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ワークシート(33)中国史(16)モンゴル帝国の東西文化交流

2011年07月19日 | ワークシート

ワークシート(33)中国史(16)モンゴル帝国の東西文化交流

 モンゴル帝国は駅伝制のジャムチを設置してユーラシア大陸の東西を一つの交通路でつなげた。駅伝制の【 】はモンゴル帝国が分裂したあとも維持されたので、シルク・ロードはモンゴル帝国の時代に最盛期を迎えた。
2代目可汗オゴタイ=ハンが建設した都はカラコルムである。プラノ=カルピニは都【 】を訪れた。そのとき【 】は、3代目可汗グユフ=ハンを選出したクリルタイにも出席した後に帰国し、モンゴル帝国の様子を西欧世界に伝えた。ついで、フランス人のルブルックはフランス王ルイ9世によって派遣され、同じく都【 】を訪れた。フランス人の【 】が派遣されたのは、当時フランス王【 】が十字軍でイスラム教世界と戦っていたので、モンゴル帝国との同盟を求めたのが理由である。
 5代目可汗フビライ=ハンは1271年に元を建国した。5代目可汗【 】が建設した元の都である大都へはヴェネツィア商人マルコ=ポーロが訪れた。【 】は都の【 】でフビライ=ハンに仕えた後、泉州を出港して海路帰国した。途中ジェノヴァで『東方見聞録』を書いている。この『【 】』は別名『世界の記述』とも呼ばれる。
 カトリックが中国に伝えられたのも元の時代であった。モンテ=コルヴィノは元の都【 】に始めてカトリックの教会堂を建てた。すなわち【 】は初代大都大司教となった人物である。
 大旅行家イブン=バトゥータも元の都【 】を訪れた。【 】はモロッコ出身の大旅行家で、『三大陸周遊記』を著した。この『【 】』が完成したのは、【 】が30年間の大旅行を終えた14世紀中頃であった。














ワンフレーズ・チェック
(1) モンゴル帝国の下で、【 】という駅伝制が整備された結果、【 】は最盛期を迎えた。
(2) 【 】は都カラコルムを訪れ、モンゴル帝国の様子を西欧世界に伝えた。
(3) フランス王ルイ9世は軍事同盟を模索してモンゴル帝国の都【 】に【 】を派遣した。
(4) ヴェネツィア商人【 】は、都【 】でフビライ=ハンに仕えた後、【 】を出港して帰国した。
(5) 【 】商人マルコ=ポーロは、帰国途中の【 】で『東方見聞録』を著した。
(6) 『【 】』は別名『東方見聞録』とも呼ばれる。
(7) 初代大都大司教の【 】が始めて中国に【 】を伝えて布教した。
(8) モロッコ出身の大旅行家【 】は30年間の大旅行の経験を『三大陸周遊記』に著した。
(9) 大旅行家イブン=バトゥータは【 】出身の人物で、『【 】』を著作した。


ワークシート(32)中国史(15)14世紀以降のモンゴル帝国

2011年07月19日 | ワークシート

ワークシート(32)中国史(15)14世紀以降のモンゴル帝国

 1240年ロシアのキエフを攻略した翌年の【 】年に、バトゥはリーグニッツの戦いで勝利した。1241年の【 】の戦いはロシアよりもさらに西のポーランドでの戦いであった。リーグニッツの戦いの勝利者となった【 】は、オゴタイ=ハンの死亡後、クリルタイに出席するために帰国した。【 】とは次の可汗を選出するための会議である。クリルタイ出席後【 】はロシアに戻ってキプチャク=ハン国を建てた。バトゥが建てた【 】国の都はサライである。都【 】はステップ・ルート上にある都市で、南ロシアに位置する。この後、ロシアはモンゴル人による「タタールの軛(クビキ)」の下に置かれた。「【 】」とはロシアに住むスラブ人に対するモンゴル人による厳しい支配をさす言葉である。
14世紀になると、この【 】国は全盛期を迎えた。とくに【 】世紀の前半に登場したウズベク=ハンのときが全盛期であった。キプチャク=ハン国の全盛期を現出した【 】はイスラム教を国教にした。しかし15世紀になると【 】国は衰退した。そのような中、1480年モスクワ大公国が自立した。【 】国のイヴァン3世は、ビザンツ帝国最後の皇帝コンスタンティヌス11世の姪ソフィアを結婚した。【 】はビザンツ帝国皇帝の姪【 】と結婚することで、【 】帝国皇帝の後継者を自称した。イヴァン3世が用いた称号はツァーリである。この【 】という称号は以後ロシア皇帝によって用いられた。
 一方、1258年にフラグはバグダッドを攻略した。フラグが攻略した【 】はアッバース朝の都であった。バグダッドを攻略した【 】はイラク・イランの地にイル=ハン国を建てた。【 】国の都はタブリーズである。都【 】もイラン北部のステップ・ルート上に位置する。【 】国も14世紀前半に全盛期を迎えた。とくに13世紀末から14世紀初頭に活躍したガザン=ハンのときが全盛期であった。イル=ハン国の全盛期を現出した【 】もイスラム教を国教にした。またガザン=ハンの宰相ラシード=ウッディーンは『集史』を著した歴史家でもある。宰相【 】が書いた『【 】』という歴史書は、チンギス=ハンから始まるモンゴル帝国の歴史を扱った資料である。【 】国ではイラン・イスラム文化が成立した。
 14世紀後半になるとイル=ハン国は分裂し、最終的に、中央アジアから登場したティムールが中央アジアからイラン・イラクにまたがる大帝国を建てた。大帝国の建国者【 】は中央アジアのサマルカンドに都を定めた。以後、都の【 】は東西貿易の中心地として発展した。この【 】が建てた大帝国は15世紀に全盛期を迎えた。











ワンフレーズ・チェック
(1) バトゥはロシアに【 】国を建て、都を【 】においた。その厳しい支配を「【 】」という。
(2) フラグはイラン・イラクに【 】国を建て、都を【 】においた。
(3) 14世紀に【 】が登場して、キプチャク=ハン国は全盛期を向かえ、【 】教に改宗した。
(4) 13世紀末に【 】が登場して、イル=ハン国は全盛期を向かえ、【 】教に改宗した。
(5) ガザン=ハンの宰相【 】は著書『【 】』で、【 】から始まるモンゴル帝国の歴史を著した。
(6) ロシアでは15世紀にモスクワにあった【 】国が自立した。
(7) モスクワ大公国の【 】はビザンツ帝国皇帝の姪【 】と結婚し、【 】の称号を自称した。
(8) 14世紀後半に登場した【 】は、中央アジアからイラン・イラクを支配する大帝国を建てた。
(9) ティムール帝国の全盛期は【 】世紀である。