 】とはシルク・ロードを東西に行き交うための駅伝制度で、「パイザ」を持った旅行者が利用できた。「【 】」は通行手形である。またチンギス=ハンは「千戸万戸制」を採用した。この「【 】制」は平時の生活をしている部族の単位を戦時にも活用できる利点があった。こうして【 】によってモンゴル帝国が建設された。
2代目可汗に即位したオゴタイ=ハンは、1234年に華北の金を征服した。【 】年の金征服は【 】自身が行っている。また、さらにバトゥに命じてロシアからポーランドまで遠征させた。これを「【 】の征西」という。1240年ロシアのキエフを攻略すると、翌【 】年のリーグニッツの戦いでポーランドとリトアニアの連合軍に圧勝した。【 】の戦いは別名でワールシュタットの戦いともいう。この【 】とは「地に塗られた土地」という意味である。しかし、2代目可汗の【 】が亡くなったため、征西を行っていた【 】は重要な会議であるクリルタイに出席するため帰国した。【 】という会議は可汗を決める会議である。1240年にロシアの【 】を攻略した後にバトゥが建てた国がキプチャク=ハン国である。この【 】国は約250年間ロシアを支配した。
4代目可汗に即位したのはモンケ=ハンであった。【 】は弟フラグに命じてアッバース朝を1258年に征服した。モンケ=ハンの命を受けた弟【 】はアッバース朝の都バグダッドを攻略した。【 】年のバグダッド攻略で【 】朝は滅亡した。都であった【 】は人口が激減して輝きを失った。アッバース朝を征服した【 】はイラン・イラクにイル=ハン国を建てた。フラグが建てた【 】国はやがて14世紀に全盛期を迎えた。また、4代目可汗【 】は別弟のフビライに命じて朝鮮半島にあった高麗を征服した。
5代目可汗に即位したフビライ=ハンは都をカラコルムから大都に遷都し、1271年にモンゴル高原と華北をあわせて元を建国した。新都【 】は現在の北京である。元が建国した【 】年の段階では南宋は抵抗を続けていたが、1279年山(ガイザン)の戦いでついに南宋は滅亡した。すなわち【 】年に成立した元は、【 】年の【 】の戦いで中国統一を達成した。しかし、【 】が5代目可汗に即位したことに反対して2代目可汗【 】の子ハイドゥが反乱を起こした。このハイドゥの乱は30年以上も続き、【 】の乱の結果、モンゴル帝国はロシアの【 】国、イラン・イラクを支配する【 】国、モンゴル高原と中国全土を支配する【 】に分裂した。
ワンフレーズ・チェック
(1) 【 】年可汗に即位した【 】は、【 】・【 】・【 】を征服してシルク・ロードを支配した。
(2) チンギス=ハンは【 】という駅伝制を設置してシルク・ロードを発展させた。
(3) 【 】は親征して【 】年に金を滅ぼして華北を征服した。
(4) オゴタイ=ハンの時【 】は征西し、1241年【 】の戦いで【 】・【 】連合軍を破った。
(5) 【 】が死ぬとバトゥは【 】に出席するために急遽帰国し、その後ロシアに【 】国を建てた。
(6) モンケ=ハンの時【 】は【 】年に【 】を攻略してイラクにあった【 】朝を征服した。
(7) 5代目可汗に【 】が即位したことに反対して【 】の乱が起き、モンゴル帝国は完全に分裂した。
(8) フビライ=ハンは【 】年に元を建国し、都を【 】から【 】に遷都した。
(9) フビライ=ハンは【 】年に山の戦いで【 】を滅ぼして、中国全土を支配した。
1206年モンゴル高原でテムジンがチンギス=ハンに即位した。【 】とはチンギス=ハンの幼名である。また、可汗(ハン)とはモンゴル民族の皇帝を意味する。【 】年に可汗に即位した【 】は、西北トルキスタンにあったタングート族の西夏を征服し、中央アジアのナイマン部とホラズムを征服した。西北トルキスタンの【 】、東トルキスタンの【 】部、西トルキスタンの【 】を次々と征服した結果、チンギス=ハンがシルク・ロードを征服した。さらに【 】の功績はジャムチを設置してシルク・ロードを発展させた点にある。【 】とはシルク・ロードを東西に行き交うための駅伝制度で、「パイザ」を持った旅行者が利用できた。「【 】」は通行手形である。またチンギス=ハンは「千戸万戸制」を採用した。この「【 】制」は平時の生活をしている部族の単位を戦時にも活用できる利点があった。こうして【 】によってモンゴル帝国が建設された。
2代目可汗に即位したオゴタイ=ハンは、1234年に華北の金を征服した。【 】年の金征服は【 】自身が行っている。また、さらにバトゥに命じてロシアからポーランドまで遠征させた。これを「【 】の征西」という。1240年ロシアのキエフを攻略すると、翌【 】年のリーグニッツの戦いでポーランドとリトアニアの連合軍に圧勝した。【 】の戦いは別名でワールシュタットの戦いともいう。この【 】とは「地に塗られた土地」という意味である。しかし、2代目可汗の【 】が亡くなったため、征西を行っていた【 】は重要な会議であるクリルタイに出席するため帰国した。【 】という会議は可汗を決める会議である。1240年にロシアの【 】を攻略した後にバトゥが建てた国がキプチャク=ハン国である。この【 】国は約250年間ロシアを支配した。
4代目可汗に即位したのはモンケ=ハンであった。【 】は弟フラグに命じてアッバース朝を1258年に征服した。モンケ=ハンの命を受けた弟【 】はアッバース朝の都バグダッドを攻略した。【 】年のバグダッド攻略で【 】朝は滅亡した。都であった【 】は人口が激減して輝きを失った。アッバース朝を征服した【 】はイラン・イラクにイル=ハン国を建てた。フラグが建てた【 】国はやがて14世紀に全盛期を迎えた。また、4代目可汗【 】は別弟のフビライに命じて朝鮮半島にあった高麗を征服した。
5代目可汗に即位したフビライ=ハンは都をカラコルムから大都に遷都し、1271年にモンゴル高原と華北をあわせて元を建国した。新都【 】は現在の北京である。元が建国した【 】年の段階では南宋は抵抗を続けていたが、1279年山(ガイザン)の戦いでついに南宋は滅亡した。すなわち【 】年に成立した元は、【 】年の【 】の戦いで中国統一を達成した。しかし、【 】が5代目可汗に即位したことに反対して2代目可汗【 】の子ハイドゥが反乱を起こした。このハイドゥの乱は30年以上も続き、【 】の乱の結果、モンゴル帝国はロシアの【 】国、イラン・イラクを支配する【 】国、モンゴル高原と中国全土を支配する【 】に分裂した。
ワンフレーズ・チェック
(1) 【 】年可汗に即位した【 】は、【 】・【 】・【 】を征服してシルク・ロードを支配した。
(2) チンギス=ハンは【 】という駅伝制を設置してシルク・ロードを発展させた。
(3) 【 】は親征して【 】年に金を滅ぼして華北を征服した。
(4) オゴタイ=ハンの時【 】は征西し、1241年【 】の戦いで【 】・【 】連合軍を破った。
(5) 【 】が死ぬとバトゥは【 】に出席するために急遽帰国し、その後ロシアに【 】国を建てた。
(6) モンケ=ハンの時【 】は【 】年に【 】を攻略してイラクにあった【 】朝を征服した。
(7) 5代目可汗に【 】が即位したことに反対して【 】の乱が起き、モンゴル帝国は完全に分裂した。
(8) フビライ=ハンは【 】年に元を建国し、都を【 】から【 】に遷都した。
(9) フビライ=ハンは【 】年に山の戦いで【 】を滅ぼして、中国全土を支配した。